68.ウサギ
緑色のウサギだ。つぶらで真っ赤な瞳が、僕らのことをじっと見つめていた。
「キュリ……ジジッ、ガガッ……キュ、キキュッ。ピガー」
「……なんて?」
口をモキュモキュさせて、何かを話している?
これはあれだ、昔のラジオ。アナログの、それこそチューニングが必要だった頃の、雑音混じりのあの懐かしい音が、巨大ウサギから聞こえてくる。
「敵意は感じられないわね。むしろ戸惑ってるのかしら」
「もっとも、もし戦闘になったら、全力で守るからな」
「ふふふ、ありがとう。頼りにしているわ」
「……お楽しみのところ申し訳ありませんが。翻訳しますか?」
「できるの?」
「お任せください」
僕の後ろにいたブロンデが、僕の前に二歩ほど出た。そこでしゃがんで、見上げる。でた、女の武器、上目遣い。でもきっと、緑ウサギには効かないやつだぞ?
「同時翻訳しますね。あー、ガーザザッ、こちらチームイブキーズのブロンデ大佐です、緑のウサギさんお元気ですか?」
「まて、本気でそれ翻訳してる?」
「もちろんです。ちゃんと同時にノイズも入っていて、理解して貰っているはずです」
「いや、そっちじゃない」
確かにあー、ガーザザッ、の後から、ブロンデの声がテレビの副音声みたいにブレて聞こえていた。さらに僕が喋っている時も、ブロンデの口から謎の雑音が流れている。
本当に、同時翻訳しているのか。なんか感動する。
『……あ……うわ、また声をかけられちゃった。どうしよ……』
ほら。全く違和感が無い。
それを僕の横で見ていたミモザが、大きく息を吐いた。
「ちょっといいかしら?」
『……あああっ、あのあの……その……ふえええぇぇぇ』
「ごめんね、驚かせるつもりは無かったのよ。ちょっと話を聞かせて欲しいのだけれど」
ミモザが、前でしゃがんでいたブロンデの横を抜けて、緑ウサギの正面に立つ。無意識に僕から流れた魔力が、ミモザの防護膜をうっすら光らせた。
緑ウサギがプルプルと震えて、小さくうずくまっている。耳もぺたんと倒れている。潤んだ赤い瞳が、不安げに揺れている。
『ぴ、ぴえええぇぇ――』
緑兎の瞳から黄金色の雫がこぼれ落ちた。
カランと、硬い音を立てて地面に跳ねた雫は、コロコロと転がってミモザの足下まで来て止まった。
「綺麗ですね。でも何だか儚い」
「ブロンデ。医者を紹介したいけど、機械専門の医者を僕は知らない。たぶん姉さんなら何とかしてくれると思うんだけど」
「直りませんよ。仕様ですから」
そんなバカな会話をしていたからだと思う。
『えっと、えっと。通っても、いいよ? 別にボク、ここを守っているとか、そう言うのじゃないから』
「門番ではないのかしら?」
『うん。ルナリアの魔力を安定させるために、僕たち月兎がドームの周りに配置されているの』
黄金色の雫を四つ落としたところで、緑ウサギ――月兎が一回り大きくなった。ちょっと落ち着いたのか、耳が立ち上がって、洞窟の天井に届いた。
周囲の魔力濃度がじんわりと濃くなっている。視線を落とすと、黄金色の雫からゆっくりと、温かい魔力が放出されていた。
ミモザが顔だけ向けてきたから、思わず首を傾げた。
視線を追うと、僕の腰元にある虹色宝箱。何だろう?
『い、行ってもいいんだよ?』
「少しお話が聞きたいの。なにか、食べたいものとかあるかしら?」
『……えっと、ボク? いいのかな……それなら、草を食べてみたいな。七星の七兎は、草を食べているって聞いたことがあるの。ボクも、一度食べてみたい』
いや、話の流れよ。
会話ができると、ここまで話せるのか。
ただまあ、何となく察することができた。
虹色宝箱から三人掛けのベンチを出して月兎の前に出す。テーブルも出して、水筒とコップを置いた。草は何かあったかな……ほうれん草があった。この間方舟の、農園帰りの父に渡された物か。今となっては、何だか懐かしい。
僕がほうれん草の束をテーブルに置くと、ミモザとブロンデが先にベンチの左右に腰掛けた。真ん中は僕ですか、そうですか。
「どうぞ召し上がれ」
『いいの? ……その、あの……いただきます?』
おずおずと洞窟を出てきた月兎が、戸惑いながらほうれん草を食む。
顔が大きいなぁ――なんて思いながら、僕らもお茶を口に運んだ。
フワッフワに包まれて、流れる景色を眺めていた。
時折吹く風が砂塵を巻き上げていて、今までなかった自然の動きが見える。なるほど月兎の配置が意味ある物なんだなって、感じた。
「ほんとうに、いいのかしら。あそこで、管理していたのでしょう?」
『だ、大丈夫だよ。月の雫……を、置いてきたから。100年くらいは……離れてても、大丈夫な……はず?』
「そう。それなら良いけれど」
月兎が跳ねるたびに、背中にいる僕らも宙に浮く。飛んでいかないように掴んだ毛の束は、すごく艶やかだ。
近いかなって思って見ていたドームは、遠いんだよな。一跳ねで十数メートル進む月兎が30分飛び続けて、サイズ感がちょっと大きくなった程度。なるほど、視覚効果って怖い。
そういえば風があるってことは、大気があるのかな?
「ありませんよ。大気成分はほぼ変わらず。ただ恐らく、愛が溢れているのでしょう」
「魔力か。濃度でここまで変わる?」
「愛ですよ?」
されど魔力。
創作の設定とかだと、濃度が濃くなると毒になるとか、視界が不明瞭になるとか色々と弊害があったよな。
でもむしろここは、活性化している気がする。
「あ、見てイブキ。緑があるわ……え、緑?」
「ちょっ、月兎さん止まって」
『……え? 待って待って、何で緑……あるの?」
ふんわりと着地した月兎が、岩の隙間に顔を埋めた。
ミモザとブロンデも、すぐに飛び降りる。遅れて僕も、月兎の背中から降りた。
地面に着いた片足から、光が迸る――
緑の芽が、枯れたはずの大地から芽吹く。
僕の足元から広がった緑の波紋が、同心円状に広がっていく。
ゆっくりと両足を地面に着けた僕は、呆然とその奇跡を眺めた。
体が熱を帯びている。魔力がじんわりと足元から流れている感覚に、ハッとなった。僕の魔力が、吸われている?
徐々に体が熱くなっていく。
「見て、木が生えてきているわ」
若木が爆発的に生長して、林に、森に変わっていく。無数に分かれた枝に、眩いほどの緑の葉が茂る。
荒野が一瞬で緑に覆われた。
バリーン――
『わわわっ、ドームが……割れちゃったよ。どど、どうしよう、どうしよう……あわわ』
道の先で、粉々に割れたドームの破片が、宇宙空間に消えていく
その破片を追うように急成長した大きな樹が、あっという間に横に膨らんで、僕らの上に広がっていた真っ暗な空を、枝葉で埋め尽くしていく。
「何が……起きているんだよ……?」
「世界が、変わったわ……」
風が吹き抜ける
防護膜すら抜けて、緑の薫りが鼻を通って、空に消えていった。
神話の世界で見た世界樹が、枝葉を輝かせながら揺れていた。




