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一日目-1




「…っあ!!」


左足がビクリと大きく脈打ったことで僕の目は覚めた。

シーツをひっぺ返し、慌てて跳ね起きる。

額に少し汗をかいてはいるが、そんなことはおかまいなしに辺りの様子を探った。

状況が把握出来ていないのだ。


「…なんだ夢か」


見渡した風景はいつもの自分の部屋そのものだった。

寝ぼけていた脳にようやく血が上ってきたのか、取り乱していたことも嘘だったかのように静まる。


「たまにあるアレか。どこか溝に足を取られたりして飛び起きるっていう夢」


自転車で転んだ事でビックリして目が覚めた。という事らしい。

子供の頃に何度も体験したけれど、夢の中で足を踏み外したりするとリアルで同期したかのように足まで痙攣するときがある。

こういった夢はいつになっても忘れた頃に見てしまうものなのか。

夢の内容はしっかりと覚えていないのだけれど、目が覚める寸前のことはどうにか覚えていた。

ただ恐怖を感じるような悪夢じゃなかったと安堵。

悪夢で目覚めていたとしたら最悪のスタートになってしまう。

浮き出ていた汗を拭っていると、ふと目覚まし時計に目が行った。


「げ…なんだこりゃ!!」


時計の針は八時十分を指している。


「なんで目覚ましが鳴らないんだよっ!昨日よりもヤバイぞこれ!!」


確認するとアラームのスイッチは確かにオンになっていたが鳴った形跡はなかった。

電池カバーを開け確認してみるが、そんなことをせずとも針は正確な時間を指し、正常に稼動しているのだから故障ではない。

授業開始は四十五分。通学時間は二十分程。

身支度を済ませ家を出るまでに十五分程度しか余裕がない。

慌てて着替えながら鞄を引っ手繰るようにして部屋を飛び出す。


「母さん!母さん!何で起こしてくれなかったんだよ!」


一階のリビングに入りながら制服の袖を通す。

慌てているためか脇の部分で手が引っ掛かり、上手く通らない事に苛立ちを隠さないまま僕は声を上げた。


「母さ…あれ?」


思わず動きを止めてしまう。

何故ならいつもはテーブルに朝食の用意がされているというのに、卓上は綺麗サッパリ平らなままだ。

射し込む朝陽に反射し、いつもよりやたらと光るテーブルクロス。新品にでも換えたのだろうか、と呆けたままくだらないことを思い浮かべる。

毎朝必ず付いているテレビも付いてはいない。

当然いつもはソファーに座っているはずの母さんの姿も見当たらなかった。


「居ない…のか?こんな朝っぱらからどこへ」


とぼとぼと玄関へと向かい靴を見る。

そこには母さんのはおろか、妹や父さんのものまで綺麗に揃えられたまま置いてあったのだ。


「家にはいるみたいだ。って美佳のやつはまだしも父さんもまだ家にいるのか!」


とっくに出ているはずの妹や父さんまでまだ家の中にいる。

どこか違和感を感じながらもまず妹の部屋へと向かった。


「おい、起きろ美佳!遅刻するぞ」


部屋の扉を強めに叩く。

寝坊などしたことのない妹の美佳。部屋に居るのかすら分からないが、とりあえずは確かめるためにそう言ってドアを叩く。

だが一向に返事がない。

拳骨で叩いていたが手が痛くなってきたので止めてドアノブに手をかけた。


「仕方ない…入るよ?」


部屋に入るなと言われてはいるものの、この事態ではとやかく言っていられない。

妹を僕が叩き起こすなんて始めての事だし異例の出来事だ。

僕は決意してドアノブを捻った。


「あ…」


そこはもぬけの空であった。

ベッドは綺麗にシーツが折り畳まれ、小奇麗な様子を映し出す。

カーテンは締め切られたままで薄暗かったが、白のカーテンはまっさらと呼ぶに相応しい色をしていた。

妹の部屋に入るなど何年ぶりかは分からないけど、昔見たままの光景がそこには広がっていた。


「あいついないのか。もう学校に出かけた…?」


いや、違う。ベッド脇に立てかけてあったのは通学用の鞄だった。

鞄を持たないまま行くはずなんてないのだ。


「父さん!母さん!居ないの!?」


今度は両親を呼んでみる。だが返事はない。

部屋のドアを叩いても出てくる気配もなかった。

家族揃って靴はあるのに家にはいない。

どこか違和感を感じ、僕は少しばかり不安を感じ始めていた。


「どうなってるんだ?朝食の用意もしてないし、書き置きのようなものすらない」


家中探したものの、特に変わった様子もなく単にこの家には自分一人という事だった。


「新しい靴でも履いて行ったのかな…けど母さんはどこへ行ったんだ」


昨夜はどこかへ出掛けるなんて言葉は一言も聞いてはいなかった。

尤も夕食時に話を打ち切って逃げ出したのは自分のせいではあるのだが。

と、壁に掛かった時計を見る。


「もうこんな時間!くっそ、朝飯食ってる時間すらないじゃないか!」


とりあえずは帰宅してから聞けばいい。遅刻だけはまずいと僕は慌てて靴を履いて家を飛び出した。
















まだ若干余裕はあるものの駆け足。

朝ご飯抜きというものは辛いものだと初めて痛感した十七歳の夏。


「コンビニでも寄りたいところだったけど遠回りになるし…我慢するしかないか」


コンビニへと続く分岐路を泣く泣く諦め右へと進む。

何も言わず突如出掛けて朝食の用意すらしてくれなかった母親に、愚痴を零しながらも駆け足は止めない。

しかしふとした違和感に足を止めざるを得なかった。


「そういえば何で今日は誰も見かけないんだ?」


時間的に危ういとはいえ、他の学生の姿が見当たらない。

いつもならばギリギリの時間でも、同じ制服を来た学生くらい何人か見かけるのだ。

それどころかまだ一人も人に出会ってない。

若干荒れた呼吸を整え何気なく耳を済ませてみれば、何の音すら聞こえなかった。


「?」


駆け足を止めてゆっくりと歩き出す。

周りを見渡しながら周囲の様子を探ってみた。


「おかしい…なんでこんなに今日は静かなんだろう」


自分が立てる革靴の音以外耳に入ることがない。

足を止めるとアスファルトから反響していた音はピタリと止む。

他には何も耳に届かない。

明らかに異常だとようやくこの時気付いた。

首筋に浮き出た汗を拭う。

その場に立ちつくしていても少しも涼しくないのだ。


「風が吹いてない…なんなんだよこれ。何かが変じゃないか…?」


普通風が吹いているかいないかなんて確認するなどすることはない。当たり前、常識で考えれば微風の時など気にも留めないからだ。

毎日毎日風を肌で感じることを意識する人間なんてそうはいないだろう。

それに不可解なのは音だ。

いくら早朝とはいえ住宅地。どこからも音が聞こえないというのはおかしなこと。

少なからず生活の音はどこかに存在し、紛れていて当たり前のことなのだ。

子供の声、犬や鳥などの小動物。車の音や足音。どこかで話す声。何かをするだけでも『音』は発生し、耳を介して脳が知覚する。

無風と無音。

荒ぶった呼吸が治まる頃、言いようのない不安感が全身の血を引かせた。


「遠くで聞こえているはずの車の音すら聞こえない。自分の心臓の音しか…」


血の気は引きとっくに汗は止まってもいいはずなのに、鼻筋を伝うほどの汗が流れている。

車なんてどんな時間帯であれ、道を歩いていれば何台かはすれ違う。

だけど今日に限ってはまだ一台も見かけてすらなければエンジン音も聴いていない。

いつも毎日公園の前で話し込む主婦たち、通学する他の学生。

飛び回って鳴き声を散らす鳥たちの群れ。

人とすれ違わないばかりか、他の生き物すら見かけていない。


「冗談だよね…これって何かのドッキリとかそういうのやってるんだよね?今日って何か町が催すお祭りとかそういうのあったっけ…?」


自分の言葉で自身を落ち着かせようとするが震えが止まらない。

言い様の無い不安感が襲い掛かる。

握っていたはずの鞄はいつの間にか地面へと落ちていた。


「居ない…居ない!」


近くにあった民家を見る。そこにはいつも道を通るだけでうるさく吠える犬が居ない。そこにあったのは主を繋ぎ止める役目だった鎖だけだ。


「居ない!」


通学路から少し道を外れたところにある幼稚園。外側から覘いて見ても、いつも聴こえるお遊戯の歌も聴こえなければ庭で遊んでいる子も居ない。


「なんだこれ…どうなってるんだ。おかしい…おかしすぎるよコレ!!」


もう学校のことなど頭にはなかった。

これが杞憂だったならそれでいい。遅刻がどうのとか言ってる場合じゃないんだ。

僕は歩いて来た道を引き返すことにした。

そう、もう一度家に帰って確かめるのだ。





















「父さん!母さん!美佳っ!」


勢いよくドアを開け靴を蹴るように脱ぎ散らかす。

そんなことは気にすることじゃない。

戻ってくる間も誰にも会うことはなかった。

まだ確認していない両親の部屋へと走る。

部屋を見て回るがやはりそこに両親の姿などなかった。


(落ち着け…どこかに出掛けてる可能性だってある!そうだテレビ!)


今はどうしても人の姿を見たい。

そして安心感が欲しい。

その一心で僕はリビングに駆け込み、リモコンを使うのも忘れ直に電源を入れた。

しかしモニターには何も映らない。


「おい!何で映らないんだよ!どうなってるんだ!」


電源を確認するが電気は行き渡っている。動作を示すかのように電源ボタンは緑色に光っていた。

だが映らない!そんな都合よく壊れるはずないのだ。

昨日だって夕食のとき普通に流れていたはず。

僕は焦りからかモニターを強く揺すった。何度も何度も。

しかしノイズすら映し出されず、また何も音は流れる事はなかった。


「くっそぉ!」


思わず台座を蹴ってしまう。そんなことをしたところでテレビが映るなんて思ってはいない。

ただこの不安を散らしたいがために思わず蹴ってしまった。

素足で固い台座を蹴ったためか指先に痛みが走る。


「う…つぅ…」


僕はその場に座り込んだ。

靴下のままの左足を抱えるようにして擦ったけど、痛みはすぐには引かない。


「みんな…みんなどこいったんだよ。黙ってどこかに行くなんて酷いじゃないか…」


おかしなことの連続。けど僕はまだこれが冗談だと信じて止まなかった。

そう、これは誰かが仕組んだ冗談なのだと。


「そうだ…電話!電話だ!なんでこのことに先に気付かないんだ、僕は馬鹿だ」


携帯を取り出そうとするが持っていないことに気付く。


「そうだ、あの時鞄を道端に置いたまま…。くそっ!なら家の電話でいい」


足の痛みは消えないままだったが、僕は電話のあるところまで四つんばいのまま向かった。

尻餅を突いた状態で受話器もろとも本体まで引っ張り下ろす。

電話機を抱え咄嗟に思いついたのは時報。

一一七とプッシュボタンを押し、受話器を耳に当てる。

ごくり、と喉が鳴ったのが自分で分かったが次は我慢して息を飲んだ。


「……………」


するとどうしたことだろう。音声が聴こえるどころか通話状態にさえなってはいなかった。

いつも耳にする無機質なツー音すら受話器からは流れていない。

当然電源や電話回線も繋がっている。


「はは…はははは」


何故か自然に笑いがこみ上げてきた。

僕はどうしても笑いが堪えきれない。


「どいつもこいつもそんなに僕を驚かせたいんだな。まったくしょうがない」


冷蔵庫を開けてみる。

そこには当たり前と言ったように食材や飲料が貯えられていた。

戸棚を開けても使用途中の米や封の開いた醤油などが置かれている。

食べ物におかしなところはなく、自分が見た事のある映像そのままだった。

次に僕は部屋へと戻った。自分の部屋のテレビを確かめるために。

しかしテレビはリビングと同じように電源は入るが映像と音は流れなかった。

一つ落ち着くための息を吐くと、自然に体がベッドに倒れた。


「なんだってんだよ一体」


柔らかな感触が背中に伝わる。

全部が全部ただの冗談でこのまま眠ってもいい気さえしてくる。

目蓋を閉じて少しだけ外界の映像を遮断してみる。

すると幾分か冷静さを取り戻すことが出来た。

目を開け少し体を起こして窓を開けてみる。

流れ込んでくるはずの風も聞こえてくるはずの音も、やはりそこからは望めなかった。

道端を歩いている人影もない。

住宅地であるこの敷地内でこれはやはり奇異と呼べるものだった。


「いや…まだだ。学校なら絶対誰かいるはず」


テレビや電話など情報を得られるものが全て駄目な今、自分の足で確かめてみるしかない。

パソコンを持っていたらネットなどで情報が集められるかもと思ったが、残念ながら僕の家にそんなものはなかった。

今時分パソコンを持ってないと笑われもしたけれど機械音痴な自分には不要なものだ。例え持っていたとしても今の状況ではネットには繋がらないような気もしている。

散々走り回り声を上げた疲れも、少し横になっていたからか大分楽になっていた。


「とにかく誰でもいい、人を捜さないと」


僕は腹ごしらえをするために台所へと戻る。

お腹は減っているはずなのだが食欲はあまりなかった。

けどとにかく空腹じゃ動き回れないと思ったし、目に付いた食パンを生のまま口に入れ、冷蔵庫から取り出した牛乳で流し込む。


静か過ぎる空間。

無言で居ると本当に一人になってしまったと感じてしまう。

いつもは意識すらしていなかったけど、こうして眺めて見るとたった八畳のリビングでさえどこか広く感じていた。


「……………」


無意識にリビングのテーブル席に腰掛ける。

いつも当たり前に見えていた景色。

それが今では別のものに見えてしまっていた。

何気なく首を回し隅々まで見てみる。

冷蔵庫に貼り付けられたゴミ出しの曜日をまとめたカレンダー。燃えないゴミや資源ゴミにも更に細かい分別があることを知った。

キッチンに吊り下げられた調理器具。二種類ある包丁は若干大きさが違うのだと知った。

有り触れてて当たり前、そんなどうでもいいくだらないこと。

けれど今の僕にはそんなどうでもいいことが何故か新鮮に見え、気分が安らだ。

それは別世界に紛れてしまったかのような錯覚に陥っていたからに他ならない。


「さて、行こう…これで学校に行ったら大遅刻だ!なんて普通に叱られたりして」


淡い期待を妄想として言葉にしてみる。

僕は望んでいるのだ。そう、遅刻を理由にこっぴどく叱られることを。

殴られたっていい、これがただの冗談だと笑い飛ばすために。

僕は椅子をゆっくりと引き、玄関へと向かった。


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