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『追放悪役令嬢の発酵無双 〜腐敗した王国を、前世の知識(バイオテクノロジー)で美味しく改革します〜』  作者: 杜陽月
星を治す者

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逆流——科学者の最後の賭け

新たな変数——逆流。

 月の紅蓮の光が、三度目の収束を始めていた。


 レオンハルト様の膝が崩れ、大剣を支えに辛うじて立っている。彼の黒い甲冑は、魔力の過負荷で、至る所にひび割れが走っていた。


「……イザベラ。時間が、ない」


 彼の声は、枯れていた。

 だが、その銀灰色の瞳だけは、私を信じるという、絶対の光を湛えている。


「分かっていますわ」


 私は広場に散乱した観測機器の残骸を拾い集めながら、頭の中で、狂ったように計算を回していた。


(あの粒子線の波長。穴の直径と深度から逆算した出力。そして、第一射と第二射の間隔――約90秒。充填時間か、それとも……冷却?)


 冷却。

 その単語が、私の脳内で、稲妻のように弾けた。


(……待って。粒子線兵器が冷却を必要とするということは、あの衛星は、熱を効率的に放散できない構造?真空中では対流冷却が使えない。)


(つまり、放射冷却か、あるいは……)


「……冷却材」


 声が出ていた。


「嬢ちゃん?」


「ギムレック親方。あの月の兵器は、無限に撃てるわけではない。発射のたびに膨大な熱が発生し、その冷却に時間がかかる。そして冷却に使っているのは――」


 私の目が、先ほどの穴の断面に残る、微細な結晶に釘付けになった。

 その結晶構造を、私は知っている。あの聖都の地下で、エデンシステムのコアを構成していた物質と、同じだ。


「――ナノマシンですわ。あの衛星もまた、エデンシステムの一部。セラフィナが制御していた聖女システムと、同じ技術基盤で動いている」


 指先が、震えていた。


 この結晶構造の解析式。粒子線の波長から冷却系の構成素材を逆算する手順。

 それは、前世の論文の第三章で私が導いた、微生物群集の物質循環モデルと、根本的に同じ数学的構造をしている。


(……茅野莉子の数式が、ここで繋がる(・・・)


 前世の研究室。深夜三時のオフィスで、コンビニのコーヒーを片手に、何百回も書き直したあの式。査読に出す前に私が死んだ、あの未完成の論文の核心部分。

 それが今、この世界の空を支配する兵器の弱点を暴く鍵になっている。


 笑いたいのか泣きたいのか、分からなかった。ただ、ペンを握る手が止まらなかった。


 その瞬間、全てが繋がった。

 セラフィナの聖女システム。執行官。そして、この月の兵器。

 全ては、古代文明が構築した『エデン・プロジェクト』の、異なるモジュールだったのだ。


「同じ基盤で動いているなら――」


 私は懐から、最も大切なものを取り出した。

 アルフレッドが命がけで守り抜いた、あの『母株』のシャーレ。

 星の癒し手――私たちが作り出した、ナノマシンを無力化する特殊微生物。


「これが、通じる」


「嬢ちゃん、まさか、あの微生物を月に届けるってのか!? どうやって!」


「届ける必要はありませんわ」


 私は、穴の淵に膝をつき、その溶融した断面に、シャーレから培養液を一滴、垂らした。


「この粒子線は、地上に到達する際、微量のナノマシンを含んでいる。つまり、粒子線そのものが、月と地上を繋ぐ『橋』ですわ」


 ギムレックの目が見開かれた。


「……次の射撃を、逆に、パイプラインとして使う気か」


「ええ。次の粒子線が地表に到達した瞬間、その経路に星の癒し手を大量散布すれば、ナノマシンの連鎖反応が、粒子線を伝って、逆流する。月の兵器の冷却系を、内部から食い破ることができるはず」


「『はず』か」


「確率は……正直に申し上げて、20パーセントほど」


「上等だ。ドワーフは100パーセントの確率で諦めるより、20パーセントの確率に賭ける民族でな」


 だが、問題はまだあった。


「親方。星の癒し手を粒子線の着弾点に散布するだけでは、逆流の速度が足りない。ナノマシンの分解連鎖を加速させるための、触媒が必要です」


「触媒だと? 何を使う」


「マナです。星の癒し手は、マナを含む環境で活性が最大化する。着弾の瞬間、粒子線の周囲に高密度のマナ場を形成できれば、分解速度は理論上、三倍になる」


 アルフレッドが、血の気の引いた顔で問うた。


「お嬢様。それは……星の癒し手の全量を使うということですか。失敗すれば、もう母株から増殖する時間は……」


「ないわ。一発勝負ですの」


 私は、母株のシャーレを見つめた。あの、テル・アドリエルの地下プラントで生まれた、最初の一滴。

 執行官の襲撃の中、アルフレッドが命がけで守り抜いてくれた、たった一つの希望。

 それを、全て、使い切る。


「……おねえちゃん」


 ハンナが、私の白衣の裾を掴んでいた。その大きな瞳が、不安に揺れている。


「だいじょうぶ?」


 私は、彼女の頭を撫でた。


「ええ。大丈夫よ、ハンナ。科学者はね、仮説が正しいと信じたら、全てを賭けて実験するものなの」


「……でも、まちがったら?」


「その時は、また最初からやり直すだけですわ。科学に『失敗』はないの。あるのは、次の実験に活かすための『データ』だけ」


 ハンナは、少しだけ笑った。私も、笑った。嘘だ。失敗すれば、次はない。でも、この子の前では、強がるくらいの権利はあるだろう。


 クラウスが、剣を鞘に収めながら進み出た。


「イザベラ様。兵士たちに何をさせればよいか」


「着弾点の周囲に、星の癒し手の培養液を環状に配置してください。半径3メートルの円を描くように。そして、着弾の瞬間、全員が円の外へ退避すること。粒子線の余波は、生身では耐えられません」


「承知いたしました」


 クラウスが、鉄のように端正な敬礼をして、駆け出した。


 月の光が、頂点に近づいていた。


「エララ議長!」


 私は、森からの撤退後、王城の中で回復していたエルフたちに向かって叫んだ。


「お願いがあります! 調律の歌を。あの粒子線が着弾した瞬間、星の癒し手の活性を、最大まで引き上げるための、マナの調律を!」


 エルフの議長は、ボロボロの体で、それでもなお凛とした姿で立ち上がった。


「……言われずとも。我らの歌を、あの空に届けてやろうではないか」


 広場の中央に、私は全ての星の癒し手の培養液を並べた。

 母株から増殖させた、最後の全量。これを使えば、もう予備はない。


「皆さん、聞いてください」


 拡声器に向かって、私は宣言した。


「今から、あの月の兵器を止めます。科学と、魔法と、そしてドワーフの魂で。……ですが、もし失敗すれば、私たちに、二度目の機会はありません」


 民衆が、息を呑む。


「だから、一つだけ、お願いがありますの」


 私は、先ほどまで自分に石を投げていた人々の目を、一人一人、見つめた。


「……生き残ったら、パンの焼き方を、覚えてくださいませ。科学者がいなくても、あなた方自身の手で、発酵を起こせるように」


 誰かが、泣いていた。

 さっき石を投げた男が、帽子を握りしめて、小さく頭を下げていた。


 レオンハルトが、私の隣に立った。彼はもう、剣を持っていなかった。代わりに、その大きな手で、ギムレックの響振石を持ち上げている。


「……何をなさっていますの?」


「お前の培養液を注ぐ位置を、あと30センチ手前にしろ。第一射の着弾痕から粒子線の傾斜角を逆算した。次弾の着弾点は、お前の計算より、わずかにこちら側だ」


「……それ、どうやって計算を」


「お前の観測機器の読み方くらい、横で見ていれば分かる」


 私は、息を飲んだ。そして、培養液の配置を修正した。


 月が、閃いた。


「――今!」


 私の絶叫と、エルフたちの歌声と、ギムレックの咆哮が、同時に広場を揺るがした。

逆流。前世の論文が、世界を救う鍵になる。


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クラウスとアルフレッド、お墓作ったのに本当は生きていた?それとも幻聴?
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