一日目-2
本当にこの世界には自分一人だけしか居なくなってしまったのか。
そう思わせるほど外は静けさに包まれていた。
意識していると虫一匹居ないようにも思える。
町の住人全て…いや、生きている者は全て誰かに連れ去られでもしたというのか。
はたまた本当に町ぐるみでこのような壮大なドッキリを仕掛けているとでもいうのか。
もしくは自分が寝ている間に数百年の月日が流れたというのか。
「いや、考えが飛躍すぎてるな。漫画の読みすぎか…ははは」
学校へと近づくにつれて余裕が失われていくのが分かる。
さすがに知らない人の家に上がり込む度胸もなく、時折住居を覗き込んだりもしたがやはり人の気配すら感じることは出来なかった。
住宅街とはいえ車の一台すら通らない。大通りまで出ればそれも確実に確かめることが出来たのだろうけど、実際無駄な気がして躊躇した。
これだけ静かならば遠くてもエンジン音くらい聴こえるはずだから…。
遠回りしていても結局は同じ、僕の行き先は学校だ。
音のない世界というのも正直気味が悪く、心地のいいものではない。
どんなものでも少しの摩擦で音と言うのは生まれるものだと聞いたし、静かであればあるほど極僅かな物音でも聞こえるものだ。
けど今のこの状況では自分の呼吸の声と心音だけ。後は歩く足音。
自分以外のものからは音が生み出されてないのだ。
通学中に音楽プレイヤーを聴くのは校則違反だからと使ったことはなかったが、こんな状況なだけに持って来れば良かったと後悔している。
この状況ですらそれを実行出来ない自分は、良くも悪くも度胸もないチキンハートな人間。なんか…自己嫌悪してしまいそうだ。
体の震えは止まっているけどそれも無理矢理押し込めているだけ。
気を抜けばどうにかなってしまいそうでもある。
「あ、僕の鞄」
放置していたままの鞄は誰にも触られた形跡もなく、無造作に道端に置かれたままだった。
鞄を開き携帯を確認する。
そこには自分で登録した友人たちの名前が並んでいた。
「眞也…ごめん」
友人の一人の名前を呟いて、先に謝ってみる。
繋がるのなら今は授業中のはず。
けれど僕は躊躇せずに通話ボタンを押した。
「やっぱり駄目なのか…繋がるどころか電話機能自体が使えない」
受信側を耳に当ててもやはりというべきかコール音さえ鳴る事はなかった。
完全にただの小型の箱と化してしまったのだろう。
メールも打ち込んで送信してみたが、それも無駄な徒労に終わった。
ディスプレイには『送信できません。しばらく経ってからもう一度お試しください』と、テンプレ用語が毎回表示される。
「あれ?でもこれ」
色々と弄っているうちにおかしな事に気付いた。
「電波は来てるっていうのか?」
送受信可能を示すアンテナのマークは常に三本を指していた。
使えないはずの電話やメール。それなのに電波は滞在し使用可能だと伝えている。
これが何を意味しているのかは分からない。
だったら何故使えない?
そんな疑問を浮かべても答えなんて見つかるはずもなかった。
携帯を再び鞄の中に仕舞い込み取っ手を掴む。
考えても答えの出ないことは無駄にしかならないと、僕は早々に諦めて前を向いた。
怖がっていてもそれは引き伸ばすだけ。
もうじき見えてくるのはいつも怨めしくて仕方のない地獄の坂道。
自宅でも携帯でもカレンダーで日付は確認した。
今日は六月二十七日木曜日。
間違いなく今日この日は休校でもなければ何かの記念日でもない。
行けば抱いている不安という疑問は確信に変わることだろう。
「……………」
僕は坂道を登って行く。
いつものように制服を着て徒歩で。
腕時計を見るとすでに十時を回っていた。普通なら完全に遅刻している。
高台に位置する学校は坂道をある程度登ると町を見下ろすことが出来る場所に出る。
拓けた道になるのだ。山道らしく崖側がむき出しになっている道。
高めのガードレールと金網に覆われた二重の柵で作られていて、崖下に転落しないように十分配慮はされている。
ビルで例えると七~八階くらいの高さなんだろうか、測ったことがないから詳しくは分からないけど概ねそれくらいだと言える。
落ちたらただでは済まない。
昔車で柵を突き破って転落したという事故もあったけど、乗っていた人は奇跡的に生きていたらしい。
そんな事があってから更に柵は強化され、二重構造になったというわけだ。
それだけにわざわざそこから町を見下ろそうとは思えなかった。
注意して見れば、結構な場所にフェンスのへこみが見られた。誰かがぶつかったという証。
ここは決して大きな町ではないが、金網など邪魔なものがない校舎内から見下ろせば、もっと壮大な景色として見る事が出来る。学校の屋上から見るならもっと絶景だ。
この町はマンションなど高い建造物が特別多いというわけでもなく住宅地が多かった。
学校側とは反対方向ではあるが活気のある商店街などもある。
だから強いて言うなら都会の下町のような雰囲気も強いし、庶民の町と言ったほうが合っているかもしれなかった。
まだまだ未発達な町、僕に似た普通という言葉が実に合うといった気がしている。
「もうすぐだ…」
ようやく校庭を囲むフェンスが見えてきた。
意を決して校門に立つと、僕はそこで足を止めた。
「あ…」
人の気配はやはり感じられなかった。
校舎に入るまでもなくそれは分かる。
無人。
授業はとうに始まっている。なのに体育でグラウンドを使用している人影すらなく、校舎に張り巡らせられた窓からも生徒の人影は一つも見当たらない。
僕は校舎の中に入るまでもなく、その場にへたりこんでしまった。
全身の力が抜けているのを実感する。
これが脱力と絶望というものなのだろうかと無意識に思っていた。
「僕は…これからどうすればいいんだよ。一体何がどうなったっていうんだ」
冷静さを装い必死に押し殺してきた感情が口からボロボロと零れていく。
もう繋ぎとめるものはないのだ。
この町にはもう自分一人しかいない。
理屈は分からないけれど、そうなってしまったのだ。
突きつけられた無慈悲な現実。
今から何をすればいいのかなんて先のこと考えられるわけもない。
「くっそぉ!どこいっちゃったんだよみんな!!父さんも母さんも美佳も!眞也も武治も!みんなで僕を馬鹿にしてるんだろう!」
コンクリートだというのに僕は構わず拳を叩き突けた。
痛い。痛みは走るがやめられない。
何度も何度も叩き付けた。
これが悪い冗談でも、もう笑って許すなんてことは出来ない。
怒りという感情が芽生え、今それを抑えることなんて無理だ。
溢れ出した『それ』は歯止めが利かない。
やがて手が痛みと痺れて動かなくなったとき、ようやく僕はその手を動かすことをやめた。
痛みなんてどうでもいい。
血が滲んで指先に感覚がなくなった。
体は脱力したまま。
それでも僕は何をしようと思ったわけでもなく、自然と校舎のほうに足を向けていた。
下駄箱。自分の上履きを取ろうともせず、革靴を脱ぎ散らかす。
靴下越しだけど、リノリウムの床はひんやりと冷たくて気持ちが良かった。
ゆっくりとその足で自分の教室へと向かう。
二階へと続く階段を上がり奥から四番目の教室の扉に立つ。
力なく扉を開くがそこに見えた光景はがらんどうと呼ぶに相応しかった。
僕は窓際の自分の席まで歩き、乱雑に座った。
「くそっ…手が…」
机に突っ伏したとき全身を貫くような痛みが駆け抜けた。
あまりの痛さに顔をしかめる。
興奮が冷めアドレナリンが引いたのか、その痛みは到底楽観視していられるものではなくなっていた。
「く…折れてはいないようだけど、ひょっとしたらヒビでも入った…かな」
震える手でポケットを弄り、ハンカチを取り出す。
上手く結べないけれど何もしないよりかはマシと、真っ赤に腫れた利き腕の右手にそれを巻いた。
「保健室に行けば包帯とかあるかも。…後で覘いてみよう」
見渡す自分の教室。
何も変わらない、いつも自分が見ていた風景そのままだ。
おかしなところはいつもうるさいくらいに騒ぐクラスメイトたちと、それを叱り付けて奔走する教師の姿がないことだけ。
黒板は皮肉にも誰かが綺麗にしていたのか新品のようにも見えた。
「本当に…この町の人達はいなくなってしまったのか?」
もう悠長に構えてはいられない。
これは明らかに異常な事態なのだ。
消えた人々。これは集団の神隠しだというのだろうか?
いや、考える事だけならいくらでも出てきてしまう。
もう一度日付を見てみる。
そこには間違いなく昨日よりも一日進んだ正確な日付が記されている。
もちろん西暦も間違ってはいない。
タイムスリップという線はなさそうだ。
一番考えたくないことが脳裏を過ぎる。
「けど…し…死体はなかったし、一夜にして僕以外の全員が死に絶えたってことは…ないはず」
自分で考えておきながら少し震えてしまう。
しかし人の姿すら確認出来ないのだ、死に絶えたという線も間違いなくないだろう。
最悪のケースだけは違うと認識出来た分少しだけ気楽になったが、それでも何の解決にもなってはいない。
予想や想像だけなら誰でも出来るのだ。
けど実際こんな状況で、ましてや一人でどうやって核心に迫ればいいと言うのか。
そんなことよりもまだ希望は消えたわけではない。
捜したのはほんの一部の範囲に過ぎない。
小さくともこの広い町中全てを捜し回ったわけではないのだ。
一人での捜索範囲なんてものはたかが知れている。オマケに情報すらなし。隣町に足を運ぶことも視野に入れなければならないかもしれない。
「そもそも人が消えるなんて発想自体が馬鹿馬鹿しいのかな…。でも僕が寝ている間にどうやって…どこに行ったというんだ」
堂々巡りの時間。
けど考えずにはいられなかった。
「食事もこれからどうしたらいいんだ…」
考え出したら幾らでも不安要素が浮かんでくる。
椅子を船漕ぎしながら天井を見上げた。
「正直ここでこうしていても埒が明かない。一つ一つ…何でもいいから調べていかなきゃならないのか…」
どんな些細なことでも地道に調べて把握していくのが妥当だと決める。
何が原因でこんな事態になったのか。正直何の取り柄もない高校生がまともに調べたところで分かるはずもないのだ。
まずはやれること。身近な部分から現状を把握していく他はなかった。
船漕ぎを止めて机の中を探ってみる。
そこには自分の私物が当たり前のように入っていた。
「他はどうだ?」
他のクラスメイトや友人の机にも注目してみる。
鞄など誰の机にも掛けられていない。勿論ロッカーもだ。
まず机の中を覘き見て回る。
「あれ?眞也と武治のはノートやら色々入ってるけど、他の連中のは空っぽだ…」
ロッカーの中も確かめる。
するとやはり自分のものと友人のものしか私物は入っていなかった。
あまり親しくない他のクラスメイトの場所には、最初から何もなかったかのように綺麗に空っぽだった。
女子の机の中身やロッカーを物色するのは気が引けたけど、そんなことも言っていられず調べてみる。
しかしやはり結果は同じだった。
「どういうことなんだ?何で眞也と武治のだけ…」
何かがおかしい。けれど何故かまでは当然分かるはずもない。
偶然にしては出来すぎているし、どこか仕組まれているような気さえしてくる。
こうも都合よく知り合いのものだけ置かれているなんてのは普通に考えてありえないのだ。
ここは何百人も通う学校という場所なのだから。
「ゲームとかでこんなサスペンスみたいなのは何度もやったことあるけど、その主人公じゃなくてもこれは普通じゃないって思うはず」
頭が切れるのならこんな事でもピンと閃くものがあるのだろうけど、生憎そんな頭脳は持ち合わせてはいないのだ。
他のクラスにも入り同じようにして調べてみる。
けど他のクラスに至ってはどこにも私物など置かれてはいなかった。完全にただの無人の教室。
見つけられたのは箱に入った新品のチョークだけだった。
「気味が悪い…誰がこんな事をしたんだ。まるで僕を怖がらせる気でいるみたいな…まさか!」
周囲に気を配る。
どこかに監視カメラでもあるのではないか?誰かが見えないところで様子を窺っているんじゃないか?
窓を開け身を乗り出し広い校庭を見渡す。
しかしどれだけ目を凝らし見つめてみても、動く物体すら見つけることは出来なかった。
少しだけ気が抜けたのか壁に背を付けたままその場に座り込む。
「これが本当に狙ってやったものだとしたらかなり悪質だよ…僕に怨みでもあるのか?」
意図されたのもかそうではないのか。そんなものは判断しようがない。
僕は膝を抱えて蹲った。
「正直不安でたまらないよ…怖い。くっそー…」
泣きそうになる心を必死で我慢して膝に顔を埋める。
自分が声を出さなければまったくの無音。
どれだけ取り乱そうとも、この静寂の前ではすぐに冷静さを取り戻す。
叫んだところで誰も応えない、誰も注目しない。そんな虚しさがすぐに襲ってくるのだから。
「ははは…これじゃまるで猿が檻の中で一人キーキー喚いてるみたいじゃないか」
自虐の言葉すら出てくる始末。
こんなとき友人二人がいたらブラックジョークと突っ込んでくれるのだろうか。
一人になるということがどれだけ寂しく虚しいことだと、こんな短時間でも分からせてくれた。
手の痛みは引く事がないけど、気が抜けたのか睡魔が襲ってきた。
疲れているのは自分でも分かっている。
「今日は変な目覚めだったし、グッスリ眠れてなかったんだよな…」
とにかく今は少しでも気を休めたい。それにこの焦燥感と不安感から一時的でもいい、安らぎたいんだ。
僕は睡魔に抗うことなく逃避という名の眠りに就くことにした。




