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1章ー3 鉱山の調査

北坑道の入り口は、巨大な獣の口のように暗かった。


 岩肌が露出し、その表面には無数の削り跡が残っている。つるはしが刻んだ跡、ノミが穿った跡、人の手が何十年もかけて山の内側を掘り進んできた歴史が、そのまま壁に刻まれていた。入り口から吹いてくる空気は冷たく、土と鉱石と湿気が混ざり合った、独特の匂いがした。


 ガレスは入り口の脇に立ち、ランタンの火を確認した。オレンジ色の炎が揺れ、岩肌を照らす。


「準備はいいか?」ガレスがエメラを振り返った。


「はい」 エメラは頷き、もう1つのランタンに火をつけた。温かい光が手元を照らす。


「中は暗い。足元に気をつけろ。それに、空気も薄い。息苦しくなったら、すぐに言え」


「分かりました」


 ダンテはエメラの肩の上で耳を立てた。尻尾の動きが止まっている。警戒している時の姿勢だ。


「俺が先頭を行く」


 ガレスが低く言い、煤けたランタンを掲げた。橙色の光が、坑道の湿った岩肌を照らし出す。鈍く濡れた壁が、不気味に光を反射した。


 ダンテを肩に乗せたエメラが、その後に続く。


 狭い坑道の中、2人の足音だけが静寂を刻んでいく。石を踏む音、水が染み出た地面を踏む音、それぞれが少しずつ違う響きをしていた。遠くで滴る水音が、どこかで眠る何かの鼓動のように、規則正しく響いていた。


「誰が助っ人に来るのかと思ってたら、昨日の騒動の英雄が来てくれるとは、ついてるぜ」


 ガレスが肩越しに笑った。振り返ったその顔には、疲れの影と、どこかにのぞく安心の色があった。


「英雄だなんて、そんな……自分ができることをしたまでですよ」


 エメラは慌てて手を振った。湿った空気の中、エメラの声だけが妙に澄んで響く。その肩で、ダンテが静かに尻尾を揺らした。エメラの謙虚さにはいつも苦笑させられる、とでも言いたげな目をしていた。


「そのあんたがいなかったら、うちの仲間たちは助からなかったんだ。謙遜なんてやめてくれ」


 ガレスの声が少しだけ熱を帯びた。坑道の奥から吹く冷気が、彼の言葉に余計な誠意を添えた。


「すみません……」


 エメラは思わず口にした。謝る理由などないのに、心のどこかで照れくさが勝ってしまう。称えられることより、戦うことの方がまだ楽だ、とそう思った。


「言い方が悪かったな。英雄を謝らせる気なんてないんだ」


 ガレスは少し苦笑し、頭をかいた。その笑みが、ランタンの灯りに溶けて消える。


 坑道の中は、予想以上に寒かった。外の温かい空気とは対照的に、ひんやりとした冷気が肌を刺す。エメラは思わず身震いした。


「寒いな」


 ダンテが小さく鳴いた。


「鉱山はいつもこうだ」


 ガレスが前を向いたまま答えた。


「地下深くは、太陽の光が届かない。だから、夏でも冬でも、同じ温度だ」


 エメラはランタンを掲げて、周囲を見回した。坑道の壁は湿っており、所々に水滴が光っている。天井からは時折、水が滴り落ちてくる。足元は凸凹で、一歩ごとに注意が必要だった。


「地下水が染み出してるんだ」


 ガレスが説明した。


「この辺りは水脈が近い。だから、壁が湿ってる」


 坑道は奥へ奥へと続いていた。時折、横道が分かれており、さらに深い闇へと続いている。ランタンの光が届かない先は、完全な黒だった。


「この横道は?」


「昔の採掘跡だ。もう使ってない。鉱脈が尽きたから、放置されてる」


 ダンテが鼻を鳴らした。


「何か匂うぞ」


 ダンテがふんふんとあちこちの匂いをかいでいる。その様子は猫というよりも、さながら犬に近い。


「何の匂いだ?」


「カビと……土と……それに、何か金属のような。よく分からん。でも、不快な匂いだ」


「それは鉱石の匂いだろう」ガレスが笑った。「銅や鉄は、独特の匂いがする」


「そうなのか」ダンテは納得したように頷いた。


「他の鉱夫の方は今日は働かれてないんですか?」


「昨日の落盤があったからな、原因が分かるまでは鉱山の採掘は中止になっている」


「このまま原因究明が長引くと鉱山、ひいては街の衰退につながるから方々に調査を依頼しているが、依頼のやりとりだけでも数日はかかるだろう」


「他の箇所も責任者と数名が点検業務に当たってるが採掘自体はやっとらん」


「確かに、このまま放置して作業を再開しても危険ですもんね」


 鉱山の現状の話をしながら3人はさらに奥へと進んだ。坑道は次第に狭くなり、天井も低くなってきた。ガレスは時々、頭上の支柱を確認しながら歩く。


「この支柱が坑道を支えてんだ」


 ガレスが木の柱を叩いた。鈍い音がした。


「これがなければ、坑道は崩れる」


「丈夫そうですね」


 エメラが支柱を見上げた。太い木材が、等間隔に立てられている。


「ああ。俺らが定期的に点検して、必要なら交換してる。だから、昨日の落盤は理解できないんだ。あの場所の支柱は、先月点検したばかりだった」


「先月点検して、問題がなかったのに折れた?」


「ああ。突然だった」


 ガレスは眉間に皺を寄せた。支柱を見上げるその目に、腑に落ちない色が滲んでいる。


「何かがおかしい」


 やがて、前方に岩が積み重なっているのが見えてきた。落盤の跡だ。昨日の出来事の残骸が、そのままそこに残されている。


「あれが昨日の現場だ」


 ガレスが足を止め、指をさした。


 エメラは岩の山に近づいた。ランタンを掲げて、詳しく観察する。岩は大小様々で、無秩序に積み重なっていた。中には、人の頭ほどもある大きな岩もある。もしこれが人に当たっていたら、即死だっただろう。昨日、五人が生きて出てきたことが、改めて奇跡のように思えた。


「ここ5人が閉じ込められていたんですか?」


「ああ。この向こう側だ。お前の魔術で岩を動かして、穴を開けてくれた」


 エメラは岩の表面に手を当てた。冷たく、ざらざらしている。昨日この岩を動かすために、どれだけのマナを使ったのだろう。指先の痺れが、まだ微かに残っていた。


 ダンテがエメラの肩から降りて、岩の周りを歩き始めた。鼻を地面に近づけ、匂いを嗅ぐ。


「どうだ、ダンテ?」


「待て……何か……」


 ダンテは立ち止まった。岩の隙間に鼻を突っ込み、深く息を吸う。


「あったぞ」


 ダンテが振り返った。


「あの匂いだ。焦げたような、金属のような匂い」


 エメラはすぐにダンテのところへ行き、膝をついた。ランタンを岩の隙間に近づけて覗き込む。


 確かに、微かに焦げた匂いがした。それと、何か化学的な、人工的な匂いも混じっている。


「これは……」


 エメラは目を細めた。岩の表面をよく見ると、一部が黒く変色している。


「焦げてる」


「焦げてる?」


 ガレスが驚いて近づいてきた。


「ああ。この岩、一部が焦げています」


 エメラは指で黒い部分に触れた。指先に、すすのような黒い粉がついた。


「これは火薬か、それに近い何かの痕跡です。小規模で、ピンポイントで支柱を狙ったんだ」


「なぜそんなことが分かる?」


「周囲の岩が無傷だからです」


 エメラは周りを指差した。


「もし大きな爆発なら、周囲の岩も損傷しているはず。でも、そうじゃない。支柱だけが折れている。計画的に、最小限の爆発で、最大限の崩落を引き起こした」


「つまり、犯人は鉱山の構造を理解してる」


 ダンテがエメラに続けて言った。


「どこを壊せば落盤が起きるか、知ってるんだ」


 ガレスは顔色を変えた。


「それって……」


「内部の人間か、あるいは元鉱夫です」


 エメラは静かに、しかし確信を帯びた口調で言った。


「カールは元鉱夫ですよね?」


「ああ……」


 ガレスは重い声で唸った。


「カールは鉱山のことをよく知ってた。10年以上働いてたからな」


「10年?」


「若い頃からここで働いてた。真面目で、腕のいい男だった。みんなから信頼されてた」


 ガレスは遠い目をした。過去を見ている目だ。


「それが、なぜ盗みを……」


「急に変わったんだ。半年前くらいから、様子がおかしくなった」


「どう、おかしかったんですか?」


「口数が減った。誰とも話さなくなった。それに、よく1人で坑道の奥に行ってた」


 ガレスは眉をひそめる。


「何をしてたのか、誰も知らない」


 ぽつりぽつりと思い出しながら話す声には、どこか懐かしむような色がある。懐かしさと、困惑と、それから拭えない心配が混ざり合っていた。半年前に何かがあったのだろう。カールに何かが起きた。


「ガレスさん、半年前、何か変わったことはありませんでしたか?」


「半年前……」


 ガレスは記憶を辿った。しばらく沈黙してから、何かを思い出したように顔を上げる。


「そういえば、東坑道で新しい鉱脈が見つかった」


「新しい鉱脈?」


「ああ。銅の鉱脈だ。かなり大きいやつでな、組合は大喜びだった」ガレスは苦笑した。「だが、カールは喜んでなかった」


「なぜですか?」


「分からん。むしろ、焦燥しているように見えた」


 エメラは眉をひそめた。新しい鉱脈が見つかれば、鉱山は潤う。鉱夫たちの給料も上がる。喜ぶべきことのはずだ。


「その鉱脈は、今も採掘してるんですか?」


「ああ。今は東坑道のオズワルドが管理してる」


「今は、ということは……以前はカールさんが管理していたんですね?」


「ああ」ガレスは頷いた。


「首になる寸前までカールが専任で担当していた。普段から仕事人間だったが、新しい鉱脈が見つかってからは取りつかれたように仕事していたよ。最後の方は会話の受け答えもできないくらいだった。仕事の疲れなのか、精神的なものか……」


 声に元気がなかった。


「そうですか……」エメラの頭の中で、何かが引っかかった。新しい鉱脈。カールの変化。盗み。そして落盤。これらは、どう繋がっているのだろう。


「ダンテ、他に何か匂わないか?」


「ちょっと待て……」


 ダンテは再び岩の周りを歩き始めた。鼻を地面に近づけ、匂いを追う。小さな体が、ゆっくりと慎重に移動していく。


「あった」ダンテが立ち止まった。坑道の奥を指差す。


「あっちだ。同じ匂いがする」


「奥に?」エメラは坑道の奥を見た。ランタンの光の届かない先に、闇が広がっている。


「行ってみましょう」


「いや、駄目だ」ガレスが止めた。


「奥は危険だ。まだ点検してない」


「でも、手がかりがあるかもしれません」


 ガレスは腕を組んで考え込んだ。その時間は十秒にも満たなかった。腕組みを解き、答えを出す。


「……分かった。だが、俺が先に行く」


 ガレスはランタンを掲げて、奥へと進んだ。エメラとダンテがその後に続く。


 坑道はさらに狭くなり、天井が頭すれすれまで下がってきた。エメラは身を屈めながら進む。岩が剥き出しの天井が、ランタンの光に照らされて鈍く光っていた。


「ここはとても古い坑道なんだ」


 ガレスが説明する。


「50年前に掘られた。もうほとんど使われてない。鉱脈が尽きたからだ。それに、奥が崩れかけてる。危険だから、立ち入り禁止にしてる」


「でも、カールはここに来たんですね」


「そう、らしいな」


 ガレスの声に元気はない。崩落事故の原因は突き止めなければならない、しかしそこには同じ釜の飯を食べた旧友が関わっている可能性が高い。信じたくない気持ちが、声の端々に滲み出ていた。


 やがて、坑道が少し広くなった。天井も高くなり、立って歩けるようになる。


 奥に目をやると、そこに奇妙なものがあった。


 地面に、何かの跡が残っている。円を描くように、黒い粉が散らばっていた。粉は完全に乾いており、しかし新しかった。雨にも風にも晒されていない地下の空気の中で、そのまま保存されていた。


「これは……」膝をつき、粉を指先で触った。


「魔法陣だ」


「魔法陣?」ガレスが驚いた声を上げる。


「はい」エメラは足元を指さし、陣の全体を確認した。


「火属性の魔術です」


「火属性だと? こんな鉱山の奥で」


「この術式……爆破の魔術が込められています」


「爆破だって? 生き埋めになっちまう! 今その魔法陣は破壊できないのか?」


 ダンテが尋ねる。


「慌てないで、ダンテ。残念ながら術式にトラップも刻まれています。このまま下手に触ると起動する。解析して魔法陣を消すことはできなくはないが、少し時間がかかる」

 

 エメラは魔法陣の外縁をゆっくりと視線でなぞりながら、術式の構造を読み解こうとした。術式の文字が、円を描いて整然と並んでいる。雑な仕事ではない。相当な知識を持つ者が刻んだのだろう。

 

「ガレスさん、これは元からあったんですか?」

 

 エメラは壁に刻まれた記号を指差した。

 

「いや、見たことがない」ガレスは首を振った。

 

「真新しい。最近刻まれたものです」

 

 エメラは術式の中の一点を見つめた。術式の文字とは独立して、数字が書かれている。

 

「この刻まれた数字の4が気になります」

 

 エメラが一呼吸置いてから、2人に告げた。

 

「多分——少なくともこれ以外に3つ、同じ魔法陣が鉱山に仕掛けられています」

 

「3つもだと?? どうする、手分けして探すか?」

 

 ガレスの声に焦りが混じった。内心穏やかでないのだろう。当然だ。自分が長年管理してきた鉱山の内部に、爆破の魔法陣が4つ仕掛けられているかもしれないのだから。

 

「いや、今ここでばらけるのは得策ではありません。どのみち解除は私にしかできない。別の策を練ります」

 

 エメラが思案していると、ダンテが壁の隅を指差した。

 

「エメラ、見ろ」

 

 そこには、石灰で矢印が描かれていた。

 

「何か怪しいものを見つけたぞ」

 

「……ああ、それはだな、昔俺たちがつけた目印だ」ガレスが答えた。「坑道の中で迷わないように、方向を書いてある。この矢印が出口を示してる」

 

「なるほど」

 

 エメラとダンテが同時に声に出した。


 矢印の先は、坑道が行き止まりになっていた。壁が塞いでいる。古い岩の壁だ。表面が黒ずみ、長い年月を感じさせる。


「ここが終点だ」ガレスがランタンを掲げた。「この先は、崩落して通れない。地震で崩れた。10年以上前のことだ。それ以来、放置されてる」


 エメラは壁に近づいた。手を当てると、冷たく湿っている。


 しかし——何かが、引っかかった。


「ダンテ、匂いは?」


「この壁の向こうから、何か匂う」ダンテが耳を立てた。「あの匂いだ。焦げたような、金属のような」


「壁の向こうに?」

 

「ああ」

 

 エメラは壁に耳を当てた。静寂。何も聞こえない。

 

 だが——。

 

 微かに、空気が流れている。壁の隙間から、冷たい風が吹いてくる。

 

「向こう側に、空間がある」

 

 エメラは呟いた。

 

「この壁は完全に塞がっていない」

 

「どういうことだ?」


 ガレスが訊いた。

 

「誰かが、この壁の向こうへ行けるようにしている。秘密の通路が、あるんだ」

 

 エメラは壁を叩いた。コン、コン、コン。音が響く。そして、ある場所だけ、音が違った。コーン。空洞の音だ。

 

「ここだ」

 

 エメラは壁の一部を押した。

 

 ゴゴゴゴ……。

 

 重く鈍い音を鳴らしながら、壁が動いた。岩が横にスライドし、隙間が現れた。人一人が通れるほどの、狭い隙間だ。

 

 向こう側から、冷たい空気が流れ込んでくる。ランタンの炎が、その風を受けて揺れた。

 

「なんてこった……」ガレスが息を呑んだ。

 

「こんな仕掛けがあったなんて」

 

「最近作られたものでしょう。カールが作ったんだ。何かを隠すために」

 

 エメラは隙間を覗き込んだ。ランタンの光が届く範囲に、岩肌が見える。だがその先は、暗くて分からない。

 

「確かめるしかない。行ってみます」

 

「待て! 危険だ!」ガレスが叫んだが、エメラはもう中に入っていた。身を屈め、隙間を抜けると、その先はゆるやかに広がっていた。小さいが、空間がある。

 

 ダンテもエメラの後を追い、音もなく抜けてくる。

 

「くそ! 俺も行くぞ!」

 

 ガレスも追いかけるように隙間に入ってきた。体格のいいガレスには少し窮屈だったらしく、肩を擦りながら出てくる。


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