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輪廻天才  作者: 餅真似吸栗丼
1章「鬼神の目覚め」
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7/11

6話「感情の空白」

 この人なら、理解してくれるかもしれない。


 俺は数日で書き上げた紙の束をヴァルム先生に渡した。


「ちょっと見せて」


「はい」


 先生は眼鏡を直して紙に軽く目を通した。


「魔力のコントロール方法か。面白い着眼点だ」


 先生は顔をあげて、口の端を上げる。


「後でじっくり見させてもらうね」


 そう言って紙をカバンに入れた。


「じゃあ、前回の復習をしようか」


 手のひらにこぶし大の火球を作った。


「先週より少し早く灯ったね。火も安定している。かなり努力したね?」


「少し、頑張りました」


「ヒカルはなんのために魔法を覚えてるんだ?」


 心臓が跳ねた。前世の事を話すべきか。


「コーシー、なんと答えるべきだ?」


『計算します』


 ヴァルムが静寂を切る。


「強くなりたいなら覚えておきなさい。魔法は誰かのために使うときに、本当の力を発揮する」


「はい」


 誰かのため。

 その言葉だけで胸の奥がざらつく。


 俺にはそんな相手はいない。


 遅れてコーシーが答えを出す。


『「あなたには関係ない」と答えるべきでしょう』


「黙れ、もういい」


 先生は右手を出し、手のひらに火を灯した。


 二つの炎を見比べる。


 先生の炎は青い。俺の炎は赤い。


 炎色反応の違い。それだけならいい。


 枝を拾って自分の炎に近づけると、枝は黒く焦げ、煙が上がった。


 二本目を先生の炎に近づける。


 何も起きなかった。


 何度見ても不思議な現象だが、先生は顔色を変えない。


 手を近づけるが、熱はない。


「コーシー、これは燃焼反応とは別の現象かもしれない」


『その場合、炎ではありません』


「そうだよな。でも炎にしか見えないぞ」


『炎の可能性があります』


「どっちなんだ」


『現在、計算中です』


 ゆっくり指先を近づける。


 青い炎に触れた瞬間、焼けるような痛みが走った。


「熱っ」


 反射的に手を引く。


 だが指先に変化はない。


『熱いのであれば炎です』


「そうだよな」


 しかし先生の炎は水をかけても消えない。


 なんなら水の中でも燃える。


 もちろん俺の炎は消える。


「コーシー、炎って水で消えるよな」


『一般的にはそうです』


「消えないぞ」


『では炎ではありません』


「でも熱いぞ」


『では炎です』


「どっちなんだ」


『現在、判定が揺れています』


 俺は再び青い炎を見た。

 まるで炎の形をした別の何かだ。


 そのとき、一匹の虫が青い炎の中に入る。

 虫は燃えなかった。


 そのまま地面に落ちたのは死だった。

 先生は一秒だけそれを見た。

 そして視線を戻した。


 その夜。


 俺は青い炎の観察結果を記録帳に整理していた。


 燃焼しない。


 水で消えない。


 生物を焼かない。


 だが熱を持つ。


 そして、俺の知る物理法則では説明できない。


「面白い」


 俺は紙の端に書き加える。


 (欠損要素候補:魔力)


 その文字を見つめる。


 もし仮説が正しいなら、埋まらなかった最後の空白に届くかもしれない。


 視線を落とす。


 記録帳の表紙には、一つの名前が記されていた。


 【ルミナスコア】


 仮説を書き足し、否定し、また書き直す。


 理論はまだ完成せず、時間だけが確実に流れていた。


「わたしもやる!」


 リラが勢いよく外へ飛び出した。


 小さな靴が土を蹴り、ぱたぱたと俺たちの方へ駆け寄ってくる。


 最近までよちよち歩きだったとは思えない勢いだ。


 先生の口元がふっと緩んだ。


「お兄ちゃんに似て、頑張り屋だな」


「うん!」


 リラは胸を張った。


 褒められたのが嬉しいのか、得意げに鼻まで高くなっている。


 広場の隅では、鬼の子供達が木剣を振り合っている。


 先生は腕を組んで、言った。


「リラ、まずは復習からだ」


「うん!」


 リラは得意げな顔のまま手のひらを差し出した。


 乾いた打ち合いの音が、絶え間なく響いていた。


 リラは目を閉じ、教わった通りに魔力を練った。


 だが、何も起きない。


 数秒。


 さらに数秒。


 やがて肩が落ちた。


「はぁ〜……だめだ〜」


 その場にぺたりと座り込む。


「大丈夫。すぐ出来るようになるさ」


「もっかい」


 間髪入れずに立ち上がる。


 リラはもう一度、手のひらを前に出した。


 結果は同じだった。


 それでも先生の視線は離れない。


 失敗したことではない。


 その手のひらを。


 魔力の流れを。


 何かを確かめるように見つめている。


 リラには才能がない。


 それはヴァルムほどの術者なら、最初の三秒で分かることだった。


 その夜。


 夕食の片付けも終わり、家の中が静かになった頃。


 リラは台所の隅にしゃがみ込んでいた。


「ひかるに〜にぃ……」


 リラは膝を抱えたまま俯いている。


「見てろ」


 俺は手のひらを開く。


 淡い蛍火がふわりと浮かび上がった。


「に〜にぃの蛍火だ」


 曇っていた瞳が、その光を映して少しずつ色を取り戻していく。


「……お前が見たいなら、俺が何度でも出してやる」


「ほんと?」


「ああ」


 そして、今にも消えそうだった笑顔を、そっと咲かせた。


「ずっと?」


「……ああ」


「おばあちゃんになっても?」


「その頃には俺が先に死ぬ」


「じゃあだめ」


 リラはぷくっと頬を膨らませた。


 次の日。


『光一郎様。昨夜の蛍火の光量が通常比一・三倍を記録しました』


 コーシーの報告を聞きながら、俺は記録帳に書き込まれた数値へ目を落とした。


「測定誤差は」


『許容範囲内です』


 指先で机を軽く叩く。


 原因となる数値が見当たらない。


 昨夜と普段の記録を見比べる。


 どれも大きな差はない。


 だというのに、蛍火だけが一・三倍の光量を示していた。


 先生の言葉を思い出す。


「誰かのために……」


 あり得ない。


 昨夜と普段の数値を、もう一度すべて並べた。


 気温。湿度。天気。睡眠。食事。


 どれも差はない。測定できる変数は出尽くしている。


 それでも蛍火だけが一・三倍を示した。


 残った可能性が一つ、頭の隅をよぎる。


 昨夜は、リラのために灯した。


 変数ではない。


 測定出来ない。記録出来ない。再現出来ない。


 そんなものを原因に据えるのは、論理の敗北だ。


 俺は記録帳を閉じた。


 原因が存在しないわけではない。


 まだ見つけられていないだけだ。


 必ず、何か変数がある。


 そう結論づけた。


 その日の夜からだった。


「に〜にぃ」


 寝台の上から声がした。


「なんだ」


「蛍火」


 またか。


 俺は記録帳から顔を上げず、指先に魔力を集めた。


 淡い光がふわりと浮かび、部屋の隅へ流れていく。


「おやすみ」


「……ああ」


 紙をめくる音だけが残る。


 しばらくして振り返ると、リラはもう眠っていた。


 小さな胸が規則正しく上下している。


 俺は再び記録へ目を戻した。


 それからしばらくして。


「に〜にぃ」


「なんだ」


「蛍火」


「自分で出せ」


「むり」


「そうか」


 蛍火を灯す。


「に〜にぃ」


「なんだ」


「蛍火」


「……」


 蛍火を灯す。


「に〜にぃ」


「なんだ」


「蛍火」


「分かった」


 いつからか、


 夜になると決まって呼ばれるようになった。


 理由は聞いていない。静かにしてくれればそれで良かった。


 ある夜。


 記録帳へ式を書き込みながら、指先に魔力を流す。


 淡い光が浮かんだ。


 数秒遅れて手が止まる。


 静かだった。


 振り返る。


 リラは既に眠っている。


 毛布から小さな手だけが出ていた。


 俺はしばらくその光を見た。


 それから記録帳へ視線を戻す。


 式の途中だった。


 だが何を書こうとしていたのか、一瞬だけ思い出せなかった。


 そんな日々が続き、記録帳は何冊も増えた。


 仮説は積もっては崩れ、崩れてはまた積もった。その繰り返しのうちに季節は巡り、気付けば、この世界に来てから三度目の夏を迎えていた。


 この三年で積み上がった理論は増えた。それなのに新しい謎が古い仮説の裾を引き、完成図は霞んでいった。


 魔法は感情や気分で、性質も出力も変化する。

 つまり数値化できない。脳波が測定出来れば少しは答えに近づくが…。


 今日も俺は村の広場へ向かった。


 二十冊目の記録帳の束を脇に置き、両手の上に火球を灯す。


「何それ」


 声がして、視線を上げた。


 木剣を持った鬼の子供が三人立っていた。一人が身を乗り出し、ページを覗き込む。


「うわっ、気持ちわる」


「文字、こんなにあるぞ」


「字、ちっこいし」


 俺は紙束へ目を戻した。


「またそんなのやって、強くなれんのか」


「お前、そんなちっこい体で、飯食ってるか」


「毎日魔法ばっか触って、何になる。戦って強くなれ」


 火球の揺れだけを見ていた。


「やっぱり変なやつだ」


 子供が笑う。


 その言葉だけは、妙に聞き慣れていた。


 当たり前だろ、俺はお前たちとは違う。


 剣を振り回して強さを競うだけの連中と、一緒にされても困る。


 そう思った瞬間だった。


 手のひらの炎が、ぼっ、と膨らんだ。


 子供たちの足が揃って半歩退く。


 俺は黙って炎を見つめた。


 直径は、いつもの倍を超えていた。


「おい、お前ら」


 声がした。


 ヴァルムが広場の端に立っていた。


「三人でいじめて。恥ずかしくないのか」


 いつもより低い声だった。


 子供たちは顔を見合わせると、そのまま散っていった。


「大丈夫か」


「はい。いつものことです」


 ヴァルムはしばらく俺を見ていた。何も言わない。


 やがて視線を空へ向けた。雲が流れている。ただそれだけの空だった。


「僕も昔は、戦士になりたかった」


 一拍置いて続ける。


「魔法なんて使えて当たり前の便利な現象だと思ってた。でも、一冊の本に出会って、変わった」


「体の小さい主人公が、魔法を使い世界を救う伝記だ」


 そう言って、ヴァルムは膝の埃を払った。


 立ち上がり、こちらへ少しだけ目を向ける。


「僕たちみたいだろ」


 その言葉の意味を、本当に理解するにはまだ少し時間が必要だった。


 そして季節がひと巡りした頃。


「ひかるに〜にぃ、蛍火教えて」


「……やるのか」


「やる!」


 二人で見つけた秘密の場所へ向かう。


 広場を見下ろす高台。円を描くように並んだ家々が村を囲んでいる。この景色だけは、いつまでも眺めていられた。


「リラ、魔力が流れている感覚は分かるか?」


「分からない」


 俺も最初はそうだった。


 魔法なんて信じられなかった。


 だが、一度火が灯れば、その感覚は呼吸みたいに当たり前になる。


 教えようとしても言葉にならない。


 ヴァルムが俺にしたように、魔力を流してみる。


 俺の手のひらに、リラの手のひらを重ねた。


 ゆっくりと魔力を渡す。


「何か感じるか?」


「……なんか、ぽかぽかする」


「そのまま。火が燃えるところを思い浮かべろ」


 リラが目を閉じる。


 次の瞬間、金色の炎が弾けた。


 爆風に押し流される。


 半歩後ろで土が崩れ、ぱらぱらと下へ消えていった。


 背中にじわりと汗が滲む。


 すぐに体勢を立て直し、リラのもとへ駆け寄る。


「リラ!」


 小さな肩が震えていた。


 俯いたまま、ぽたりと雫が落ちる。


「……こわかった」


「悪かった」


 リラは首を振り、それでも袖を強く握りしめた。


 てっきり爆発に怯えたのだと思っていた。


 だが観察結果は一致しない。


 リラの瞳孔。爆発の瞬間、確かに散大した。恐怖の反応だ。だがそれは三秒で戻った。涙が落ちたのは、その後だ。俺が崖際でよろめき、土が崩れ、半歩、宙へ近づいたあの瞬間。


 時系列が合わない。爆発が原因なら、涙は爆発の直後に出るはずだ。


 俺は崖を振り返った。崩れた縁。落ちていった土。

 リラの視線は、ずっとそこへ向いていた。爆発のあった手のひらではなく、俺が消えかけた縁へ。


「に〜にぃが死んだかと思った」


 死んでいない。ここにいる。両手も足もある。事実として、俺は生きている。


 それなのに、なぜ。


 起きなかった出来事を、なぜ、現実みたいに怖がる。


『光一郎様』


「分かってる。データが足りない」


 コーシーは、それきり黙った。


 結局、今日のことはエルダには黙っておくことになった。


 リラが蛍火を覚える頃には、記録帳が百冊を超えていた。


 机の脇に積み上がった束は、もう小さな棚のようになっている。


 半年ぶりに訪ねてきた先生は、その一番上を手に取った。


 眼鏡の位置を直し、ページをめくる。


 紙の擦れる音だけが続いた。


「……これを、全部一人で?」


「はい」


 返事のあとも、ページをめくる音は止まらない。


 二冊目。


 三冊目。


 途中で先生の指が止まった。


 そのまましばらく黙り込む。


「先生?」


「いや……」


 先生は記録帳を閉じた。


「僕がここで教えられることは、もうない」


 そう言って束の上へ戻した。


「王都に学校がある」


 先生の指先が、机の木目を一本、ゆっくりとなぞった。


「いきません」


 指が止まる。


「……最後まで聞いてほしいんだけどな」


 責めるふうでもなく、先生は少しだけ笑った。


「研究はここでもできます」


 窓の外で、誰かが薪を割っている。乾いた音が、一定の間隔で続いていた。


「君ほどの才能を埋もれさせるのは惜しい」


 返事をしなかった。


「王都には、君より優れた研究者もいる」


 先生は窓の方へ目をやる。遠くの稜線に、霞んだ街の影。


「ただ、入るのは簡単じゃない。王都へ向かう者には試練が課される。毎年、半数が死ぬ。それでも皆そこを目指す。この村の子供たちもだ」


 薪の音が、一度途切れた。


「俺は鬼じゃない」


「そうだね」


 先生の声に、ほんのわずか、力がこもった。


「君は特別だ。鬼の村で育った人間。鬼でもなく、ただの人間でもない。どちらの常識にも縛られていない」


 膝の上で、指がひとりでに丸まっていた。


「正直に言う。君の研究の半分は、僕にも理解できる。でも半分は、分からない」


 先生はそこで言葉を切り、こちらの顔を覗き込んだ。


「王都なら、君の研究を理解してくれる人がいるかもしれない」


 理解。


 その一語が、喉のどこかに引っかかった。


 放課後の、物理準備室。


 西日が床に長く伸びて、宙に埃が浮いていた。窓際の席。机の上に置かれたレポート。


 誰も、理解できなかった。


 部屋は、静かだった。あまりに静かだった。


 まばたきを一つ。準備室は消え、目の前には先生がいる。


「僕はね」


 先生はまっすぐにこちらを見た。


「君が、世界を変えると思っている」


 その声には、隠しきれない熱があった。


「王都で、正しく魔法を学ぶんだ。そして世界を、正しい方向へ導いてほしい」


 唇の端が、やわらかく持ち上がる。


「僕と、一緒に」


 先生が、なお何か続けようと口を開いた。


 その前に、声が出ていた。


「あなたには関係ない!!」


 自分の声とは思えないほど、鋭く部屋を裂いた。先生の表情が、止まる。


 正しく学ぶ。正しい方向へ導く。


 膝の上の拳が、震えていた。誰かのための魔法も、誰かが決めた正しさも、要らない。


 世界がどう転ぼうと、知ったことではなかった。


 あの理論の、最後の一行。そこに辿り着くことだけが、この胸を灼いていた。


 理解されたいわけじゃ、なかった。

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