78.緑の暴力
思わずカメラを構えて、ファインダー越しに景色を写し撮っていた。
「リンゴの樹……よね、何が起きているのかしら」
「簡易環境測定の結果ですが、現在の気温は気温23度。大気の主成分が窒素と酸素になっています」
「それって、本来の大気……?」
「はい。地球のものと、限りなく同じ組成ですね」
ゆっくりとシャッターを切る。
そこに写ったのは、巨大な樹。まるで建っていた塔が、そのまま樹に変わったような――
「いや、塔は?」
「目の前にあるのが、そうだと思うわよ」
タラップを降りて踏みしめたのは、フカフカの草原。ほどよく沈む足に、逆にバランスを崩して転がった。
隣でも同じように、ミモザが草に埋もれている。
そうしてさらに僕は、後ろで転んだブロンデに押し潰された。
地面はあった。ゴツゴツしていたはずの無骨な大地は無くなっていて、草の香りの間から微かに土の香りがする。
「ももも、申し訳ありませんっ、イブキ様っ」
後ろからブロンデの素の声が聞こえて、すっと重さが遠退いた。その場で仰向けに転がった。
広がった塔の樹の枝葉、その揺れる隙間から青空が見えていた。
どうもまた、やらかしたっぽい?
思い当たるとすれば、塔の中で扉を修復した時かな。でもさすがに、これは――。
「見て、イブキ。木がものすごい速度で育っているわ」
「木の根元から、水が湧き出していますね。川ができていますよ」
ここ、南極なんだよな?
極地のはずなのに、まるで楽園だぞ。
『ほぉ、なんとも懐かしい顔じゃな。そこにおるのはいつぞやの金髪機人かの?』
背筋に悪寒が走った。
バッと起き上がって声のした方――塔の樹に顔を向ける。大きな顔が、幹に浮き上がっていた。真っ赤な優しそうな瞳が、僕たちを見下ろしていた。
「あなたはもしかして、あの時のトレント様ですか?」
『いかにも。機人の嬢ちゃん、かれこれ250年振りかの、息災のようで何よりじゃ』
「もうそんなに経つのですか。あの後色々ありましたが、イブキ様もミモザ様も。もちろん私も元気にやっています」
『ところで前と少し、雰囲気が変わったかな?』
「名前が変わりまして、ブロンデとなりました。またよろしくお願いします」
僕の横を通り過ぎたブロンデの、穏やかな横顔が見えた。それを見下ろすトレントも、心なしか嬉しそうで、ここだけ見ると孫と祖父にも見える。
でもやっぱり、トレントの存在力が強い。たぶん何もしていないと思うんだけれど、上から大きな手で押さえられているような。この感覚ってたぶん本能なのかな。
隣でミモザが、小さく息を吐いているのが見えた。
やっぱりブロンデは、トレントと同類なんだろうな。たぶん世界のシステム側。
ふつうにトレントの側まで歩いて行って、根元の扉の前にテーブルセットを取りだした。当たり前のようにティーセットを並べてお喋りを始める。
「私が置いた機人は、お話相手になりましたか?」
『それがな。すぐに呆けたまま、動かなくなってしまったよ。あれだけは、少し悲しかったが、まあいつものことじゃて』
「そう……ですか。確かに、反応がありません。世界線を跨いでも影響がないはずなのですが……」
『よいよい。目の前におるではないか、それでよいではないか』
ミモザの冷たい手を引いて、僕らもブロンデが設置したテーブルについた。微かに震えるミモザの手をしっかり握る。
『ところで何故わしは、南の極地点におるのじゃ?』
そうだ。それだ。
「トレントさんはいつからそこにいるんですか?」
僕が訪ねるのとほぼ同時ぐらいに、トレントの輪郭がブロック状にブレた。思わず、息を止める。
なん……だ?
いったい何が起きたんだ?
ミモザに顔を向けると、キョトンとした顔をしている。
繋いだ手は、震えていない。
ちょっとした違和感。
「ブロンデ――」
「はい、イブキ様。あなたのブロンデですよ」
『ほほほっ、そういう会話が聞きたかったんじゃ。よいのぉ」
心臓が鷲づかみにされた。
髪が、綺麗なブロンドの髪が――漆黒の濡れ羽色に変わっていた。
トイレに。
そう嘘をついて僕は、小型船のエアロックに一人で佇んでいた。
空気が抜けて一瞬、真空になる瞬間に僕の魔法が防護膜を形成して、すぐに解除された。船内の外よりも、少しひんやりとした空気が鼻をくすぐる。
ちょっとだけ思考が追いつかない。
ミモザはあのあと、トレントとの会話を選んだ。僕がトイレに、行かなくていいの知っているはずなのに。
ブロンデに至っては、髪色は変わったものの、前の『変化』みたいに、肌は変わらず。機人特有のメタリックボディはそのままだった。ただブロンデ自身は、髪色が変わっていることに、何の違和感も感じていなかった。
「僕が……僕に戻っている……?」
エアロックのガラスに映った僕の顔が、イブキから篤輝に戻っている。
白い髪は漆黒に。洋風イケメンフェイスも、長年親しんだ薄い日本人顔、篤輝の顔に変わっていた。
中途半端に残ったハーフエルフの耳だけが、変わらない現実だ。
あの時か。
僕がトレントに質問した、あのタイミングで。いったい、何が起きた?
『……え、イブキさん? ですよね?』
「ほう。それが篤輝としてのイブキなのか。いや……なんだ待て、俺今のコメント、自分で言ってて意味が分からんかったぞ」
「えっ……?」
船内側のエアロックが開いた先で、レイジとルナリアが待ってくれていた。
僕のことが、わかるのか?
「少し早過ぎる気がするが、よく帰ってきた。俺との約束、守ってくれたんだな」
『うふふふ、頑張った甲斐がありました』
「あ……た、ただい……ま?」
「ちょっ、どうしたイブキっ――」
涙が、自然と溢れてきた。
力が抜けて崩れ落ちる僕を、ルナリアが慌てて支えてくれる。レイジに至っては、まだ身体が動かないだろうに、車椅子から転がり落ちてまで寄り添ってくれる。
恐怖が、少しずつ薄れていった。
「つまり、世界が変わった……ってこと?」
『今回の揺らぎは私も分かりました。咄嗟に、私と車椅子がいる部屋だけを簡易ダンジョン化させたのですが、これにはびっくりです』
「ルナリアには、なにが……起きているのか。分かるの……?」
『はい――』
――世界軸が。大きく変わりました
震える手で、口に運んだ湯飲みのお茶が、冷たく感じた。
以前から僕の周りで色々と変わることは気づいていた。
だから、今回も……?
「ちょっと待って、世界……軸?」
『はい。世界軸ですね。ここはもう、南の極地ではありません』
……なんて?
ふと、背後でエアロックが切り替わって、開く音が聞こえた。振り返ると、顔中が涙まみれのミモザが立っていた。
その後ろに、困ったような雰囲気のブロンデが付いてきている。
「うわああん、いぶぎぃ……おいでいがないでぇ――」
軸が――とか、極地が――とか。色々気になることがあって、結構頭の中がこんがらがっているけれど。世界線とか変わっていたと思って、どうしようか落ち込んでいたとか、色々あったけれど。
そんなことよりも、取りあえず。
「ごめん、ミモザ。置いていったのは、ごめん」
「うわああぁぁん」
抱きついてきたミモザを、しっかりと抱きしめる。
泣き止むまでゆっくりと頭を撫でた。
これは、うん。僕が悪い。




