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輪廻天才  作者: 餅真似吸栗丼
1章「鬼神の目覚め」
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10話「ゼルガ」

 愛や覚悟で確率は変わらない。


 純粋に確率を信じたほうが、間違いは少ない。


「そうだろ?コーシー」


『光一郎様の、おっしゃるとおりです』


 俺は、確率を上げるために今日もここに来た。


 朝の光は、まだ冷たい。

 村の中央の広場に、人影はない。息を吐くと、白くなった。


 昼になれば違う。

 広場の中央は、強い鬼たちの場所になる。広く間合いを取って、好き勝手に稽古を始める。俺は端に座って、その動きを盗み見るだけだ。近づけば、相手をさせられるかもしれない。それだけは、ごめんだった。


 右手を、上げる。


 空中に、土が集まる。魔力に引かれるように重なり、圧縮され、ひとつの岩になる。人の背より大きい。俺はそれを、空へ押し上げていく。


(もっと高く)


 岩が朝日を遮った。


 右手を、握る。


 岩が、内側から砕けた。音は鈍い。無数の破片が、光をまとって降ってくる。ひとつ、ふたつ、数えるひまはない。


 俺は魔力を、掌の前に薄く張った。


 魔力壁。


 最初の破片が当たり、砕けた。次。弾く。次。弾く。


 速い。


 二十個目で、タイミングがずれた。


 壁を張るより先に、破片が肩を打った。鈍い痛みが背中まで走る。膝が落ちる。残りの破片が、頭の上を通り過ぎて、地面に散らばった。


 息が上がっていた。


 肩に手をやる。布が裂けて、血がにじんでいる。何度目かは、数えていない。


 俺は立ち上がった。


(……まだ足りない)


 リラの顔が浮かんだ。俺を見下ろしていた顔。手加減されていたと知らずにいた自分。あの日から、朝はずっとここにいる。


 リラは、知らない。


 病気のこと。


(あと八年……)


 そこで、止めた。


 考えても、岩は砕けない。俺はもう一度、右手を上げた。



 昼が近づき、稽古場に鬼の子が集まる。


 俺は井戸のそばで、水をかぶっていた。体中の傷がしみる。近くに、三人の鬼の子がしゃがんでいた。角がまだ丸い。青い頬、赤い頬。木の枝で地面に絵を描いている。


「オレ、世界一、強い戦士なる」


 いちばん大きい子が言った。枝を槍のように構える。


「オレは、鬼神様みたいな、英雄」


「ボク、世界を守る、騎士団」


 三人が、笑う。


 この村の子は、みなその話をする。試練を越えた者だけが、戦士になれる。昔の英雄も、みんな越えてきた。だから鬼は、試練を誇る。


『鬼族にとって試練は、通過儀礼であり、信仰に近いものです』


 コーシーが、頭の奥で言った。


(……そうか)


 俺は、水を絞った。


 俺には、関係ない。

 戦士になりたいわけじゃない。英雄でもない。ただ、リラを救いたい。救うには、試練を越えるしかない。それだけだ。


 鬼の子たちは、まだ笑っている。


 背後で、砂を踏む音がした。


 いつからそこにいたのか、分からなかった。振り返ると、鬼の子が立っていた。角は二本。皮膚は青みがかって、目だけが乾いている。笑っていない。


「人間か」


 俺は、水の桶を置いた。


「そうだ」


 鬼は動かない。三人の鬼の子が、いつのまにか静かになっている。


 この鬼のことは、知っていた。いつも広場の中央で稽古している鬼だ。ゼルガと呼ばれている。


 ゼルガは俺の全身の傷を見て言う。


「試練、受けるのか」

「受ける」


「戦士に、なりたいのか」


「なりたくない」


 ゼルガの口の端が、わずかに動いた。笑ったのかもしれない。


「じゃあ、何故だ」


 リラの顔が、一瞬よぎった。

 喉まで出かかって、飲み込んだ。


「お前には関係ない」


 ゼルガは、しばらく黙っていた。それから、乾いた声で言った。


「人間は、どうせ死ぬ。諦めろ」


「黙れ、鬼」


 空気が、変わった。子どもたちが、そろそろと後ずさる。俺は、拳を握っていた。血の乾いた肩が、また熱を持つ。


 ゼルガが、一歩、前に出た。


「お前の覚悟。試してやるよ」


「望むところだ」


 ゼルガは俺の横を通り過ぎる。


「来い」


 短く、それだけ言った。

 連れて行かれたのは、広場の中央だった。いつもは端から眺めるだけの場所に、俺は立っていた。鬼たちが、ひとり、またひとりと集まってくる。


「ゼルガだ」

「人間と?」

「物好きだな」


 声は小さい。

 誰も止めようとはしなかった。ただ、円を描くように間合いを空ける。いつの間にか、俺とゼルガだけが中央に残っていた。

 ゼルガが、俺を見る。


「来い」


 その一言で、始まった。


 俺は掌を突き出し、炎を飛ばす。まっすぐ、ゼルガの胸へ。

 当たる。そう思った。


 ゼルガの肩が、わずかに傾いた。

 炎が、肩をかすめ、空を焦がして消える。

 俺は続けて、ゼルガの足元の土を盛り上げる。槍のように突き上げた。

 今度は首が、少し傾く。

 土槍は軌道を変え、頭を外れて砕け散った。


『光一郎様、魔法が逸れています』


「……分かってる」


 なら、逃げ場をなくす。

 俺は両手を広げた。ゼルガの周りに、炎を四つ。前、後ろ、左、右。同時に、内へ。

 どこへ動いても、当たる。


 ゼルガが、腕を上げた。


 四つの炎が、揃ってゼルガの体を撫でるように逸れて、消えた。


「……なんだ、それ」


 見物の鬼たちが、低くどよめいた。


 今回は、腕を上げた瞬間だった。

 奴が体を動かすたび、魔法の流れが変わる。


 なら、魔法を逸らせる隙を与えなければいい。距離を潰す。至近距離なら、軌道を変える前に叩き込める。


 俺は地を蹴り、一気に間合いを詰める。


 その瞬間だった。

 ゼルガの腕が霞む。伸びた爪が、頬をかすめた。


 熱が走る。


 頬を伝う、生ぬるい感触。


 避けきれなかった。

 あとほんのわずか遅れていれば、頬の肉ごと抉り取られていた。


 俺は、飛びのいた。


『警告します。対象は本気です』


 コーシーの声が、硬い。


 頬の血を、手の甲で拭う。ゼルガは、追ってこない。ただ立って、こっちの息が整うのを待っている。


 もう一度、踏み込む。

 炎、盾、浮遊、雷、岩。武術。俺は、持っているものを、全部混ぜた。頭のなかで、コーシーが数字を回している。魔力の残量。ゼルガの癖。次の一手。


 ゼルガが、踏み込んだ。いつもより深い。俺は横へ逃げた。地面を、ゼルガの拳が抉った。土が噴き上がる。一拍前まで立っていた場所に、人ひとりぶんの穴が空いていた。


 背筋が、冷えた。


(……当たっていたら)


 考えるまでもない。この鬼は、殺す気で振っている。


 攻防が、速くなる。

 息が、切れ始めていた。ゼルガも、汗をかいている。お互いの手数が、拮抗していく。


 ゼルガが、体を沈めた。

 これまでで、いちばん大きな踏み込み。渾身の一撃が来る。俺には、分かった。


 俺は、完璧なタイミングで壁を張った。


 ゼルガの拳が、壁に当たり弾かれる。

 今度は、ゼルガの体が流れた。


 姿勢が、崩れる。


 上体が、大きく開いた。


 隙。


『成功確率、五割』


 コーシーの声が、耳を打った。


(撃てる)


 掌に、魔力が満ちていた。炎をここへ、全部を叩き込めば。


 五割。


 当たれば、勝つ。


 外せば、反撃が来る。

 さっきの穴が、頭をよぎった。


 俺の足が、止まった。


 あの拳が、今度は俺に。七割を切る勝負はしない。半分の賭けに、命を乗せる理由がなかった。


 俺は、跳んで距離を取った。


 ゼルガが、体勢を立て直した。


「なぜ、止めた」


 俺は、息を整えながら言った。


「勝てる保証がなかった」


 ゼルガは、少し、首をかしげた。


「それで、止めるのか」


「危険な賭けはしない」


 ゼルガの目から、さっきまでの熱が、引いていく。


「命を賭けられない者に、試練を受ける資格はない」


 ゼルガが言った。声に、抑揚はなかった。


「お前はいざという時、逃げる」


 俺は、動けなかった。


「臆病者は、鬼になれない」


「鬼になんか、なりたくない」


 そう返した。声は、思ったより静かに出た。


 ゼルガは、それ以上、何も言わなかった。背を向けて、歩き出した。稽古場の子どもたちが、道を空ける。青い背中が、遠ざかっていく。


 俺は、その場に残された。



 帰り道は、一人だった。


 傷が、歩くたびに疼く。頬の血は、乾いて突っ張っている。夕方の光が、木々のあいだから斜めに差していた。


 歩きながら、さっきの隙を思い返す。


 鬼と互角に、打ち合えた。動きを読んで、壁を合わせて、鬼を止めた。リラのときとは違う。


 あの一撃。撃っていたら。


 合理的な判断だったはずだ。半分の確率に、命は乗せない。間違っていない。


 それなのに。


(負けたのは)


 拳を、握った。


(……心だ)


 その言葉が、いちばん、しっくりきた。


 握った拳に、力が入りすぎて、爪が掌へ食い込んだ。


 どれくらい歩いただろう。


 ふと顔を上げる。


 家は、とっくに通り過ぎ、村の端だった。


 そのとき。


 低く押し殺した声が、風に乗って届いた。


 俺は足を止める。


 少し先の木立の陰に、二つの影があった。


 ひとりは、ヴァルム先生だった。もうひとりは、クレイヴンだった。


 背は高くない。鬼にしては痩せている。顔に傷があった。頬から顎まで、深く走った傷。その傷の鬼は、腕を組んで、先生を見ていなかった。


「君ほど、優秀なのに」


 先生の声だった。いつもの穏やかさが、少し掠れている。


「何故、分からない」


「お前には、関係ない」


 クレイヴンが言った。声は、平らだった。感情のありかが、読めない。


「このままでは、鬼族が……世界が滅ぶぞ」


「お前に協力する気はない」


 俺には何の話か分からない。

 ただ、あの傷の鬼が、どこか、怖かった。ガルドの怖さとも、エルダの怖さとも違う。何を考えているのか、底が見えない怖さだった。


 よく見ようと、静かに身を乗り出した時。傷の上の目が、動いた。


 目が、合った。


 息が、止まった。見透かされた、と思った。何を、とは言えない。ただ、隠していたものを全部、一瞬でめくられたような感覚だった。


 傷の鬼は、先生に背を向けた。


「話は、終わりだ」


 そう言って、歩き去っていく。先生が、何か言いかけて、やめた。


 俺は、その場を離れた。誰にも、見つからないように。



 その夜、ガルドが久々に帰ってきた。


 肩に、熊のような大きな獣を担いでいた。白と黒の横縞模様の毛色。牙が長い。ガルドは、それを土間にどさりと下ろして、笑った。


「珍しいの、獲って、きた」


 エルダが、目を丸くする。


「まあ。こんな立派なの」


「オレも、試練の前、これ、食った」


 ガルドは、俺を見た。目が、いつもより柔らかい。


 エルダが、竈に火を入れた。肉を焼く音と、匂いが、家じゅうに満ちていく。脂の匂いが、鼻の奥に届く。


「いっぱい、食べな」


 エルダが、俺の皿に、いちばん大きな肉を乗せた。


 リラは、机の向こうに座っていた。まだ、口をきいてくれない。俺の頬の傷を、ちらりと見た。それから、ぷいと横を向いた。けれど、立ち上がって出ていくことは、しなかった。


 今晩の村は、静かだった。


 どの家も、明かりが灯っている。けれど、笑い声は少ない。明日、試練へ向かう子が、この村には何人もいる。半分は、帰ってこない。誰もが、それを知っていて、口にしない。


 俺は、肉を噛んだ。温かかった。


 リラを、見た。竈の火が、その頬を照らしている。


 愛や覚悟で、命は賭けない。


 昼間の、五割。

 試練も、五割。


 それでも行くのは、リラが助かる可能性があるからだ。


「そうだろ?コーシー」


 コーシーは何も答えなかった。

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