義兄
家の鍵を開け、部屋に入り、私は大の字に寝転がりました。やがて天井のシミへ意識が向き、気付けば一つ二つと数えてみたりしていました。
「いつ、言うかね」
寝返りを打ち、左側に転がると襖に目が向き、人形の影が脳裏を過ります。それは何も、ptsdだとかそういった大層なものではなく、只々、懐かしく思っているだけでした。きっと、煙草を止めたばかりの人も、同じ気になるのでしょう。
いつだか見た映画で、やけに格好よく見えた喫煙場面。きっと今見たらとても醜悪に感じられるのでしょう。それだけは嫌ですが、その場面を再び格好よく見えた日には、私は私ではいられなくなっている事でしょう。
「いつ言うかね」
昔母が読み聞かせてくれた絵本を思い出します。桃を食い、若返った老夫婦が子を生し、その子が鬼を討つ話。後に知った事ですが、それは随分昔の話らしく、現在では内容が変更されているとのことです。確かに、当時子供ながらに聞いていて、これは子供に読み聞かせるには適していないのではないか、と思っていました。ですので悲しいですが、納得が先行しました。要はタイミングなのです。出すタイミング、聞かせるタイミング、言う、タイミング。
「いつ言うかね」
また何か言い訳をしようと頭を回していると、未来の兄から電話がかかってきました。
「はいはい。何用だい」
彼は声高らかに話し始めました。
『イヤ~上手くいったみたいじゃないか。僕は嬉しいよ、君の兄に成れるなんて』
彼は茶化すように、ですが恐らく真剣にそう言いました。
「ああ、私も嬉しいよ」
暫く沈黙が続きます。
先に口を開いたのは、私でした。
「なあ、聞いてくれるか」
私がそう言うと、彼は声色を落とし、真剣に聞くといった風に「何だい」と返しました。
「実はな、君に。君達に話さなければならないことがある」
彼の返事を待たずに続けます。
「私には、趣味がある。それはそれは悍ましく、醜い趣味が」
電話のスピーカから聞こえるのは、ジリジリという電子ノイズだけでした。
「その、趣味は、人形の着せ替え遊びなんだ。女物の服を、人形に着せて、眺める趣味を、持っているんだ」
彼の返事はありません。
「こんな気持ちの悪い奴を妹の旦那にするだなんて嫌だと思うが。だが、もし、彼女にこれを打ち明け、許してもらえたなら、その時はどうか、私を認めていただきたい」
彼の返事を待つ時間は、今までで最も長い時間に感じられました。
『それだけかい? 話ってのは』
「え、」
思っていた反応とは正反対だったもので、声が漏れ出てしまいました。彼はそんな私を置いて、話を進めました。
『僕はもう君を認めている。それは、どんなに奇妙な趣味を持っていようと、変わらないよ。これはきっと、妹も同じはずだ』
お守りを固く握りしめ、私は蹲りました。老婆と話しておいて良かったとつくづく思いました。
声を絞り出します。
「ありがとう。ありがとう」
彼は声を高らかに戻し言いました。
『何も心配はいらないさ。俺の妹だからさ。堂々と、話してきなよ、兄弟』
その言葉に重みはなく、綿毛が身体っを包んでくれるような、そんな軽く柔く温かいものでした。




