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輪廻天才  作者: 餅真似吸栗丼
1章「鬼神の目覚め」
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1話 「鬼と魔族」

 この国には、“殺してはいけない化け物”がいる。

 目を閉じれば、今でもあの咆哮が聴こえる。


 黒板に「魔族」と書かれた。


 エルディン先生は白墨を置き、教室を見渡した。


 短く刈った灰色の髪。

 軍服時代の名残のように背筋は真っ直ぐ伸びている。


 左頬には古い裂傷が走っていた。

 五十を越えているはずだが、その目だけは現役の兵士みたいに鋭かった。


 それでも、生徒を見渡す視線には威圧感より穏やかさがあった。


「現在確認されている魔族は130種。全種が無条件討伐対象であり、討伐には報酬が支払われる。諸君が最も頻繁に相対する存在だ」


 ペンを走らせる音が教室に広がった。


「魔族は二種に分類される。魔人と魔獣だ」


 先生が系統図を描いていく。


「魔人は人間に近い外見を持ち、言語と闇魔法を操る。知能は人間と同等かそれ以上。

 魔獣は身体能力と魔法出力に優れ、最強種であるドラゴンには国内最強の騎士団ですら即時撤退が推奨されている。」


 ソルヴェはペンを止めた。知りたいことは別にある。


 手を挙げた。


「先生。鬼は魔族ですか」


 隣の席で、誰かの肩が小さく動いた。視界の端に映っただけで、ソルヴェはそちらを見なかった。

 鬼の恐ろしさを知らない人間が、鬼について何を語ろうと意味はない。


「いい質問だな、ソルヴェ」


 先生は少し間を置いた。


「鬼は魔族ではない。ただし、魔族に最も近い存在だ。戦闘能力は魔族に並び、闇魔法を使う。しかし基本的に人間には危害を加えない」


「でも、人を殺した記録はありますよね」


「ある。暴走事件が複数あり、国を一つ滅ぼした記録も残っている。現在は人間の監視下に置かれており、暴走の危険性はないとされている」


「鬼はどこにいますか」


 教室が少し静かになった。ペンの音が一つ減り、二つ減った。ソルヴェには関係のないことだった。


「鬼の居住区域は人間の世界から隔離されている。接触が許可されているのは、特権階級に認定された者のみだ」


 ソルヴェはその言葉をノートに書いた。


 特権階級。


「討伐は認められていますか」


 先生の表情が変わった。ほんの僅かだが、ソルヴェはそれを見逃さなかった。


「認められていない」


「わかりました」


 ソルヴェはペンを置いた。


 知らなかったことを知った。それだけの話だ。答えは明確だった。



 特権階級を取るしかない、と思った。



 授業が再開されてから、教室のあちこちで笑いが漏れていた。


 ソルヴェの質問のあと、数人が顔を寄せ合っている。視線の先は見なくてもわかる。隣の席だ。


「鬼と友達なんだっけ、あいつ」


 後ろの席から聞こえた。ソルヴェに向けているのか独り言なのか、判断しにくい音量だった。


「自分で言ったんだもんな」と別の声が返す。


「鬼に助けられたとか、光魔法も使えるとか」


「じゃあ使えばいいのに」


「使えないから嘘つきって言われてんだろ」


 ソルヴェは黒板を見ていた。隣の席の人間がどんな顔をしているかに興味はなかった。嘘つきが何を感じているかにも興味はなかった。


 光魔法が使えるだの闇魔法が使えるだの、そんな嘘はどうでもよかった。ただ、「鬼は優しい」という言葉だけが、喉の奥に引っかかっていた。



 次の実技の授業は校舎の裏手にある広場で行われた。

 晴れていた。風が弱い。魔法の精度が出やすい条件だった。

 生徒が横一列に並ぶ。百メートル先に的が立っている。順番に撃つ。基礎魔法の精度測定だ。


「ソルヴェ」


 最初に名前を呼ばれた。


 列から出た。台に乗り、的を見た。構えない。照準を合わせない。ただ見る。

 右手から炎が出た。細く、まっすぐ。

 百メートル先の的の中心が焦げ、倒れた。


「完璧だ」


 ソルヴェは列に戻った。拍手はなかった。もう誰も驚かない。


 生徒たちが順番に打っていく。上手い者も、粗い者もいた。それでも全員が的に当てた。当然だ。それができない者はここにいない。


 列が短くなっていく中で、ソルヴェは一つ気づいた。あいつが並び順を入れ替えている。自分の番が来るたびに後ろへ下がり、最後尾に回っている。


 二度目を確認したとき、ソルヴェは動いた。


 腕を捕まえて、前方へ引いた。


「やってみろ」


 低い声だった。感情はない。指示だ。


 あいつは抵抗しなかった。ただ「いい」とだけ言った。


「魔法が使えないのか?どうせ鬼に助け——」


「使える」


 遮るように返ってきた。声だけは、はっきりしていた。


「じゃあやってみろ」


 台に乗せた。


 笑い声は止んでいた。風の音だけが残った。全員がこちらを見ていた。


 台の上で的の方を向いて、右手を上げた。


 十秒。


 二十秒。


 指先が揺れていた。それだけだった。何も出なかった。


「やっぱり嘘つきだ」


 ソルヴェは言った。確認したことを口にしただけだ。


 広場にくすくす笑いが散った。教室より広い分、音は薄く広がって、すぐに風に紛れた。


 台の上で固まっていた右手が、糸を切られたように落ちた。


 ソルヴェはもう見ていなかった。興味を失ったものを見続ける理由はない。


 次の確認事項に意識を移した。特権階級の取得条件。それだけが、今のソルヴェにとって意味のあることだった。


 国に守られた化け物。

 今はまだ、殺せない。

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