56.顔無しと僕の魔法
「ところで弟よ、これは一体誰なんだい?」
この第1冬眠室には、姉以外に、何も存在していなかった。金髪機人に借りた機人50機で、短時間で確認した結果なんだけれど。
その間、姉はずっと近くのガラスに映る自分の姿を見ていた。
あの日、揺らぎを抜けて変わった、僕の記憶にある姉の姿のまま。
思い出すのは、人じゃなくなった日の言葉。
『そう悲観するでない、弟よ。これで弟をひとりぼっちにさせずに済むんだ。安いものだろう?』
人から機械になっても、僕の姉のままだった。
思い出して、目頭が熱くなるのをぐっとこらえた。
「聞いているかい? この、麗質顔の鉄仮面がわたしだということは理解はしているのだが、少し実感がない」
いや、実感がないだけで済む問題なの?
まあ声色からすると嬉しいみたいだけど。
「姉さんが進化すると、そうなるんじゃないかな」
「なっている、現在進行形なんだがな……」
「ふふふっ、この会話。何でかしら、安心するわ」
第1冬眠室から通路に戻り、次の第2冬眠室のドアノブに手をかける。視線に気づいて振り返ると、姉が首を傾げていた。
「なあ弟よ、ここはいったいどこなんだい?」
回そうとしていた手が、止まった。
「何か……おかしいの?」
「ああ。全く見覚えがない。この移民艦は、わたしが全員の入棺に立ち会った。だから最後に入棺したのがわたしなんだ。当然、全部の冬眠室を知っている」
「そう、なの?」
「扉のプレートには、基本書式があってな。移民艦番号『JP03‐』に、階層数プラス部屋番号だ。例えばわたしがいた冬眠室なら『JP03‐1001』になるな」
「この第1冬眠室だと、確かに違うけど」
「あくまでも、軍籍の艦だ。確かに冬眠室には違いないんだが、これは正常じゃない」
「それなんだけど。たぶんここが、ダンジョンだからじゃないかしら?」
「…………ほう」
姉がずいっと体を寄せてきて、慌てて扉の前から退いた。妙に圧が強い。
「ならば、実地検証だ。弟が第1冬眠室に入ってきた時、わたしは夢の中だと認識していた。実際、世界が戻った時――わたしには分からなかったが、あの時に間違いなく目が覚めた。だとするとここで、『わたしが』扉を開けた時に何が起きるのか、気にならないかい?」
「この中には、誰が?」
「幸彦がいる。あいつは動物の生態学に力を入れていたからな。ただここには、他にも100人近く、冷凍睡眠装置に安置されている。誰の意識が反映されるのか、それが肝だな」
そこまで、考えるんだ。凄いな、若くして教授になっただけのことはある。
じゃあ、あの体育館は?
「ちなみにだが、わたしの夢の舞台は中学の……ほら、あの田舎の寂れた体育館だ。わたしたちの出身校だろう?」
「あ、ああっ! 言われてみれば……」
敵わないな。そこまで分析するのか。
僕なんて感情が先行するから、いつもミモザと金髪機人に迷惑ばっか、かけている。視線を向けたら、一人と一機に同時に首を横に振られた。
「そのままでいいわ。イブキがイブキだから、好きなのよ」
「そうですよ。頼りになるイブキ様なんて、もはや別人ですよ」
よし、もうちょっと頑張ろう。
つばを呑む音が、やけに耳に響く。
僕らが見ている先で、姉が第2冬眠室のノブに手をかけた。
静謐な廊下に、僕とミモザ。二人の呼吸音だけが聞こえている。そういえば廊下から、雪の華が消えていないか。
何かが、変わった?
視線を回す。壁の所々にさっきまでなかった錆が浮いている。
「開けるぞ――」
途端に、喧噪が溢れかえる。
車のエンジンが唸る音。防護服を着ているのに、都会のくすんだ空気のあの独特の汚れた薫りが鼻をくすぐる。そこに少し、錆の匂い。
姉を先頭に扉をくぐるとそこは、懐かしい東京の景色が広がっていた。
「そうきたか。わたしはてっきり、森の中に出ると思っていたのだが……」
「個人じゃなくて、集合的意識が反映されているみたいね」
「車が見たことないくらい、古い気がするんだけど」
時刻は夕方、やけに滲むネオンの明かりが目を引く。
信号が青に変わり、車が動き出した。顔のない歩行者が前を横切った時に、背筋に強烈な悪寒が走った。
「データ解析の結果、ここは昭和中期ですね。このチープな街並みは、非常に保存価値がありますね。持って行きませんか?」
「金髪機人殿は、壊れているのか? しかしこれは、年齢の平均値か」
「ここの冬眠室には、どんな人たちが入棺したのかしら」
「確か、大学関係者がほとんどだ。年齢層はかなり高めだったが、そうなると扉を開けた人には依存しないのか?」
「それより、顔無しがやばいって――」
人だかりが、僕らを中心にできつつあった。
くたびれたスーツのサラリーマンに、買い物帰りの主婦。学生の集団が着ているパリッとした学生服は、完全に周囲に浮いている。
そして全員、顔がない。
「扉が、逃げますね」
「……は?」
振り返ると、扉の枠に手足が生えて、颯爽と走り去っていくところだった。今度は何が起きているんだ?
扉は軽快に助走して、大きく跳ねた。そのままビルの上まで到達し、視界から消えた。
「最初に断っておくが弟よ、わたしは物理で殴るしかできない。解決案は、早めに頼むぞ」
「ちょっ、姉さん!?」
姉が伸びてきた顔無しの手を振り払った。それを合図に、一斉に顔無しが動き出した。
とっさに、横にいたミモザを抱え込んでシールド魔法を展開――今度は何で、中世のタワーシールドなんだよ。さっきの強化ポリカ盾でいいじゃないかっ。
都合4枚出てきたから2枚を姉に投げて、1枚を金髪機人に手渡す。
そして姉のタワーシールドの使い方がおかしい。
盾の上辺を持ち、まるで大きな剣のように豪快に振り回し始めた。なるほど最適解。
顔無しの顔が吹き飛んで転がる。
外れた腕が、乾いた音をたてて地面を滑っていく。辺りに散らばる四肢は断面が『割れ』ていてそこに、血の一滴すらも飛ばない。
つまり、生きていないっ!
ここから分かることは、これは冷凍睡眠装置にいる人たちじゃない。恐らく姉と同じように、冷凍睡眠装置に入ったまま存在しているはずだ。
「姉さん、あと金髪機人も来て!」
「よしきた」
扉が逃げた方向に、ファイヤーボール。
当たり前のように出現した超大型の弾道ミサイルに、ミモザを抱えたまま飛び乗った。なぜかある取っ手を掴む。もう、突っ込まないぞ。
僕の後ろに姉と金髪機人が乗ったところで、強烈なバックファイヤーが、その先にひしめいていた顔無し達を燃やし尽くした。
「行けええぇぇっ」
そして間もなくして、ミサイルの炎が消える。
近くにあった点検用のモニターが、赤く点滅して消えた。
あー、無理もないか。普通なら発射台から飛ぶ規模の巨大なミサイルだ。それが、地面に横たわっている。摩擦で、そもそも動かないし、切り離しのタイミングで後部が分離されなければ緊急停止もするか。
ただ、沈黙が痛い。
思わず防護服の中で顔を伏せた。その直後、視線がぶれる。
「つまり、強い影響力が世界を作るのか……」
姉のつぶやきに顔を上げると、世界が変わっていた。
広大な敷地にある軍事基地。東京の街並みは、消えていた。
風きり音が聞こえる。
奇しくも、その先にある大きな建物は、扉が逃げ去っていった方向にあった。
つまりあそこが、今回の目的地だ。




