97.せかいのおわり
「どの面下げて、戻ってきやがって……」
握られた拳が力なく、僕の胸を叩く。
こんな、涙に濡れた郷田さんを見たのは、初めてかも知れない。
朝日が昇り、灰にまみれた世界が少しだけ明るくなった朝。僕らは、結婚式場ビルに戻って、エントランスに入った。
シルバとカルパが押す車椅子には、父と母が眠っている。駆け寄った姉が、恐る恐る伸ばした手で、母に触れた。
「少し見ない間に、ずいぶんやつれた気がするな。でも父と母か、ほんとに弟は……私たちが動けないのも、計算のうちだったのだろうな」
「ごめん、姉さん。でも連れて帰ってきた」
「そうだな。本当に、大きくなったよ」
香津美さんが、そっと横から郷田さんを。広志さんを支える。
涙に濡れた姉の後ろには、優しい顔の幸彦さん。
僕が守れた世界は、確かにここにあった。
その横で、機人達が扉に、ブロンデの額に帰って行く。
「篤輝、二人は。篤紀と芽依は、眠っているだけなのか……!?」
「正確には、眠らされていた。かな」
車椅子を押すシルバとカルパの後を、姉と幸彦さんが付いていく。
残った僕たちは、一旦食堂まで移動した。郷田夫婦が並んで座って、その対面に僕ら。いつもの二人と一機が腰を下ろした。
機人が押してきたティーカートから、緑茶のいい香りが漂ってくる。
「ともあれまあ、全員が無事で安心したよ。ちょっと前まで、お前の姉の桃華が、大騒ぎだったんだからな。篤輝を追う、って」
「でも、手段がなかった」
「そうなんだよな。防護服もない、例のロボットもない。俺だって焦ったさ。でもそれ以上に香津美がいたから――」
顔を見合わせてはにかむ二人に、やっぱり結婚式、やって良かったなって思った。
ただ、どうしよう。
この空気の中で、投下するような話じゃないんだけど。
「いいぜ、篤輝。俺たちのことは、気にしなくていい」
「そうよ。広志さんみたいに現場じゃないけれど、私だって自衛官なのよ。話、聞かせて欲しいわ」
「……声に出ていた?」
「昔からな、お前は顔に出るんだよ。飄々とした顔がよ、妙に真剣な顔になるんだ」
敵わないなって、思った。
口に運んだ緑茶が思ったよりも苦くて、思わずしかめっ面になる。
軽く息を吐いて外を見ると、想定以上に暗くなっていて、しかめっ面を通り越して渋面になった。
「ここに戻る途中で、海底火山が大噴火した。たぶん、最大規模だと思う」
「おい、まてまて。方舟の航路は、俺でも把握している。日本を出た後は、北極点を経由してアイスランドに向かっていたはずだ」
「僕らは、その北極点付近で父さんと母さんを奪還して、まっすぐここまで戻ってきた」
「ちょっと待って欲しいわ。私でも分かるわ広志さん。見えるはずがないって、そう言いたいのね?」
「ああ、そうだ。タム山塊だろう? あれは死火山だったはずだが、半年前に急に噴火した。だが、日本からは1600キロ離れている……もしかして、見えたのか?」
僕は、ゆっくりと頷いた。
誰かの、息を呑み込む音が聞こえる。
渇いた喉を潤して、カップを置く音が少しずつズレてて、音の異常さが際立った。
郷田さんが頭を抱える。
「見間違いじゃ……ないんだな。どうすりゃいい、本格的な氷河期が来るじゃねえか」
「少なくとも方舟は、世界を回るはずです。イブキ様と、約束していましたから」
「え、もしかして。あの通りがかりのおじさん?」
「ええ。船長でしたよ」
「……マジか」
僕、びっくり。
スニークミッションを頑張って、農業層の一角まで行った。そこで父と母を回収して、外にいたおじさん。確かに、農場に似つかないスーツ姿だったけれど、まさか船長だと思わなくて。
「イブキ、『何が起きているんだ』って聞かれていたわね」
「うん、だから。『方舟に、思い出して貰っただけだよ』って、答えたよ?」
「その後ですね、『なら、世界を助けられるのか?』って、聞かれていましたね」
「だから僕は、『舟に聞いてよ、お願いはしたから』って言ったっけ」
……?
よく考えたら、変な会話だぞ?
「で、どうなったんだよ」
「魔式も組んでおいたからさ、携帯電話で『教えて魔式さん』やったんじゃないかな」
「マシキって何だよ?」
「ただのAIだよ。名前は、方舟だったと思うよ」
「……意味、わかんねぇよ」
でも、エネルギーと資源の問題が解決するだろうから、ディストピアじゃなくなると思うんだ。本当に、極限状態だったし。
魔式も、昔ミモザと姉が作ったものを、方舟に再現して貰ったものなんだ。だから、僕の知っている『マシキ』とは、全く違う存在だった。
だけど、どうする。
この星もう終わりだよな。
「イブキ、いいんじゃないかしら。いつもので」
「そうですイブキ様。ここまでやって、何をためらっているのですか」
「何だか知らないがよ。なにか、やりようがあるんだろう? 篤輝なら、まあその『何か』やっていいんじゃねえか?」
「広志さん、何でそこまで信頼してるの?」
香津美さんが、不思議そうに首を傾げる。
「はは、だってよ。ほんの子供の頃だぞ、こいつは河童と友達だったんだぜ。ついでに、ツチノコすら飼っていたんだから、今さらだろうよ」
「……ツチノコ? あの、ツチノコ?」
「おうよ、そのツチノコ。だから、俺の自慢の義息子だ。篤紀いるから、義息子ですらないんだけどな」
そう言いながら、僕を見る郷田さんの目はとても優しくて、胸が熱くなった。
言われればそうだ。一時期周りが、妖怪まみれだった。
まあ、確かに今さらか。
「僕はさ、まだ世界が見たい。もっと、色々見て回りたい。だから、いいよね――」
椅子から立ち上がって、食堂からメインホールへ。そしてそのままエントランスを抜けて、外に出た。
後ろを全員付いてくる。
そっとお願いした忖度魔法は、外に出たみんなを防護膜で包み込んでくれる。
手のひらの中。
あの時とは違うけれど、やりたいことは一緒だ。
魔力を結晶化させて、そして星へ。
「……できた」
小さな煌めきがゆっくりと膨らんでいって、やがて丸い虹色の結晶が生まれた。さらにそこに、願いを込めてと魔力を込めていく。
煌めきが輝きへ、そして燦爛とした光が僕の手のひらから溢れ出す。
「いくよ、虹色結晶――」
それを左手に、右手には最近お気に入りのメディアップル大樹の枝。
The Earth will never end. My wish, our wish, is that the Earth may continue to nurture life in peace forever. So please accept my magic.
記述し、ピリオドを打つ。
柔らかい風が巻き上がる。
うず高く積もった火山灰が、僕の周りから光の粒に変わっていく。
「綺麗ね、広志さん……」
「ほんとに、篤輝は。言葉が出ねぇ――」
風が変わる。
空気が、灰色から純白に。防護膜の魔法が、そっと役目を終えて消えた。
「……ちょっと、やり過ぎじゃないかしら」
「いいと思いますよ。イブキ様ですし」
「そうよね。今さらだわ」
足元から、緑が芽吹く。
僕はしゃがみ込むと、その緑の大地にそっと虹色結晶を転がした。
トプンと。
沈んでいく。
光が、溢れ出した――




