16話「第二の試練」
試練の場所は、村の中央にある広場だった。
岩が幾重にも積み上げられ、すり鉢状の闘技場が組まれている。三日前には何もなかったはずなのに、巨大な岩が隙間なく噛み合い、まるで何年も前からそこにあったように佇んでいた。
その中央には、前の試練のときにも置かれていた人間の像があった。
岩を削って作られた、冒険者風の男の姿。
ただ、闘技場の真ん中にぽつんと立ち、集まった鬼たちを見渡しているように見えた。
その像を取り囲むように、試練を受ける鬼たちが集まっている。
三割。
目で数えなくても分かった。明らかに少ない。
あの迷宮から、それだけの鬼が戻ってこなかったのか。
そんなことを考えながら、集まった鬼たちを見渡す。
集まった鬼の中に、ゼルガとリグがいた。
――ゼルガ?
思わず目を疑った。
ゼルガは魔人の攻撃を受けたとき、立ち上がれないほどの怪我を負った。
あの状態で試練を続けるなんて、どう考えても無謀だった。まともに動けるとは思えない。
……馬鹿なのか?
あれだけの傷を負って、それでも試練を続けるなんて。
その異常さに戸惑いながら、ふと隣へ目を向ける。
そこには、リグがいた。
前回の試練の時とは、様子が違った。
以前のリグは周りを見渡し、目が泳いでいた。それが今日は、闘技場の中心から目を逸らさない。
あの迷宮を生き残り、第一の試練を超えたことで自信がついたのだろうか。
試練にかける覚悟のようなものが、全身から滲んでいた。
「これより、第二の試練を始める」
ロランが白いマントを翻し、進み出た。金の髪が、日を弾いていた。
「試練の規則ーー」
クレイヴンが低く告げた。
「参加者同士、一対一で戦う。相手が気を失うか、降参するかーー」
言葉が、そこで一度切れた。
「死ぬまでだ」
広場がしんと静まった。
その沈黙を破るように、地面から低い唸りが響いた。
広場の中央に置かれていた冒険者の像が、ゆっくりと浮かび上がった。
「おぉ……」
誰かの声が漏れる。
石で造られた像が、見えない何かに持ち上げられるように、地面から離れていく。
像は空中で、ぴたりと止まった。
まるで、そこに見えない台座があるかのように、完全に固定される。
静まり返った広場に、クレイヴンの声が響いた。
「第一試合。ゼルガ」
ゼルガが歩き出した。
そのまま闘技場の中央へ進み、クレイヴンとロランの前で足を止める。
「対戦相手――」
クレイヴンが、別の鬼の名を告げた。
呼ばれたのは、別の村から来た鬼だった。
ゼルガと並んでも、体格にほとんど差はない。
残った俺と鬼たちは、闘技場の観客席に座った。
「第一試合――始め!」
クレイヴンの号令が響いた。
次の瞬間。
二体の鬼が、真正面からぶつかった。
速い。
拳をかわし、身体を滑らせ、踏み込む。
お互い一歩も譲らない攻防を繰り広げる。
『光一郎様、ゼルガさんの身体に、先の試練で受けた損傷が、ほとんど残っていません』
コーシーが告げる。
「……ああ」
『三日前には、肋骨の損傷が疑われる状態でした』
「……それなのに、か」
目の前では、ゼルガが何事もなかったように拳を振るっている。
……なんで、動けるんだ。
『通常の生物であれば、到底あり得ない回復速度です』
「……気持ち悪いな」
思わず、そう呟いていた。
鬼同士の殴り合い――なんて言葉では足りなかった。
轟音。
拳と拳がぶつかるたび、大地が震え足元の石が跳ねる。
一発一発が、人間なら即死していてもおかしくない威力だった。
掠めただけで肉が裂ける。
まともに喰らえば、骨どころか身体そのものが壊れる。
それなのに、鬼たちは止まらない。
目の前で繰り広げられているのは、戦いというより――二匹の怪物が、互いの命を拳で削り合う光景だった。
ゼルガは、攻撃をほとんど受けない。相手の拳を紙一重で逸らす。力を、真正面から止めるのではなく、外に流す。崩れた相手の脇腹へ、下から膝を突き上げる。
勝敗は、早くから見えていた。ゼルガの拳が、確実に相手を削っていく。相手はもう立っているのが、不思議なほどだった。
「まだだ……!」
相手の鬼が、血を吐きながら吠えた。
「俺は……まだ、死んでない……!」
――なぜ、降参しない?
明らかに勝てない。それでも引かない。その意味が、俺には分からなかった。
ゼルガは、手加減をしなかった。相手が引かないなら、引けなくしてやる。そういう拳だった。追い込んで、追い込んで、逃げ場をなくして。
最後の一撃が、相手の顎を下から撥ね上げた。
巨体が宙に浮く。
そのまま岩壁へ叩きつけられ、地面に落ちた。
動かない。
「勝負あり。勝者、ゼルガ」
クレイヴンが淡々と告げる。
闘技場が揺れるほどのどよめきに包まれた。
だが、ゼルガはそれに一瞥もくれない。
無傷のまま、何事もなかったようにゆっくり観客席へ歩いてくる。
その姿を見届ける間もなく、声が響いた。
「第二試合。リグ」
名を呼ばれて、リグが立ち上がった。
その手が、無意識のように、自分の胸元へ触れた。何かを、確かめるみたいに。
闘技場へ降りていく背中を、俺は目で追った。
相手は、リグより一回り大きい鬼だった。それを見ても、リグは、俯かなかった。前の試練のときならあり得ないことだった。正面から相手を睨んで、その口の端が少しだけ吊り上がった。
合図と同時に、リグが跳んだ。
速い。爪が相手の胸を裂いた。一撃目から、急所を狙っていた。
『光一郎様』
コーシーの声が、低くなった。
『リグさんの動きが、先の試練のときと、別人です』
「……ああ」
『怯えが、消えています。躊躇も』
その通りだった。
リグは、笑っていた。爪を振るうたびに、口の端が吊り上がる。相手の血が飛んでも、止まらない。相手の鬼が、防戦一方に追い込まれていく。
一瞬、リグの胸元がはだけた。
その内側で、黒いものが、ぬめりと光った。
(――なんだ、あれは)
次の瞬間には、見えなくなっていた。
激しい攻撃に耐え切れなくなったのか。
「ま、参った……!」
相手が、地に手をついた。爪を伏せて、降参の姿を取る。
だが、リグは、止まらなかった。
振り上げた爪が、振り下ろされた。相手はもう、抵抗していない。それでもリグの腕は、止まらなかった。
その瞬間に、大きな影が動いた。
クレイヴンだった。二人の間に割って入り、リグの腕を、片手で抑えている。傷のある顔が、リグを静かに見下ろしていた。
リグの動きが、止まった。
ゆっくりと、瞬きをする。自分が今、何をしようとしていたのか、分かっていないように。
やがてリグは嬉しそうに観客席を上がってくる。
「……勝ったよ。ヒカル」
隣にきたリグが、俺に笑いかけた。
「ああ。すごかった」
そう返した直後だった。
名を、呼ばれた。
「第三試合。ヒカル」
クレイヴンの声が、闘技場に響いた。
次は、俺だ。
客席の端に、家族がいる。ガルド、エルダ、リラ。リラが両手を握りしめて、俺を見ている。
(大丈夫だ)
目だけでそう返して、俺は闘技場へ降りた。
岩が敷き詰められた床は、硬い。踏むたびに、足の裏へ冷たさが這い上がってくる。
正面に、相手が立っていた。ゼルガより、大きい鬼。
「人間か……」
ゴウが、鼻を鳴らした。
「試練を、なめるなよ」
開始の合図と同時に、その拳が、叩きつけられた。
地を割る速さ。俺は、自分のすぐ前の虚空に、魔力壁を置いた。
鈍い衝撃音。ゴウの拳が、壁に阻まれて、その反動で、三歩、下がった。
「……何をした」
「壁だ」
「壁か。なら壊す」
「壊れねぇよ。お前の拳が壊れるだけだ」
「拳が壊れても死なない」
「死ななければいいのか?」
「そうだ」
「馬鹿の見本みたいな奴だな」
「そうだ、俺は馬鹿じゃない」
「やっぱり馬鹿だ。じゃあ、どうやったら勝てるか考えてみろ」
「殴れば勝てる」
「それ以外で」
「もっと殴る」
「そういう話じゃない」
「もっと強く殴る」
「頭の中お花畑だな」
「お花畑じゃない!!」
ゴウが怒鳴った。
「戦場だ!!」
ゴウが跳んだ。全体重を乗せた蹴り。また、壁で受ける。衝撃音。そこから乱打が来た。俺は、一発ずつ丁寧に壁で受け止めていく。
馬鹿力だ。拳が裂け、血に染まっても、ゴウは殴り続ける。
力任せの、単調な連打。
そう思った。
だが、違った。
一発。
次の一発は、ほんの少しだけ速い。
その次は、さらに速い。
気づいた時には、拳の軌道を追うだけで精一杯になっていた。
壁を出す。
受ける。
速い。
もう一枚。
――追いつかない。
殴られてから壁を出しているような、そんな錯覚さえした。ゴウの拳が、俺の思考を追い越していく。一発ごとに、世界が少しずつ加速していく。
壁を出し、受ける。
また、壁を出す。受ける。
その繰り返しだけで、精一杯だった。
『光一郎様、魔力壁が、追いついていません』
「んなこと、お前に言われなくても分かってる!」
次の壁を出そうとした。
だが――もう、拳が目の前にあった。
『危険です。危険です』
コーシーの声が、初めて上ずった。
『光一郎――逃げてっ!』
視界いっぱいに、拳が来る。




