88.虹色の揺らぎ
「ここは……?」
防護膜の魔法が、発動した。僕とミモザを、そっと包み込む。
周りには、火山灰に埋もれた自転車とバイクが、乱雑に並んでいた。
そして目の前には、一つだけ綺麗な僕のバイク。
何となく見たことがある駐輪場に、思わず息を呑み込んでいた。
「ねえイブキ。もしかしてここ、信濃大学なんじゃないかしら?」
「つまり地球ですか。記録にある地球は、いつも方舟の近くでしたが……この景色は、いずれの記録にもないですね」
腕に抱きついたミモザが、さらに腕を締め付ける。背中のブロンデは、金属お胸が刺さっていて痛い。
僕らはまた世界線を移動していた。
でも今回は、僕の選択。
そっと、バイクに触れていた手を離した。
懐かしかった。忘れかけていた望郷の思いが、止められなかった。
そしてここには、きっと家族がいる。
「泣いているの、イブキ……?」
「えっ……僕……」
触れた頬は確かに湿っていて、気がつけば視界が滲んで見えなくなっていた。溢れた想いが胸を埋め尽くす。
気づけば僕は、その場に崩れ落ちかけて――でも崩れ落ちなかった。
「イブキ、ずっと一緒にいるわ。だから――」
ミモザの思いが。
「イブキ様。あなたの背中は、私が守ります。だから――」
ブロンデの支えが。
「ああそうか。だから僕は、まだ歩いて行ける」
すっと、胸が軽くなる。
世界を移動しすぎて、もうどこが正しいのか。何が正解なのか。心の中に不安とか、焦燥とか、そういうものが渦巻いていた。
でもそういうものだから、生きていれば何とかなるって。ずっと思っていたけれど、思い込んでいただけだったみたい。
でもそうか、僕は独りじゃない。
「ありがとう」
「どういたしまして。かしら? 憶えているわよ。この大学は、始まりにして原点よ。ここに戻れたのには意味があるはずよ」
「ところで、イブキ様。私のお胸は飾りですので、どうかお気になさらず」
「でも刺さったら痛いよね?」
「ええ。それは、そう」
やっぱり、ミモザとブロンデがいてくれて、よかった。
心から思った。
大学の玄関前。
持っていたマイナンバーカードの認証が通らなくて、僕は呆然としていた。名前とか、基本データは篤輝のままだから、認証が通らないはずがないんだけど。
「あの時は、イブキ。白い髪に、瞳の色も白っぽい青だったわね。それでも認証が通っていた」
「え、ミモザはまだ、黒紫蝶の結晶だった時だよね?」
「黒紫蝶の花の頃から、イブキのことは見ていたわ。篤輝がイブキに変わった時は、心臓が止まるかと思ったもの」
「でも残念ながら、ミモザ様には心臓が存在していませんでしたね」
「真実はいつも、胸の中にあるわ」
「それは何の哲学なのか」
ともあれ、現状だと立ち往生のまま。
周囲を見回すも、玄関前の火山灰は掃き出されているものの、人の気配は全くない。なんなら、中のロビーに灯っているのは非常灯だけ。
「よし、突破するか」
「ふふふ。いいと思うわよ」
「ではガラスを割りますか、派手に逝きましょう」
「割らないからね。開けるだけだからね」
ドアに手をかざし、魔法にお願いする。
認証がグリーンに変わって、自動ドアが開いた。
正直、あまり使いたくはないな。心が軋む。
僕のこの魔法が万能なことは、ずっと一緒に過ごしてきたから知っている。でもだからこそ、こんな使い方はしたくない。
「一緒にいるわ。責任も、一緒よ」
「うん。ありがとう」
「しかし破砕すれば、私の責任ですよ?」
「ここに僕も一緒にいるから。普通に連帯責任だから」
「……残念です」
チクチク痛んでいた胸が、少しやわらいだ。
そうして向かった先、いつもいた自然植生学の研究室は、それこそいつも通りにそこにあった。
扉の磨りガラスから明かりが見える。
『はいはい、どなたかしら』
扉を叩くと懐かしい声。
津田多実子教授と最後に話をしたのは、確か方舟で宇宙を旅していた時だったか。多実子さんは都市部の植生を管理していたから、ほとんど接点がなくなっていたっけ。
「あら、難民の方かしら。泥棒さんだったら、わざわざ扉なんて叩かないわよね」
「えっと、僕は……」
言葉が、続かなかった。
そこにいたのは確かに僕が知っている津田多実子教授で、笑顔が、ちょっとした仕草や会話のテンポまで、間違いなく本人で。
「今、信濃大学では、難民の受け入れをしていないのよ。設備の維持ができないっていう理由で。来て貰って申し訳ないのだけれど、シェルターに向かって欲しいの」
「……えっと、はい」
でも、僕のことが。
「ちょうど、1時間後に。自衛隊の除灰車が来るわ。それに乗れるように、連絡を入れる。それでいいかしら?」
「お願い、します……」
完全に、知らない感じだった。まるで、最初から他人だったような。
僕は、深く頭を下げることしかできなかった。
ちらっと見えた研究室はいつも通りで、でもそこに僕の机はなくて、代わりに多肉植物の置かれた棚があった。
そして、僕は気づいていた。
多実子さんが後ろ手に、銃を持っていたことを。
「よかったのかしら?」
「うん。僕のマイナンバーカードが、問題ないことは分かったからさ」
「つまり、イブキはここに在籍していない」
「うん……」
ミモザと一緒に、一般支給品の防護服を着る。
性能は最低限。吸気フィルターは今の環境だと、8時間が最大だって。職員のおじさんが説明してくれた。
そのおじさんだって、顔なじみだったから余計にへこむ。
「ブロンデの分は、貰わなくてもよかったのかしら?」
「ワタシハ、ダイジヨウブデスヨ、シンパイゴムヨウ」
「何その話し方、まるで出来損ないのロボットみたいじゃん」
「ソレハ……あー、あー。ロボットっぽくないですか? 絶対にバレない自信があります」
「普通でいいよ。ブロンデは僕の自慢のブロンデなんだから」
「あっ、おっ、言いましたね。絶対に後ろからいなくなりませんからね」
自衛隊の除灰車を待つ間、少し考える。
信濃大学は、僕の知っている大学そのままだった。
でもそこに僕の籍はない。ただそれだけが問題で、他はいつも通り。
どこが、違うんだろう?
「イブキ様、どうやら除灰車が来たみたいですよ」
ブロンデの視線の先を追うと、ちょうど玄関先の車止めに自衛隊車輌が止まった。見覚えのある除灰車から、見覚えのある人が下りてきた。
あれは……郷田さん?
扉脇の認証機にカードをかざし、開いた扉からロビーに入ってきた。
「行きますか」
「シェルターですか、一度入ってみたかったんですよ」
「ふふふ、初めての場所ね。少しだけ、楽しみよ」
立ち上がって、郷田さんの前まで進む。
「あなた達が、シェルター移送を希望の――まて、いや待て。どういうことだよ。俺は、夢でも見ているのか?」
防護服のヘルメットの向こう。
懐かしい郷田さんの顔が、驚愕に染まる。
「お前、もしかして。柏崎篤輝……なのか?」
「僕は……」
「いや、嘘だろう。行方不明になって、五年だぞ!?」
郷田さんの震える手が、僕のヘルメットに触れる。まさか、知っているとは思っていなくて、僕も動けずにいた。
そして目の前の郷田さんの顔が、くしゃりと歪んだ。
「お前のな、姉が。柏崎桃華がな、ずっと諦めずに、必死で探していた。今は木曽にできた虹色の揺らぎ、その調査に行っている」
涙が溢れる。
視界が激しく滲む。
「そうか、無事だったか……」
僕の居場所は、確かにここにあった。




