14話「試練の行方」
迷宮の出口の先は、開けた広場になっていた。
試練を見届けるために集まったのだろう。鬼の親たちが、幾重にも人垣を作っている。我が子を探す顔。無事を確かめて、崩れるように泣く顔。
俺とリグは、迷宮で倒れていた鬼をそれぞれ肩に担いでいた。ずしりと重く、腕はとうに限界を超えている。
その姿に気づいた人垣の中から、二組の親が、弾かれたように駆け出してきた。
「――っ、あんた!」
母親らしき鬼が俺の担いだ子を覗き込み、息を呑む。折れた腕。曲がった足。それでも胸がかすかに上下しているのを見て、へなへなと膝をついた。
「生きてる……生きてる……」
父親が震える手で子を抱き取る。俺の肩から、ふっと重みが消えた。
「ありがとう。ありがとう……っ」
何度も頭を下げられた。ごつごつした大きな手が、俺の腕を握って離さない。
リグの側でも、同じことが起きていた。抱えていた子を親に渡し、リグは所在なげに視線を落としている。
礼を言われるようなことは、していない。
俺はただ、ゼルガを追いかけただけだ。
その人垣の中に、見慣れた三つの影があった。
ガルド。エルダ。そして、リラ。
リラを見た瞬間、胸の底から、悔しさが突き上げてきた。
失格。この試練を越えなければ、王都へ行く資格は手に入らない。このままじゃ、リラを救えない。
「どうして」
俺は、クレイヴンの前へ進み出た。
「魔石は、取ってきた」
焼けただれた掌を、開いてみせる。黒紫色の小石が、まだかすかに脈打っていた。指の付け根は火傷で赤黒く、開くだけで皮膚が引き攣れる。
クレイヴンの目が、一瞬だけ見開かれた。
だが、すぐに元の鋭さへ戻る。
「時間切れだ。試練に、例外はない」
魔石を握りしめた。皮膚が裂けて、痛みが走る。それでも、緩められなかった。
あれさえなければ。
閉じていく岩壁。その隙間の奥から、こちらを一瞥した顔の傷と、冷たい目が蘇る。
「お前が邪魔しなければ、間に合っていたんだ!」
自分でも、驚くほどの声が出た。
広場の隅の木立から、鳥が一斉に飛び立つ。
ざわめきが、ふっと止んだ。
「それも、試練の一つだ」
静けさの中で、その声だけが、やけに冷たく響いた。
「魔人が、いた」
ゼルガだった。
血の滲む脇腹を押さえたまま、クレイヴンから目を逸らさない。
「迷宮の、中に」
広場が、ざわめいた。
「魔人……?」
「魔人だと?」
口々に、その言葉が繰り返される。中には、聞いただけで顔を強張らせ、後ずさる鬼もいた。
「嘘をつくな」
クレイヴンが、低く遮る。
「魔人が、迷宮にいるはずがない」
「嘘じゃない」
俺は、言い返した。
「本当に、いた」
その時だった。
人混みをかき分けて、先生が進み出た。
「クレイヴン」
穏やかな、それでいてよく通る声。
「少し遅れたくらいで失格とは……あまりに不憫じゃないか」
「それが、掟だ」
「この子たちは、迷宮に取り残された子を助けるために、試練を捨てて引き返したんだ」
先生は、担ぎ出された子とその親たちを一度見て、それからクレイヴンへ向き直る。
「仲間を見捨てず、命を懸けて助けに戻る。それこそ、鬼のあるべき姿じゃないのか」
「そうだ……!」
声を上げたのは、さっき子を抱き取った父親だった。
「この子らは、うちの息子を、背負って出てきてくれた。見捨てて走れば、間に合ったはずだ。それを、しなかった」
もう一人の親も、涙をこらえながら、何度も頷いている。
「合格にしてやってくれ。頼む」
その声が、波紋のように広がっていった。
最初は、一人。それから、また一人。
「鬼なら、当然のことだ」
「あの子らは、逃げなかった」
広場の空気が、少しずつ変わっていく。
いつの間にか、クレイヴンのすぐ側に、ガルドが立っていた。
何も、言わない。
ただ、あの大きな身体を縮めるようにして、まっすぐクレイヴンを見つめている。その瞳に、涙が盛り上がっていた。
いつも豪快に笑っているその顔が、今は、くしゃりと歪んでいた。
クレイヴンは、しばらく、ガルドを見つめ返していた。
やがて、長い息を吐き、ゆっくりと顔を横へ向ける。
その視線の先に、ロランが立っていた。
「……どうする」
組んでいた腕は、まだほどかない。
判断を、明け渡すような低い声だった。
ロランは、こちらを見つめる無数の目を、ぐるりと見渡す。それから、口の端だけで笑った。
「合格で、いい」
悠然とした声だった。
クレイヴンは、小さく息を吐き、腕をほどいた。
「――負傷した鬼を救った功を認め、第一の試練、合格とする」
その瞬間、広場がどっと沸いた。
沸き立つ人垣を割って、こちらへ近づいてくる影がある。
ガルドと、エルダ。
その間に、二人に手を引かれた、リラがいた。
「ヒカル!やった!」
でかい掌が、背中を叩く。息が、一瞬、詰まった。
エルダは、俺の頬の傷と焼けただれた手に目を留めて、そっと眉を寄せた。
「無事で、よかった」
静かな声だった。それだけで、張り詰めていたものが少しだけ緩む。
リラは、二人の後ろで俯いていた。
目が合う。
だが、すぐに逸らされた。
まだ、許してはくれていない。ずっと、そうだ。
リラは、俺の焼けた手をちらりと見て、小さく口を開いた。
「……ばか」
それだけ言って、また顔を背ける。
でも、その一言はなぜか、嫌な響きじゃなかった。
◆ ◆ ◆
村へ帰り着いたのは、昼を過ぎた頃だった。
広場ではもう、祭りの支度が始まっていた。大きな薪が組まれ、湯気の立つ鍋が運ばれ、子供の鬼たちが歓声を上げて走り回っている。
「試練を越えた祝いだ」とエルダが言った。
俺は広場の端に座らされ、エルダの手当てを受けていた。
エルダの掌が、俺の焼けた手をそっと包む。
淡い光が灯った。
じん、と温かいものが、皮膚の奥へ染み込んでくる。ひび割れた痛みが、少しずつ引いていった。裂けた指の付け根が、うっすらと塞がっていく。
「無理したね」
エルダは俺の手を見つめたまま、静かに言った。
俺は、何も答えなかった。
その光に照らされながら、広場を眺める。
やがて、支度が整い、広場の中央に、火が入った。
炎が、ゆらゆらと立ちのぼって見える。太鼓が鳴り始め、鬼たちが、火を囲んで踊り出した。
太鼓に混じって、柱の上に下げられた鬼面の鈴が、カラン、カランと風に揺れている。相変わらずの悪趣味な音も、祭りの浮かれた喧騒の中では、不思議と気にならなかった。
「オッ、オッ、オッ、オッ……!」
手を打ち、足を踏み鳴らし、土埃を巻き上げながら、角のある大きな影が、ぐるぐると回る。
ここに来た時は、恐ろしくてたまらなかった光景だ。
「ヒカル!お前、主役!」
いつの間にか輪から飛び出してきたガルドが、俺の腕を掴んだ。
「踊れ! ほら、踊れ!」
「いや、待って、まだ手当てが――」
抵抗も虚しく、火のそばへ引きずり出される。周りの鬼たちが、どっと笑う。
ガルドが両手を突き上げ、でかい体を揺すって踊り出す。顔を、くしゃくしゃにして。
……馬鹿みたいだ。
こんな意味のない動きを、大人の鬼が、全力で。
付き合って、いられない。
俺は、騒ぐ声と、太鼓の音に紛れて、そっと、輪から抜け出した。
喧騒が、少しずつ遠ざかっていく。
人気のない、静かな方へ足を向けた、その時だった。
物陰に、リグがいた。祭りの輪から離れた場所で、きょろきょろと辺りを見回している。誰かの目を、気にするように。その手に、何かが握られていた。
ふいに、目が合う。
リグの肩が、びくりと跳ねた。握っていたものを、素早くふところへ押し込む。
そして、こちらに背を向けると、逃げるように走り去っていった。
……なんだ、あいつ。
俺は、軽く首をひねって、また歩き出した。
村の喧騒を背に、しばらく歩く。太鼓の音が、少しずつ遠ざかっていった。
「ヒカル」
声に、振り返る。
木箱を抱えた、先生だった。その傍らで、鬼の子が一人、先生に小さな魔石を手渡すと、ぺこりと頭を下げて、広場の方へ駆け戻っていく。
「君も、抜け出してきたのか」
先生は可笑しそうに笑った。
「僕も、ああいうのは少し苦手でね」
それから、木箱を軽く持ち上げてみせる。
「試練を越えた子から、魔石を預かっているんだ。あとで調べさせてもらう。……君のもいいかな」
俺は、掌の魔石を差し出した。
あれほどの思いをして掴んだ石だ。だが今は、ただの黒い小石にしか見えなかった。
先生はそれを受け取ると、陽にかざした。
「……やっぱり」
目を細める。
「君たちの魔石が、一番大きいね」
しばらくまじまじと眺めてから、先生の声が少し変わった。
「これは……ヴェイルハウンドの魔石だね」
あの白い狼のことか。
「よく倒せたね。あんな魔物を」
「……二人が、いたから」
ゼルガとリグ。あの二人がいなければ、俺は白狼の前で足が竦んだままだった。
「いい仲間と組めて良かったな」
先生が穏やかに笑う。
なんと返せばいいのか分からず、俺は目線を落とした。
先生の視線が、俺の手に落ちる。エルダの治癒で塞がりかけた、火傷の痕。
「……天然の魔石を、そのまま体に通したのか?」
俺は頷いた。
「はい。魔人がいたので。……無我夢中で」
先生はしばらく黙って、俺の手を見ていた。
「本当に君はすごいな」
感心したように、首を振る。
「天然の魔石を、そのまま体に通せるなんて。普通は、できることじゃない」
それから、ふと、真顔になった。
「でも――危険だ。もう、やっちゃ駄目だよ」
「はい」
先生は、木箱に魔石を仕舞いながら、何気ない調子で聞いた。
「魔人は……どんなだった?」
「ガルドよりも、大きかった」
思い出すだけで、背筋が冷える。
「炎も、雷も、岩も……何をぶつけても、効かなかった。殴っても、蹴っても、まるで手応えがなくて」
先生は、手を止めなかった。ただ、静かに言った。
「……やっぱり、そうか」
その横顔に、一瞬、何かがよぎった気がした。
だが、それが何なのかは分からなかった。
俺は、ずっと胸に引っかかっていたことを、口にした。
「先生。……クレイヴンって、何者なんだ」
道を塞いだ、あの男。魔石を見た時の、あの見開かれた目。
先生の手が、一瞬、止まった。
「……あの男には、あまり近づかない方がいい」
声が、低くなる。
「危険な男だ。何を考えているか、分からない。……君も、気をつけなさい」
俺は、頷いた。
道を塞がれた恨みは、まだ、消えていない。先生の言葉は、するりと胸に落ちた。
先生は木箱を抱え直し、遠くの喧騒へ視線をやった。
「試練を越えたんだ。今日くらいは、ゆっくり休みなさい」
広場へ戻りかけて、先生はふと足を止めた。
「……ただ、覚えておきなさい。次の試練は、これより、ずっと危険になる」
そう言い残して、広場へ戻っていった。
俺は、空になった掌を、見下ろした。
あれほどの思いをして掴んだ魔石はもう、ない。
だが、試練は越えた。
これで王都へ行ける。リラを、救える。
遠くで、太鼓が鳴っていた。火を囲む鬼たちの、楽しげな声。
俺は、その輪には戻らずに、夜まで切り株に座っていた。




