一日目-4
「話さなきゃならないことはお互いたくさんあるだろうし、ゆっくりと整理しながら話そう」
先輩はコーヒーを淹れながら背を向けたまま語りかける。
「そう…ですね。正直僕も聞きたいことばかりです」
「だな。俺もこんなことになって本当に困り果てていたんだ。俺以外にはもう人は存在しないんじゃないかって」
「それは僕も同じです!…自分の教室で眠っていたら誰かの足音みたいなもので目が覚めて、それで他にも人がって飛び出してきたら先輩が居て…」
「はははっ、それは俺も同じだよ。学校には一度来たんだけど誰もいなくてさ、もう一度戻ってきたら下駄箱に靴があるじゃないか。もう俺も大慌てでさ、近場の教室から手当たり次第開けてその人物を捜していたんだよ」
そうか、僕がわざわざ靴を変えずに脱ぎ散らかしたのが結果的に先輩の目に止まってくれたんだ。
上履きに履き替えていたらもしかしたら見逃されてたかもしれない…。僕は眠っていたくらいだし。
「ああ、砂糖は何杯?あとミルクは要るか?」
「え?あっと…二杯でミルクもお願いします」
「了解」
先輩は二つ分のマグカップを手に持つと、僕の隣の席へと座った。
手渡されたコーヒーに口を付けると、少し気分が和らいだ感じがした。
コーヒーはそんなに好きではなかったけど本当においしい。
「さて、本題に入ろうと思うんだけどいいか?」
「はい、大丈夫です」
まずは自分たちがどんな境遇なのか整理しなければならない。
先輩は真面目な顔をすると椅子をこちらに向けて僕の目を見た。
「えっと、浩人…だったか?浩人はいつからこの状況に気付いた?」
「それは…今朝からです。目が覚めて起きたら家族が居なくなっていて、おかしいなって」
「ということは俺と同じか。俺も今朝、浩人と同じように一人な事に気付いた。家族やらに電話してみたが繋がらない。近所で呼びかけてみても誰も反応しなかった」
「やっぱりそうなんだ…」
「でもこれだけでもハッキリ分かったな。この異常な現象は今日俺たちが眠っている間に起きた。つまりそんな短時間で俺たち以外の生き物全てが消えたってわけだ…」
「ということは先輩は僕以外の人には会ってないんですか?」
「ああ。どこを捜しても人っ子一人見つけられなかったよ」
先輩は腕を組んで目を瞑った。
思い起こしてるのだろうか、探し回ったときのことを。
「僕も正直驚きました。もう諦めていたから…僕以外人は存在しないんじゃないかって」
「分かる。俺だって不安でたまらなかったんだ。このまま一人でこの町をさ迷うことになるんじゃないかってな」
「携帯も電話も繋がらない。テレビも映らない。情報統制でもされてるんじゃないかってくらいその手のものが使えなくなってました」
「それだ!電気は通っている。現にこのコーヒーだってそこの電気ポットから使ったくらいだしな。けど電波とかその手のものだけ消えたかのように使えなくなった」
「はい、そんなだから他の人と連絡を取る方法すらなくなったんですよね」
「けどおかしなことはまだまだある。電波器具が使えないのに何で電気は来ているんだ?」
「あ、それですけど電波器具は使えないですけど電波は生きてるみたいなんです」
「え…それは本当なのか?」
「はい、携帯には電波のアンテナがしっかり立ってるんですよ」
先輩は気付かなかったと言わんばかりにすぐに懐から携帯を取り出し確かめた。
「確かに立ってるな。さっき見たときは圏外になっていたはずだが…」
「えっ?」
どういうことだろう、ここに来て少し食い違ってきた。
「くそ、駄目だ。結局電子音すら鳴ってない。これじゃ電波が生きていたとしても使えるはずがない。通話部分だけ細工されたかのように思えるな…」
「何で電波は生きてるのに携帯が使えないんだろう。そもそも電波以前に先輩の携帯も使えないようになってるんですね」
「ああ、こんなんじゃただの小型のデータ機だよ。デジタル電話帳か」
先輩は諦めたのか携帯を再び懐に入れた。
「先輩は音が消えていることには気付きましたか?」
「それは気付いたな。ただ考えてみたら人というか生き物が存在しないんだ。それは当然のことだと思った」
「じゃあ風が吹いていないこともそういう事…なのかな」
「風が存在していないのも多分同じ理屈なんだと思うな。俺たちは現に呼吸しているし、自分の吐いた息では風が作れ…あれ?」
先輩の顔が引き攣った表情へと変わった。
「なんだこれ…本当に風がないっていうのか…?走ってても空気の抵抗…みたいなものは確かに感じていたぞ」
「ええ、けどそれでも風じゃない。風が作り出せないんですよ。やっぱり…変です」
「これは…怪奇現象の一種なのか?理屈で考えても不可解すぎる。無重力状態に近いってのか?」
「僕にも分かりません…。でもこうやって一つ一つ気付いて行けば見えてくるものがあるかもしれません」
「次から次へと理解しようがないことが湧き出てくるな…。どうなってやがる…悪い夢ならさっさと覚めて欲しいもんだ」
「今この現実ってものが本物なのか…それすら疑わしく思えてきます。けど僕らは痛みも感じるしこうやってコーヒーの味もきちんと分かる。それだけに何が正しいのか分からないんですよ」
「…浩人、そのノート貸してくれ」
「え?分かりました」
先輩が指差す先には普通のノートがあった。
僕は言われるがままそれを手渡す。
「よし、中には何も書かれてないな。新品だ」
「あの…それで何をする気なんですか?」
「ああ、今浩人が言ったように不可解な部分が見つかったらこのノートに書き留めておこうと思ってな。整理するにも忘れないように書いておいたほうがいいとは思わないか?」
「なるほど!そうやって繋げて行くんですね」
「ああ、忘れちまっても困るし、こうやって書き残しておけば分かることも出てくると思うんだ」
先輩は近くにあったサインペンで書き残し始めた。
「これでよし。お互い何かを感じたらここに書くことにしよう」
「分かりました」
「他に何か気付いたことはないか?理不尽なこととか…」
「実はもう一つあるんです」
僕は自分の教室の件を話すことにした。
「僕の教室で調べて見て分かったことなんですけど、僕の知り合い以外の持ち物が跡形もなく消えていたんです」
「ん?消えたって…どういうことだ?」
「詳しく言えば友達の私物だけは見つかったんですけど、他のクラスメイトのものは一切何もなかった」
「それは浩人に関係した人物のものだけ残っていた、ということか?」
「そう…なりますね。だから僕気味が悪くなっちゃって。誰かが意図的にこんな悪ふざけをしてるんじゃないかって」
「その話が本当なら確かに臭う話だな…。まるで浩人の不安を掻き立てることを狙ってるような」
「僕の友達の物だけ残して他のクラスメイトの私物が全部持ち去られてるなんて、普通に考えてありえることじゃない…」
「本当に怪奇現象のようだなこれは…。これが自分一人だけの出来事ならそう思えてしまうだけだろうが、こうやって同時に二人がおかしな体験してるって部分も気になる」
「あの、出来れば先輩も教室へ行って確かめてみたほうがいいんじゃないでしょうか?」
僕はそう提案を出す。
実際に自分にだけ関係しているのか、それとも先輩も同じように共通しているのか凄く気になった。
「そう…だな。あんまり気は進まないが、こればかりは調べておく必要がありそうだ」
「すみません、でも先輩も同じだったとしたら、誰かがこの事件を起こしている可能性も出てきます」
「確かに。俺と浩人の二人、その不可解なことが同時に起きているならかなりその線は濃厚になる」
先輩はすぐ調べに行く気なのか即立ち上がった。
僕もそれに続くためにコーヒーを慌てて飲み干す。
大分冷めていたからか、一気に喉に流し込むことが出来た。
「おい浩人、さっきから聞こうとしてたんだけど、その手はどうしたんだ?」
マグカップを置く僕の手に気付いたのか先輩は訊ねてきた。
確かにハンカチを巻いたままの右手に気にならないわけはない。
「ははは…ちょっと自棄になっちゃってつい…」
「まさかお前…自分でそれやっちまったのか」
「うう…はい。お恥ずかしながら」
それを伝えると先輩は高らかに笑った。
そこまで笑わなくてもいいのに…。
僕の拗ねた顔に気付いたのか、先輩はようやく笑うのを止めた。
「悪い悪い!でもさその気持ち分からないでもないさ。けどもうそんなことはするなよ」
「ええ、分かってます」
「少なくとも今俺たちはこの状況を共にする仲間だ。どうしても耐えられないことがあったらまず俺に話してくれ」
「先輩…」
意外な言葉を掛けられて僕は少し驚いてしまった。
単純に面倒見がいい人なのかもしれないけど、仲間という単語に僕は喜びを感じていた。
「こんな状況だ。ずっと一人だったら気が狂っちまうかもしれない。勿論俺も同じように気落ちしたら浩人に頼るからな」
「僕…ですか!?先輩の助けになれるか自信はないですけど…」
「おいおい、そこはキッパリと同意するところだろう!」
茶目で言ってることは先輩の表情から分かった。
この人は緊張を解そうとしてくれているのだろう。
こんな事を思うのは不謹慎かもしれないけど、僕の他に残った人がこの先輩でつくづく良かったと思えた。
瀬上先輩とだったら何があってもやっていけそう、そんな気さえした。
「はは、すみません。そのときは絶対先輩の力になります!」
「よし、その意気だ」
先輩は満足そうに親指を突き立てた。
「俺の教室を調べる前にまずは保健室でも行ったほうがいいな。そんな適当な処置じゃすぐには治らないぞ」
「あ~やっぱりこのままだとまずいですかね?」
「皮膚が剥がれて赤剥けになってるじゃないか。消毒すらしてないだろそれ、下手したら雑菌が入って膿むこともある」
「え…それはいやだなぁ…」
「先に保健室だな。あそこなら消毒液も包帯もあるだろうし、怪我してるならそっちが優先だ」
「すみません、なんだか手間かけさせちゃって。けど先輩見ただけで怪我の状態も分かるなんて詳しいんですね」
「詳しいと言うか、俺は運動部だからな。自分で何度も擦り傷とか作ってたし」
先輩はズボンを膝まで捲くると膝小僧には絆創膏が何個も貼られていた。
カバーしきれていない部分からは痣のように紫色になっているのが見える。
「うわ~…痛そう。大丈夫なんですか?」
「俺は慣れてるからな。こんなのは怪我のうちに入らないさ。それに本当に痛かったら歩けない」
「慣れてるって…先輩って色々と凄いな…」
「こんなので凄いとか言わないでくれよ。おっと…ここで話していても切りがなくなるな、続きは保健室で話すか」
「あ、そうですね。さっさと行きましょう」
お互いの事をのんびり話すのは余裕が出来てからで十分だよね。
今は先輩の言う事に賛同し、僕たちは保健室へと向かうことにした。




