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輪廻天才  作者: 餅真似吸栗丼
1章「鬼神の目覚め」
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13/17

12話「馬鹿な鬼」

 魔石は、俺の掌の中にあった。


 黒紫色の、小石。かすかに脈打っている。

 握ると掌から、暖かいものが染み込んできた。空っぽだった体の奥に、わずかに熱が灯る。


 これを持って、正午までに迷宮を出る。それが、条件だった。


 崩れた白狼の骸を背に、三人とも、まだ息が上がっていた。


『光一郎様。正午まで、残り一時間です』


 コーシーの声で、我に返る。


 一時間。全力で戻って、ギリギリ。


 俺は、頭の中に迷宮の地図を広げた。潜ってからの分かれ道、曲がった向き、下りの階段。ここまでの道のりを、一つ残らず覚えている。記憶を重ね、最短の帰路を組み立てた。


「こっちだ。最短で戻る」


 ゼルガもリグも、何も言わずに続いた。


 三人で、来た道を駆け上がる。階層を、一つ、また一つと上がるたび、あの、押し潰されるような空気が薄れていく。魔物は減っていた。倒しながらではなく、避けながら進む。


 順調だった。


 出口へ近づいてきた、その時。


 ――ギャアアアアアアッ!!


 恐ろしい叫び声が、迷宮を這って響いた。


 骸骨の奇声とも、獣の咆哮とも違う。もっと、ねじれた声。三人が、思わず耳を塞ぐ。


「なんだ、今の」ゼルガが呻く。


「叫び声……なのか」リグの声が震えた。


 声は、尾を引いて消えた。俺は、声の方向を探った。


(……帰り道の方向だ)


 よりによって。最短で戻るには、そっちへ向かうしかない。


『あと十分です』


 コーシーが、淡々と言った。迷っている時間はない。


 三人は走った。


 進むほど、音は増えた。叫び。衝撃音。何かが壁に叩きつけられる音。何か、恐ろしい魔物が、暴れている様だった。


 その声の主に出会わず、出口まで辿り着きたい。


 このペースなら、間に合う。

 そう思いながら、角を曲がった、その瞬間。


 行く手の通路が、塞がっていく。


 地面から岩がせり上がり、みるみる天井まで壁を築いていく。来た時には、確かに通れた道だ。


 閉じかけた隙間の奥に、影が見えた。


 黒いローブ。腕を上げ、魔法で岩を操っている。顔の中央に、幾筋もの傷。頬から顎まで、深く走った傷跡。


 クレイヴンだった。

 その目が、こちらを一瞬だけ捉え、壁は完全に閉じた。


(なぜだ?試練はまだ終わっていないはず)


 俺は壁に手を当てた。冷たい。魔力で岩を操作し、崩そうとするが、びくともしない。


「くそっ!」


 ゼルガが拳を叩きつける。


 ドンッ!


「……駄目だ」


 リグも爪を立てる。だが、傷ひとつつかない。


「硬すぎる……」


 二人の声に、焦りが滲んだ。


 壁自体に特殊な魔法がかけられているようだ。


 出口は、この壁の向こうなのに。試練を見張る鬼が、なぜ、道を塞ぐ。答えは、出ない。

 余計な事を考えるのは、時間の無駄だ。

 コーシーと共に別の道のりを組み立てた。


「回るぞ。他のルートだ」


 俺は、別の分かれ道へ足を向けた。遠回りになる。だが、それしかない。


 あの鬼が、リラを救う道を、遠ざけた。

 胸の奥で、何かが、ちりっと焦げた。


 迂回路を、走る。

 迷宮の石を伝って響く叫びが、また追ってきた。


『残り三分』


 コーシーの秒読みだけが、正確だった。

 道が、上りに変わる。空気に、外の匂いが混じり始める。


『残り三十秒』


 前方に、光。


 出口だ。あと少し。あと少しで、外へ出られる。魔石は、この手にある。


 光の向こうに、リラの顔が重なった。あいつが、助かる。その、道が。


『残り十秒』


 コーシーがそう言った、瞬間、迷宮が下から突き上げるように揺れた。天井から砂が落ちる。


「助けてくれ!!」


 声が背中に刺さったが、俺は振り向かずに、光だけを見て出口を目指した。

 あの声は、俺たちの組じゃない。戻れば、間に合わない。それだけの話だ。もう少しで出られる。


 だが。

 隣で、足音が一つ消えた。ゼルガが立ち止まっている。

 俺と、リグを見る。それから、光とは逆の、闇の奥へ顔を向けた。


「先に行け」


 それだけ言って、ゼルガは踵を返した。


「待て!」


 俺の声は、揺れる轟音に飲まれた。お前がいなければ、失格だ。出口の直前で足を止めた。光は、目の前にある。あと数歩で外へ出られる。


『残り五秒』


 迷宮の外に、鬼たちが見えた。試練を終えた者。見守る者。皆が、こっちを見ている。


『四秒』


「助けて!」


 もう一度、叫びと、轟音が響く。


『三秒』


 人垣の中に、ヴァルム先生の顔があった。目を見開いて、こちらを見ている。


「ヒカル!」


 先生の声が、光の向こうから届いた。「出てこい」と。


『二秒』


 クレイヴンの言葉が、耳の奥で立ち上がる。

「一人でも欠けたり、少しでも遅れたら失格。例外は無い」


 三人が揃わなければ、どのみち終わりだ。欠けた者は、戻らない。


 だが――正午。誰が、その正午を計っている。日時計の影か、鬼の腹時計か。きっかり、ではないはずだ。数分の遅れなら、まだ“正午”のうちに数えられる。


 一人でも欠ければ、失格は覆せない。だが時間は、まだ曖昧だ。ならば、ゼルガの襟首を掴んででも、引きずり出す。


『一秒』


 俺は光に背を向けた。暗がりへ向かって、ゼルガを追う。

 一拍遅れて、リグの足音が続いた。

 三人分の足音が、外へ上がる階段ではなく、迷宮の底へと降りていった。


 光が、背中で遠ざかる。


 残ったのは、闇と、揺れと、轟音だけだった。


 俺は、ゼルガの背を追った。角を一つ曲がったところで、その背が、止まっていた。


 ゼルガが、立ち尽くしている。

 足が小刻みに震えていた。


「足が震えてるぞ。鬼」


 ゼルガは、答えない。視線も、動かさない。


 俺は、その視線の先を追った。


 通路が、途切れていた。


 いや。


 途切れたんじゃない。


 壊されていた。


 壁が内側から抉り取られ、天井には巨大な亀裂が走っている。床には砕けた岩が散らばり、何かに何度も殴りつけられたような跡が、奥へ続いていた。


 その先で。


 何かが、動いた。


 ――ズン。


 地面が沈む。


 もう一度。


 ――ズン。


 そのたびに、足元の小石が跳ねた。


 暗闇の奥から、ゆっくりと影が立ち上がる。


 最初に見えたのは、腕だった。


 太い。


 鬼の腕などではない。丸太のような腕が、岩壁を掴んでいる。指が食い込むだけで、硬い岩が音を立てて砕けた。


 次に、肩。


 そして、首。


 最後に、頭が持ち上がった。


 人の形をしている。


 ――そう思ったのは、最初だけだった。


 身体は、ガルドより遥かに大きかった。


 筋肉なのか、骨なのかも分からない肉の塊が、歪に盛り上がっている。皮膚は黒ずみ、ところどころが裂け、そこから赤黒い肉が覗いていた。


 腕が、二本。


 脚も、二本。


 なのに、鬼とは決定的に違っていた。


 立っているだけで、周囲の空気が押し潰されている。


 足元には、試練の始まりに見かけた鬼が、一体、倒れていた。ぴくりとも動かない。


 怪物が腕を振った。


 ドゴォン!!


 岩壁が吹き飛び、砕けた石が雨のように降り注ぐ。


 その向こうを、一体の鬼が転がるように逃げていた。


 怪物は追わない。


 ただ、逃げる鬼を見つめている。


 そして、口が頬まで届くほど大きく裂けた。その口の中に不揃いな牙が、何本も並んでいた。


 笑っている。


 そう理解した瞬間、背中を冷たいものが這った。


 片手で、大岩を一つ掴んだ。

 まるで小石でも拾うように。

 そして、逃げる鬼へ投げた。


 ゴォン!!


 岩が壁にめり込み、鬼が悲鳴を上げる。


 怪物は、それを見て笑った。


 遊んでいる。


 殺す気なら、一瞬で殺せるはずなのに。


 わざと逃がして、追い詰めている。


 その時、逃げる鬼が、こちらを見て叫んだ。


「助けて!!」


 その瞬間、怪物の首が、真後ろまでぐりっと回った。


 人間なら、絶対に曲がらない角度まで。


 目が合った。


 黒く底のない瞳で、新しい玩具を見つけた、とでも言うように、恐ろしい笑みが浮かぶ。


 今まで感じたことのない恐怖が、背骨を貫いた。白狼の比じゃない。心臓を、直接、氷の手で掴まれたようだった。


 息ができない。

 手足から、一気に血が引いていく。


 逃げろ。


 頭の中で、何度も警報が鳴っている。


 逃げろ。


 こいつは、駄目だ。


 戦ってはいけない。


 勝てない。


 そんな判断をするより先に、身体が理解していた。


『……光一郎様』


 コーシーの声が、初めて震えていた。


『勝算は、ありません』


 言われなくても、分かっていた。


「なんで、魔人が……」


 ゼルガが、引き攣った顔で呟いた。


 魔人。

 名前だけは知っていた。

 エルダに読み聞かせてもらった、遠い昔の絵本。勇者に封印された、昔話の化け物。

 子供を怖がらせるための、作り話。


 そう思っていたが、違った。


 目の前にいる。


 絵本に描かれていた怪物よりも、ずっと、恐ろしい。


 魔人が、一歩踏み出した。


 その足音だけで、身体が震えた。


「ゼルガ! 逃げよう!」


 声が、裏返っていた。


「鬼は、逃げねえ」


 ゼルガが、自分に言い聞かせるように言った。声が震えていた。


 無理だ。絶対。殺される。死んだら、なんの意味も無い。リラも、救えない。


 俺は、ゼルガの腕を掴んで、引き戻そうとした。


 だが、ゼルガが飛び出す方が、早かった。


「ゼルガ!」


 同じだ。


 白狼に囲まれて、ガルドに「逃げよう」と言った、あの時と。


 逃げなければ、死ぬのに。鬼は、なぜ逃げない。


 本当に、馬鹿だ。


 足が、動かなかった。冷たい手が、まだ心臓を握っている。


 その横を、遅れて追いついたリグが、すり抜けた。


 細い手が、俺の手を、取る。


 そして、魔人の方へ、走りながら言った。


「魔人は、逃げる者から狙うんだ。逃げたら、真っ先に死ぬよ」

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