98.隣の郷田さん
「嘘だろ……まるで、魔法じゃねえか」
視界が全て、緑に溢れている。
枯れ木だった森は、かつてのように枝葉を広げて、太陽の光を浴びてサラサラと揺れている。
流れる小川の音が、耳に心地いい。気づかなかったけれど、すぐ側に川があったんだな。
「いや、まてまておい。何がどうなってやがる」
「魔法だって、言わせんなよ。はははは」
「はははは、じゃねえよ。ちくしょう――」
なんだか嬉しそうに駆け出した郷田さんを、香津美さんが慌てて追いかける。小川ではしゃぐ郷田さんが、何だか眩しい。
そっと、腕に抱きついてきたミモザは、僕に笑いかけてくる。
「ほんと、やり過ぎよ。どうしちゃったの?」
「だってさ。父さん母さん、助けてきたよね。でもこのままじゃ、生きていくことができない」
「だからって、星そのものをダンジョン化させるなんて」
「ナナナシア星がさ、星ごとダンジョンだったんだから、この程度は普通じゃない?」
「ふふふ。地球がナナナシア星だったりしたら、面白いわね」
ブロンデが、反対側の腕に抱きついてきた。お胸が刺さる。
「あ、イブキ様。今、痛いって思いましたね」
「普通に痛いんだけど」
「当然です。刺していますから」
そうして僕らは、木曽の山奥から下山を始めた。
奇跡の現場を見逃した姉から、グチグチ言われつつ、僕らは進む。
久しく踏んでいなかった土の大地が、踏みしめるたびに主張してきて、自然とみんなの顔に笑顔が浮かぶ。
「部隊長! 自然が、世界が――」
暴走車輌に身構えていたら、自衛隊の除灰車で、思わずみんなで大笑いしていた。
そして、自衛隊の木曾出張所へ。
現場はほんと蜘蛛の巣をつついたような状態で、隊員達が右に左に走り回っていた。
「部隊長、無事だったのですね。色々と報告があって――」
「わかった。分かったから、ちょっと待て」
報告に来た部下が、郷田さんに書類だけ手渡して、駆け去っていった。
その顔に悲壮感はなくて、みんな笑顔だった。自然と僕も、顔が緩んだ。
郷田さんから書類を受け取った香津美さんが、郷田さんの頬にキスをして裏方に。
真っ赤になった郷田さんが、何だか眩しかった。
「何もないけどな、しばらくいていいからな」
そう言われて是非もなく。
まだ父と母が眠ったままで、少しの間。木曾出張所でお世話になることになった。
数日して、再び全員で車の旅。
人数の関係から、11に人乗りのバスに乗り込んだ。思った以上の大所帯に、みんなで笑った。
運転手は郷田さんで、助手席に乗っているのは香津美さん。何だか思い出したのは、僕がイブキになって初めて、自衛隊の木曾出張所に訪れた時のこと。
「あの木曾の出張所な、正式に畳むことになっている」
「なんで? 交通の要所なんだよね?」
「だからだよ、もう必要ねえ。道はみんなのものだからな、今までの駐屯地で十分なんだよ。だから俺も、お役御免だ。ついでに二人分の退職届を、出して貰うように、頼んでおいた」
「広志さんと、田舎生活よ。楽しみなんだから」
木曽の谷を南下して、妻籠宿から北に進路を変える。
火山灰に埋もれていただけだったからか、道路は綺麗なままで、流れる新緑だけが視界を埋め尽くす。
その木の根元に、かつての家屋が埋もれていた。自然は、偉大なんだなって。しみじみと感じた。
「姉さん、二人の様子は?」
「相変わらずだね。でも呼吸は安定している。心音も――シルバ?」
「大丈夫ですよ。私と、カルパで常にモニタリングしています」
「お任せください、全力で見ています」
「……ちょっと、ブロンデに似ている?」
「失礼なイブキ様ですね。妹なんですから、当然ではありませんか」
曲がりくねった山道、それに途中のトンネルも、何だかもう懐かしい。
結果的に綺麗に保存されていたインフラが、僕らを快適に運んでくれる。さすがに火山灰の重みで、目に入る家屋の大半が潰えて、急速に伸びた庭木に埋もれていた。
そうして辿り着いた先は、懐かしの我が家だった。
「ここが、イブキの育った場所なのね」
「うん。隣が、郷田さんの家かな」
「本当に、近所のおじ様だったのですね」
潰れた家に、そっと。メディアップル大樹の枝先を添える。
The house will be rebuilt. It will remain there, just as it was in the memories of that day.
輝きながら、育った庭木を巻き込みつつ家が修復されていく。同じように、郷田さんの家も蘇らせた。
「もう……驚かねぇって、決めてたんだがなぁ」
唖然とする郷田さんを横目に、懐かしの我が家に入った。
布団に寝かされた父と母を、甲斐甲斐しくシルバとカルパが見ている。それを、姉の桃華と、幸彦さんが見つめていた。
ここだけが、戻っていない。
「イブキ、魔法は――」
「できると思うよ。でもなんか違う気がして、躊躇っている。僕の使う魔法はさ、確かに直している。治すし、修復もする」
「でも違いますよ。確実に存在値は、変化しています」
「どういうことなのよ、ブロンデ?」
「記憶と、記録を参照し、最適化する。確かに見た目や性格はそのままに見えますが、全く違っています。桃華様を見れば、分かりますよね?」
あれは必然だった。
命の灯火が消える寸前で、僕も余計なことを考えている場合ではなかった。
だから姉は。柏崎桃華は、半分機械になった。
でも結果的に、生きている。そしてそんな姉を、幸彦さんもしっかり認めてくれている。
「でも父と母は、眠らされただけなんだ。シルバに調べて貰ったら、使われていたのは、ちょっと強力な睡眠薬だった」
「でも、意識が戻らないわ。危険が危ないわよ」
思わず笑みが漏れる。
このタイミングで、その台詞って。
だから、取り出した。
エリクシル。残っていた最後の2本。それを、ミモザの手に委ねた。
「あの時、方舟でさ。父さんと母さんにとって、ミモザは義理なのに。父さん母さんにとって、ミモザはちゃんと娘だった。だったらこれを、ミモザの分身だよね。託すよ」
「まだ、持っていたの?」
「物語的に美味しいことに、最後の2本だよ。それをミモザに、使って欲しいかな」
目尻に涙を浮かべて、両親の元に駆けていく。
ミモザの背中が、弾んでいた。この役目は、間違いなく僕じゃない。
僕は庭に出た。
「さすがに、不器用が過ぎませんか?」
「いいんだよ。息子なんて、そんなもんじゃないかな」
「ちょっとだけ、もどかしい私がいます」
見上げた空には、太陽が光り輝いていて、少しだけ広がった雲が白く浮かんでいた。
夏かな、それとも春かな?
もしかしたら、秋なのかも知れない。
背後から歓声が聞こえた。
郷田さんと香津美さんが、玄関に駆け込んでいくのが見えた。
「行くのですね」
「うん。みんなが落ち着いたら、僕らは行かなきゃ」
「もちろん私も、付いていきますよ」
「当然だよ誰が置いてなんかいくもんか。ミモザも連れて行くよ、二人と一機。ずっと一緒だよ」
全てが終わったら僕は。
この世界において、確実に異物な僕は――
青く澄んだ空は、どこまでも遠かった。




