2話「鬼」
神話の外へ引きずり出すと誓った男は――神話の内側へ、引きずり込まれた。
背中に触れていたのは、露に濡れた草の冷たさだった。
その感覚を「冷たい」と認識するまでに、光一郎の意識はひどく遠回りをした。暗闇の底から、ゆっくりと浮かび上がるように現実が滲み出してくる。
まぶたを開けても、世界は定まらない。輪郭は溶け、色は混ざり、ただ「何かがある」という曖昧な情報だけが流れ込んでくる。
――なぜ、こんなところに。
思考はかすれ、形を保てない。
息を吸う。
湿った土の匂いが、肺いっぱいに広がった。生ぬるく、重く、やけに生々しい。現実だけが、容赦なくそこにある。
「……ぁ……お……」
声が出ない。
喉は震えているのに、言葉という形にならない。舌はもつれ、口の動きはちぐはぐで、意思を裏切る。焦りだけが、じわじわと胸の奥に広がっていく。
(動け……)
命じる。
だが――動かない。
指先ひとつ、ぴくりとも反応しない。全身が鉛のように重く、意識と肉体が完全に切り離されているかのようだった。
そのとき。
――爆発。
唐突に、記憶が閃く。
白い光。鼓膜を破る衝撃。宙へと弾き飛ばされる感覚。
(ルミナスコア……!)
かろうじて繋がる思考に、縋る。
「……お……あ……」
意味をなさない音を、それでも必死に発する。
届くと信じて。
『接続確認。応答可能です、光一郎様』
脳内に響いた、無機質な声。
その瞬間、崩れかけていた意識に一本の芯が通った。
(コーシー……!)
『思考リンク正常。音声認識:不明瞭。状況解析を開始します』
淡々とした、いつもと変わらぬ調子。その変わらなさが、今は何よりも頼もしかった。
『身体機能の著しい低下を確認。外傷または神経系の異常が推定されます。周囲環境は森林地帯。時刻は夜明け前』
報告を聞きながら、光一郎は微かな違和感に気づく。
背中に触れる草の感触が、妙に直接的だった。
風が、冷たい。
(……?)
理解に至るまで、一拍の遅れ。
(……服が、ない……?)
裸だった。
認識した瞬間、遅れて寒気が全身を走る。外気がそのまま皮膚を撫でる。守るものが何もない、剥き出しの感覚。
(なんで……)
思考が追いつかない。
そのときだった。
――ガサッ。
最初は微かだったそれが、次第に確かな存在へと変わる。草を踏み分ける重い足音。低く、喉の奥で唸るような声。
『生体反応を検知。接近中』
コーシーの声が、わずかに間を置いて続く。
『大型生物。肉食の可能性あり』
心臓が跳ね上がる。
(逃げ……)
動けない。
唸り声が近づく。重い呼吸。地面がわずかに震える。
――来る。
「……ぁ……」
かすれた音が漏れる。だが、それすら制御できない。
(コーシー……やばい……)
『対象、急速接近中』
そして――
視界のぼやけた向こうに、影が現れた。
巨大な影。
月光を遮りながら、ゆっくりと輪郭を持つ。
角。
牙。
そして――手には、巨大な金棒。
腰には、鮮やかな虎柄の布。赤黒い皮膚の、異形の巨体。成人男性の何倍もある圧倒的な存在。
(……なんだよ、あれ……)
理解が追いつく前に、本能が恐怖を叫ぶ。
(……鬼……?)
その言葉だけが、頭の奥に浮かび上がった。
鬼は、ためらいなく歩み寄ってきた。踏み出すたびに地面が沈み、草が無残に押し潰される。
(……くっさ……!!)
恐怖より先に、それが来た。
猫の糞と牛の糞を壺に入れて攪拌し、真夏の日向で三日間寝かせたような――いや、それすら生ぬるい。腐った魚の内臓を追加で漬け込んだ後に蓋を開けた瞬間の、あの初撃。それが永続的に鼻腔を殴り続けている。
(鼻を抉り取りたい……嗅覚ごと捨てたい……! 死の恐怖と臭いの恐怖が同時に来るな……! 処理が追いつかない……!)
やがて――目の前で、止まった。
巨大な顔が、ゆっくりと降りてくる。
逃げられない。動けない。見上げることしか、許されない。
――近い。
生臭い息が、肌を撫でる。熱い。重い。粘りつく。
(近づくな……口を開くな……! その口腔から放たれる気体は兵器だ……! 生物兵器だ……!)
視界いっぱいに、牙。そして――濁った瞳。
(やばい……やばい……やばい……!)
恐怖が、思考を焼き切る。
(誰か……!)
叫ぶ。
(誰か助けてくれ……!!)
だが――
「ぁ……っ、あ……あ゛……っ」
喉から漏れたのは、言葉ではなかった。
掠れ、震えるだけの――泣き声。
(ちが……っ、こんなんじゃ……!)
必死に叫ぶ。助けを求めているのに、形にならない。
そのとき――
鬼の瞳が、ぬらりと光った。
濁った奥に、像が結ぶ。
小さい。歪んでいる。
――裸の、か細い身体。
(……なんだ……あれ……)
理解が、遅れる。
逸らせない。この距離では、嫌でも見える。
短い手足。頼りなく震える躯。
泣き叫んでいる――赤子。
(……ちが……)
否定が、追いつかない。
(……おれ……?)
思考が、凍りつく。
(……あか、ちゃん……?)
「ぁああっ……!あ゛……あ゛ぁあああっ……!!」
崩れる。
涙が滲み、呼吸が乱れる。恐怖が、そのまま声になって溢れ出す。
鬼の顔がさらに迫る。
逃げ場は、ない。
「ぁああっ……!あ゛……あ゛ぁあああっ……!!」
喉が裂けるほど叫ぶ。息が詰まる。視界が滲む。
その最中――
『状況更新』
割り込んだ。
あまりにも唐突に。あまりにも冷たく。
現実を切断するように、声が差し込まれる。
『対象との距離:至近。回避行動:不可能』
「ぁ……っ、あ……!」
理解が追いつかない。だが声は止まらない。
『捕食確率:99%』
まるで、関係がないかのように。
泣き声も、恐怖も、死の気配すらも――何一つ意味を持たないかのように。
ただ、事実だけを並べる。
その瞬間――
巨大な手が、光一郎を掴み上げた。
もう一方の手が、赤子の傍らに転がっていた白いキューブを無造作に拾い上げる。
「ぁあああああああああっ!!」
空へ吸い寄せられる視界。それでも叫ぶ。叫び続ける。
だが――
「ぁ゛あ゛っ……!あ゛あ゛あ゛あ゛っ……!!」
言葉にならない。ただの泣き声。無力な悲鳴。
鬼は、意に介さない。
そして――
顔が、覆いかぶさるように寄せられる。視線が絡みつく。
熱い息。湿った唾が、頬を打つ。
(……せめて口を閉じて殺せ……この至近距離でその呼気を浴びせるのは拷問だ……死刑に残虐刑を上乗せするな……)
次の瞬間――
「ゴォオオオッ!!」
至近距離で、咆哮。
音が、叩きつけられる。
鼓膜が悲鳴を上げ、思考が砕け散る。
――ああ。
終わりだ。
そう思ったまま。
光一郎は、鬼の手の中で――闇へと運ばれていった。
やがて――どれほどの時間が経ったのかも分からないまま、光一郎を掴んでいた鬼が足を止めた。
鬼が足を止めた。
目の前に、半透明の膜が揺らめいている。空気に触れるたびに薄く波打ち、向こう側の景色を歪ませている。
鬼が金棒を地面に置く。腰から取り出したのは、その巨体には不釣り合いなほど小さなナイフだった。刃先で膜をなぞると、音もなく裂け目が走り――入り口が現れた。
踏み入れた瞬間、空気が変わる。
それまでの湿った森の匂いとは違って、煙の香りと、獣じみた生活の気配が漂っていた。低く響く声。複数の気配。ざわめきのような、唸りの重なり。
ぼやけた視界の中でも分かる。異様な建物が並んでいる。
家、なのだろう。おそらく。
だが人間の感覚で言えば、家というより墓標に近い。赤黒い木材を雑に組み上げたような構造物の中央から、太すぎる柱が一本、屋根を突き破って空へ伸びている。どの家も同じだ。柱だけが異常に高く、建物の倍以上の高さで夜空を串刺しにしている。
(……なんだあの柱……。建築として破綻してる……構造力学を冒涜している……)
そしてその柱の先端に、それはぶら下がっていた。
鬼の顔を模した、巨大な鈴。
牙を剥き、目を剥き、舌を突き出した造形。赤と黒で毒々しく塗られ、風に揺れるたびにカランと不気味な音を鳴らしている。
(……悪趣味にも程がある……。自分の顔をデフォルメして飾るな……。元がすでに限界を超えてるのに誇張を加えるな……。見る側の精神的耐久力を考えろ……)
それが一つではない。見渡す限り、すべての柱の上で、無数の鬼面の鈴が揺れている。
カラン……カラン。………カラン…。
不協和音が、村全体を包んでいた。
ぼやけた視界の中で、影が増えていく。
鬼。鬼。鬼。
一体ではない。十でも足りない。無数の赤黒い巨体が、円を描くように集まり――光一郎を覗き込んでいた。
まるで、村のようだった。
「……ぁ……」
喉から、かすれた音が漏れる。
(……囲まれてる……)
『複数個体を確認。完全包囲状態です』
(全部……こっち見てる……)
『視線集中率、極めて高い状態です』
(……しかもどの顔も、ことごとく気持ちが悪い……)
思考が、恐怖の隙間から毒を吐く。
(シワの一本一本が溝じゃなくて谷だ。等高線が引ける。この顔面、地形図として国土交通省に提出できるだろ……。表情が動くたびに新しい嫌悪感が発掘される……生理的に無理だ……美的感覚が壊死する……)
鬼たちは、皆同じ顔をしていた。
牙を剥き、口を大きく開け、よだれを垂らし、目を細めている。
――それが彼らにとっての、笑顔なのだとでもいうように。
――笑っているように見えた。
だが、それは人間の感覚での話だ。
本能は、別の答えを叫んでいる。
(……食われる……)
やがて、一体の鬼が光一郎をゆっくりと下ろした。
地面ではない。藁が敷かれている。柔らかく、湿った感触。
その動作は奇妙なほど丁寧だったが、今の光一郎にそれを考える余裕はなかった。
すぐに、鬼の顔が近づいてくる。
手に持っているのはあの小さなナイフ――鋭く、月光を受けて鈍く光る。
(……来た)
全身の感覚が凍りつく。
(……それで、やるのか……)
逃げられない。動けない。抵抗もできない。
ただ、その瞬間を待つしかない。
尖った先端が、ゆっくりと口元へ近づく。
思考が一瞬、空白になる。
次の瞬間――
ナイフがゆっくり頬を滑る。
突き刺す様な痛みの後に、焼けるような熱い感覚。
熱い雫が後頭部へ伝い落ちる。
ナイフに付いた血を舐めて口を横に伸ばす鬼。
(……味見か……。味見してからメインディッシュか……。丁寧な食文化をお持ちで何よりだ……)
そのままじっとこちらを見つめている。牙を剥いたまま――どこか満足げによだれを垂らしている。
理解が追いつく前に、今度は別の鬼が近づく。光一郎は再び持ち上げられた。
運ばれる先で、さらに空気が変わる。
熱気。
煙。
焦げた匂い。
そして――
家の上にぶら下がっている鬼の顔の形の鈴が揺れ不気味な音でカランカランと鳴っている。
「オッ、オッ、オッ、オッ……!」
揃った声。
低く、腹の奥に響く異様なリズム。
視界の向こうに、炎が見えた。
巨大な焚き火を、凶相の鬼たちが取り囲んでいる。踊っている。
足を踏み鳴らし、腕を振り、声を揃えて。
「オッ、オッ、オッ、オッ……!」
その振動が、空気ごと揺らす。
中央には、ひときわ高い台。
周囲には、段々に並ぶ台。その上には肉や果実のようなものが供えられている。
だが――中央だけが空いている。
(……あそこだ……)
理解してしまう。
(……俺の場所だ……)
鬼が、低く唸る。
炎に近づくほど、熱が強くなる。
呼吸が苦しい。
体を支えることもできず、視界がぐらぐらと揺れる。
『身体制御機能:著しく低下』
『現状、回避行動は不可能です』
(……くそ……)
次の瞬間――
光一郎の体が、高く掲げられた。
空へ。
「……ぁ……!」
鬼が天を仰ぎ、空を裂くように吼えた。
「ゴォオオオーーーッ!!」
それに呼応するように、周囲の鬼たちも一斉に叫んだ。
地面が震え、空気が押し寄せる。
その瞬間――
違和感。
風の流れが、逆になる。
熱気が、一点へと吸い寄せられていく。
(……なんだ……?)
炎が揺れるのではなく――歪む。
『周囲流体挙動に異常を検出。解析不能』
ふわり、と。
光一郎の体が、鬼の手から離れた。
(……え……?)
落ちない。
浮いている。
見えない何かに導かれるように、炎へ――
(……焼かれる……!)
恐怖が思考を塗り潰す。
だが。
落ちない。
炎にも入らない。
そのまま――
中央の台の上へ、そっと降ろされた。
「……ぁ……?」
熱が頬を撫でる。
鬼たちは、喚き、踏み荒らし、踊り続けている。
理解が追いつかないまま、時間だけが流れていった。
やがて――
どれほど経ったのかも分からない頃。
頬に、何かが触れた。
「……ぁ……」
大きな指。
恐ろしく巨大で分厚いのに、その動きは驚くほど慎重だった。
視界の中に、鬼の顔が迫る。
牙を剥き、唸りながら、じっと見つめている。
「グルル……」
熱い息がかかる。
(……来る……)
だが。
噛まない。
引き裂かない。
ただ――そっと頬を撫でる。
「……ぁ?」
別の鬼が、横から覗き込む。
同じように唸りながら、指で腕をつつく。
さらに一体。
また一体。
誰も、傷つけようとはしない。
(……なんだ……?)
恐怖は消えない。
だが、その隙間に違和感が入り込む。
(……食うなら……もう……)
遅すぎる。
誰も、食べようとしない。
それどころか――
触れ方が、優しい。
一体の鬼が、毛皮のようなものを持ってきた。
光一郎の上にそっと被せようとする――が、巨大な手にとって赤子はあまりにも小さい。毛皮は光一郎の全身を覆い尽くし、顔まで埋もれた。
(……窒息する……! 殺意なく殺しにくるな……!)
慌てたように鬼が毛皮をめくり直す。不器用に、何度も何度も角度を変えながら。
その隣で、別の鬼が果実のようなものを差し出してきた。
握り拳ほどの赤い実を、光一郎の口元に押しつける。
(……赤子に丸ごと一個押し込む気か……顎が外れる……サイズ感という概念を獲得しろ……)
鬼は首を傾げ、困ったように実を見つめ、やがて自分の指で潰した。果汁が飛び散り、光一郎の顔に降りかかる。
(……下処理が雑すぎる……)
潰れた果実の汁を、太い指先でそっと唇に塗ろうとする。
だが指が太すぎて、唇どころか顔面の半分を覆う。
(……お前の指一本で俺の顔面が全部隠れるんだよ……繊細な作業を象の足でやるな……)
『栄養摂取の補助行動と推定されます』
(……補助じゃなくて圧殺だろ……)
その時、光一郎は気づいた。
鬼の目。
至近距離で見つめ返すと、濁った瞳の奥に――恐怖でも、飢えでもないものがあった。
もっと、やわらかい何かだった。
さっき毛皮を何度もめくり直した鬼の手。果実を潰して汁を塗ろうとした不器用な指。頬を撫でる、驚くほど慎重な動き。
ひとつひとつが、遅れて意味を持ち始める。
(……待て)
思考が、恐怖とは別の方向に引っ張られる。
(……こいつら、俺を食う気なら――とっくに食ってる)
(毛皮をかけ直す必要がない。果実を潰す必要がない。頬を撫でる必要が、ない)
(……なのに、全部やってる)
(コーシー)
『はい』
(仮説を一つ追加してくれ)
『どうぞ』
(鬼の「笑顔」や「文化」が、俺たち人間の笑顔や文化と同じとは限らない)
沈黙があった。
『……その可能性を、今まで除外していました』
(文化的差異だ。表情の意味が種族で違う場合がある。コーシー……再分析だ……)
『了解。行動パターンを再評価します』
わずかな沈黙。
その間にも、鬼は頬を撫でる。
嬉しそうに、喉を鳴らしながら。
『……結論を更新します』
(……なんだ……)
『唸り声は、威嚇ではありません』
一拍。
『接触欲求の表出です』
思考が、止まる。
『牙の露出も同様に、攻撃性を示すものではなく――興奮状態の指標と推定されます』
(……じゃあ、さっきの味見は……)
『血液採取による個体識別の可能性があります。匂いを記憶する行動と類似しています』
(……味見じゃなくて、名前を覚えようとしてた……?)
また一体、鬼が顔を寄せる。
黄金の瞳が、間近で細められ、よだれがぽたりと落ちた。
(……つまり……)
『光一郎様は――』
コーシーが、わずかに言葉を選ぶ。
鬼のひとりが、額をそっと押し当ててきた。
熱い。だが、不思議と荒々しさはない。
『可愛い対象として認識されています』
静寂。
牙。
唸り声。
よだれ。
すべてが、別の意味へと反転していく。
(……可愛がってる……?)
理解が、遅れて追いつく。
(……あの儀式も……生贄じゃなくて……)
『歓迎の儀礼と再分類しました。供物の中央に置かれたのは、最も大切なものとして扱われていた可能性があります』
(……最も大切……)
周囲では、鬼たちが相変わらず牙を剥き、喉を鳴らしている。
だがそれは――
喜びに、近い。
『制御が追いついていないだけかもしれません』
(じゃあ……よだれは……)
『可愛くて、口が閉じられないのでは』
(…………)
(……可愛いと思うなら口を閉じろ。その粘液を俺に垂らすな。愛情表現が生物兵器なんだよ。好意の表明に殺傷能力を持たせるな)
思考の毒は止まらない。
だが――その毒に、さっきまでの恐怖は混ざっていなかった。
鬼たちは、変わらず恐ろしい姿のまま。
顔は相変わらず地形図で、臭いは相変わらず化学兵器で、よだれは相変わらず生物災害だ。
けれどその本質だけが、決定的に違っていた。
毛皮をかけようとして窒息させかけた鬼が、まだ心配そうにこちらを覗いている。果実を潰しすぎた鬼が、新しい実を探しに走っていく。額を押し当てた鬼は、離れようとしない。
(……不器用にも程がある……)
ただ嬉しそうに。
ただ愛おしそうに。
無力な赤子となった光一郎を、囲んでいた。
(……ったく……)
光一郎は、初めて泣き声以外のものを漏らした。
「……ふ……」
――笑いとも、ため息ともつかない、小さな音だった。
引きずり込まれた神話の内側は、想像の百倍臭く、千倍醜く、そして――信じられないくらい涎まみれで、一万倍不器用に温かかった。
……最悪だ。




