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『追放悪役令嬢の発酵無双 〜腐敗した王国を、前世の知識(バイオテクノロジー)で美味しく改革します〜』  作者: 杜陽月
発酵と侵蝕

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槌と科学、共に火を灯す

仮説——世界同盟は成立するか。

鉄槌の王国アイアンハンマー・キングダムの大評議会は、水を打ったような静寂に包まれていた。

 そこにいる全てのドワーフ――百戦錬磨の王も、頑固な長老たちも、腕利きの職人たちも、誰もが息を殺して、玉座の前に置かれた一つの鉄鉱石に、その視線を注いでいる。

 病に侵され、不気味な結晶体に覆われていたその表面で、私が垂らした『雪のように白い放線菌』が、ゆっくりと、しかし、確実に、その領域を広げていた。

 そして、白い菌糸が触れた部分から、あの死の結晶が、まるで朝日に溶ける霜のように、その輝きを失い、ぽろり、ぽろりと崩れ落ちていく。



 無言の圧力。

 それは、聖女の魔法のような、派手な光も、劇的な変化もない。

 だが、それは、生命が、死を喰らい、新たな秩序を紡ぎ出す、あまりにも荘厳で、静かな戦いの光景だった。


「……静かな、戦いじゃな」



 逃れられない現実。

 最初に沈黙を破ったのは、玉座に座るドワーフの王、ブロック・アイアンハンマーだった 。その声は、地鳴りのようでありながら、深い感嘆の色を帯びていた。


「我らが槌と炎で挑んでも、傷一つつけられなかったあの呪いを……かくも小さな命が、静かに喰らい尽くしていくとは」



 長い、長い沈黙。

 王の言葉に、長老の一人が、まだ信じられないといった様子で、反論の声を上げた。


「ですが、陛下! これは、あまりにも……あまりにもささやか過ぎる! 一滴の雫が、山を焼く大火を消せると申すか! この娘の言うことは、所詮、気休めに過ぎませぬ!」


「その通りだ! 人間の小賢しい手品に、惑わされてはなりませぬ!」


 冷たい空気。

 長老たちの、人間への根深い不信感が、再び頭をもたげる。

 彼らにとって、私のような若輩の、しかも人間の貴族の娘が、この国家存亡の危機を救えるとは、到底信じられないのだろう。

 その、疑念に満ちた空気を、一喝で断ち切ったのは、ギムレックだった 。


「黙らんか、長老ども!」


 彼は、評議会の中央へと進み出ると、その場にいる全ての同胞たちに向かって、腹の底からの大声を張り上げた 。


「お前さんたちの目は、節穴か! このお嬢ちゃんの『科学』が、ただの口先だけのものではないと、このワシが、この工房の連中が、この目で、この手で、確かめてきたのだぞ!」


 彼は、懐から、一つの、黒く艶やかに輝く手斧を取り出し、高々と掲げた。


「見ろ! これが、お嬢ちゃんの科学が生み出した、『天然樹脂塗料てんねんじゅしとりょう』で仕上げた、ワシの斧だ!」


 彼は続けた。


「あの忌々しい『赤錆病(あかさびびょう)』を完全に克服し、水に浸けようが、泥に塗れようが、その輝きを一切失わん! これが、手品だと申すか! これが、気休めだと申すか!」


 胸の痛み。

 ギムレックの言葉は、単なる擁護ではなかった。最高の職人である彼が、その職人としての全プライドを賭けて、私の科学の正しさを、証明してくれていたのだ。


「このお嬢ちゃんは、我らと同じ、創り手(つくりて)だ。言葉ではなく、結果で語る、本物のな。その言葉に、耳を貸す価値も無いと申すなら、お前さんたちは、ドワーフの名折れじゃ!」


 ギムレックの魂の叫びに、長老たちはぐうの音も出ず、押し黙った。

 私は、彼に深く一礼すると、国王陛下の前に、再び進み出た。


「国王陛下。ギムレック殿の仰る通り、私の科学は、まだ、この災厄に打ち勝つための、ほんの小さな『可能性(かのうせい)』を示したに過ぎません。ですが」


 私は、集まった全てのドワーフたちを見渡し、はっきりと告げた。


「科学とは、その小さな可能性を、観察と、実験と、そして、揺るぎない理論によって、確実な勝利へと変えるための学問ですわ。そのためには、あなた方の力――この世界で最高の、知恵と技術が、絶対に必要となります」


 私は、持参した石盤に、チョークで、私の反撃計画の、第一段階の全貌を描き出した。


「第一に、分析(ぶんせき)。この『沈黙の災厄サイレント・カラミティ』が、どのように山を蝕んでいるのか、その全体像を把握せねばなりません。」


 静寂。

 一拍の間があった。


「あなた方が持つ、この山の詳細な地質図と、鉱脈の知識。そして、各地から採取した土壌と岩石のサンプルを、共に分析させてください。敵を知ることこそ、勝利への第一歩です」


「第二に、培養(ばいよう)。この白い放線菌を、この国を救うための、我らの『兵士』として、大量に育成します。」


 彼は言葉に力を込めた。


「そのためには、ヴェルテンベルクで成功した『生物反応槽(バイオリアクター)』を、この山の地熱を利用して、さらに大規模なものとして建造する必要があります。これには、ギムレック院長を始めとする、皆様の技術が不可欠です」


「そして、第三に、最適化(さいてきか)。この放線菌の活動を、さらに活性化させるための『触媒(しょくばい)』となる、特殊な鉱物が、この山のどこかに眠っているはずです。それを、あなた方の知識で探し出し、特定していただきたいのです」


 奥歯を噛む音。

 私の計画は、具体的で、論理的で、そして、彼らドワーフへの、絶対的な敬意と信頼に基づいていた。私は、彼らを、ただの労働力として見ているのではない。

 この世界の危機に、共に立ち向かう、対等な『共同研究者(パートナー)』として、その力を求めているのだ。

 国王ブロック・アイアンハンマーは、静かに、私の説明の全てを聞き終えると、玉座の上で、深く、長い息を吐いた。

 そして、彼は、ゆっくりと、その重い口を開いた。


「……イザベラ・フォン・ヴェルテンベルクよ。お主の言葉、確かに、聞き届けた」


 彼は、玉座から立ち上がると、その荘厳な威容で、評議会に集った全ての同胞たちを見渡した。


「我らドワーフは、長きにわたり、この山と共に生きてきた。鉄を打ち、石を穿ち、ものを作ることで、我らの誇りを紡いできた。」


 彼は言葉に力を込めた。


「だが、今、その誇りの源泉である、この山そのものが、見えざる敵に喰われようとしておる。……長老たちよ、お前たちは、このまま、指を咥えて、我らの魂が死にゆくのを、ただ眺めているつもりか」


 その問いに、答えられる者は、いなかった。


「ワシは、嫌じゃ」


 予感。

 王は、きっぱりと言い切った。


「ワシは、戦いたい。我らの槌と、炉の炎が、まだ力を失っておらぬことを、証明したい。そして、この人間の娘が持つ『科学』という名の、新たな槌は、あるいは、この闇を打ち破る、唯一の光なのかもしれん」


 彼は、私に向き直ると、その威厳に満ちた顔に、初めて、かすかな笑みを浮かべた。


「よかろう、イザベラ・フォン・ヴェルテンベルク。その同盟、受けて立つ。この鉄槌の王国アイアンハンマー・キングダムの、全ての知識と、技術と、そして誇りを、お主の『科学』に預けよう。……その代わり、必ず、我らに勝利を、もたらせ」


「――御意のままに、国王陛下」


 私が、深く頭を下げると、大評議会は、地鳴りのような、ドワーフたちの雄叫びに包まれた。それは、絶望の淵から立ち上がる、鋼の民の、力強い鬨の声だった。


 その日の午後、鉄槌の王国は、まるで一つの巨大な生命体のように、再び動き出した。

 王の勅命の下、これまで部外者には決して明かされなかった、地下深部の地質研究所が、私に開放された。

 そこには、何百年にもわたって蓄積された、鉱石のサンプルや、地層の記録が、整然と保管されている。


「す、すごい……! おねえちゃん、キラキラ光る石が、いっぱい!」


 ハンナが、目を輝かせている。


「ふふ。ええ、そうね、ハンナ。ここは、この星の、秘密の宝物庫よ」


 私と、ギムレック、そして王が選抜した最高の地質学者であるドワーフたちが、早速、持ち込んだサンプルと、研究所のデータを照合し、分析を開始する。

 工房では、ギムレックの号令一下、ドワーフの職人たちが、巨大なバイオリアクターの建造に着手していた。

 その槌音は、もはや絶望の響きではなく、未来を創り出す、希望のリズムを刻んでいた。


 世界同盟の、確かな、第一歩。

 それは、この絶望的な戦いの中で、私たちが初めて掴んだ、大きな、大きな勝利だった。

手を取り合う種族たち。だが、敵はその隙を見逃さない。


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