69.樹に呑まれた街
道を進んだ先。そこにあった門は、酷い惨状だった。
「これは……根っこ?」
「一気に圧し曲げた感じかしら。隙間は通過できそうだけれど、扉としては終わりね……」
後ろを振り返ると、月兎が目を潤ませて扉を見上げていた。
体、大きいもんな。あの隙間じゃ、この巨大ウサギの体は通過することができそうにない。
「月兎様は、ここでお別れですか?」
『うん。通過……無理そう。ボク、またあの洞窟に……戻るね』
「助かりました。道草、たくさん食べていくのですよ」
「いや道草って、確かに生えてるけど」
『ブロンデも……ありがと。翻訳……してくれたから、とっても……楽しかった」
そうだよな、全部翻訳していてくれたから、会話がスムーズだった。違和感が全くなかったのが、さすブロクオリティ。
時折、振り返りながら去って行く月兎に、何だかブロンデの背中が寂しそうに見えた。
金属質の扉の厚さは、目測で2メートル近くあった。それがひしゃげている光景に、足が止まっていた。
「イブキ……?」
「中の人たちって、大丈夫だったのかな。これって、減圧室とか。そんな感じの扉だよね……」
「無事……そうね、それは信じるしかないわ」
「中庭に世界樹擬きを植えている、ドームが悪かったと思いますよ」
「うん……」
何かが胸に引っかかって、重くて、頭が下がる。
これが、結果なのかな。魔力結晶、また作った方が良いのかな。
さっきまで気楽に月兎に乗ってきたけれど、これは、紛れもなく惨状だ。
影が差した。冷たい手のひらに顔を包まれた。そのまま正面に向けられる。
「イブキ様は――このままでは、届きませんね」
ちょっとだけ、悲しそうな顔をしたブロンデが僕の瞳をじっと見つめてくる。なにか、僕に伝えたいのかな。
でも、僕は――
空気が変わった。
目の前で、ブロンデが淡く虹色に輝き始めた。少しずつ、顔の輪郭が変わっていく。
瞳が黒に変わり、綺麗なブロンドヘアが、漆黒に変わった。
そして耳が、長くなる。
そのタイミングで、ブロンデの後ろに回っていたミモザが、そっと体に布を巻き付けた。
「これが、イブキの母親なんですね。あなたへ、母の最後の言葉を届けます」
胸がいっぱいになった。視界が滲む。
「ごめんね、イブキちゃん。あなたには、きっとこの先もきっと苦労をかけるわ。レイジさんはマナヒューマン、わたしもマナエルフ。だから、間違いなく膨大な魔力の扱いに困るはずよ。でも、これだけは忘れないで」
正面から、ブロンデに抱きしめられた。
冷たかったはずのブロンデが、すごく温かい。そして柔らかい。
心臓の音が二つ聞こえる。ブロンデが、生きている。でもいったいなにが、起きている?
耳から入る情報に、戸惑いそして、納得した。そうか、僕か。
「あなたは世界に望まれて、わたし達の間に産まれてくれた。あなたが前を向いて胸を張っていれば、レイジさんもわたしも、そして世界もあなたの味方。だから、そのまま歩き続けて。未来で、待っているわ」
そっと離れたブロンデの笑顔が眩しくて、思わず視線を反らしていた。
「あ、ちなみにですね。お名前は、アンジェリーナみたいですね。実際の寿命と同じ時間、わたしはこの姿のままです」
「エルフなら、1000年位かしら?」
「いえ、永遠の命を持っていたみたいですから、ずっとこのままでしょうか。ちょっと失敗しました」
ミモザと二人で、少し離れた木陰に消えていくのを、呆然と眺める。
僕の。篤輝じゃない、イブキの本当の母親?
心が、震えた。
きっと、本当のことなんだろう。
だからこそ、油断していたんだと思う。
『ルナリア様だ……』
『うん、ルナリア様だった」
『じゃあこの世界樹も、ルナリア様が再生してくれたのかな?』
『きっとそうだよ、ルナリア様だもん』
聞こえてきた声に、心臓を鷲づかみにされた。
誰だ? なにが、起きている?
誰かが――いる?
声のした方、崩壊したドームの中に視線を向ける。
――ウサギ耳が、いた。
頭にはウサギ耳がピョンと立っている。
巫女服と浄衣が混じっているのは、きっと男と女の違いなんだと思う。
見た目は黒髪黒目のアジア系人種の彼、彼女らが、奥の木陰からじっとこちらを伺っていた。
生きていて、くれたのか……。
涙が溢れてきた。
「で、これはどういう状況なのかしら」
「知らないよ、僕の感動も返してよ。それよりミモザはさ、なんでブロンデに着物を着させたのさ」
「……だって、黒髪黒目よ。着物、絶対に似合うもの」
戻ってきたブロンデが、ウサギ耳に囲まれている。
そのまま奥に連れて行かれたから、慌ててミモザと顔を見合わせて追いかけた。
縦横無尽に伸びた根が、生活圏をひっくり返していた。
でも、そこに悲壮な感じはなくて、普通に畑で農作業をしている姿が、視界をよぎる。
「家も壊れていないし、何なら根っこと一緒に綺麗なまま持ち上がっているな」
「樹に意思があって、ウサギ耳さん達を守った、のかしら」
根に道があって、石畳すらも見えた。何なら、根が変形して落下防止柵のような形になっている。階段もあるし、連絡通路までもある。何だこれ。
地面は地面で、元の道を避けるように、下を通ることができるように、きっちりと根が迂回している。
「これ、本当におとぎ話の『世界樹』かもしれないな」
「この景色は、否定要素の方が少ないわね。ほらあそこ、子供達が遊んでいる根っこの広場なんて、もう紛うことなく樹の優しさの結果よ」
「だよな。ただ、ゆっくり見すぎたかも。ブロンデを完全に見失った……」
「大丈夫よ。ウサギ耳さんの流れの先に、きっといるわ」
あれだけ派手にドームが破壊されたのに、中は驚くほどに平和だった。
子供達の笑い声が聞こえる。
店の呼び子が、声を張り上げている。そこに、人々の呼吸が感じられた。
……呼吸?
「宇宙空間だったよな、空気なかったよな?」
「どうしたの、イブキ」
「そういえばいつの間にか、防護膜も消えている……」
びっくりして立ち止まった僕の手を、すぐにミモザが引っ張って、正面に回って首を傾げた。笑顔が、眩しい。
「これが、この星の正常な姿なのよ。誇って良いわ、あなたの功績よ」
「そんなわけ……いや、うん。ありがとう」
覗いた露天には、リンゴが売られていた。黄金色の、何だか輝いているリンゴに足が止まる。
「あら、いらっしゃい。異国のお客様。リンゴ一ついかがかしら」
「綺麗なウサギのお姉さん、ごめんなさいね。この国の通貨を、持ち合わせていないのよ」
「知っているわよ。月兎のリブレから、話は聞いているもの。評議会のミルフィよ、案内させて貰ってもいいかしら」
罠か――なんて身構えたけれど、あくまでも自然体のウサギ耳お姉さんに、毒気が抜かれた。よく見てみれば、巫女服の刺繍が少し派手目だ。位の違いって言うのかな、もし騙すなら周りと同じ巫女服着ているはず。
ミモザに目配せすると、しっかりと頷いてきた。
「分かった。案内をお願いしても良いかな?」
「もちろんよ。さあ、こちらに。乗り物の用意があるわ」
「お願いするわ」
僕らは、ウサギ耳お姉さん――ミルフィに続いて、道を進む。
手渡された金のリンゴが、じんわりと温かかった。




