三日目-22
「済まないの…その通りなんじゃ…。もう視界が霞掛かって…見えん」
「そうやって…そうやってまた俺たちを騙すのか!もうたくさんだ!アンタのその演技は…」
「先輩…」
口調と表情が一致していない。
今の先輩の言葉は強がりだ。
「すまん…仁君。…君には迷惑ばかりを…かけてしまっているな」
「ふざけないでくれよ!なぁ…頼むから!!」
山下さんはどうしてこんな事になってしまったんだろう。
確かに背中が痛いと言っていたけど、そんなにすぐ病状が悪化なんてする訳がない。
むしろこんな病気が体を蝕んでいるのなら入院していた病院側が気付かないはずないんだ。
こんな急に…おかしいよ…。
「ははは…これが冗談なら笑って誤魔化せるじゃろうがの…」
「しっかりしてくれよ…!俺はアンタを疑っていた。足の事だって、大事な時に居ない事だって。だってアンタは唯一の大人だ…俺たちみたいな子供とは違う!」
「その通りじゃの…返す言葉もないわい。じゃがの、私はお前たちと違ってこの世界を…好いていた」
山下さんは思いの丈を語る。包み隠さずに。
この町が変わらぬ事。自由に歩ける事。そして最愛の人と暮らした家に帰れる事。
それは水仙寺さんと同じ思想だった。
僕らだけだったんだ。このおかしな世界からの解放を望んでいたのは…。
僕らだけだ、それを他人に押し付けてしまっていたのは。
山下さんは身寄りがない。
だからこそこうやって馴染んでくれた僕らとの関係を持続させようと協力すると言ったのだと…。
乾いた唇から発せられる赤裸々の言葉。
僕も先輩も、一切口を挟まずに聞いていた。
「本当に短くて…まさに夢のような日々じゃったよ。残念ではあるが、それでもこの老いぼれには十分な時間だ…。そして私は妻と過ごしたこの家に戻れて…やっと逝ける。あんな病院で一生を過ごすなど…私はまっぴらだったんでな」
どうしてもこの家に帰ってきたかった。
その喜びがどれほどのものだったかを、今僕らは知った。
「この世界が現実でも嘘でも…私にとってはかけがえのない時間だった」
「まだだろ!?まだ終わってなんかいない!そんな自生の句のようなものは聞きたくねえ!」
「聞きなさい」
その言葉はとても静かで、それでいてとても響いた。
先輩ですら叫ぶのを一瞬で止めたほどだ。
「私は浩人君が帰った後…このあまりの痛み堪えきれず薬を探した。何でもいい…痛みを緩和出きるものなら…とな。そして、這ったままお隣さんの家にまで足を伸ばした」
ふっ、と一つ息を吐く。
山下さんの手は微かに震えていた。
「私には理屈が分からなかった…そこにあったものが何だったのか。だが君らには分かるやもしれん。どこでもいい…そこらの『知らない』民家に入ってみなさい。灯台下暗し…そこに…君らが探し求めるヒントが…ある」
「民家?」
「ああ…それはとても恐ろしいものかもしれない…。だがの…君たちが真実を知りたいと願うのなら…その現実を直視しなさい」
「そこに何が…」
「それは自分たちの目で確かめてみなさい。…老いたこんな私より、知識もある若い君たち自身で解くべきじゃよ」
山下さんは大きく息を吐いた。
その顔はとても満足そうで、優しげな表情だった。
「私は…ここで君たちとお別れと言う事になるが、君たちは最期まであがきなさい。…大丈夫、君らなら出来る」
「そんな事…言うなよ…。山下さんだって一緒だろ!!」
「美加子…私もそこへ行く…」
「山下さん!!」
僕は目を疑った。
山下さんの体が透き通っている…。
これが先輩の言っていた事。
「山下さん!頼むよ…頼むから死なないでくれよ!!」
「短い間だったが…楽しかったよ…本当に…の」
苦痛を押し殺して笑顔を取り繕っているのが分かる。
その顔色も青く、まるで血が通っていないかのようにも見えた。
もう…どうしようもないんだ…。
先輩がいつの間にか握っていた山下さんの手。
それはまるで水が零れ落ちるかのように、その手からすり抜けた。
「…山下さん」
「くっそおぉぉ…」
泣き崩れる先輩。
僕はその光景をただ眺める事しか出来ない。
そして視界はいつの間にか、霞掛かったかのように白く染まった。




