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輪廻天才  作者: 餅真似吸栗丼
1章「鬼神の目覚め」
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9話「嘘つき」

 約束を守る手段が、約束を破ることしか残されていない日もある。


 それでも俺は、リラだけは守ると決めた。


『光一郎様。今からでも、撤回するべきです』


 西日が、高台を赤く染めていた。


「お前には関係ない」


 見下ろす村は、いつもより綺麗に見えた。煙突から細い煙が上がっている。


 リラが、拳を握った。


「手加減、できないよ」


「俺もだ」


 浮遊で間合いを潰す。


 体を捻り、蹴る。


 片手で防がれた。


 リラは返しで蹴り上げる。


 紙一重で躱す。

 回避の回転を殺さず、もう一度蹴り込んだ。


 リラは足で受け、押し返す。

 俺の体は、後ろへ流された。


『光一郎様。やめてください。他の方法を』


「黙れ」


 息が上がる。


「リラを納得させるには、こうするしかない」


 リラが、俺を見た。


「なんで、行くの」


「リラには関係ない」


 目を逸らした。その一瞬を、あの子は見逃さなかった。


「……この村が、嫌なの?」


 声が、掠れていた。


「人間は、鬼が嫌いって、聞いた。だから、出てくんでしょ。この村、から」


 違う。そう言いかけて、飲み込んだ。


 言えば、リラはついてくる。


 それは駄目だ。試練は、鬼でも半数が死ぬ。

 リラを、試練に参加させるわけにはいかない。


「に〜にぃも……鬼が、嫌いなの?」


 まっすぐな目が、俺を捉えていた。


 鬼は嫌いだ。


 だが、リラは違う。


 違うと、言いたい。

 喉の奥まで、その言葉が来ている。


 それでも。


 嘘をついても。


 嫌われても。


 リラを、助けたい。


「……そうだ。俺は、鬼が嫌いだ。気持ち悪い顔も。酷い臭いも。低い知能も。全部、嫌いだ」


 リラの目から、色が消えた。


「……じゃあ、私も?」


 小さく、それだけ言った。


「私のことも、嫌いなんだ」


 答えなかった。

 嘘でも答えられなかった。


 リラはそれを答えとして受け取る。


「……もう、知らない」


 その声が、胸に突き刺さる。


 もう十分だ。


 これ以上、この子を傷つける言葉も、顔も、見たくなかった。


 一瞬で終わらせる。


 そう決めて、俺は己が至れる極限の炎を解き放った。


 轟音を引き、紅蓮の塊が一直線にリラへ奔る。


 リラは動かない。


 ただ、火球がその身に触れようとした刹那。


 白い指先が、空を払った。


 それだけだった。


 紅蓮は音もなくほどけ、夜霧のように掻き消える。


「……な」


 息が止まる。


 理解より先に、身体が魔法を紡いでいた。


 槍のように圧縮した炎。


 横薙ぎに広がる火炎。


 炸裂する火球。


 惜しみなく魔力を注ぎ込み、立て続けに放つ。


 業火は唸り、吼え、世界を焼き尽くさんと牙を剥く。


 そのすべてが、リラへ届く。


 はずだった。


 炎は触れる寸前で、その勢いを失う。


 まるで見えない境界に怯えたように。


 燃え盛るはずの焔はリラを避け、左右へ流れ、背後へと巡る。


 誰一人傷つけることなく、ただ一人の少女だけを中心にして。


 いつしかリラは、燃え盛る炎をその身に纏って立っていた。


 炎は王を彩る衣へと姿を変えている。


 その光景は、美しい。


 だが、美しいからこそ、息が詰まるほど禍々しい。


 燃え盛る業火を従え、紅蓮を羽織って静かに佇むその姿は、人ではない。


 まるで、地獄の王。


 幾千幾万の命を焼き尽くし、地獄の底で万火を統べる鬼。


 撃つ。


 撃つ。


 撃つ。


 魔力が尽きることも構わず、俺は炎を放ち続ける。


 当たっている。


 確かに届いている。


 それなのに、熱も、衝撃も、傷ひとつ与えられない。


 まるで俺の炎は、最初からリラのものだったかのように。


 それでも、止まれない。


 ここで手を止めた瞬間、負ける。


 浮遊魔法で一気に間合いを詰める。


 何百回と身体に叩き込んできた連携。


 考えるより先に、身体が動く。


 紅蓮を叩きつける。


 炎はまたしてもリラへひれ伏すように揺らいだ。


 だが、その一瞬だけでいい。


 炎の帳に紛れ、青白い雷光を奔らせる。


 稲妻は真っ直ぐリラを貫き、その身体を一瞬だけ縛りつけた。


 今だ。


 岩を拳へ纏わせる。


 浮遊魔法の勢いを殺さず、真上へ跳ぶ。


 重力さえ味方につけ、渾身の拳を振り下ろす。


 躊躇う暇はない。


 迷えば、その瞬間に終わる。


 だが。


 リラは静かに顔を上げた。

 振り下ろされる岩の拳を見据え、右拳を、ただ真っ直ぐ突き上げる。


 拳と岩がぶつかる。


 轟音が弾けた。


 次の瞬間、岩塊は粉々に砕け散り、破片が雨のように宙を舞う。


 あり得ない。

 そう思う間もなく、腕を掴まれる。


 景色が反転した。

 背中から地面へ叩きつけられる。


 肺の空気が一気に吐き出される。


 息ができない。

 指一本、動かせない。


 負けた。


 視界いっぱいに広がる空は、燃えるように赤かった。


 いつから、こんなに強かったんだ。


 俺はずっと思っていた。

 手加減していたのは、俺の方だと。


 違った。

 地に伏したまま、その思い上がりが音を立てて崩れていく。


 さっきの一撃。

 背中が地面へ触れる、その一瞬だった。

 リラの腕から、ふっと力が抜けたのが分かった。


 殺さないために。

 俺を壊さないために。


 思い返せば、一年間の稽古もそうだった。

 夢中になって、本気の拳を叩き込んでしまったことは、一度や二度じゃない。

 それでもリラは痛がることなく、困ったように笑うだけだった。


 逆は、一度もない。

 一度たりとも、リラは本気で俺を殴らなかった。


 今日、ようやく知った。

 素手で岩を砕く拳。

 あれほどの岩塊を、一撃で粉砕する力。

 あの拳が本気で俺を打てば、この身体など跡形も残らない。


 だからリラは、ずっと力を抑えていた。


 俺と並んで戦うために。

 俺を傷つけないために。


 俺を、守るために。


 ずっと、リラを守っているつもりだった。


 ……ずっと、守られていたのは、俺のほうだった。


 リラが、すっ、と拳を下ろす。


 しばらく、静寂が落ちた。風が、草を鳴らして通り過ぎる。


「……私の、勝ち」


 小さく、言う。


「約束、だから」


 答えられない。


「諦めてよ」


 唇を噛む。


 血の味が広がっても、「諦める」の一言だけは、どうしても口にできなかった。


 その沈黙だけで、答えになってしまった。


「……嘘つき」


 リラの目が、みるみる潤む。


「そんなに行きたいなら、勝手にして」


 涙をこぼして、走り去っていく。小さな背中が、赤い夕日に溶けて、見えなくなった。


 追おうとして、立ち上がった、その一歩目で、膝が笑った。


 どさり、と地面に手をつく。心臓が、まだ早鐘を打っている。数秒前まで、この体は本気でリラと殺し合っていた。全力を出し切った体は、鉛のように重い。


 追いかけることすら、できなかった。


 その夜から、俺は寝台に沈んだ。





 部屋に吊るした鬼火が、青白く揺れている。俺は天井の木目を、ただ数えていた。もう何百回目かわからない。


 扉が静かに開く。

 エルダが、湯気の立つ椀を盆に載せて入ってきた。


「……ご飯、置いておくね」


 返事はしない。


 エルダは俺を見つめたまま、小さく息をついて、盆を机へ置いた。

 代わりに、昨日のまま冷え切った椀を持ち上げる。

 一口も減っていなかった。


「ちゃんと……食べてね」


 その声も、俺は聞こえないふりをした。

 扉が閉まる。


 しばらくして。

 扉の向こうから、小さく、息を殺して啜り泣く声が聞こえた。


「お願い…だから……食べて……」


 俺は目を閉じることしか、できなかった。


(負けた)


 その一言が、頭の中で反響し続けている。


 本気だった。前世の知識も、この世界で覚えた魔法も、持てるすべてを注いだ。それでもリラは、たった一撃で、俺を沈めた。妹一人に届かない者が、鬼ですら半数が死ぬ試練を、どうやって越えるというのか。


(俺には……無理だ)


 天井の木目が、滲んで、ぼやけた。


 だが、俺を寝台に縛りつけていたのは、負けたことだけではなかった。


 俺は、リラが一番傷つく言葉を、選んで刺した。あれは、救うための嘘だ。

 だが、救えなければ、ただ妹を傷つけただけになる。


 試練で死ねば、残るのはあの言葉だけ。


「鬼は嫌いだ」


 それが、俺の最後の言葉になる。


 それだけは、嫌だった。


 それでも、目を覚ましては、あの瞬間を思い返す。

 眠れば、夢の中でも負けていた。


 差し込む光の角度と、運ばれてくる食事だけが、日が過ぎたことを教えてくれる。


 体の痛みは薄れても、胸の奥だけは、何日経っても軽くならなかった。


 そして、何度目かの朝。


 体は、相変わらず重い。腹は空いているはずなのに、何も食べる気になれない。俺は寝たまま、ぼんやりと天井を眺めていた。


 その静寂を破って、声が響いた。


『光一郎様』


 俺は、答えない。


『五日間、生命維持に必要な最低限の栄養を、下回っています。このままでは、試練の前に、体が壊れます』


「……黙れ」


『光一郎様。あなたには、魔法があります』


「魔法、ね」


 俺は天井へ手をかざす。指先に赤い炎が揺れた。


「見ただろ。この炎をリラに真正面から全力で撃ち込んだ。それでも火傷ひとつ負わなかった」


 炎は小さく弾けて消える。


「炎も雷も岩も全部だ。俺の魔法は鬼には効かない。人間の俺じゃ勝てない」


 静寂のあと、コーシーが尋ねた。


『なぜ、真正面から力をぶつけたのですか』


「……何が言いたい」


『効かなかったのは、魔法だからではありません』


「違う!」


 寝台を叩く。


「全力を出した。それでも届かなかったんだ」


 拳を握り締める。


「俺は弱い。それだけだ」


『負けたのはあなたが、“力そのもの”をぶつけたからです。相手が絶対的に強い場所で、正面から力比べを挑んだ。それは、私の知る光一郎様の戦い方では、ありません』


 しばらく沈黙が続き、コーシーが静かに言う。


『前世のあなたは、腕力で釘を打つ人ではありませんでした。テコを使う人でした。重いものを、力で持ち上げず、滑車で吊る人でした。あなたは、力で戦ったことなど、一度もない。あなたはいつも“知恵”で戦ってきた』


 その瞬間、止まっていた歯車がカタンと回った。


 そうだ。


 俺は力ではなく、知恵で生きてきた。


 リラの泣きそうな顔が浮かぶ。


 力で守れないなら、知恵で守ればいい。


 俺は重い体を起こした。


「鬼は強い。その事実は変えられない」


『はい』


「だが、事実だからこそ、“計算に入れられる”。強さが一定なら、それは変数ではなく、定数だ。定数なら、式に組み込める。組み込めるなら、利用できる」


 鬼の体は硬い。魔法は効かない。

 だが、鬼も地面に立ち、空気を吸い、この世界の法則には従っている。


「俺は鬼を正面から倒そうとしていた。でも狙うべきは鬼じゃない」


 寝台の縁を強く握る。


「魔法をただ放つだけじゃない。物理法則を利用し、魔導物理学として組み直す。そうすれば、鬼を超えられる」


 初めて、コーシーの声にわずかな笑みが混じった。


『おかえりなさいませ、光一郎様』


 床の上に、記録帳が積み上がっていた。


 背表紙の擦り切れた古いものから、まだ角の立った新しいものまで。六年分。この世界の理不尽を、ひとつずつ言葉に翻訳してきた記録だ。


 鬼火の下で、一冊目を開いた。


 幼い俺の字で書かれた仮説が並んでいる。

 炎は空気から燃えるものを集め、水は湿った大気や自然から引き寄せる。


 魔法とは、無から有を生む奇跡じゃない。もともとそこにあるものを、集め、運んでいるだけの可能性がある。


 余白に、当時の走り書きがある。


【魔力そのものには、とんでもないエネルギーが詰まっているはずだ】


「だよな」


 昔の自分に、相槌を打つ。


『同意します』とコーシー。『現象を手助けするだけでこの出力なら、直接ぶつけた威力は計り知れない。当時も、そう結論しています』


 その次のページには、考察が続いていた。


『なら、炎や水へ変換する必要はない。そのまま叩きつければいい』


 魔力弾。

 魔力弾は、体から離れると霧散した。


 ページの隅へ殴り書きされた一文。


【魔力は、自分以外に、届かない】


 ……魔力は直接、攻撃には使えない。


 六年前の俺が出した結論が、それだった。

 あとは、めくるほどに赤字が増えるだけだった。思いつく手は、過去の俺がとうに潰し尽くしている。


 鬼火が燃え尽き、空が白む頃。俺は、山の底に近い一冊を引き寄せた。


 九十冊目。浮遊魔法。


 この魔法だけが、ずっと、手触りが違った。


 浮くとき、俺の体は、下から押されている。風とは違う。風なら、当たったものは流れて逃げていく。だが浮遊の力は、当たっても逃げない。俺の体に、留まり続ける。


 炎も水も、魔力を別の何かに変えてから使う。だが、浮遊は違う。


「浮遊だけは、魔力が、魔力のまま、俺に触ってる感覚だ」


『はい。変換をはさまず、あなた自身に干渉している可能性が高いです。唯一の例外です』


 魔力は、体から離れられない。攻撃には、使えない。


 だが、待て。


 浮遊は、体から離れない力だ。俺を浮かせ、支え、空中に足場さえ作れる。


(足場が、作れるなら)


 椅子から、立ち上がっていた。


(同じ理屈で、壁も、作れるかもしれない)


 鬼の攻撃から身を守ることなら、できるかもしれない。


 明け方の裏庭。

 風が、汗ばんだ首筋を冷やす。


「コーシー。記録を頼む」


『はい』


 最初は、失敗の連続だった。


 足元にしか、置けない。横に向けると、消える。斜めにすれば、崩れる。何度も、虚空をなぞった。足場を立てるのではなく、起こす感覚。床に敷くのではなく、目の前に、板のように、壁のように。


 二十回。三十回。汗が、額を伝う。


 そして、目の前の虚空に、確かな手応えが生まれた。


 見えない。だが、そこに、ある。押しても逃げない、俺だけの壁が。


 陽はとうに落ち、裏庭は月光に沈んでいた。


「試すぞ」


 右手に炎を編む。


 狙うのは、自分の目の前の地面。


 放った瞬間、炎が地面に叩きつけられ、爆ぜた。


 轟音。


 まともに喰らえば吹き飛ぶほどの爆炎が、俺へ襲いかかる。


 俺はとっさに身をかがめ、見えない壁の陰へ潜り込んだ。


 爆風は壁にぶつかり、左右へ裂けるように流れていく。


 壁からはみ出していた髪がちりりと焦げ、服の裾も熱で焼けた。


 だが、壁に隠れていた体には、爆炎は一切届かない。


 熱も、衝撃も、受け止められていた。


 月明かりの下、俺はゆっくりと立ち上がる。


「できた」


『成功です』


 攻撃には使えないはずの魔力が、壁というかたちでなら、外からの力を、堰き止める。


 だが、すぐに欠点を記録帳にまとめた。


 一つ。狭い。壁は、直径五十センチ程の円形で、体のすぐそばにしか置けない。数メートル先に展開する器用な真似はできない。


 二つ。タイミングが、すべてだ。常時張るには、消耗が激しすぎる。相手の攻撃が当たる、その瞬間に合わせて、置く。早すぎれば、敵は軌道を変える。遅れれば、死ぬ。拳を、顔の数センチ手前で受け止める。そういう芸当だ。


(普通なら、無理だ)


 だが、俺は思い出す。


 この一年。ガルドとリラと稽古を続けてきた。鬼の拳を。蹴りを。人間の数倍というスピードを、この体に刻み込んできた。


 鬼の速さには、慣れている。見える。読める。合わせられる。


 リラとの日々が、俺を守る魔法になる。


 魔力壁は、ただ攻撃を防ぐ盾じゃない。衝撃を受けても逃がさず、そのまま受け止め、押し返す。

 鬼が岩をも砕く拳を壁へ叩きつければ、行き場を失った力は、まっすぐ鬼自身へ還る。


(相手が強ければ、強いほど)


(その強さが、そのまま、刃になる)


 殴らなくていい。傷つけなくていい。あいつらの力を、そのまま返してやればいい。


「これだ」


 記録帳を閉じる。六年分の積み重ねが、手のひらに、ずしりと乗る。


『光一郎様、試練まで、あと半年です』


「ああ」


 窓の外では、月が村を淡く照らしている。

 あの高台も、きっと同じ月の下だ。


 俺は、月に背を向けた。


「続けるぞ、コーシー」


『はい。喜んで』


 六年分の記録を抱え、俺は再び前を向く。


 あの日の嘘も。

 あの涙も。

 あの約束も。


 全部背負って、俺は試練へ行く。


 嘘つきのままでは、終われない。

前回の更新から、少し間が空いてしまいました。


お待ちくださった皆さまには、申し訳ありません。


筆の歩みは相変わらずゆっくりですが、一話一話を大切に紡いでいきたいと思っています。


これからも、気長にお付き合いいただけましたら幸いです。

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