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輪廻天才  作者: 餅真似吸栗丼
1章「鬼神の目覚め」
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12/17

11話「第一の試練」

 目を閉じても、眠りは訪れなかった。

 瞼の裏で白い影が揺れ、心臓の音ばかりが耳に響く。そうしているうちに、窓の隙間が灰色から薄青へと変わり、夜が明けた。


 台所に降りると、もうエルダが火を起こしていた。

 エルダとガルド、そしてリラと、最後になるかもしれない食事を取る。湯気の立つ椀を前にしても、誰も口を開こうとしなかった。匙の触れる音だけが、狭い部屋にこだまする。


 食べ終えると、皆で家の中央に立つ飾り柱に、手を合わせた。


「絶対に生きて帰ってきなさい」


 エルダの声は震えていた。俺は頷くことしかできない。

 続けて、ガルドが太い腕を組んだまま言った。


「自分、信じろ」


 短い言葉だった。けれど、この不器用な鬼がひねり出した精一杯の激励だと、俺には分かった。


 リラは、無言だった。俯いたまま、俺の袖をぎゅっと握って、それきり離さない。俺はその手にそっと自分の手を重ね、ゆっくりと解いた。


「行ってくる」と告げて、俺は家を出た。


 試練参加者が、村の広場に集まっていた。


 広場の中央には、普段は置かれていないはずの石像が据えられている。近づいて見上げ、俺は思わず眉を寄せた。


(なぜ鬼の村に、人間の像が……)


 胸当てと外套を身につけた、冒険者を思わせる人の石像だった。鬼のものではない。誰が、何のために――問いは胸の内で渦を巻いたが、答えを探す間もなく、周囲の気配に気圧される。


 広場には、初めて見る鬼の子が大勢いた。


 潰れたような鼻。ぎょろりと丸い濁った目。ガタガタの尖った牙。

 よくもまあ、これだけ醜い顔が揃ったものだ。

 

 気持ち悪い。

 視界に入るだけで、胃の奥がざらつく。


 ほとんどが、ボロボロの服を着ている。剥き出しの腕や首筋には無数の傷跡が刻まれていた。

 傷を誇るように立つ者もいる。


 馬鹿らしい。傷の数を競って、強くなったつもりか。


 この中の半分が死ぬ。

 それなのに、笑っている鬼までいる。

 死ぬかもしれない場所で、よくそんな顔ができるものだ。


 鬼は、やはり理解できない。


 人間は、俺だけだった。


 視線が集まる。

 肌を、無数の針で刺されているようだった。


「なんで人間がいるんだ」

「あいつ、死ぬ気か?」


 様々な声が、あちこちから聞こえてくる。


 ――こっちが聞きたい。


 そんな連中と同じ場所に立っていることすら、吐き気がした。


 それでも、顔には出さない。


 俺はただ前を見て、拳を握った。


 そのときだった。


 広場の奥で、白い影がゆっくりと天へ昇った。


 地平からようやく姿を現した朝日を、その背が静かに覆う。


 次の瞬間、背後から溢れた朝の光が白い影の輪郭を黄金に染めた。


 その姿は、人ではなく、神が天へ帰っていく瞬間のように見えた。


 だが、光が和らぐにつれ、その正体が浮かび上がる。


 白いマントを羽織り、腰には白い剣を携えた、人間の男だった。傷ひとつない精悍な顔立ち。全身から圧倒的な気配が立ち上り、ざわついていた広場は、水を打ったように静まり返る。


 この世界に来て、初めて見る人間だった。

 同郷ではないと分かっていても、その姿に、胸の奥がわずかに疼く。


(人間が……鬼の村に、なぜ?)


 遅れて、もう一つの影が浮かび上がった。クレイヴンだ。

 黒いローブを纏い、顔には恐ろしい傷が幾筋も走っている。彼が隣へ並ぶと、白マントの男が静かに口を開いた。


「初めまして、鬼の子達。私はロラン。人と鬼の協定により、試練の見届け人として参った。試練終了まで、皆の健闘を祈る」


 穏やかな声が、不自然なほど大きく広場の隅々まで届く。


 続けて、クレイヴンが話す。


「試練の監督は俺が務める。第一の試練は、魔石の採取だ。付いてこい」


 クレイヴンとロランに連れられ、俺たちは村の外へ出た。

 森の中を、草を踏みしめながら、しばらく歩く。


「本当に、死に来たのか。ヒカル」


 横合いから嘲るような声がかかった。ゼルガだ。


「黙れ。試練の前に殺すぞ」


「死ぬのはお前だ――」


 言い終えるより早く、ゼルガが飛びかかってきた。


 その瞬間。


「止まれ」


 クレイヴンの声が響き、足を止めた。


 ゼルガは渋々、拳を引く。


 目の前には、広場にあったのと同じ、人間の像が立っていた。森の奥深く、こんな場所にまで。


 クレイヴンは像の台座に手を着き、なにか呟いた。その瞬間、地面が紫色の幾何学模様を描いて光り出す。石畳が割れ、地の底へと続く階段が、ぽっかりと口を開けた。


「試練は、この中で行う。無作為に選ばれた三人一組で地下迷宮に潜り、魔石を手に入れてこい。魔石の採り方は、組で考えろ」


(鬼とチーム戦なんて、最悪だ)


 せめて、あいつとだけは、別の組にしてくれと願った。


 クレイヴンが指を鳴らすと、地面に、黒炎の輪が次々と描かれていく。


 俺が囲まれた輪の中には、ボロボロの服を着た細身の鬼と、そして、ゼルガがいた。


「ぼっ、ぼくリグ。よろしくね」


 細身の鬼が、おどおどと名乗った。


「ああ」


 俺は短く返す。


「お前ら、足手纏いになるなよ」


 ゼルガが吐き捨てた。

 こいつと同じ組なんて、本当に、最悪だ。


「正午までに、魔石を持って出てくる。それが条件だ。一人でも欠けたり、少しでも遅れたら失格。例外は無い。それが鬼の掟だ」


 クレイヴンがそう言い、ロランが片手を挙げて合図した。


「第一の試練、開始」


 鬼達が、一斉に階段を駆け降りていく。


 俺は、ゼルガに置いていかれないよう必死に走った。


『光一郎様。日の出から逆算して、正午まで――およそ六時間です』


 コーシーの淡々とした声が、かえって焦りを煽った。


 ゼルガの脚は速い。かなりのペースだ。息を切らして食らいついていくうちに、俺とゼルガは、参加者の先頭を走っていた。


 いくつもの分かれ道を曲がりながら、二人で奥へ、奥へと進む。


 最初に襲いかかってきたのは、三体の骸骨だった。

 全身を、青黒い炎が蛇のように這っている。骸骨どもが両腕を高く掲げると、その炎が人の顔へと歪み、口を大きく裂いた。


 ――ギャアアアアアアアッ!!


 悲鳴とも笑い声ともつかない奇声を上げて、燃える顔だけが宙を飛んでくる。


 俺は身を捻って躱した。

 炎は、背後の鬼へ直撃した。

 その鬼は突然、自分の頭を抱えて叫び始める。


「やめろ……! 来るな! 来るなぁぁ!」


 何もない空間を殴りつけ、あろうことか、自分の仲間へ襲いかかった。


 ゼルガは振り返らず進み、炎を涼しい顔で避け、亡者の頭蓋を殴り砕いた。俺も骸骨に接近し、一体を壁へ叩きつけた。砕けた頭から這い出そうとした青黒い炎が、行き場を失って霧散した。

 背後では、炎に憑かれた鬼がまだ仲間を殴りつけている。


 ゼルガは駆け抜け、俺も後を追った。


 分かれ道を、右へ、左へ。ゼルガが速度を緩めないまま魔物を薙ぎ払い、俺がその残りを倒す。妙に、呼吸が合っていた。合いすぎたのかもしれない。前へ、前へと打ち込むことに夢中で、後ろを確かめる余裕がなかった。


 ふと、背後が静かすぎることに気づいた。

 足を止め、振り返る。リグどころか、他の鬼の姿も、どこにもない。呼吸を合わせているつもりで、いつの間にか、置き去りにしていたらしい。


「ゼルガ、待て」「もう限界か?」「リグがいない」


 ゼルガが舌打ちをして、足を止めた。


「くそっ。戻るぞ」


 来た道を、ゼルガが引き返し始める。

 だが――十度目の曲がり角で、ゼルガが右へ折れようとした。


「ゼルガ、逆だ」「……覚えているのか?」「当たり前だ。付いてこい」


 ゼルガの勘は鋭い。だが、俺は来た道を一つ残らず覚えている。今度は俺が先導する番だった。


◆ ◆ ◆


 ――その頃、リグは。


 ヒカルとゼルガの背中は、とうに見えなくなっていた。 闇雲に進んだところで、合流できる見込みは薄い。かといって、追いつくのに必死で、出口までの道すら覚えていない。前も後ろも、どちらへ進めばいいのかわからなかった。 リグは壁を背に座り込み、一歩も動けずにいた。


 自分が他の鬼より弱いことは、とうにわかっていた。 それでも今朝、人間を見たとき、ほんの少しだけ希望が湧いたのだ。小柄な自分より、さらに体の小さい人間が試練に参加している。あれになら、少なくともあの人間になら、負ける気がしなかった。


 だが、試練が始まってすぐ、その希望は砕けた。 人間にすら追いつけず、迷宮に一人取り残されている。膝を抱え、リグはうつむいた。喉の奥から、絶望がせり上がってくる。


 その時だった。 地の底を這うような音とともに、目の前に魔物が現れた。 鋼鉄の鎧に覆われた、巨大な蟻。一体ではない。大群だった。無数の脚が石畳を叩き、金属めいた顎が擦れ合う。


 走り疲れた体に、これを倒す力はもう残っていない。 それでも、リグはゆっくりと立ち上がった。諦める気はなかった。 どうしても、王都へ行かなければならない理由があったから。


 先頭の一体が、リグめがけて突進してくる。 リグは震える足を踏ん張り、拳を構えた瞬間――


 横合いから吹き込んだ二つの影が、蟻の大群をまとめて薙ぎ払う。 ゼルガの拳と、ヒカルの蹴りだった。


「ありがとう……」

「勘違いするな」ゼルガが吐き捨てた。

「一人欠けたら、俺も失格になる。それだけだ」


 今度は、リグのペースに合わせて奥へ進む。二度と逸れないよう、歩幅を緩めた。 戻ったぶん、確実に時間を食った。焦りが胸の底で燻る。


 目の前に、また下りの階段。ふと、引っかかった。

 この階段、あの方向を向いているんじゃないか?

 階層が下がるほど、魔物は強くなる。それは進みながら肌で感じていた。だが、気になるのはそこじゃない。


 俺は足を止めた。頭の中で、ここまで通ってきた道のりを巻き戻す。分かれ道、曲がった向き、下りの傾斜を、一つずつ思い返して、迷宮の地図を組み立てていく。


「コーシー。潜ってからの階層と、進んだ方角。記録してるか」

『はい。すべて』

「照らし合わせてくれ。深くなった地点は、どっちを向いていた」


 わずかな間があった。


『……村のある方角へ進むほど、階層が深くなっています』


 やっぱりか。


(村へ向かうほど、深くなる……)


 そこまで来て、ヴァルム先生の言葉が蘇った。魔石は、魔力の濃い場所に生じやすい。

 魔力が濃ければ、湧く魔物は強くなり、階層は深くなる。


 だとすれば、答えは一つしかない。

 最も魔力が濃い場所……村の、真下。そこに、魔石はあるはずだ。


『同意します。最深部が最も魔力濃度が高く、魔石の生成条件を満たす。理屈は通っています』


 バラバラだった手がかりが、頭の中で一つの像を結んだ。迷宮の仕組みが、見えた。

 村へ、まっすぐ。それが、最短距離だ。


「こっちだ」


『リグさんの捜索と往復で、二時間近くを消費しました。残り、およそ四時間です』


 コーシーの報告が、焦りに火を点ける。


 魔石を持って帰るには、ギリギリの計算だ。

 迷宮を進むにつれ、先頭で魔物を狩るゼルガに、疲れが見え始めた。


「俺が代わる」

「大丈夫だ。休んでろ」

「お前に助けられるのはごめんだ」

「言っておくが、お前を助けてるわけじゃない。俺が前に進むのに、お前が邪魔なだけだ」

「隣ならいいだろ」

「勝手にしろ」


 俺はゼルガの横に並び、押し寄せる魔物の、半分を引き受けて進んだ。


 村の真下に近づいた途端、空気が分厚くなり、見えない手で押さえつけられているような感覚に襲われた。全身の毛が逆立つ。

 間違いなく、この奥に、何かがいる。


 さらに進むと、奥から巨大な魔獣が現れた。

 狼のような姿。毛は真っ白で、迷宮の天井に届かんばかりの高さ。

 その姿に、俺の記憶が、否応なく引きずり出された。


 あの時の。

 リラのために薬草を採りに行った、あの日。崖際で俺を追い詰めた、白い狼の群れ。何度撃っても、毛皮の上を滑り落ちていった炎。崖の縁で嗅いだ、死の匂いが、鮮やかに蘇る。


 足が、震えていた。


 ゼルガが、横目で俺を見た。


「足が震えてるぞ、人間」


 そう言って、白狼へ駆け出す。


『光一郎様、逃げてください』


 震える心を見透かすように、コーシーの声が響いた。


『炎は、あの毛皮に弾かれます。……忘れたんですか、あの日を』


 うなじから背骨へ、冷たいものが伝い落ちる。あの日の敗北が、膝を軋ませる。

 だが、前を見れば、ゼルガが一人、白狼へ向かっている。退くことなど、微塵も考えていない背中だった。


「……悪いな、コーシー」


 俺は、震える足を無理やり前へ踏み出した。


『光一郎様!?』


 あの日、ガルドの拳は、届いた。

 魔法が弾かれても、物理は通る。ならば、魔法を物理攻撃に変えて殴ればいい。この一手のために、俺は稽古を積んできた。


 ゼルガが白狼の正面へ躍り出て、牙を、爪を、躱しながら何度も攻撃を叩き込む。


 俺は、白狼へ向かいながら、右手を床すれすれに滑らせる。魔力を這わせると、砕けた石が手のひらへ集まり、膨れ、固まった。


 顎めがけて岩の拳を、渾身の力で振り抜く。


 鈍い衝突音が響き、巨体がわずかに傾いた。


 恐怖が消えたわけじゃない。ただ、「効いた」という感覚だけが、震える身体に残った。


 だが、安堵する間もなく、闇の奥から、白い影が次々と湧き出してくる。


 群れだった。


 ゼルガが一匹を殴り飛ばす。

 リグは叫びながら、群れへ飛び込む。

 俺は、隙を見て拳を叩き込む。


 最初は、それぞれが目の前の敵と戦っていた。

 それが、いつしか変わっていった。


 ゼルガが踏み込めば、俺が横へ回る。

 リグが敵を押し返せば、俺が追い打つ。

 俺の拳が白狼を弾けば、そこへゼルガが入る。


 言葉はなかった。

 ただ、互いの動きに身体がついていった。


 石が砕ければ、また纏う。踏ん張れなくなっても浮遊で飛ぶ。


 そして、最後の一匹。

 これまでの白狼より一回り大きかった。

 顔の中央には黒い毛が集まり、その額に、黒紫色の小さな石が埋め込まれている。


(……あれは)


 魔石。


 間違いない。


 だが、考えている暇はなかった。


 狼は牙を剥き出し飛びかかって来る。

 俺は、魔力壁で牙を防ぎ、岩を纏って蹴り上げる。

 ゼルガが横から拳を叩き込み、白狼の身体が少し流れた。

 リグが、その先で白狼にしがみついて叫んだ。


「やれ!ヒカル!」


 俺は飛んだ。右手に、ありったけの魔力を注ぎ込む。岩を固め、ガルドのような巨大な腕を生み出した。


 そのまま体を回転させる。

 一回、二回、三回――回るたびに勢いを増し、巨大な拳が白狼へ迫る。

 そして、四度目の回転で、拳が白狼の頭を捉えた。


 鈍い衝撃が響く。

 その反動が、岩の腕から肩へ、背骨へと突き抜けた。


 白い巨体が、ゆっくりと崩れ落ちる。


 ――静寂。


 あとには、三人の荒い呼吸だけが残った。


 俺は、倒れた白狼へ近づいた。


 額には、まだ魔石が埋まっている。


 俺は白狼の額に埋まった魔石へ手を伸ばした。


「待って」


 リグが声をかけた。


「僕がやる」


「お前が?」


「うん。僕の爪なら、傷付けずに取れる」


 リグが白狼の頭へ近づく。


 鋭い爪を魔石の縁へ差し込み、周囲の肉を傷つけないよう、慎重に動かしていく。


 ぎち、と音がした。


 魔石を覆っていた組織が少しずつ剥がれていく。


 リグは焦らなかった。


 爪を深く差し込み、てこのように傾ける。


 やがて――


 ころり。


 黒紫色の魔石が、白狼の額から抜け落ちた。


 リグはそれを両手で受け止める。


「取れた」


 血にまみれた爪とは対照的に、魔石は傷ひとつなく、鈍い光を放っていた。


 掌に収まった魔石が、かすかに脈打つ。


「……これが、魔石」


 俺は、それを握りしめた。


 足は、まだ震えていた。

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