94.暗雲
「それは、すごい濃いな。私の想定以上だよ」
昨夜からの検査で問題なかったみたいで、少し待っていたら姉が退院した。そのまま、病院の食堂に移動する。
昼時を過ぎて時間が経っていたこともあって、食堂は空いていてた。僕らは窓際の、表通りが見えるテーブルに座った。ちょうど郷田さんが、蛸星人一行を率いて歩いて行くのが見える。
まだ一日だぞ? 溶け込みすぎだろう。
「イブキがバイクを追って、そこで離れたらもう会えなくなると思って」
「私もです。必死でしがみ付きました、いい匂いがしました」
「……ブロンデ、それ関係ないよね?」
僕らのいつもの会話に、姉が笑う。その穏やかな顔には、少しだけ疲労の影が見えた。
行方不明になって5年だもんな。待っていたのは、僕じゃないかも知れないけれど、でも僕にとっては間違いなく姉だ。
「またその顔は、余計なことを考えているな。私が、例え幾多の世界を渡ってきたとしても、実の弟を間違えるわけがないじゃないか」
「なんで、そんなに自信満々なのさ」
「何でって――」
その、慈しむような視線に。それが例え、機械眼だったとしても、何だか妙に恥ずかしくて思わず視線を反らした。
「そうやって、いつも弟は。私が見つめると目を反らすんだ。気づいてた?」
「……」
父と母、それに姉にはいつもからかわれていた。
でも最後は、みんなの目を順に見て、その都度そらしていたっけ。だって、すごく優しい目だったから。
そして視線を戻す。
今度は何だか、泣きそうな顔に変わっていた。
「弟よ……いや、違うな。篤輝、お願いというか頼みがあるんだが」
「うん、何? 父と母が囚われたとか言う?」
「……な、何で……それを?」
「姉さんがその顔をする時ってさ、本当に困った時だけなんだ。だったら今だと、父と母かなって。もちろん力になるよ」
隣でミモザが頷いている。
ブロンデは、なんでそこで僕の頭を撫でるのかな。いや、ずっと背後に立っているのは知っていたけれど。座ってくれないのも。
両手で顔を覆って、大きく息を吐いた姉は、顔を上げるとしっかり僕の目を見つめてきた。
「野田勇次。自衛隊の幕僚長なんだが、母方の親戚にあたる。我々からすれば、やや遠縁の叔父だ」
「聞いたことはあるかな、前に姉さんから」
「そうか。あっちでは私が野田勇次に頼ったのか……」
あの時は、確かに頼りになったな。
彼のおかげで、東京湾の浮島から輸送船に乗って、方舟に乗り込むことができた。
でもそれとは違うのか。声色が、何だか憤りを含んでいる。
「父と母は方舟に乗って、北極点に向かっている。私は必死に止めたんだが、弟を失ったショックを引きずっていてな。数ヶ月前に、連絡船で別れたんだ」
「なにか……まずいの?」
「方舟での扱いは、恐らく農奴だ。その後で知ったんだがあそこは、ディストピアだった」
沈黙が、重い。
何だろう、何がどうなっているんだ?
「桃華義姉さん、どういうことなのよ。だって方舟って言ったら、移民船よね? 宇宙に飛ぶんでしょう?」
「ああ。初期の計画では、それを目指していた。だがね、結局最後まで技術が追いつかなかった。そして、方舟は計画都市に成り下がった」
日本政府は、外宇宙移民船計画の方舟から、完全に手を引いた。
そして、次の大噴火で地球には、本格的な氷河期が来る。
これは確定情報らしい。
世界的な状態は、あの時と一緒だ。たまたま僕らは方舟に乗って、その大噴火で、宇宙へ飛び立つことができた。あれは、今思えば奇跡だったのかな。
でもこの今の地球では、ここにいる。方舟に、僕たちはいない。
「日本には、世界各国を回った最後に寄港してね、その時に気がつくべきだったんだ。主要各国の政府高官が乗っていてね、移民船の空気すら何かこう……重かった」
「つまりあれですね、桃華様。完全な身分分けされた格差社会が形成されている可能性が、高いと」
「今はもう。後悔しかない……」
僕の知っている歴史と、違う。違うけど、まあそれだけか。
「じゃあさ、電話して聞いてみようよ」
「……いや、弟よ。何を言っているんだ?」
未だに僕の頭を撫でているブロンデに、振り返って視線を送ると、いい顔で頷いてくれた。
顔を戻すと、困惑した姉がミモザを見るも、同じように頷かれて、さらに困惑を深めていた。何だろう、こんな姉の姿は見た記憶がなくて、すごく新鮮に感じる。
腰元に浮かんでいる携帯電話をたぐり寄せて、電話帳を確認。うん、父の電話番号は登録されている。
迷わず、タップした。
『……ちょっと待て芽依、篤輝の番号なんだ。俺も手が震えている』
電話口から、懐かしい声が聞こえる。
正面にいる姉の目が、驚愕に見開かれている。
「父さん?」
『……あ、篤輝……なの、か?』
「うん、僕だよ。何だか大変なことになっているんだって? 姉さんから聞いたよ」
『桃華も、一緒なのか? そうか、俺たちは……』
「ねえ父さん。助けが必要?」
言葉が、途切れる。
姉が息を呑む声が聞こえる。
『助けて……欲しい、が。無理だ、完全に管理され『何をしている!! それは何だ!?』まずいっ――』
そして、通話が切れた。
息を吐き出す。
まあ、そう言うことか。返して貰うぞ、僕の家族。
「さて、姉さん」
「あ、ああ。なな、何かな弟よ」
「安全圏で待つか、このまま一緒に行くか選んでよ。ちなみに、置いていくのは無し。危険が危なすぎる」
「ちょっとイブキ、危険は危険よ?」
「そうですよ。危険が棄権してしまいますよ」
「ブロンデそれ、字が違う。それにそろそろ頭撫でるの、やめにしない?」
「まだまだ全力で、撫でさせていただきます」
僕らの掛け合いに、こわばっていた姉の身体から、力が抜けたのが分かった。
そして、眩しいものを見るような。そんな視線で僕を見て来る。
「だったら、安全な場所で見ていようかな」
「一緒に行くんだね、任せて。絶対に守ってみせるから」
「えっ……違っ、そっちじゃなくてだな……」
「さすが桃華義姉さんね。特等席で、イブキの勇姿を見るわよ」
「いや……だから、だな。そうじゃなくて」
そうして、僕らが立ち上がったそのタイミングで、食堂の扉が勢いよく開いた。
「話は聞かせて貰った、俺も行くぞ」
「わかった、ならまず。木曽にある自衛隊の木曾出張所に行かなきゃだね」
「いや待て篤輝。そこは、連れて行けないって、断る場面じゃないのか? いやそもそも、断られても行くつもりだったが。だが、なぜ出張所?」
「香津美さんも連れて行かなきゃ。結婚、するんでしょ」
「ぐはっ、なぜそれを!?」
さあ、スニークミッション開始だ。
なお木曾の出張所まで防護ロボコンに乗って空を飛んだ際、姉が狂喜乱舞した。
ロボット、好きだったからなぁ。飛行機形態に変形するのが欲しいって言われたから、また今度ブロンデと開発しようかな。
ちなみに姉。ブロンデに追跡して貰っていなかったら、普通に行方不明になっていたよ。
教訓。
姉に、ロボットを与えてはいけない。




