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輪廻天才  作者: 餅真似吸栗丼
1章「鬼神の目覚め」
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16/17

15話「帰る場所」

 昨日まで村を揺らしていた太鼓の音が、嘘みたいに消えていた。

 あんなに賑やかだった夜が、まるで最初からなかったみたいに、村は静かだった。火の粉を空へ撒いて踊っていた鬼たちも、今はどこかでぐっすり眠っているのだろう。祭りの熱はひと晩で引いて、あとには白い朝だけが残っている。


 夢も見ないほど、深く眠っていた。

 ぼんやりとした意識に、炊けたお粥と焼き魚の匂いが届く。それが鼻をくすぐり、重いまぶたを持ち上げた。


 体が、重い。指を一本動かすだけで、あちこちの筋が痛む。とくに右の手のひらが、じんじんと熱を持っていた。目を落とすと、そこには赤黒い火傷の痕がある。炎に、雷に、岩に――この手で、たしかに触れた証だった。


(生きて、朝を迎えた)


 その実感だけが、重い体の真ん中に、ぽつんと灯っていた。試練を越えた。骸骨たちの黒い影も、魔獣の牙も、そして魔人も。全部、越えて、ここにいる。


 ふと、思う。

 前の人生では、目が覚めても、こんな匂いはしなかった。冷たい部屋。灰色の天井。起こしてくれる声も、待っていてくれる食卓もない朝。

 その記憶を胸にぎゅっと押し込めて、俺は体を起こした。


 食卓に、家族四人が揃った。

 地味な朝ごはんだ。お粥に焼いた川魚、山菜の和え物。それでも湯気の立つそれは、お腹よりも心に沁みるごちそうだった。


 食卓は丸く、角のない飴色のテーブル。俺の右にはガルド、左にはエルダが座り、そのエルダの隣にリラがいる。

 昔は、こうじゃなかった。


(にぃに〜、あーん)


 まだ小さかったリラが、当たり前みたいに隣に並んで、口を開けて甘えてきた。あのぬくもりを、俺の手はまだ覚えている。


「――で」


 沈黙を破ったのは、ガルドだった。一人だけ地べたに座り、大きな目で俺を見てくる。


「試練、どうだった」


 聞かれて、俺はかいつまんで話した。地の底に広がる迷宮。灯りに浮かぶ、骸骨の黒炎。ヴェイルハウンド。額に眠っていた魔石を、奪い取ったこと。


 家族は静かに聞いていた。エルダが時々うなずき、リラは俯いたまま、それでも箸を止めていた。


「……最後に、魔人が出た」


 その一言で、三人の箸が、同時に止まった。

 湯気だけが、静かに昇っていく。


「――迷宮、魔人、いない」


 ガルドが、低く言った。言葉をつなぐのが苦手なこの父にしては、はっきりとした否定だった。


「本当に、いた」


 俺は食い下がる。


「迷宮、魔物、魔獣と、骸骨だけ。魔人、いない」

「でも、いたんだよ。俺は戦った」

「ヒカル」


 ガルドの声が、少し震えた。大きな手が、テーブルの縁を握りしめている。


「魔人……強い。……俺……勝てない」


 その一言に、俺は息を呑んだ。

 この鬼が、勝てないと言った。


 沈黙が落ちた。


 それをそっとすくい上げたのは、エルダだった。彼女はお椀を置いて、静かに、けれど流れるように言った。


「ヒカル。迷宮の奥には、古い怨霊が棲むっていう言い伝えがあるの。深く潜った人の心を読んで、いちばん怖いものを見せる。声を聞かせて、悪い夢を見せる。……あなたが見たのは、そういう幻だったんじゃないかしら」


「幻なんかじゃない」


 俺は即座に否定した。


「炎を当てた。雷も。岩も。全部、手応えがあった」


 右の手のひらを、テーブルの上に開いてみせる。赤黒く引きつったた、火傷の痕。


「幻で、火傷はしないよ」


 エルダは、何も言わなかった。ただ、その手のひらをじっと見て――やがて、そっと目をそらした。


 食卓が、しんと静まったときだった。


「漆黒の……輪廻……」


 ガルドが、ぽつりとこぼした。

 誰に言うでもない、口の中でつぶやくような声。でも、その言葉が耳に触れた瞬間、俺の記憶が、ぐらりと揺れた。


 昔、こっそり忍び込んだ書斎。埃とかびの匂い。棚の奥に押し込まれていた、古い本。その表紙に、書かれていた、五つの文字。


(漆黒の輪廻)


「ガルド、それ……なに?」


 聞いた瞬間、ガルドの顔から、表情がすっと消えた。


「……何でも、ない」


 突き放すような声。


「さあ、冷めちゃうわ。食べてしまいなさい」


 エルダが流すように言った。


 俺は、それ以上、聞けなかった。


「次の試練は、二日後よ」


 やがて、エルダが言った。


「ヒカル。油断、するな」


 ガルドが、大きな体を揺らして、真剣な目を向ける。


「次、もっと危ない」


「無事に、帰ってくること」


 エルダの声は、静かだった。


「お母さんは、それだけを願ってる」


 俺は、うなずいた。


 試練を越えれば、王都へ続く道がひらける。王都には、リラの病を治す可能性がある。

 その一心で、ここまで来た。


 ふと、正面のリラを見ると、俯いていた妹がちょうど顔を上げた。目が合うと、リラはぷいっと顔をそむけた。


 胸の奥が、少しだけ痛んだ。


◆ ◆ ◆


 昼になると、俺はエルダの治癒魔法を受けていた。


 差し出した右の手のひらに、エルダの手がそっと重なる。やわらかな光が滲み出して、赤黒い火傷の痕を包んでいく。じんじんとした熱が、少しずつ引いていくのがわかった。


「……治癒魔法は、疲れるわね」


 エルダが、ふっと息をついてつぶやいた。額にうっすらと汗がにじんでいる。


「無理しなくていいよ」

「いいの。あなたの傷を、このままにはしておけないもの」


 その手のひらの光を、俺はじっと見つめていた。


 と、そのときだった。


「ヒカル、リラ、来い」


 ガルドが、ぬっと顔を出した。


「ちょっとガルド。まだ治療中よ」

「もう、いい。だいたい、治った」


 エルダの制止も聞かず、ガルドは俺の腕をつかんで、ぐいぐいと庭のほうへ引っ張っていく。


「こら、ガルドっ」


 エルダの静止も届かず、半ば無理やり庭に連れ出されると、ガルドは得意げに胸を張った。


「新しい、魔法、覚えた」


 嫌な予感がした。


 ガルドが、太い指をそっと立てる。


「見てろ。ほら」


 指先に、淡い光がともる。

 その小さな光を、あやつろうとした。


「……ん」

「……む」


 光が、ふくらんだ。


 次の瞬間。


 ボンッ!


 光が弾けて、庭に灰色の煙が広がった。


「ゴホッ……ゴホッ……」


 俺も、リラも、ガルドも一斉に咳き込んだ。


「ガルドッ!!」


 家から出てきたエルダの声が、飛んだ。


「何をしている」


「新しい、魔法、難しい」


「難しいじゃないでしょ!」


「光、出た」


「出ればいいという問題じゃない!」


「でも、成功した」


「どこが!」


 張り手のような一喝。大きな身体が、言葉を重ねるたびに小さくなっていく。


「うまく扱えもしない魔法を、どうしてわざわざ!この子たちが怪我したら、どうするつもりなの!」


「……ちょっと、失敗した」


 半泣きで言い訳する大鬼。


「ちょっとじゃないでしょ!」


「でも、光った」


 怒られて、しょんぼりして、それでも嬉しそうに「光った」と言い張る。


 その姿を見て、リラの肩が小さく震えた。


「……ふふっ」


 堪えきれず、リラが笑う。


 なんだか、その光景が妙に可笑しくて。とうとう俺も吹き出した。


 ――こういう時間も、悪くない。


 そう思った時、リラと目が合った。

 視線に気づいた途端、リラの顔からすっと笑いが引いた。


「……もう、いい」


 ぽつりと言って、リラは家のほうへ歩いていった。まだ小さくなって言い訳を続けるガルドを置いて、一度も振り返らずに。


◆ ◆ ◆


 夜が来た。

 窓の外は真っ暗で、村はまた深い眠りの底に沈んでいる。

 俺は、眠れなかった。


『光一郎様』


 闇の中で、コーシーの静かな声がした。


『リラさんのこと……このままで、いいのですか』


 俺は、天井を見上げたまま、答えなかった。

 迷宮で、あの魔人と向き合ったとき。炎が迫って、死を覚悟したあの一瞬。頭をよぎったのは、村のことでも、王都のことでもなかった。


 リラの、泣きそうな顔だった。


 喧嘩をしたまま。「嫌いだ」って、思ってもいないことを言ったまま。あの顔を、最後に見る顔にして、俺は試練へ向かおうとしていた。


(前世の俺は、独りだった)


 誰のことも信じられなかった。傷つく前に、独りになる。信じられる相手が、どこにもいなかった。だから、コーシーを作った。人じゃない、裏切らない相棒を。


 でも、この世界で目を覚まして、隣にいつもリラがいた。

 ごはんのとき。夜ふかしして魔法研究をするとき。稽古で泥まみれになった昼下がり。「にぃに〜、にぃに〜」って、影みたいについてきて。

 うるさいなって思ったこともあった。でも、あの小さな声が、いつのまにか独りだった俺の心の隙間を、すっかり埋めていた。

 そのことに、あの子と喧嘩をしてはじめて気づいた。


「……喧嘩したまま、王都へは行けない」


 声に出して、俺はつぶやいた。


「次の試練で死ぬかもしれない。そうしたら『嘘つき』が、あいつに言う最後の言葉になる」


 それだけは嫌だった。

 許してもらえなくてもいい。ただ、謝りたい。


◆ ◆ ◆


 次の朝。

 村はずれの高台で、リラは一人で稽古をしていた。

 朝の光は白かった。その光が木剣を振る妹の輪郭を、そっと縁取っていた。


 近づく足音に、リラの手が止まる。


「……なに」


 振り向きもせず、突き放すような声。


「リラ」

「用がないなら、あっち行って」

「用がある」


 俺は、妹の背中に向かって、まっすぐ言った。


「この前の……『鬼が嫌いだ』ってやつ。あれは、嘘だ」


 リラの肩が、びくっと跳ねた。


「『気持ち悪い』も、『臭い』も、全部、嘘だ。腹が立って、お前を遠ざけたくて――口から出まかせを言った。本当は、そんなこと、これっぽっちも思ってない」


 木剣が、リラの手から、こつん、と地面に落ちた。


「お前を嫌いなわけ、ないだろ」


 振り向いた妹の目が、揺れていた。


「……なんで」


 震える声。


「なんで、嘘をついたの。あんな、ひどいこと言ったの。……なんで」


 リラの瞳に、みるみる涙があふれてくる。


「なんで……行っちゃうの」


 その問いに、俺は、答えられなかった。

 お前の病を治すためだ、とは。言えなかった。


「……どうしても、王都へ行かなきゃいけないんだ」


 しぼり出すように、言う。


「理由はある。でも、今は言えない」

「ずるいよ」


 涙が、あふれ出した。


「そんなの、ずるいよ!嘘ついて、勝手に怒って、勝手にごめんって言って、それで、理由は言えないって……!にぃに〜だけ、いつも勝手だよ!」


 久しぶりに聞くその呼び名に、俺の胸が詰まった。


「必ず、帰ってくる」


 俺は、リラの前に膝をついて、その濡れた目をまっすぐ見た。


「今度は、本当だ。嘘じゃない。必ず帰ってくる。帰ってきたら、ずっと一緒だ。どこにも行かない」


 リラの涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちた。


「……っ、にぃに〜の、ばか」


 力の入らない小さな拳が、俺の胸をぽか、ぽかと叩く。


「ばか、ばか……にぃに〜の、ばか……」


 俺は、その頭を、そっと抱き寄せた。


◆ ◆ ◆


 試練の朝が、来た。

 食卓に、変化があった。

 リラが、俺の隣に座っている。肩が触れそうな、近さで。


「にぃに〜」


 リラが、自分の焼き魚を、そっと俺の皿に乗せた。


「これ、にぃに〜にあげる」

「俺に?」

「うん」

「なんで?」

「いっぱい食べて、強くなるの」


 ガルドとエルダが、顔を見合わせて微笑んだ。


「ヒカル、強い、大丈夫」


 ガルドが、深くうなずく。


「これ、持っていきなさい」


 エルダから、布に包んだおにぎりを受け取る。まだあたたかかった。


 家を出ると、四人で朝の道を歩いた。

 白い光が、村に満ちている。

 リラは俺の隣を離れずに歩いた。俺は、隣を歩く妹の横顔を、そっと盗み見た。無邪気に、うれしそうに笑っている横顔を。


(必ず、帰ってくる)


 白い光の中で、俺は、静かに誓う。


(もう、嘘つきには、ならない)

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