87.雫
『……なな、なんですか?』
「……」
じっと見つめる。
なぜこれが動いているのか。
全体的に深い紺色の肌で、触れると何かゴムみたいに柔らかい。顔の部分だけ円形に白くて、そこに顔のパーツがある。
目は中心が赤で、周りが真っ黒。うんプチでも悪魔か。
『あの……尻尾は、勘弁してくれませんか……』
「あ、ごめん」
銛みたいな形の尻尾は、やっぱり柔らかい。どうやら、感覚器官も兼ねているみたいだ。ごめん。
頭頂の巻き角は、一巻きだけしていて、何だか可愛らしい。
縄を解くと、おおっ。ちゃんと背中に翼膜系の翼があるじゃないか。
「イブキ、何か分かったのかしら」
「うん。一体欲しいかも」
『ぼぼ、ぼくらは。た、食べられませんよ!?』
「なんで食べられる前提?」
そんなわけで、捕縛したプチデーモンを機人部隊が解放している間、一番近くにいたプチデーモンを観察していたんだけれど、やばい。かわいい。
少し離れた場所では、大輪の花が咲いたようなナナナシアが、プチデーモンに囲まれていた。目の前のプチデーモンに視線を向けて頷くと、頭を下げて駆けていった。
「ナナナシアさん、慕われているね」
「星のコアに、その星のコアの重要施設だった場所よね。だったら本当の意味で再会なのかも知れないわ」
「あの小悪魔ですが。生体反応がありませんから、恐らく管轄としては私と同じ側ではないかと。少なくとも、ここに最初に下りた時には、存在していませんでした」
「あー、確かに真っ暗闇だったもんな」
そうして見上げると、大きく枝を広げた世界樹が、風に吹かれてサラサラと葉音を鳴らしている。
これは壮観だな。
よく見ると、金色のリンゴがたくさん成っている。
『すごいですね、これ全部メディアップルなんですよね』
「何その何とかアップル」
『……待ってください、知っていて再生させたのではないのですか?』
顔を向けると、ナナナシアの笑顔が引きつっている。ほんと何の話?
「つまり、この大樹は世界樹ではないのね?」
『はい。ここの南の魔術塔を作られた、白崎篤紫さんが植えていった、奇跡のリンゴ。メディアップルなのですが……知らずに、大樹化を?」
「だって、イブキよ?」
「そうです。イブキ様ですから、確定犯です」
「そこは、間違えて確信犯って言う場面だよね!?」
見ればプチデーモンのみんなも呆然とその世界樹――もとい、メディアップル大樹を見上げている。なんだなんだ?
『何なんですか、この異常な魔力……』
『でもナナナシア様の魔力と違うわよ』
『もっとこう、色々な色が混じり合ったような。なんと禍々しい』
『でも安心する混沌。終末感が爽やかって、終わってる……』
何ていうか。
「イブキ、ドンマイよ」
「私は信じていますからね、イブキ様」
「……」
相方二人が、辛辣な件について。
そうして現場すら混沌としだしたそのタイミングで、背中に強烈な悪寒が走った。
「ナナナシアっ!」
『ええっ。プチデーモンのみなさん、急いでこのメディアップル大樹の根本から離れて――』
そんな、暇はないんだって!!
行くぞ、僕の魔法!
忖度している暇はない。全力行使だ。
両手を広げて抱きついてきたミモザとブロンデを、両手でしっかりと抱きかかえる。そのまま防護膜でしっかりと包み込んだ。
「みんなも――掴むっ!」
自分たちを一気に射出。目指すは大通りの先にある、あの神殿だ。
僕から伸びた複数の虹色の手が、ナナナシアを、プチデーモン達を包み込んで、勢いのまま引っ張り、背後に引き込んだ。
『うわあああっ!』
『いや、いやぁぁっ』
『きゃあああぁ――』
背後に聞こえる悲鳴は無視。
一際明るくなった周囲に気づいて首を回すと、天蓋の穴から黄金色の雫が大きく膨らんで、そして落ちてくる――。
渦巻く魔力の力場が、メディアップル大樹を激しく揺らす。
引きちぎれた葉が舞い飛んで、黄金色のリンゴが雨のように降り注ぐ。
そして、月の雫が。
メディアップル大樹を圧し潰していく。
枝葉に挟まれた幹がはじけ飛んだ。
粉々になった木片が、地下都市に降り注ぐ。地響きが足元を揺らす。
砂塵を含んだ暴風が僕らを追い越していった。
上を見上げると枝が、大きく広がった枝葉がまっすぐ落ちてくる。
「間に合うかしら」
「まあ、むしろ逃げているのは下敷きになることで、あとの脱出が面倒になるからかな。でもあのまま、あそこで防護膜展開していたら、何か駄目だって。感じたんだよ」
「計測、完了しました。もうすぐ枝の落下範囲外に出られます」
神殿前の広場で止まって振り返った。
ちょっとやり過ぎたかな、見た感じ死屍累々だよ。
ナナナシアが気絶している。プチデーモンも、泡を吹いていたり目を回していたりと、いやまともな状態のプチデーモンなんて一体もいないな。何かごめん。
「見てイブキ、黄金色の雫が吸い込まれていくわ」
「あのイブキ様の作った螺旋通路に、流れ込んでいる気がします」
雫が全て、メディアップル大樹の幹に消えた。
そして、静寂。
「見に――」
「駄目だと思うわよ。ほら次のが来たわ」
いやマジか。
ミモザに言われて天蓋を見上げれば、黄金色に輝く雫が再び膨らんでいた。つまりさっきのは、最初の塊が落ちただけか。
そして膨らんだ雫が、再び落ちてくる。
「衝突しますね、衝撃に備えることをお勧めします。カウント5、4、飛ばしてゼロ――」
咄嗟に、倒れている虹色魔力手に包んだままの死屍累々を、背後に振り回した。
くぐもった声は再び無視。
そして全体を一回り厚い魔力壁で囲んだ。アンカーを、ダンジョン床を突き抜ける様に突き刺した。さあ、来るか。
そして雫が再び地面に落ちる瞬間で――炸裂した。
残っていた枝葉が中心から消滅していく。
黄金色の雫と、下から巻き戻ってきた暗褐色の混沌魔力がせめぎ合い渦巻く。絶え間なく生まれ続ける衝撃に、ダンジョン構成物であるはずのギリシア建築群が、波状に倒壊していく。
それはまさしく、理不尽の権限。
「……これ、僕のせい?」
「ええ……おおむね、そうだと思うわ」
そしてその中心に、虹色の歪みが顕現した。
落ちる雫が、噴き上げる混沌魔力が――止まる――
「これって、いつものよね……」
「うん。たぶんあの、虹色の揺らぎ。僕らをこの世界に送り込んだ、あの空間の揺らぎ……かな」
全ても始まりでもあるんだよな。
最初にあそこに、事故で飛び込んで抜けたから、今の僕がいる。
『あの……震えが止まらないのですけど』
「プチデーモンさん達の所まで、下がっていた方がいいですよ」
側まで来たナナナシアが、遥か遠くまで離れていった。
そんなに、異常なのか。
そして、それは顕れた。
「赤い、バイクかしら……?」
心臓の鼓動が跳ね上がる。
これは、このバイクは――
ふらりと、足が進んだ。
「イブキ、待って」
ミモザが腕にすがりつくも、僕の足は止まらない。
「イブキ様、危険です。下がってください」
身体に抱きついたブロンデすらも、引きずり進む。
そして、バイクに触れた。
視界が、真っ白に染まった――




