55.凍みた命
すかさず、手を温める魔法を使った。
毛糸の手袋が手にはまって、熱を帯びる。そっとドアノブから手を離すと、ノブの方から蒸気が立ち上がっていた。
相変わらず寒さをパッシブ魔法が無効化してくれていて、それで気づかなかった。壁の模様だと思っていた雪の華は、本当に凍み付いていたのか。
「……イブキ、大丈夫?」
「魔法に救われたよ。このヘンテコ体質でよかった……」
「よく見てよね、心配する身にもなってよ」
「ちょっと、気が急いていたかな。ごめん」
「これはいいですね。私には、まるで宇宙空間のような快適な温度です」
心臓が跳ね上がる。
ミモザの細い手を思いっきり引きながら、猛烈な速度で通路を出た。自分の無防備さに、血の気が引いて体温が一気に下がったように感じた。
震える手で、防護服を取り出して着用する。背中を伝う汗が、異様に冷たく感じた。
僕自身、綺麗な探索に浮かれていた。
この扉の向こう側に、空気があってよかった。
扉の向こうでは、機械機人が穏やかな顔をしている。快適なんだろうな、だって機械だもんな。
「そっちには、確実に姉さんたち、いそう?」
「少し待ってください、船舶ロットの確認をします」
「ロット? 何か違いがあるの?」
「移民艦に使われている、部品の通し番号です――と、ありました。確実にJP03ですね。相変わらず生体反応は無しですが……」
でも、諦めないぞ。
お互いに、防護服の装着を確認してから、再び扉をくぐった。
ドアノブに触れる。
「今度はくっ付かないな……でも、開かない? これは、罠か……」
「凍っているだけだと思うわよ」
「火炎放射器を、どうぞ」
「さすがにそれは駄目だと思うよ……」
それなら、魔法で壁を温めれば――あれ? 取っ手、何も起きない?
「ねえ、イブキ? 左手のヒーター、もしかしてそれで溶かすのかしら?」
「……左手?」
視線を落とし……普通に無理だった。防護服着てた。
手を離してしゃがむ。何だこれ、カーボンヒーターじゃん。それも大型の。
三脚の支柱に、特徴的な黒い管球を備えた三連式高性能カーボンヒーター。本気の業務用だよこれ。
スイッチを入れると、黒だった管球がオレンジ色に光り輝き、暖かい光を扉に照射する。
「イブキって、どうしてこんな、ヘンテコな魔法を使うのかしら……?」
「私はいいと思いますよ。火炎放射器は、ガス欠でしたので」
「何で持ってきたのよ」
「ノリですね。後悔はしていません」
そんな声を聞き流しながら、ただひたすら扉を加熱する。そして防護服のヘルメット越しに、ほのかに香るバニラの香り。
ドロドロに溶けた扉が足下に広がった。
…………?
いや、なんでさ。
おかげで、開かずの扉が消えて、部屋の中が見えるようになった。
部屋の中は想定していた以上に広い。綺麗にワックスがけされた木の床に、左右に見えるのはバスケットゴール。
そして遙か奥、ひな壇の上にポツンとあるのは、エリクシル式冷凍睡眠装置。
そこだけが、異様に目立っていた。
「ダンジョン側から言うわ、これ本当に異常よ。震えが止まらない」
「どうしよう、僕も」
二人と一機で手を繋いで、ゆっくりと部屋に入る。
背後で扉が閉まる音がして、振り返ると両開きの扉が合わさったところだった。
震えるミモザ、珍しく口をぽかーんと開けている金髪機人に、すこし冷静になる。ヤバいな、このダンジョン世界観が歪みすぎている。
扉は――うん、開かない。
さっき溶かした扉のことは、この際忘れよう。
まず、床は――変化無し。木目の床は、学生時代によく見ていたあの床だ。
バスケットゴールは――白い網が赤くなった程度。まだ、許容範囲だ。
問題は、ひな壇が遠く、今も奥へ向かって離れていっていることか――。
「ミモザっ!」
「はいっ」
「金髪機人は重力軽頼む!」
「わわ、わかりますた」
噛んだし。珍し過ぎて、エモい。
二人を両手に抱えると、全身の筋力強化魔法をイメージし、全力で駆けだした。
まるで、泥の中を進むように重くなった空気を、さらに強化を重ねて押し出す。パッシブ紳士魔法さんが、気を利かしてミモザと金髪機人に防護膜を張ったのが感覚で分かった。いつもお世話になっています。
強烈な向かい風が、僕を拒絶する。
天井の照明が激しく明滅して、意識を激しく揺らす。
「姉さんっ!!」
副次的に強化された視線が捉えたのは、エリクシル式冷凍睡眠装置のガラスを叩く姉の姿だった。
知っている姿に安堵するとともに、なるほどこれは、熱感知できないな。
デウス・エクス・マキナ。
運命とか、宿命とか、普通に信じてみたくなった。
ラップ音が、四方八方から聞こえて、奥歯を揺らす。負けないように、しっかりと噛みしめる。
同時に流れるどこかの校歌。不気味な懐かしさに、胸がザワつく。
忖度魔法がさらに魔法を重ねがけしたらしい。爆発的に加速すると、一気に睡眠装置に肉薄。背中から生えた魔力の手が、がっしりと冷凍睡眠装置を掴み込んだ。
そして――
「掴んだぞ!! 僕の勝ちだろう!」
全力で叫んだ。
――音が、消えた。
空間が巻き戻り、視界が波打つように歪む。内臓をかき回されるような強烈な異物感に、思わずお腹に力が入った。
視界が数回フラッシュした直後に、視界が薄暗くなった。
「ここ……は、船倉?」
「ありがとう、イブキ。もう大丈夫よ」
「エラー、修正します。プロトコルA、クリア。プロトコルB――ここは、船倉ですか?」
「それ、さっき僕が言ったやつ」
違う、これが正常な明るさか。目が慣れると廊下と同じ照度の部屋には、エリクシル式冷凍睡眠装置が整然と並んでいた。
僕の前には、今も魔力手で掴んでいる冷凍睡眠装置があって、中には金属質な姉が僕たちを見て固まっていた。
『こぽっ、ごぽ……ぽこぽ――』
姉が何かを喋りだしたけれど、エリクシルに満たされた装置の中だと、音が聞こえない。取りあえず、姉の搬出か。
魔力手を消し――いやまて、何だこの手。集中していたから気づかなかったけれど、こんな青白い腕なんて、知らないぞ!?
まあ、そんな余計なことを考えつつ、手は安全カバーを外して、排出ボタンを押していた。
サイレンが鳴り、エリクシルが脇の装置に排出。ペットボトル容器が、下にある受け籠に積み重なっていく。何て親切設計なんだろう。
いや、姉漬け出汁のエリクシルは、ちょっと……。
「弟……なのか? その……少し長い耳は、何かあったのかい?」
「ああ、姉さ――」
僕が喋るより先に、姉がさらに畳みかけてくる。
「それに、後ろの紫髪の美女は、初めて見るね。初めましてだ、弟……いや、篤輝の姉の桃華だ。よろしく頼むよ」
「あの――」
「それよりそっちのロボット? いや、動きが滑らかだからアンドロイドと言ったところかな。ハロー、ハロー? どうなっているのだろう。そこまで精巧な機械を、日本で作っているなんて聞いたことがなかったが、どこの製品なんだね」
「待って――」
「いや、エリクシルの中で目覚めた時には、機械の故障で重大なトラブルでも起きたのかと思ったのだが、いやしかし何だ。弟が来てくれて一安心だよ。この冷凍睡眠装置なんだ――」
「ストップ、ストップ! 説明するから、ちょっと落ち着いてくれないかな!」
暴走気味な姉の口を、手で物理的に塞いで黙らせた。
でもあれだ。
姉が元気そうで、安心した。




