沈黙の災厄
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
王都での勝利に沸くイザベラたち。しかし、その裏で、聖女と教皇は、この世界の根幹を揺るがす、禁断の計画を始動させていました。
物語は、もはや一国の存亡ではなく、世界の運命を賭けた、新たなステージへと突入します。イザベラは、この未曾有の脅威に、どう立ち向かうのか。
「……まさか……」
私の唇から、かすれた声が漏れた。レオンハルトからの親書を握りしめる指が、白くなる。羊皮紙に記された『山が、泣いている』という、あまりにも詩的な、それ故に恐ろしい一文が、私の脳裏で、最悪の科学的仮説と結びついていた。
「おねえちゃん、どうしたの? 顔が、真っ青だよ……」
私の袖を、ハンナが心配そうに引く 。研究室の仲間たちが、私のただならぬ様子に、息を殺して集まってくる。
「アルフレッド!」
「は、はい、お嬢様!」
「すぐに王都へ向かうわ! 馬車の手配を! これは、一刻の猶予もない、国家の、いえ、世界の危機よ!」
私の切迫した声に、その場の空気が凍りついた。彼らは、私がこれほどまでに感情を露わにするのを、初めて見たのだ。
王都への道中、馬車の中で、私は必死に思考を巡らせていた。
古代文明の遺跡から、断片的に見つけ出したログデータ。その中に、繰り返し現れる、一つの警告があった。
『コード:ΚΑΤΑΣΤΡΟΦΗ』。自己増殖型ナノマシンによる、有機物の、不可逆的な、結晶化現象。
聖女リリアナが、暴走の果てに、偶然引き起こしてしまった、あの『水晶の砂漠』の、本当の正体 。
――『沈黙の災厄』。
それは、生命の進化すらもコントロールしようとした古代文明が、自らの創造物によって滅びるきっかけとなった、究極の失敗作。全ての有機物を分解し、自らの複製と、不毛の結晶体へと変換してしまう、悪夢の技術。
教皇ヴァレリウスと聖女セラフィナ。彼らは、自分たちで制御できないはずの、その禁断のパンドラの箱を……意図的に、こじ開けようとしているのだ。
(なぜ……? あれが、一度解き放たれれば、世界そのものが終わるというのに……!)
その問いへの答えは、まだ、見つからなかった。
王城の作戦司令室は、混乱の極みにあった。
「報告! 北部監視塔より、地鳴りは未だ収まらず! 山肌の一部が、まるで生き物のように脈動しているとのこと!」
「ドワーフの住まう黒鉄山から、難民が! 『山の神がお怒りだ』と、訳の分からぬことしか……!」
「山から、奇妙な、きらきらと光る霧が流れ出し、麓の森を飲み込んでおります! 霧に触れた斥候からの連絡が、途絶えました!」
レオンハルトは、次々と舞い込む、恐慌に満ちた報告を、玉座の隣で、厳しい表情で聞いていた 。そこに集う貴族や将軍たちは、超常的な現象を前に、ただ右往左往するばかりだ。
「……古の竜でも、目覚めたのではないか……」
「聖女セラフィナ様にお祈りを! これこそ、ヴェルテンベルクの魔女が招いた、本物の神罰だ!」
その、愚かな雑音を切り裂いたのは、作戦司令室の扉を勢いよく開け放った、私の声だった。
「それは、神罰などという、非科学的なものではありませんわ!」
私が、息を切らしながらも、凛とした声で言い放つと、その場の全ての視線が、私に集中した。
「イザベラ……! 来たか!」
レオンハルトが、安堵とも焦りともつかぬ表情で、私の名を呼ぶ。
「摂政殿下! なぜ、あの魔女をこの神聖な場に!」
旧体制派の侯爵が、ヒステリックに叫ぶ。だが、私は彼を一瞥だにせず、まっすぐに、壁に掛けられた巨大な王国地図の前へと進み出た。
「皆さん。あなた方が今、直面している脅威は、竜でも、神罰でもありません。それは、古代文明が遺した、あまりにも危険な……科学の負の遺産ですわ」
私は、ギムレックに作らせた携帯用の石盤を立てかけると、チョークを手に取り、そこに、一つの化学式にも似た、概念図を描き始めた。
「その名を、『沈黙の災厄』。正体は、目に見えぬほど小さな、自己増殖能力を持つ、魔法機械です」
私の言葉に、議場がざわめく。
「ナノマシンは、空気中を漂い、あらゆる有機物――草も、木も、動物も、そして、人間をも分解し、それをエネルギー源として、自らを無限に複製します。そして、その過程で排出されるのが、生命の存在を許さない、不毛の『結晶体』。……あなた方が、王都の南で見た、あの『水晶の砂漠』と、全く同じものですわ」
私の説明に、貴族たちの顔が、恐怖に引きつっていく。
「『山が泣いている』という報告。それは、おそらく、ナノマシンが山の岩盤内部にまで侵食し、その地質構造を、分子レベルで破壊している音。地殻そのものが、悲鳴を上げているのです」
「そして、『光る霧』。それこそが、空気中に放出された、ナノマシンの集合体。いわば、死を運ぶ雲。それに触れた斥候の方々は、おそらく……もう……」
私は、言葉を続けれなかった。その結末は、あまりにも、残酷すぎた。
「……馬鹿な……」
誰かが、かすれた声で言った。
「そんなものが、存在するなど……。そして、それを、聖女たちが、意図的に……? なぜだ! 世界を滅ぼして、何になるというのだ!」
その、誰もが抱いた疑問に、私は、一つの、最も恐ろしい仮説を提示した。
「彼らは、世界を滅ぼすつもりはないのでしょう。彼らは、この『沈黙の災厄』を、交渉の道具として使うつもりなのですわ」
私は、一同を見渡し、静かに、しかし、はっきりと告げた。
「考えてもごらんなさい。この、誰にも止められない、絶対的な恐怖。その『停止』を、自分たちだけが握っていると、世界に宣言したら? ……全ての国は、全ての民は、彼らの言う『秩序』の前に、ひれ伏すしかなくなる。彼らは、神罰の恐怖を演出することで、世界そのものを支配しようとしているのですわ」
それは、あまりにも壮大で、あまりにも悪魔的な計画だった。作戦司令室は、死んだように静まり返る。誰もが、その計画の恐ろしさに、言葉を失っていた。
「……イザベラ」
最初に沈黙を破ったのは、レオンハルトだった。彼は、私の隣に立ち、その銀灰色の瞳で、私をまっすぐに見据えていた 。
「……対策は、あるのか」
その問いは、シンプルだった。だが、そこには、この国の未来の全てが、かかっていた。
私は、彼の目を、まっすぐに見返した。
「……わかりません」
私の答えに、議場に、絶望の色が広がった。
「ですが」と、私は続けた。
「科学とは、未知の現象を解明し、そこに法則を見つけ出し、制御するための学問です。この災厄が、科学の産物であるならば、必ず、それを止めるための科学も、存在するはず。……ですが、私一人の知識では、あまりにも時間が足りない」
私は、地図の上、災厄の発生源である、黒鉄山の北を、指し示した。
「この脅威に立ち向かうには、新たな『同盟』が必要です。まず、この災厄の最前線にいる、ドワーフたち。彼らは、誰よりも、この山のことを知っているはずです。彼らの知識と技術が、絶対に必要になります」
「そして、エルフたち。彼らは、古代から、この世界の生命――マナの流れを、誰よりも深く理解している。彼らの失われた『真の魔法』の中に、このナノマシンの活動を阻害する、ヒントが隠されているかもしれません」
「最後に、蒼海の同盟。彼らが持つ、世界中の情報網と、古代文明の遺物に関する知識も、必要になるでしょう」
私は、レオンハルトに向き直り、そして、そこにいる全ての者たちに、宣言した。
「これは、もはや、この国だけの問題ではありません。世界の全ての種族が、その知恵と力を結集し、共に立ち向かわなければならない、共通の脅威です。……摂政殿下。私に、全権大使としての権限をください。私が、この『世界同盟』を、結んでみせますわ」
私の言葉に、もはや、異を唱える者は、一人もいなかった。
窓の外では、北の空が、不気味な、オーロラのような光に、微かに染まり始めていた。
それは、沈黙の災厄が、その活動を、本格的に開始した、合図だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
聖女と教皇が放った、最悪の一手、『沈黙の災厄』。物語は、もはや一国の存亡ではなく、世界の運命を賭けた、新たなステージへと突入しました。
イザベラは、この未曾有の脅威に立ち向かうため、世界を巡る旅に出ることを決意します。
次回「ドワーフの国へ」。災厄の最前線で、彼女が最初に目にするものとは。
明日7時10分に更新予定です。
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