90.桃華がいない
「おい、篤輝――」
未だに向けられたままの銃口。
突発的に動いたはいいけれど、考えてみたら状況は最悪だ。これ普通に自衛隊と敵対している構図だよな。ヤバい、どうしよ。
深呼吸をする。今になって、身体が震えてきた。
でも後ろから抱きついてくれているミモザのおかげで、徐々に落ち着く。ほんとに、ありがたい。
「イブキ様。拡声を」
「ブロンデ何を――」
耳元に聞こえた声に顔だけ向けると、ブロンデが抱き合って震えているオーク親子に近づいてしゃがみ込むところだった。
魔法を。僕の魔法にお願いする。
遠くまでは聞こえなくていい。いまここに、この場所にいる人たちの耳元に、優しく聞こえるように。
「どちらから、いらしたのですか?」
『お、オレらは。パルティナ村だが……そこで、虹色の渦に吸い込まれたんだ……』
「ではここの場所に見覚えはありますか?」
『ここ――』
たぶん父親か。一番体格がいいオークが辺りを見回す。
ふと僕は上を見上げた。虹色の、空間の揺らぎが、柔らかい光を発して解けるように消えていった。
揺らぎが――無くなった?
『ここは、俺たちのいたパルティナ村と、同じ場所? ……です。でも何かが違う……ます』
「しゃべり方、無理に真似しなくていいですよ。それで、何があったのですか?」
銃口が一つ、下がる。
『気温が下がって、植物が枯れて。あっという間で、何が起きたのか……』
「ここと比べて、違いはありますか?」
『似ている。同じように空が、真っ暗になって。その空から砂が降ってきた』
全ての銃口が下がるのに、それほど時間はかからなかった。
震えるオーク達は、確かに言われてみれば冬の装いだ。厚手のコートが、どれだけ寒かったのかを容易に想像できた。
そして、それまで目を瞑っていた郷田さんが、僕の目をしっかりと見て頷いてきた。
「全員、俺の後ろだ。集まれ! 対象を、保護対象に指定する」
「ですが、部隊長!」
「姿が何だ。俺たちは、怪異に遭遇するなんざ、日常茶飯事だっただろう。伝令、頼む」
「全隊員に伝達! 武装を解除の後、救護体制に移行!!」
「「はっ!」」
そこからは早かった。
ブロンデがすぐに金属壁を消して、数名の自衛隊員がオークをテントに連れて行った。そこに敵対など無く、純粋に保護の対応。ほんとに頭が下がる思いだった。日本の自衛隊、いい意味でやばすぎだろう。
そうして平穏が戻ったタイミングで、郷田さんが歩み寄ってきた。
「すまんかったな。オークの家族は、自衛隊で責任を持って預かる。それとも、篤輝に当てがあったりするのか?」
「具体的には、どうなるんだ?」
「木曾の出張所で保護までだな。それ以上は、受け入れ先がない。日本の行政がな、8割方麻痺しているんだ。肝心のシェルターは部外者お断りの上、選民意識の塊だ」
「既に、格差社会が形成されている?」
「ああ。その通りだ」
テントに案内されて付いていく。
入り口の二重になった遮蔽幕を通り、中に入るとオークの親子がいた。温かいお茶が出されているみたいで、恐縮しながら飲んでいる。子供二人には、オレンジジュースが出されていた。
僕たちに気がついて会釈してきたから、手を振って応えた。
「お茶かコーヒーしか出せないが」
「それなら、コーヒーを貰える? できれば、ブロンデの分もお願いできるかな」
「ははは、凄いな。了解した。ちょっと待ってろ」
テーブルに着く。
やっぱり思ったより隊員が少ない。
それに待って、姉は?
「ほらよ。どうした難しい顔して?」
「姉さんは。桃華は、いないの?」
コーヒーを置く手が一瞬止まる。
顔を見ると、何だか渋い顔をしていた。つまり、ここにはいない。
「恐らくな、すれ違いだ。多分だが、大学から直接連絡が行ったんだろう。どこですれ違ったのかすら、わからん」
「津田多実子教授……か。あの後か」
「知っているのか?」
「郷田さんに、連絡を付けてくれるって言っていた人」
「確かに連絡くれたのは、女の人だったが」
でも僕はあの時、多実子さんに名前を名乗った記憶はない。
「だが、失踪当時のお前の写真は、知り合いには配られていた。おそらくどこかのタイミングで気づき、連絡が行った可能性はある」
「確かに多実子さんと姉さん、知り合いだった」
「そうなのか?」
「うん。前に僕のいた地球での話だけど」
「ぶはっ、何だよそりゃ。まるで世界を移動したみたいな……待て、本当にそうなのか?」
破顔一転。真剣な顔つきになった郷田さんに、しっかりと頷く。
「郷田様。コーヒーのお代わりをいただけませんか?」
「あ、ああ……」
呆然となった郷田さんが、コーヒーカップを持って奥に歩いて行く。何だか、足元が心許ない気がするが。
「イブキ。オークの親子だけれど、しばらくブロンデの、機人の衛星で保護して貰ったらどうかしら」
「私の方は問題ありません。すぐに手配できますが?」
「ありがとう。郷田さんが戻ってきてら、提案してみるよ」
「あと桃華さんが向かった先って、もしかして松本のシェルターなんじゃないかしら」
それは。
「それは、すれ違うわけだな。ほら、コーヒーのお代わりだ」
「郷田さんも同じ考えかしら?」
「考えてみりゃ分かることだった。電話口の依頼は『難民をシェルターに』だった。篤輝じゃなかったら、そうしていた」
結果的に、オーク親子はブロンデ額にある、機人の衛星に保護することになった。まあまた、郷田さんをはじめ自衛隊のみんなが、びくりして固まっていたけれど。
この場所に空間の揺らぎがなくなったことで、自衛隊も撤収することになった。
もともと姉の希望で、空間の揺らぎを探していて、家屋調査をしていた自衛隊員が、偶然見つけて郷田さん経由で姉に伝わったらしい。
僕が、姉の目の前で、空間の揺らぎに消えて。それで探し続けていた。さすがに、そんな状況だったなんて、知らなかった。
「ああ、こちらは揺らぎの現場だ。そうだな、篤輝はいま俺と一緒にいる。無事だよ」
そして自衛隊だけど、この先に大学関連の研究村があって、そこの機材の撤収を依頼されていたのだとか。
その道すがら、自衛隊員が空間の揺らぎを見つけた――
こんな偶然もあるのか。
その研究村は、僕も使っていた時がある。あの時に発見したのが、黒紫蝶。後にエリクシルの原料になる、紫色の綺麗な花だ。
あそこが僕の、人生の岐路だと思っていた。
「篤輝。桃華から電話が入っている。ほら、話をしろよ」
思わずミモザと顔を見合わせた。
「私は? イブキ様。私とも顔を合わせてください……」
「変わって貰っても……いいの?」
「ああ。もちろんだ。ただ少し声が遠い。電波は問題ないはずなんだが」
震える手で、郷田さんの手から携帯電話を受け取った。そっと、耳に当てる。
「えっと……僕だよ。篤輝だよ。姉さん?」
そして声が途切れる――
『篤輝、助けて――』
そう、聞こえた気がした。
慌てて、リダイヤルするも、無情にも電波が届かない旨の、無情なアナウンスが流れるだけ。
何回も、何回も――
「篤輝。泣いているのか、何があった!?」
「イブキ、電話が壊れちゃうわよ!!」
連打する指が、止まる。
大きく、息を吐き出した。
「場所は? どこなの、郷田さん」
「松本だ。松本シェルターからの、着電だった」
「わかった。ありがとう」
立ち上がり、ミモザを。ブロンデを見た。
そして、がっしりとした大きな手が、僕の肩を掴む。
「俺も、連れて行け――」
待ってろ、松本シェルター。
そして。待ってて、僕の姉――




