70.飛べない
「飛べない?」
「ええ、誠に申し訳ないのですが――」
推定世界樹の根元に辿り着いた僕らを待っていたのは、そんな言葉だった。
朱い鳥居が、斜めに半分埋もれて世界樹と一体化している。その、何だかご利益がありそうな景色に、とっさに腰元からたぐり寄せた携帯電話で撮影する。
「イブキ、何してるの?」
「写真撮ってるだけだけど。何か変?」
「だって方舟がないから、ネットワークに繋がっていないのよ? 意味がないと思うわ」
「え? カメラ機能は端末依存だから、そんなのいらないぞ?」
「……えっ? ほんとに?」
そうして、写真撮影熱が噴出したミモザと、写真撮影という名のデートをしている。
鳥居をスタート地点にして、世界樹の外周を回る。元々あった遊歩道がそのまま残っていて、絡み合う根っこのアーチがすごく楽しい散歩道になっている。色とりどりの花も咲き乱れていて、何だか心が温かくなった。
「建物の埋もれ方がけっこう違うわね。ほら見て、あの博物館みたいな建物、絶対に扉が開かないわよ」
「隣の役場は、普通に人が出入しているな。あ、ミルフィさんだ」
さっき別れた建物と違うところにいるな――なんて思いながら、ミモザと手を振って近づいた。
「イブキさん、ミモザさん。ごめんなさいね、まだ宇宙ステーションの再使用の目処が立っていないのよ……」
「いや、まあ。仕方ないというか、大丈夫だよ?」
ミルフィが上を見上げるのにつられて、僕とミモザも空があるはずの場所を見上げる。
世界樹が大きく枝を伸ばしていて、少し視線を落とすと遥か彼方。おそらく地平線の向こうまで枝葉に覆われてた。
緑色の葉に混じって、黄金色の葉が光り輝いていて、地上をやさしく照らしている。普通なら枝葉に覆われたら、真っ暗になるはずなんだよな。でも葉の放つ光のおかげで、昼間のような明るさなんだ。
「このおかげで、空気があるってことなのよね?」
「たぶん、そうなのかな。この快適温度なんかも、世界樹の仕様なのかも」
「安全性を考慮して、宇宙服を着た調査隊を複数、各方面に向かわせているのだけれど。今のところ、枝が途絶えて宇宙が見えたって報告がないの」
「こういったことって、昔にもあったのかな?」
「前例がないわ。だからこそ、星渡りも制限されていて、わたし達も困っているのよ」
少し雑談をした後、ミルフィは宇宙ステーションがあるだろう方向に歩いて行った。
「ブロンデ、大丈夫なのかしら」
「夕方に迎賓館に呼ばれているから、たぶんブロンデもそこに来るんじゃないかな」
「いつもイブキの後ろにいたのに、抵抗せずに連れ去られた時にはびっくりしたわ」
「それな。当の本機……いや、もう本人か。ウサギ耳さんたちに引っ張られる姿はさ、ノリノリに見えたけど」
世界樹の根元は少し小高い丘の上にあって、麓の方を見ると結構たくさんの建物が見える。
構造的に、世界樹を中心にして円形に都市が造られていて、その都市の外側に広大な農園があるのが見えた。
コロニーのように設計されていた都市。
でも今は、あちこちに隆起した根っこのおかげで、何だかおとぎ話に出てくるような、でも複雑で奇妙な街並みに変わっていた。
「根っこが階段になっているわね」
「登ってみよっか。違う景色が見られるかも知れない」
何だかちょっと興奮してきたかも。
複雑に絡み合った根っこの通路を、ミモザと手を繋いで歩く。
近くにあった家が根っこに支えられていた。その家の前の湧き水では、ウサギ耳の男の人が野菜を洗っている。目が合ったので、軽く会釈をした。
世界樹の根っこが持ち上がったのが今日の今日なのに、えらく馴染んでいるな……?
「こんにちは、異国の方。お散歩ですか?」
「ええ。こんな、根っこが生活の土台になっている街は、見たことがないので新鮮ですね」
「そうでしょう。世界樹があるからこその、街並みです。多少、移動に不便はありますが、慣れれば都ですよ」
「……そう、ですか」
「楽しんでいってくださいね」
ミモザの顔を見ると、何となく不安げな顔をしている。
そっと自分の体で庇うように手を引いて、頭を下げてその場を離れた。振り返ると、笑顔で手を振っていたから、思わず苦笑いを返してしまった。
「どうしよう、意味が分からないわ」
「悪意みたいなものは、感じられなかったかな。考えすぎかも」
その後も、何件かに一回。同じように声をかけられたけれど、話す内容はやっぱり世間話程度で、警戒しすぎな気がしてくる。
ミモザの眉間の皺も、いつしか無くなっていた。
やがて、大きな噴水広場に出た。
たくさんのウサギ耳の人たちが、思い思いにくつろいでいた。それが、巫女服と浄衣でなければごく一般的な光景なんだけど……。
「こういうものだって、思えばいいわね」
「間違いなく、僕らの方が部外者だからね。気にしすぎなのかな」
ふと、一際豪奢な巫女服が目に入って、息を呑む。思わずミモザの手を引いていた。
向こうも僕の視線に気づいてか、柔らかい笑みを浮かべると、優美な歩みで近づいてきた。
「こんにちは。観光の方ですか?」
「風光明媚な場所が多くて、これで景色を撮っているんです」
「それはいいですね。それでしたら、樹上の展望台をお勧めしますよ。噴水広場の少し先、上り階段がありますから、向かわれてはいかがですか?」
「ありがとう。そうします」
鈴の鳴るような声に、一瞬だけ音が遠くなったような違和感を覚えた。
笑顔に見送られて、その展望台のある道に向かって少し歩いてから、何となく振り返る。
光の粒が、世界樹の葉から降り注ぐ光を受けて、微かに煌めいていた。
噴水広場には、やっぱりたくさんのウサギ耳さん達が、くつろいでいた。
幅が広い螺旋階段を、並んで登る。
もうすぐ夕方になるのか、根っこに乗った家や、地上の家々に明かりが灯っている。
「展望台で軽く景色を見たら、ちょっと急がないとよね」
「……」
「イブキ?」
そして展望台が目前のタイミングで、空気が変わる――僕の魔法が、発動した。
思わず『ミモザにも!』って、意識する。
ぶ厚い空気の膜を通り過ぎた先には、宇宙空間が見えていた。
どうやら僕らは、世界樹の上に出たらしい。
「お待ちしていました――」
とっさに、ミモザを背後に回す。
「どういうつもり、なのかな?」
「観測者様と、少しお話がしたかった。それだけでございます」
「だったら、さっきの噴水広場でも良かった。でもあえて、ここまで誘導した理由を、教えて欲しいかな」
さっきの、豪奢な巫女服を着た女性が、青い星を背に立っていた。
「兎人族の監視の目が届かない場所に。ここならば、話をしていても誰にも聞かれることはありません」
「聞かれるとまずいのか?」
「そうですね――」
淡く光る。
目の前の女性の姿が滲み、やがて姿を現したのは、ウサギ耳ではなくエルフの女性だった。
「イブキ、大きくなったわね」
黒い髪に黒い瞳。
少し前にブロンデが変わった姿の、あのエルフの女性――アンジェリーナが、立っていた。




