科学者の選択
最終実験——すべてを賭けた一手。
紅蓮の光柱が、広場を貫いた。
だが今度は、私たちは逃げなかった。
着弾の瞬間、私は培養液の全量を、粒子線の着弾点に投じた。エルフの調律の歌が星の癒し手の活性を極限まで引き上げ、ギムレックの響振石が、その効果範囲を増幅する。
粒子線と微生物が、接触した。
閃光。
それは、聖都でセラフィナのシステムを止めた時と、同じ現象だった。
星の癒し手のナノマシン分解酵素が、粒子線に含まれるナノマシンを次々と無力化し、その連鎖反応が、光の柱を逆流して、空へと昇っていく。
地上から天へ向かう、翠色の光。
私たちの「生命」が、天上の「機械」に向かって、駆け上っていく。
広場にいた全員が、息を止めていた。
ドワーフの技師が計器を睨み、エルフの歌い手が旋律を維持し、クラウスの兵士たちが盾を構えたまま、空を見上げている。
五秒。十秒。十五秒。
翠色の光は、細い糸のように天を貫き、月面の紅蓮の光点へ一直線に伸びていた。
二十秒。
月面の光点が、ちらりと瞬いた。
そして――消えた。
「……止まった……?」
ハンナの声が、震えている。
空を見上げる。月は、元の、ただの蒼白い天体に戻っていた。
私の観測ゴーグルが捉えたデータが、事実を告げている。
(粒子線照射、停止。衛星表面温度、急上昇中。冷却系の連鎖障害……。成功、した……?)
「……やった。やりました……!」
膝から力が抜けた。
だが、私は倒れなかった。背後から、大きな手が、私の肩を支えていた。
「……見事だ。お前は、神に勝った」
レオンハルトの声。彼は、自分も立っているのがやっとなはずなのに、それでも私を支えてくれていた。
「いいえ。神に勝ったのではありません。ただ、機械を止めただけ」
私は、ゴーグルを外して、月を見上げた。
「……あの衛星は、まだ生きていますわ。冷却系が損傷しただけで、本体は無事。時間が経てば、自己修復して、また動き出す」
ギムレックが、重い声で問うた。
「……つまり、これは猶予であって、勝利じゃねえってことか」
「ええ。猶予は、おそらく……72時間。その間に、あの衛星をどうするか、決めなければなりません」
選択肢は、二つしかなかった。
一つ目。衛星を完全に破壊する。
星の癒し手を直接月面に送り込み、衛星の全システムを分解する。確実で、安全で、後腐れがない。
二つ目。衛星を制御下に置く。
エデンシステムの制御コードを書き換え、衛星を「兵器」から「浄化装置」に転換する。あの粒子線のエネルギーを、地上のナノマシン汚染を一掃するために使う。
「破壊の方が安全だろう」
レオンハルトが言った。腕を組み、月を見据えたまま。
「あんな危険な代物を残しておくべきではない」
「俺も同意だ」
クラウスが頷いた。
「軍事的には、脅威の排除が最優先。制御できるという保証はどこにもない」
「……はい。本来なら、そう判断すべきです」
私は、ヴァレリウスの書庫で見た古文書の内容を、思い出していた。
七つの文明が滅びた記録。どの文明も、衛星を「制御」しようとして、失敗した。制御が破綻するたびに、文明は滅びた。
(……ヴァレリウスが恐れていたのは、まさにこれだ。科学が力を持ちすぎることの危険。七つの文明が、七回、同じ過ちを繰り返した。彼は間違っていた。)
(だが、彼の恐怖には、七つ分の根拠があった)
あの書庫で見た報告書の最後の一行が、脳裏に蘇る。
『第七文明最終報告——すべての文明は、制御の誘惑に敗れた』
(八番目の文明の科学者が、同じ誘惑に手を伸ばす。……ヴァレリウスが見たら、何と言うかしら)
だが、ヴァレリウス。あなたが見落としていたものがある。
七つの文明の報告書を、私は全て読んだ。そしてどの文明にも、共通する一つの欠落があった。
(彼らは、全員、一人で制御しようとした。一つの種族が、一つの権力が、一つの天才が、全てを背負おうとして、潰れた)
それは、前世の私と同じだ。
深夜の研究室で、一人でコーヒーを飲み、一人で論文を書き、一人で倒れた。
(でも、今の私は違う)
ギムレックの怒鳴り声。エルフの歌声。クラウスの敬礼。ハンナの笑い声。アルフレッドが守り抜いた母株。レオンハルトの、不器用な弾道計算。
(八番目の文明が七番目と違うのは、たった一つだけ。……私が、一人じゃないということ)
「ですが」
私は仲間たちの顔を見渡した。
「破壊すれば、この世界に残る古代のナノマシン汚染を浄化する手段を、永遠に失います。水晶の砂漠も、黒鉄山の残留汚染も、そのまま。私たちの科学で浄化するには、百年以上かかる」
「制御すれば?」
「……数日で終わります。あの粒子線のエネルギーを星の癒し手の拡散に転用すれば、大陸全土のナノマシン汚染を、一気に浄化できる」
沈黙が、広場を支配した。
「リスクは?」
「制御に失敗すれば、衛星が暴走する可能性がある。最悪の場合、第八次大崩壊。……ヴァレリウスが恐れた、まさにその結末です」
エララ議長が、穏やかに口を開いた。
「……人間の科学者よ。その判断は、お前にしかできぬ。我らは、お前に命を預けた。この選択もまた、お前に預ける」
ギムレックが、顎髭を撫でた。
「俺ぁ、鍛冶師だ。最高の金属を手に入れたら、溶かして捨てるか、最高の剣に鍛えるか。答えは決まってる」
ハンナが、私の手を握った。
「おねえちゃんなら、だいじょうぶ」
レオンハルトは、何も言わなかった。ただ、私の目を見つめていた。
(……自由な科学が、世界を滅ぼしたことがある。でも)
私は、あの麦の穂のことを思った。
あの村人たちの涙。ハンナの笑顔。広場でパンを頬張る人々の歓声。
(……科学が世界を壊したなら、科学で直す。それが、科学者の責任ですわ)
「制御を、選びます」
私の声は、静かだった。
だが、震えてはいなかった。
(……ヴァレリウス。あなたは千二百年前、同じ岐路に立ったはず。科学者として。そして、あなたは「封印」を選んだ。)
(科学を殺し、自由を奪い、秩序という名の檻で世界を閉じ込めた。——あなたの問いに、千二百年越しに、別の科学者が答えます)
(あなたの答えは「人間を信じない」こと。私の答えは「仲間を信じる」こと。——それだけが、八番目の文明が、七番目と違う理由ですわ)
「ただし、条件があります」
私は、全員の目を見渡した。
「第一。制御コードの最終キーを、三種族に分散して預けます。人間だけでは、二度と、あの兵器を起動できないように」
「第二。この技術の全情報を、三種族で共有します。一つの種族が独占すれば、それは八度目の崩壊への入口。ヴァレリウスが恐れた、まさにその構造になる」
「第三。もし——もし万が一、制御に失敗した場合」
私は、一拍、間を置いた。
「その時は、私が、自分の手で破壊します。責任は、全て、私が負う」
沈黙が落ちた。
エララが、最初に動いた。立ち上がり、エルフの礼——右手を胸に、左手を空に——を取った。
「我らの森は、千年の汚染に苦しんできた。この選択に、世界樹の名において賛同する」
ギムレックが、拳を打ち鳴らした。
「俺ぁ、鍛冶師だ。最高の金属が手に入ったら、最高の剣を打つ。嬢ちゃんの判断を信じるぜ」
クラウスが、苦笑した。
「軍人としては反対だが……科学者の覚悟は、聞き届けた」
レオンハルトは、やはり何も言わなかった。
ただ、私の肩に、そっと手を置いた。
その手の温もりが、全ての言葉の代わりだった。
「72時間。世界を直す最後の実験を、始めましょう」
選択は下された。
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