92.蛸星人
追いかける足が震えている。
近づきながらあらためて見ると、このシェルターは大きい。
昔、公式の資料で読んだサイズだと、東京ドームの倍サイズだとか。もっとも、地下都市がメインだから、地上部分は行政や一時保管の倉庫なんかで、面白みはなかったような記憶がある。
自衛隊の駐屯地なんかもあって、実際に民間人が用があったのって中央通路と、その先の地下通路まで。色々と緊急事態だったし、立ち入り区域は制限されていたっけ。
そしてここの地下に、僕の部屋は存在していない。
「イブキ、遅いわよ。郷田さんが先に中に突入していったわ」
「え、待って。あの正面ゲートは……?」
「郷田さんよ!」
左右にスライドするはずの重厚な金属ゲートは、強引に開けたんだろう。下端がひん曲がっていて、二度と動かないだろうことは分かった。ただ間違いなく、通れる。
郷田さん、防護服の出力高いの忘れていたんだろうな……。
周囲に人影はなく、確実に異常事態であることは分かる。
ぎゅっと、正面からミモザが抱きついてきた。防護服越しに、震えているのが分かる。ミモザも怖かった、焦っていた。でも、足が止まっていたのは僕だけだった。
「桃華さんは、大切な義姉よ。その思いは、イブキと変わらないわ。だから、行こ?」
「ありがとう。行こう」
「後ろは私に任せてください。殲滅します」
「うん。有事の際は頼む」
そうして僕らは、黒煙立ち上る松本シェルターに足を踏み入れる。
そして、今度こそ僕の。僕らの足は止まった。
「おう、中にはもう誰もいないんだな?」
「ハイ。モウダレモ、トウジョウシテイマセン。ゴメイワクヲ、オカケシマス」
「じゃあ一旦、ドームの外に運ぶぞ」
「オネガイシマス」
郷田さんが、やらかしている。
円盤形の宇宙船が刺さっていたんだろう。地面には大きく三日月型の穴が開いていて、当然周囲の建物は破砕、倒壊している。
蛸型星人が右往左往していて、さらに松本シェルター内の人員も右往左往している。
その中心で、郷田さんが円盤形の宇宙船を片手で持ち上げていた。あの人、適応するの早すぎじゃないか?
でも。おかげで緊張は抜けた。
そして膝を曲げてタメを作った郷田さんが、一飛びでシェルターの壁を飛び越えて、円盤形の宇宙船とともに外に消えていった。
「姉さんは……?」
「見える範囲にはいないわ、どこにいるのかしら」
死者はたぶん出ている。
そしてもしかしたら、その中に姉も含まれているかも知れない。
「捕捉しました。地下ですね、記録にある心音は遥か下。ただ、想定以上に弱いです」
「絶対に、間に合わせる!!」
「ええ当然よ、行きましょう」
現場が慌ただしいおかげで、僕らが目立っていない。そこにあの、昔の白黒写真にあった蛸型の……待って、あれって海月型の宇宙人じゃなかったか?
まあいいか。蛸型の宇宙人がいることで、僕らが目立っていない。
人波と蛸波をすり抜けて、奇跡的に口を開けている地下通路の入り口に足を踏み入れた。
ここからは慎重に。それでいて迅速に。
「電源が落ちている……」
非常灯すら灯っていない真っ暗闇。当たり前のように、僕とミモザに視界強化の魔法がかかる。暗いのは一瞬で、一気に視界が開けた。
人が通路に倒れて蹲っている。遠くの方から叫び声が聞こえて、咳き込む音や、呻き声なんかも聞こえてくる。なかなかにカオスだ。
短い廊下の突き当たりから折り返し階段を下りて、ホールに到着した。
「まずいわね、崩落しているわ」
「床も抜けていますね、連鎖崩落でしょうか」
駆け出した。
要救助者とか、いっぱいいるけれどそれよりも――
「明かりを100機ほど置いていきます。LEDランタン辺りを置いていけば、あとは何とかするでしょう」
「食料も不足するわね。昔イブキと買った、栄養バー箱売りを10箱置いていけばいいわね」
後ろの、ミモザとブロンデの言葉が耳を流れ抜けていく。
足がもつれて、階段を転げ落ちた。手を引かれて、うまく立ち上がれた。笑顔のミモザが、僕を先導してくれる。
「ほら、しっかりするのよ。まだ桃華さん、生きているわ」
「そうですよイブキ様。ちゃんと反応は追えていますますから」
「ありが、とう――」
そうして地下10階。
そこは、完全に埋まっていた。
「もしかして、元の地球の僕の部屋……?」
記憶が、流れ込んでくる。
視界が白く染まって視界が重なる。
「イブキ、どうしたの? 目が赤く光っているわ」
「視線ビームを会得しましたか、いよいよ私たちの側に来る覚悟ができましたか? おや、イブキ……様?」
「ちょっと、待ってよ。イブキっ! ねえってば、イブキッッ」
ミモザとブロンデの声が、遠くなっていく。
そして、一歩踏み出した。
何もない廊下と、土の壁が重なってブレるように見えている。
僕が進むのは、何もない廊下の方だ。
二歩目を、進む。抵抗は、何もない。
さらに三歩、四歩――
「イブキ、どうなって――」
着ていた防護服が土壁で止まって、そのまま僕だけがすり抜ける。
背後でミモザが僕を追って、土壁で止まったのが分かった。防護服のグローブを突き立てて土壁を掘ろうとするミモザと、僕の防護服を抱えて呆然とするブロンデが見えた。
視点を前に向ける。
この通路は、記憶にある松本シェルターの通路と、全く一緒だ。ただ重なって見えている片方は、完全に土に埋まっている。
そのまま迷わず、通路を進んだ。
フロアロビーがあって、正面と左右の壁に通路が延びている。そしてその通路、右の一番奥に向かった。その通路の突き当たりに、僕の部屋がある。
僕の部屋の扉を開ける。
そうして見えたのは、姉の部屋に胸まで土砂に埋まっている、姉の姿。
顔の側には、携帯電話が転がった岩に潰れていた。生きていたのは奇跡。
それも、少しでも遅かったら、その命の灯火は失われていた。
そんな希有なタイミングで僕は、ここにいる。
「エリクシルは……あるな、あの日のままだ」
ふと、思い立って。僕の部屋、デスクの上にあるノートパソコンを虹色宝箱に収納した。そして今度は、反対側の棚にあるエリクシルの筒。防護服の予備電池を手に持った。
電池の蓋を外して、エリクシルを。紫色のその液体を姉の口元に宛がう。
「姉さん、飲んで……」
口元から紫色の光が、身体に伝播していく。
土気色だった肌が、綺麗な肌色に変わって、細かった息が徐々に穏やかになっていった。
目眩がして、膝を突く。まずいなもう、時間がない。
姉の部屋から姉を抱きかかえると、僕の部屋から廊下へ。そして崩れ落ちたミモザの横に、僕は辿り着いた。
「え……イブキ、どうなって」
「ミモザ。姉さんを、お願い――」
崩れ落ちながら、手渡した姉を横からブロンデがそっと抱き留めた。僕はそのまま、床にしゃがみ込んでいたミモザに向かって倒れ込んで。
「ちょっと、イブキ? ねえ、イブキ――」
僕の意識は、闇に沈んでいった。




