表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『追放悪役令嬢の発酵無双 〜腐敗した王国を、前世の知識(バイオテクノロジー)で美味しく改革します〜』  作者: 杜陽月
発酵と侵蝕

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
33/75

水晶が暗くなった瞬間

実験条件: 地下の国と、地上の科学者。

 冬の入口。赤蝕病との戦いを制してから、四十日が経った。ザワークラウトの樽は、ちょうど良い酸味に仕上がる頃合いだ。発酵に必要なのは、温度と、時間と、待つ忍耐。


王都(おうと)エーデンガルドの城門は、夜明けと共に開かれた。

 そこから滑り出すように出てきたのは、王家の紋章ではなく、ヴェルテンベルクとシュヴァルツェンベルク、二つの家の紋章を並べて掲げた、一団の小さなキャラバンだった。

 先頭を行くのは、私と、護衛を兼ねるクラウス副官。後方には、アルフレッドとハンナ、そして、私の研究機材を積んだ頑丈な馬車が続く。

 ハンナは、危険な旅になることを承知の上で、「おねえちゃんの助手だから」と言って、ついてくることを譲らなかった。

 その瞳に宿る強い光は、もはやただの村娘のものではなかった。


「……イザベラ」


 城壁の上から、レオンハルトの声が降ってきた。見上げると、彼は摂政としての豪奢な装束ではなく、見慣れた黒銀の鎧を身に纏い、一人、私たちを見下ろしていた。


「必ず、戻れ。お前が戻るまで、この国は、俺が必ず守り抜く」


「ええ、わかっておりますわ、レオンハルト様。あなたという最強の『(たて)』がいるからこそ、私は、安心して『(つるぎ)』を振るうことができるのですから」


 私たちは、言葉少なだった。だが、それで十分だった。彼と私の間には、もはや多くの言葉を必要としない、絶対的な信頼関係が築かれていた。

 彼は王都で、貴族たちを抑え、国の秩序を維持するという、もう一つの戦場で戦ってくれる。私は、私の戦場で、科学の力で、この世界の未来を切り開く。

 私たちは、それぞれの戦場へと、向かうのだ。


 北へ。黒鉄山(くろがねやま)を目指す旅は、日に日に、その過酷さを増していった。

 王都を離れて三日も経つと、大地の異変は、誰の目にも明らかになった。空は常に薄曇りで、太陽の光は弱々しい。

 そして、北の地平線の彼方には、オーロラのように揺らめく、不気味な光のカーテンが、昼夜を問わず見えるようになっていた。


「……イザベラ様。あれが……」


 クラウスが、険しい表情で呟く。


「ええ。あれこそが、『沈黙の災厄サイレント・カラミティ』の本体。空気中に放出された、ナノマシンの集合体ですわ。」


 クラウスは続けた。


「あの光は、ナノマシンが互いに情報をやり取りする際に発する、微弱なエネルギー……。美しいけれど、決して触れてはならない、死の光よ」


 さらに進むと、道端の木々や草の様子がおかしくなってきた。

 葉の緑が、まるで色褪せたように薄くなり、その先端が、微かに、しかし確実に、きらきらと光る結晶へと変わり始めているのだ。


「おねえちゃん、お花が……お花が、ガラスみたいになってる……」


 ハンナが、馬車の中から、悲しそうな声を上げる。

 私は、馬を止めさせると、厳重に手袋をした手で、その結晶化した草を一本、慎重に採取した。ガラスの小瓶に入れ、光にかざす。


(……間違いない。有機構造が、分子レベルで、珪素化合物へと置換されている。進行速度は、まだ遅い。だが、確実に、この大地は、内側から、静かに殺され続けている……)


 聖女セラフィナと教皇ヴァレリウス。彼らは、この光景を、どこかで見ているのだろうか。

 自分たちが解き放ったものが、どれほど恐ろしいものであるのかを、理解しているのだろうか。

 私の胸に、科学者としての、静かで、しかし燃えるような怒りが込み上げてきた。


 黒鉄山の麓にたどり着いたのは、旅を始めてから七日目のこと。

 そこにあるはずの、ドワーフたちが作った、活気ある麓の町は、ゴーストタウンと化していた。家々は固く扉を閉ざし、人の気配が全くない。

 そして、山全体が、まるで巨大な生き物が呻くかのように、低く、不気味な地鳴りを、絶え間なく響かせている。


「……ひどい有様だな」


 クラウスが、警戒しながら周囲を見渡す。


「彼らは、山の奥深くにある、本拠地へと避難したのでしょう。ですが、問題は、ここからどうやって彼らに会うか、ですわね」


 ドワーフの国、鉄槌の王国アイアンハンマー・キングダムは、巨大な岩山をくり抜いて作られた、難攻不落の要塞都市だ。

 その入り口は、部外者には決して明かされない、秘密の場所にある。


「お嬢ちゃん! こっちだ、こっち!」


 その声は、近くの岩陰から聞こえてきた。ひょっこりと顔を出したのは、見慣れた、赤茶色の長い髭。


「ギムレック殿!」


「おうよ! お前さんたちが来るって報せは、摂政殿下の早馬から聞いてたんでな。待ちくたびれたぜ!」


 王立技術院長ギムレックは、もはや私の、そしてこの国の、かけがえのない仲間だった 。彼は、私たちを、巧妙に隠された岩の扉へと案内してくれた。


「……だが、お嬢ちゃん。ここから先は、俺もどうなるか分からん。王様も、長老たちも、この異常事態に、すっかり気が立っておられる。下手をすりゃ、人間のお前さんたちは、問答無用で牢屋行きだ。……それでも、来るか?」


 彼の真剣な問いに、私は、迷いなく頷いた。


「ええ。そのために、ここに来たのですから」


 鉄槌の王国の内部は、荘厳、という言葉が最も相応しい場所だった。

 巨大な地下空洞には、何層にもわたって、石と鉄でできた建造物が立ち並び、地底湖の水を動力源とした、巨大な水車や歯車が、ゆっくりと、しかし力強く回転している。

 だが、その活気は、どこか空虚だった。

 ドワーフたちの顔には、いつものような職人としての誇りはなく、自分たちの聖域が脅かされていることへの、深い不安と、焦りの色が浮かんでいた。


 私たちが通されたのは、王城の最も奥深くにある、大評議会だった。

 中央の、黒曜石を削り出して作られた玉座に座るのは、ドワーフの王、ブロック・アイアンハンマー。

 その白銀の髭は、床に届くほど長く、その瞳は、何百年もの時を見てきた、賢者の光を宿していた。


「……よく来たな、人間の娘よ。そして、シュヴァルツェンベルクの騎士。ギムレックから、お主の噂は聞いておる。我らの長年の悩みであった『赤錆病(あかさびびょう)』を、奇妙な『科学』とやらで解決した、と」


 王の声は、地鳴りのように、低く、重かった。


「だが、今、我らが直面しておる問題は、錆などという、生易しいものではない。……この山の、魂そのものが、病に侵されておるのだ」


 彼は、玉座の横に置かれた、一つの鉄の塊を指し示した。それは、昨日、この山の最も深い鉱脈から掘り出されたばかりの、最高品質の鉄鉱石だという。

 だが、その表面は、まるで癌細胞のように、不気味な結晶体に、まだらに侵食されていた。


「……これは……!」


 私は、王の許可を得て、その鉄鉱石に近づき、携帯用のルーペで、その結晶体を観察する。


(間違いない……! 『沈黙の災厄』だわ……! 無機物であるはずの鉄鉱石までもが、その結晶構造を、内側から破壊され、ナノマシンに置換され始めている……!)


「イザベラ・フォン・ヴェルテンベルクと申します、国王陛下」


 私は、ドワーフの王に向き直り、深く礼をした。


「私は、この現象の正体を知っております。そして、それを止めるための、方法を探しに参りました」


 私の言葉に、王の周囲を固める、長老らしきドワーフたちが、ざわめく。


「馬鹿な! 人間の小娘に、何が分かると言うのだ!」


「これは、山の神の怒りじゃ! 人間が、聖女の魔法などという、小賢しい力で、大地の理を乱したことへの、天罰なのじゃ!」


「その通りだ! この娘も、その聖女とやらの、同類ではないのか!」


 彼らの、人間への不信感は、根深い。ギムレックが、何か言おうとするのを、私は手で制した。


「皆様のお考え、ごもっともですわ。ですが、これは天罰などではありません。あなた方が『山の神の怒り』と呼ぶものは、聖女の魔法とは、似て非なる、もっと恐ろしい、科学の暴走なのです」


 私は、持参した石盤に、チョークで、『沈黙の災厄』の概念図を描き、そのメカニズムを、できるだけ分かりやすく、しかし、科学的な正確さを失わずに、説明した。

 自己増殖、有機物分解、結晶化。そして、その最終的な目的が、世界の支配にあることを。

 私の説明が終わっても、長老たちの疑念は、晴れなかった。


「……ナノマシン、だと? 目に見えぬほどの、小さな機械とな? 馬鹿馬鹿しい! 我らが信じるのは、この手で触れられる、鉄と、炎だけだ!」


 やはり、言葉だけでは、彼らの心を動かすことはできない。

 私は、最後の切り札を切ることにした。


「国王陛下。ギムレック殿。あなた方は、私の『科学』の力を、一度、その目で見てくださったはずですわね?」


「……うむ。確かにな」


「ならば、もう一度だけ、私に、それを証明する機会をいただけますか?」


 私は、懐から、一つの、小さなガラス瓶を取り出した。中には、ヴェルテンベルクの教会で培養した、あの『雪のように白い放線菌』が入っている 。


「この子たちは、魔法機械(グレイ・ダスト)を分解する力を持っています。そして、『沈黙の災厄』もまた、同じ古代文明が生み出した、魔法機械の一種。ならば……」


 私は、王の前に進み出ると、その病に侵された鉄鉱石の上に、白い放線菌を、数滴、そっと垂らした。


「……この子たちが、あの災厄を、喰らってくれる可能性が、あるはずですわ」


 評議会の全てのドワーフが、息を殺して、その様子を見守っている。

 白い菌糸が、鉄鉱石の表面で、ゆっくりと、しかし、力強く、広がり始める。

 そして、不気味な結晶体に覆われた部分に、菌糸が到達した、その瞬間。


 ぱち、と。まるで、小さな火花が散るような、微かな音がした。

 結晶体が、その輝きを、わずかに、失ったのだ。

 それは、あまりにも地味で、あまりにも静かな変化だった。だが、そこにいた、全てのドワーフが、それを、確かに、見た。


「……おお……」


 誰かが、畏敬の念に満ちた、声を漏らした。

 私の科学は、まだ、この災厄に、完全には敗北していなかったのだ。

旅の先に待つのは、同盟か、拒絶か。


面白いと思っていただけましたら、ブックマークや☆での評価をいただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ