表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『追放悪役令嬢の発酵無双 〜腐敗した王国を、前世の知識(バイオテクノロジー)で美味しく改革します〜』  作者: 杜陽月
星を治す者

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
71/75

前世の論文、今世の答え

仮説——前世で書けなかった結論を、今。

 72時間の作戦は、王城の大広間を臨時の研究室に改装するところから始まった。


「まず、衛星の制御系にアクセスする手段が必要ですわ」


 私は、大テーブルに広げた設計図を前に、全種族の代表者に説明していた。


「聖都の地下で回収したエデンシステムのインターフェースを使います。ギムレック親方、これを元に、衛星との通信装置を」


「任せとけ。だが、嬢ちゃん。問題は通信じゃねえ。制御コードだ。あの衛星のオペレーティング・システムを書き換えるには、原初のコードが必要だろう。それは、どこにある?」


 私は、息を吸った。


「……私の、頭の中に」


 全員の視線が集まる。


「前世で私が研究していたのは、土壌微生物の共生ネットワーク。その数理モデルは、実は、エデンシステムのナノマシン制御アルゴリズムと、根本的に同じ構造をしています」


 沈黙。


「微生物の共生ネットワークは、中央制御者がいない。個々の微生物が、周囲の環境情報を感知し、自律的に役割を変え、全体として最適な状態を維持する。これは……」


「……エデンのナノマシン群と、同じ原理か」


 レオンハルトが、低い声で言い当てた。


「ええ。前世の私の論文のテーマは『土壌微生物ネットワークの自律的最適化アルゴリズムの数理的解析』。その理論をナノマシンの制御コードに翻訳すれば、衛星の行動原理を書き換えられる」


 私は、微苦笑した。


「前世では、完成しなかった論文です。査読にも出せなかった。でも、この世界に来て、実際の土壌で微生物と向き合い続けて、ようやく……答えが、見えたのですわ」


 作業は、三つの班に分かれた。


 ドワーフ班。ギムレック率いる技師たちが、通信装置と、制御コードの送信システムを構築する。

 エルフ班。エララ議長率いる魔法使いたちが、通信にマナを乗せるための調律を担当する。機械の信号だけでは衛星に届かない。

 マナという「生命のエネルギー」を含ませることで、エデンシステムが「味方の信号」として受理する仕組みだ。

 そして、人間班。私とアルフレッド。二人で、制御コードの設計と、安全装置の構築を行う。


 最初の壁は、12時間後に来た。


「嬢ちゃん、こりゃ駄目だ。響振石の出力が足りねえ。衛星までの距離に信号が減衰して、制御コマンドが届く前に崩れちまう」


 ギムレックが、通信装置の試作品を前に、頭を掻いた。


「増幅率をあと三倍にする必要がありますわ」


「三倍だと? そんな響振石、この世界のどこにも……」


「ある」


 エララが、静かに言った。


「世界樹の根元に、千年分のマナが結晶化した魔晶核(ましょうかく)がある。あれを響振石に組み込めば、出力は五倍になる」


「だが、あれはエルフの至宝だろう」


「至宝が世界の終わりに役に立たぬなら、ただの石と同じ」


 エララは迷いなくそう言い、魔晶核の移送を指示した。


 24時間後。通信装置の基本系統が完成。

 36時間後。マナ増幅の調律が完了。テスト信号が、月面まで到達したことを確認。


 そして48時間。


 私は、三日間ほとんど眠っていなかった。

 前世の研究ノートの記憶を頼りに、微生物の共生アルゴリズムを、一行ずつ、古代文明のコード体系に翻訳していく。

 机の上には、何十枚もの計算用紙が散乱していた。前世の微分方程式と、この世界のルーン文字が、奇妙に混ざり合っている。


「お嬢様。少し、お休みになってください」


 アルフレッドが、心配そうに私の肩に毛布をかける。


「あと少し。このサブルーチンだけ完成させれば……」


「お前が倒れたら、全てが終わる」


 声は、アルフレッドのものではなかった。

 レオンハルトが、湯気の立つカップを手に、研究室の入口に立っていた。


「……紅茶?」


「東方の茶葉だ。お前が寝言で呟いていた、あれだ」


 私は、そのカップを受け取った。

 一口。前世の記憶の奥底にある、あの懐かしい芳香が、疲弊した脳に染み渡る。


「……レオンハルト様」


「なんだ」


「前世の私は、この論文を完成できずに死にました。過労死、というやつです」


「……」


「この世界に来て、科学を続けて、仲間ができて。……そして今、あの論文を完成させようとしている。不思議なものですわね」


「不思議か? 俺には当然に見えるが」


 彼は、窓際に腰かけた。


「お前は、前世でも今世でも、同じことをしている。ただ、今世では、一人じゃないだけだ」


 その言葉に、私の手から、ペンが止まった。


(一人じゃない)


 前世の研究室。深夜のオフィス。コンビニの弁当。誰もいない帰り道。

 今の研究室。ギムレックの怒鳴り声。エルフの歌声。ハンナの笑い声。アルフレッドの紅茶。そして、レオンハルトの、不器用な優しさ。


「……ありがとうございます」


 私は、カップを置いて、ペンを握り直した。


「では、この論文を完成させて、世界を直して、その後で、ゆっくりお茶をいただきますわ」


「ああ。待っている」


 彼が出ていった後も、紅茶の温もりが、指先に残っていた。


 残り18時間。

 月面の衛星が、自己修復を完了しつつあることを、ドワーフの観測装置が告げていた。

 猶予の砂時計が、音を立てて減っていく。


 だが、私の制御コードも、完成に近づいていた。


 残り6時間。ハンナが差し入れたパンを齧りながら、最後のサブルーチンに取り組む。

 この部分は、前世の論文で最も苦労した箇所だった。微生物群集の自律的最適化——個体の利己的な振る舞いが、なぜ全体としての協調を生むのか。

 前世では、答えが出なかった。数式が閉じなかった。


 だが今の私には、ヴェルテンベルクの土壌がある。

 あの腐った土地で、実際に微生物たちが見せてくれた答え。星の癒し手が、在来微生物と共生し、互いに不足を補い合い、汚染された大地を蘇らせた、あの過程。


(……これだ。前世の私に足りなかったのは、実験データじゃない。実体験だった)


 ペンが、走る。数式が、繋がる。


 最後の一行を書き終えた時。


 ペンが止まった。

 手が震えていた。インクの染みが、計算用紙の端に小さな星を描いていた。


 隣で、ハンナが息を詰めていた。

 この三日間、彼女は「おねえちゃんの記録係」を自ら買って出て、私の傍を離れなかった。

 彼女のスケッチブックの表紙には、稚拙な文字で、こう書かれていた。

 『かんさつにっき ——ハンナ vol.14』

 14冊目。

 アルフレッドが始めた観察帳。あの几帳面な記録は、彼と共に途絶えた。だが、いつの間にか、ハンナがそれを引き継いでいた。

 帳面の書式も、日付の書き方も、アルフレッドとは似ても似つかない。だが、「一行も欠かさず、毎日記録する」という姿勢だけは——完璧に受け継がれていた。

(……アルフレッド。あなたの種は、ちゃんと芽を出していますよ)

 彼女の小さなスケッチブックには、研究室の様子が稚拙だが丁寧に描かれている。散乱した計算用紙。ギムレックの試作品。エルフの魔晶核。

 そして、机に突っ伏して仮眠する私の後ろ姿。


「……おねえちゃん、できた?」


「ええ。……できましたわ」


 前世の論文の結論。この世界に来て、ようやく書けた、その最終行。


『生態系の最適化は、多様性の維持によってのみ達成される。単一の支配者による制御は、一時的な安定をもたらすが、長期的には系の脆弱性を増大させる。真の安定とは、無数の自律的エージェントが、相互に影響し合いながら、自発的に秩序を形成する状態である』


 ヴァレリウスへの答え。

 科学者としての、私の答え。

 そして——茅野莉子が、あの深夜の研究室で書きたかった、最後の一文。


(……莉子さん。あなたの論文、完成しましたよ。査読者はドワーフの鍛冶師とエルフの賢者。……きっと世界一厳しい査読委員会だけど、通してみせますわ)


 ハンナが、スケッチブックの最後のページに、何かを描いていた。覗き込むと——泣きながら笑っている私の顔だった。


「へたくそな絵ですわね」


「おねえちゃんの顔がへんなんだもん」


 二人で、笑った。涙が止まらないまま。


「……完成しましたわ」


 私は、涙を拭いた。


「全班、最終配置についてください。……最後の実験を、始めます」

結論は、まもなく。


面白いと思っていただけましたら、ブックマークや☆での評価をいただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ