80.僕らの進む道
「じゃあなイブキ、元気でやるんだぞ」
「イブキちゃん。またいつか、どこかで会いましょう」
トレント塔の中で、アンジェリーナに背負われたレイジと、拳を重ねる。
上を見上げれば、虹色の雫が溜まっていて、壁際の螺旋階段。その遥か彼方を、ルナリアが駆け上がっているところだった。
もう少ししたら、あの雫が月に向かって落ちていく。
「どうして月に?」
「いやほら。ルナリアが擬人化して、えらい情緒不安定になっているだろう? 何だか俺たちのもう一人の娘、みたいな感じで放っておけないんだ」
「それに、月にはルナリア崇拝の、イエスマン系ウサギさんしかいないじゃない。私とレイジ君が行ってあげないと、孤立しちゃうと思うのよ」
そう言い残して、レイジを背負ったアンジェリーナが、爆速で階段を駆け上がっていった。それを僕は、安心しきった寝顔のミモザを抱えて、見えなくなるまで見送った。
女は強い、そう確信した。
「ごめんなさい、昨日はちょっと感情を暴発させすぎたわ」
「ミモザだけじゃないよ。僕だって、なんか情緒不安定になっていたし。ごめん」
食器を片手に、二人で見つめ合う。
ここがエアロックのあるロビーじゃなかったら、もっと優雅な朝だったんだろうな。
「いい感じに、仲直りできましたね。今夜はお赤飯ですか」
「「いや、喧嘩してないし」」
朝食は和食のフルコース。
焼き鮭にブリの照り焼き、大きな卵焼きにはネギとカニカマが入っている。わかめとシメジのお味噌汁は、ちょっとだけ薄味だ。
ヒジキの煮物は甘辛で、レンコンと大根は唐辛子が効いていて美味しい。高野豆腐の卵とじとか、ブロンデの家事力に脱帽だ。
でもブロンデは、食べる必要が無いんだよな。ほんと、ありがたい。
「それで、なんでエアロックが開きっぱなしなんだ?」
「ただの整備不良ですよ。夜中にトレントと話をしていて、忘れていたなんて、間違えても言いませんよ?」
「睡眠、いらないもんな」
「いいじゃない、どうせ出かけるのよね?」
そう。僕らは、これから地下に潜る。
「でもほんとに、イブキのその……昔のドイツの軍が南極の地下に探索に行ったって話、本当なの?」
「オカルト界隈じゃ、一般的な話だよ。基地があるとか、超古代文明の遺構があるとか」
「でもそれって、地球の話なのよね?」
「レイジさんの話だと、魔術塔直下――今だと、トレントさんの下に、街があるって言っていたし。地球にも、同じようにあるんじゃないかな」
「……ていうか、オカルト?」
それぞれの携帯の収納内と、僕の虹色宝箱内の物資を確認したら準備オッケー。
念のためエアロックが壊れた巨大な小型船を、ブロンデの額にある機人の衛星に収容してもらった。
『そろそろ、行くのかな? 確かにわしの下に、何だか大きな空間があるがの。なぜ今まで、気づかないだのか分からぬが。まぁ、そんなこともあるじゃろ』
「トレント様、お世話になりました。また、会いに来ます」
『ブロンデや、息災での。また別のわしが、世界各地に108体はおるが、見かけたら声をかけておくれ』
「はい、是非」
見上げるとトレントが大きく枝葉を広げていた。
ここに昨日、虹色の雫があって月に落ちていったのが、まるで夢のような。そんな緑いっぱいの視界。
でもここに、ルナリアがいない。昨日までいたレイジとアンジェリーナですら、ここにいないから、たぶん現実。
そういえば、あの夫婦と一緒にいたのって、わずか半日程度だった気がする。
「では、行ってきます。トレント様、ご安全に」
『ぐはははは、いいのぉ。ご安全にじゃ』
「ははは、ご安全に」
「もうブロンデったら。ご安全にね」
いつもの僕ら。
出発だ。
なんて、いい感じに出かけたけれど、いきなり詰まった。
「エレベーター、使えないのは知っていたけれど。でも後ろの通用口の、その先が埋まっているなんて聞いていない」
「レイジさんが魔力焼滅症で暴発して、通路ごと爆発したってことなのかしら」
「イブキ様。邪魔なら、収納してしまえばいいと思いますよ」
「それだっ!」
幸いなことに、瓦礫が大きかったから、収納しながら降りていく。たまに崩落しそうになれば、咄嗟に魔法にお願いして補強して貰う。僕が直接魔法を使うと、たぶんオーバーワークしそうだったから、適材適所だよね。
「長いわね……」
「もう少しで、2時間になります。ここで一旦、休憩にしますか?」
瓦礫に埋もれていたのは最初の30分ほどで、その先は折り返しの階段が延々と続いていた。壁に淡く灯る照明が、遺構が生きているだろうことを、否応なしに期待させてくる。
それにしても、長い。
階層の表示がないせいで、いまどこにいるのかが分からない。
手すりから下を覗くも、遥か彼方が暗く沈んでいるのが見えるだけだ。
「何か風を感じます」
「もう少しかしら? さすがに疲れたわ……」
「階段が終わった……?」
千切れかけた階段が、視界の端でゆっくりと揺れていた。
その先は完全に漆黒の闇の中。巨大な空間が、そこに広がっていた。
そして、僕の魔法が目にかかる。
「すごいわね……」
「確かにこれは、地下都市――」
世界が色で染まった。
僕の魔法が、ミモザとブロンデの目にもかかったらしい。見える世界が一気に色づいた。
そして、視界がブレる。
未来視が、僕の脳を揺らす――
数十億の未来の景色が、僕の記憶を通り過ぎていく。
今から続く未来だけじゃなくて、別の選択、別の生き方をした僕が見るはずだった、全ての未来。その膨大な情報が、脳を焦がす。
これがアンジェリーナが視ていた未来視。これは、キツい。忖度魔法が発動して、僕のことを守ってくれたことが分かった。
その未来の中の1つ、明確に今から続く未来が、意識を埋め尽くす――
「えっと、誰?」
目の前の牢獄には、ミモザにそっくりな幼女が床に座り込んでいた。
凍えるほど寒い場所だって、感覚的に分かる。
『……私? たぶん……ナナナシア?』
ニッコリと、無理矢理笑った儚い笑顔が、僕の胸を締め付ける。
「えっ、マジで?」
『うん。そうだと、思う……』
そして直後に視界が反転。
目の前には、心配そうな顔をしたミモザが、僕の顔を覗き込んでいた。
「ナナナシアがさ、ここにいる」
「ふふふふ、イブキらしいわ。コンプリートじゃない――」
視界が真っ白に染まる。
そんな、本当に短い未来視。
「イブキ、大丈夫? ちょっとだけ、イブキの雰囲気が変わったわ。目的のものは見ることができたから、戻るのよね?」
「……ミモザがさ、コンプリートだって」
「何それ。普通に言いそうで怖いわ」
たぶん、ふらついたんだと思う。
ミモザとブロンデに両側から支えられていて、もう少しで階段の踊り場から落ちるところだった感じ。さすがに、背筋に悪寒が走った。
それでも、まあ結果は変わらないか。
「行こうか、ナナナシアが助けを待っている」
「やっぱり行くのね。もちろん果てまで付いていくわよ」
「自由落下ですね。重力下での落下体験、楽しみだったんですよ。まあ、私が最速です。ここは譲りません」
「いや、魔法使うからね? ブロンデだけ豪速落下なんてさせないからね?」
お互いの顔を見て、笑い合う。
そうして僕らは、踊り場から鳥になった。




