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怪我人を放っておけるか

第9回 怪我人を放っておけるか


 翌朝


 目が覚めて最初にしたのは、左腕を動かすことだった


「…………」


 曲げる、伸ばす、上げる


「お」


 昨日よりいい


 もう一度ゆっくり曲げてみる


「ちょっと痛い」


 でも、狼に噛まれた直後の、腕の中まで響くような痛みとは全然違う


「治ってきてるな」


 ようやく、はっきりそう思えた


 隣を見ると、ルッカが寝ている


「今日はおる」


 昨日は朝から消えていた


「平和やな」


 寝顔を見る


 口が少し開いている


「…………」


 俺は屋根の下を見る


 塩はある


「よし」


 完全に朝の日課になっている


「塩の確認から始まる異世界生活って何やねん」


 でも大事だ


 人間語で塩はサル


「サル」


 小声で復習する


 沢は、


「ヴァ」


 焚き火は、


「ファ」


 昨日覚えた交換は、


「トラ」


 美味しいは、


「メラ」


 礼は、


「アト」


「六個」


 忘れていない


「よし」


 目標十個まで、あと四つ


 今日は二日後の交換に向けた準備の日だ


 昨日が交換した日で、約束は二日後


「つまり明日ちゃう」


 今日は一日ある


「準備できるな」


 薬草、橙色の実、木材、蔓


「取りすぎない」


 俺たちの分も残す


 森から全部持っていくなんてできない


「長く続けるなら大事や」


 交換を一回で終わらせたくない


 ローデンとエナが人間側


 俺とルッカがゴブリン側


「ゴブリン側って言うても二人やけど」


 それでも、小さな取引を続けられたら


「塩」


 欲しい


「布」


 欲しい


「器」


 もう一個


「金属ナイフ」


 めちゃくちゃ欲しい


「…………」


 欲望が増えている


「スローライフって物欲なくなるんちゃうんか」


 違うか


 俺は便利な暮らしをしたい


「それもスローライフや」


 たぶん


 まずは傷だ


 沢へ行き、布を外す


「…………」


 かなりいい


 傷口は完全には塞がっていないけど、赤みは小さく、腫れもほとんど気にならない


「あと何日やろ」


 分からない


 俺は医者でも治療師でもない


「治癒魔法使えたらな」


 STATUSを頭に浮かべる


 半透明の画面


 名前 セイジ

 種族 ゴブリンメイジ

 LEVEL 2


 HP F+

 MP E+

 筋力 F

 耐久 F+

 敏捷 E-

 器用 E

 精神 E+

 魔力 E+


 SKILL

 《魔力感知》

 《魔力操作》


 TITLE

 なし


「変わってない」


 治癒魔法はない


「そらそうか」


 急に生えてくるわけでもない


 今使える戦闘魔法は《火弾》だけ


「火で傷治したら大惨事や」


 絶対やらない


 沢で洗い、薬草を見る


「今日は少なめでええ?」


 分からないから、今まで通りにする


 葉を潰して塗る


「っ」


 やっぱりしみる


「最後までこれなんやな」


 今日は昨日交換した新しい布を使ってみる


「ミラにもらったほうは洗って乾かす」


 替えができた


「これも大きい」


 布一枚なんて前世なら何でもなかった


 今は傷を清潔に保つための重要品だ


「交換ありがたいな」


 左腕へ巻く


「よし」


 拠点へ戻ると、ルッカが起きていた


「おはよう」


「アト」


「それちゃう」


 もう訂正するのも日課だ


「朝飯」


 ルッカが反応する


「メラ」


「まだ食ってへん」


 人間語を使いたいだけやろ


「覚えてるのは偉いけど」


 白っぽい根を焼き、塩を少量


「サル」


 ルッカが塩を見る


「サル」


「ほんのちょっと」


 指で少量を示す


 ルッカはもっと欲しそうにする


「駄目」


「グギャ」


「明日また交換できるかもしれんから」


 これは通じない


 だからローデンとエナを示し、


「トラ」


 塩を指して、


「サル」


 太陽が一回動く身振り


 ルッカが理解したらしい


「グギャ」


「せや、明日交換」


 今日は準備だ


 朝飯を食べる


「メラ」


「うん」


 塩は強い


 食後、持ち物を確認する


 籠、柄付き石刃、ルッカの槍、木の器


「器は置いていこ」


 採取には邪魔だ


 水を飲んでから、


「行こ」


 今日は狩りなし


 左腕を治しながら、交換用の素材を集める


「平和な一日にしよ」


 そう思っていた


 この時は、本気でそう思っていた


     ◇


 まずはいつもの薬草の場所へ行く


「ここ」


 傷に使う草


 葉の縁は滑らか


 似た草と混ぜない


「三本」


 昨日は三本で布一枚だった


 でも、あれが固定相場とは限らない


「相場とかまだ分からん」


 ローデンが欲しかっただけかもしれない


 エナやミラ以外にも人間はいるのか


「村?」


 近くに人間の生活圏はあるらしい


「まだ見に行かん」


 危険だし、言葉も足りない


「敵じゃない」


 これを覚えるまでは、人間の集落へ近づくのが怖い


「せめて、止まれ、分からない、敵じゃない」


 この三つは欲しい


「明日エナに教えてもらう」


 問題はどうやって聞くか


「身振りやな」


 自分、ルッカ、武器を下げる、人間、首を振る


「難しい」


 そんなことを考えながら薬草を採る


「自分用も残す」


 次は橙色の実


「取りすぎんな」


 ルッカがどんどん籠へ入れる


「待て」


 半分くらいは残す


「また実るか分からんけど」


 全部は駄目だ


 青い実は、


「これは交換せん」


 ローデンはいらなそうだった


 自分たちの食料として少しだけ採る


 白い根も自分用


 今のところ交換材料は薬草、橙色の実、木材


「木」


 ルッカを見る


「昨日のやつ」


 ローデンが欲しがった、まっすぐな木


「同じ場所、案内して」


 ルッカが歩き出す


「頼りになるな」


 森でルッカは地図もないのに迷わない


 俺は後ろを歩きながら《魔力感知》の練習をする


「…………」


 まず自分の魔力を感じる


 体内の中心から手へ


「これは分かる」


 次は外


「…………」


 薄い何かが森に広がっている


「難しいな」


 意識しすぎると、自分の魔力ばかり強く感じる


「力抜く?」


 待ち伏せしたときは、ぼんやり外の流れを感じた


「集中しすぎたらあかんのかな」


 歩き、呼吸し、見て、聞く


 魔力も意識する


「…………」


 何か


 前


 いや、左?


「…………」


 分からない


 ルッカは普通に歩いている


「気のせい」


 今日は練習だけでいい


 しばらくして目的の場所へ着く


「これ」


 昨日ローデンが切った木の残りだ


「どれがええ?」


 ルッカが一本触り、次は首を振り、別のものには頷く


「違い分からんな」


 太さ、硬さ、まっすぐさ?


「覚えたい」


 ローデンへ渡すためだけではなく、俺自身も木材を使えるようになりたい


 家の壁、屋根、道具


「木は重要」


 ルッカが倒れた細い幹を指す


「これ?」


 長い


「どう切る?」


 俺たちには金属斧がない


 あるのは石刃


「無理ちゃう?」


 ルッカは根元ではなく、折れて細くなっている部分を示し、槍と石を使う


「なるほど」


 完全な加工は無理でも、持てる長さに折ればいい


 二人で持つ


「せーの」


 当然通じない


「グギャ」


 力を入れる


「硬っ!」


 もう一回


 ルッカが足で押さえ、俺は右手を使う


「左使うな」


 体重をかける


 ばき


「お!」


 折れた


「一本」


 長いけど、


「持てる?」


 ルッカが肩へ担ぐ


「強いな」


 俺は籠を持つ


「役割分担」


 もう一本欲しくなるけど、欲張らない


「明日一個交換できたらええ」


 帰ろうとした、その途中だった


「…………」


 こん


 遠くから音がする


「何?」


 また、


 こん


「木?」


 ルッカも止まる


「聞こえる?」


 耳を向ける


 こん


「斧?」


 昨日ローデンが木を切っていた音に似ている


「人間?」


 こん、こん


「近い」


 ルッカが槍を持って警戒する


「待って」


 手で止める


「見るだけ」


 音の方向は昨日の交換場所とは違う


「人間が森で作業してる?」


 ローデン


 木


「もしかして、あの人、木を採る仕事?」


 分からない


「近づきすぎんように」


 ルッカを先頭に、俺が後ろをついていく


 木材は邪魔なので一度置く


「目印覚えとこ」


 茂みの向こうで音が近くなる


「…………」


 人が一人


「ローデン?」


 見覚えのある背中


「ローデンや」


 昨日の男だ


 木の前で斧を使っている


「一人?」


 周囲を見る


 エナもミラもいない


「仕事?」


 ローデンは太めの倒木から枝を払っている


 手には金属斧


「やっぱ木関係なんやな」


 俺たちは隠れたまま見る


「声かける?」


 迷う


 明日会う約束がある


 今日は向こうの作業中だ


「邪魔せんほうがええか」


 帰ろう


 そう決めた、その時だった


「――っ!」


 声


「え?」


 ローデンの身体が傾く


 足元で倒木が動いた


「危ない!」


 ローデンが跳ぶ


 でも遅い


 ご、と鈍い音がした


「ローデン!」


 考えるより先に走っていた


「セイジ!」


 人間語で俺の名前


 ローデンがこちらを見る


「大丈夫!?」


 当然通じない


 倒木は身体全体へ乗っているわけではない


 でも片脚が下に挟まっている


「挟まってる?」


 切っていた枝か、動いた幹か


「ルッカ!」


 俺は木を持ち上げようとする


「手伝って!」


 ルッカも駆け寄り、槍を置いて一緒に持つ


「重っ!」


 動かない


「これ無理!」


 ローデンが痛そうな顔で何か言う


「分からん!」


 挟まった脚から血が出ている


「どうする」


 火弾?


「駄目」


 木を燃やしたところで時間がかかる


 ローデンまで危険だ


「絶対あかん」


 今は魔法が役に立たない


「俺、治癒魔法ない」


 当たり前なのに、今ほど欲しいと思ったことはなかった


「持ち上げる」


 でも二人では無理


「梃子」


 前世の知識が浮かぶ


「棒!」


 長い木と石


「ルッカ!」


 長い枝を倒木の下へ入れ、持ち上げる身振りをする


「これ!」


 ルッカが理解して走り、太い枝を持ってくる


「石!」


 支点になる大きめの石を転がす


「ここ」


 枝を倒木の下へ差し込む


「入る?」


 隙間は少しだけある


 ローデンも何か言う


「脚引いて!」


 通じないから、脚を指して引く身振り


 ローデンが頷く


「いくで」


 俺とルッカで枝を押す


「ぐっ!」


 木が少し動く


「動いた!」


 ローデンが脚を引く


「もうちょい!」


 左腕が痛む


「くっ」


 使ってる


「今だけ!」


 さらに力をかける


 木が浮く


「今!」


 ローデンが脚を抜いた


「抜けた!」


 俺たちが枝を離すと、倒木がどんと落ちる


「はあっ……!」


 息が荒い


「ローデン!」


 地面へ倒れているが、意識はある


「脚」


 見る


「…………」


 傷は脛か、その辺り


 血が出て服も裂けている


「骨」


 分からない


 ローデンが起きようとする


「立つな、待て!」


 でもその人間語を知らない


「ファちゃう、ヴァちゃう、アトでもない!」


 役に立たない


「くそ」


 手を出し、止まれという身振りをする


「そのまま」


 ローデンが俺を見て、動かなくなる


「通じた?」


 その横でルッカが周囲を見る


「何?」


 危険?


 血の匂い


「長居あかん?」


 森の獣が来るかもしれない


「エナ」


 人間なら治療できるかもしれない


「エナ呼べる?」


 俺が、


「エナ」


 と言いながら森を指す


「エナ」


 ローデンが何か言い、方向を指した


「向こう?」


 頷く


「エナおる?」


 そこまでは分からない


「人間の場所?」


 もっと危険かもしれない


 でも、ローデンをここへ置いてはいけない


「運ぶ」


 どうやって?


 大人の人間は重い


 俺は小さいゴブリン


 ルッカのほうが俺より少ししっかりしている


「背負えへん」


 引きずったら傷が悪化する


「担架」


 前世の知識


「枝二本と布」


 布


「布……」


 今日は交換用に持ってきていない


 籠と蔓はある


「蔓!」


 ルッカを見る


「枝」


 長いものを二本、その間を細い枝と蔓でつなぐ


「作れる?」


 時間はない


「やるしかない」


 ローデンの荷物を見る


 布?


「借りるで」


 通じない


 でもローデンは俺の動きを見て、自分の荷物を指し、頷いた


「アト」


 こんな時、それしか言えない


 袋の布は丈夫そうだ


「これ使う」


 長い枝二本の間へ布を張り、蔓で固定する


「雑」


 でも人が乗れる?


「試す時間ない」


 俺とルッカで結ぶ


「お前のほう上手い」


 数分


 いや、どれくらいか分からない


「できた」


 簡易担架


「ローデン」


 担架を指し、寝る身振りをする


 ローデンが俺を見る


「大丈夫」


 伝わらない


「敵ちゃう」


 これも言えない


「助ける」


 それも言えない


「…………」


 悔しい


 自分、ローデン、担架、エナを順に示す


「エナ」


 ローデンはしばらく俺を見てから頷いた


「よし」


 身体を動かす


「ゆっくり」


 脚へなるべく触れないようにするが、ローデンは痛そうだ


「ごめん」


 何とか担架へ乗せる


「ルッカ、前、俺、後ろ」


 持ち上げる


「うっ」


 重い


 右手だけでは難しく、左も使ってしまう


「痛い」


 治りかけの傷が痛む


「これはあかん」


 持ち方を変え、左腕ではなく肩と身体で支える


「どうする」


 ルッカが前、俺が後ろ


 体格的にもきつい


「重い」


 でも運べないほどではない


「少しずつ」


 ローデンが方向を指す


「こっち」


 歩き始める


     ◇


 遅い


 めちゃくちゃ遅い


「はあ……はあ……」


 森の足元には根や石がある


 担架を揺らさないように進む


「平らな道ないん?」


 途中でルッカが止まり、左右と地面を見る


「道?」


 ルッカが左へ向く


「そっち?」


 ローデンが指した方向から少しずれる


「でも」


 ルッカは地形を知っている


「任せる」


 ローデンは不安そうに何か言う


「大丈夫」


 日本語だから通じない


「ルッカ」


 俺はルッカと森を指す


「ルッカ」


 ローデンもルッカを見る


「グギャ」


 ルッカは前へ進む


「道、知ってる」


 伝わったか分からない


 でもローデンは抵抗しない


「行こ」


 ルッカが選んだ経路は少し遠回りだが、傾斜が少ない


「なるほど」


 直線で最短ではないけど、担架を運びやすい


「助かる」


 俺一人なら、人間が指した方向へ真っすぐ行って、坂や根で苦労していただろう


「ルッカ先生」


 前から、


「アト」


 ルッカ


「今は俺が言うやつ!」


 こんな状況でも少し笑う


 ローデンは痛そうだが、意識はある


「頑張れ」


 また日本語


「…………」


 言葉が欲しい


「大丈夫」


「頑張れ」


「痛い」


「止まる」


「助ける」


 今は全部欲しい


「明日絶対覚える」


 いや


 明日の交換にはローデンが来られないかもしれない


「そらそうや」


 怪我の程度も分からない


「交換どころちゃうかも」


 でも、そんなことより


「まずローデン」


 歩く


 途中で沢が見える


「ヴァ」


 ローデンが頷く


「水?」


 木の器はない


「くそ、今日は拠点置いてきた」


 沢はある


「飲ませる?」


 でも怪我人へ水を飲ませていいのか分からない


「分からん」


 前世でも、重傷や手術前は飲ませない場合があった気がする


「…………」


「勝手なことせんほうがええ」


 エナやミラ、人間側の処置に任せる


「もうちょい」


 そこでルッカが止まり、耳を向けた


「何?」


 声


「…………人間」


「エナ?」


 俺は声を出す


「エナ!」


 名前なら通じる


「エナ!」


 返事がした


「――!」


「いる!」


 茂みの向こうから足音


「エナ!」


 エナが出てくる


 俺たちと担架のローデンを見た瞬間、顔色が変わった


「ローデン!」


 駆け寄ってくる


「エナ」


 俺たちは担架をゆっくり地面へ下ろす


「はあ……」


 その瞬間、


「痛っ」


 左腕


 やった


「後で見る」


 エナはローデンの脚を確認している


「…………」


 真剣な顔で布を出す


「処置できる?」


 傷を見て、水や布を使いながら何かしている


「俺らよりちゃんとしてる」


 邪魔しないように下がる


 エナとローデンが速い人間語で話す


「全然分からん」


 でも、ローデンが俺たちを指し、倒木のような身振りをしている


「説明してる?」


 エナが俺を見る


「…………」


 何か言う


「分からん」


 エナが立ち上がり、俺へ近づく


「…………?」


 少し緊張する


 でもエナは胸へ手を置き、頭を下げた


「アト」


「…………」


 分かった


「アト」


 俺も返す


 ルッカも、


「アト」


「グギャ」


 今は意味がはっきり分かる


 礼だ


「助けたから」


 エナのありがとう


「…………」


 胸が少し軽くなる


「無事でよかった」


 まだ無事とは言えない


 怪我はある


 でも生きているし、意識もある


 エナのところまで来られた


「後は人間側に任せる」


 俺には治癒魔法も医療知識もない


「無理して触らん」


 それも大事だ


 エナが俺の左腕を見る


「ん?」


 布が少し赤い


「うわ」


 傷が開いた?


 担架を運んだからだ


「やってもうた」


 エナが何か言う


「大丈夫」


 と言いたいけど、その言葉は知らない


 俺は腕を振って、


「平気」


「痛っ」


「…………」


 エナが眉を寄せた


「今のなし」


 当然通じない


 ルッカも俺を見る


「大丈夫やって」


 ゴブリン語なら通じる


「ちょっと痛いだけ」


 ルッカが俺の腕を掴む


「痛い痛い!」


 確認が雑だ


「大丈夫ちゃうくなる!」


 エナが少し笑った


「笑うとこちゃうぞ」


 でも緊張が少し抜けた


 ローデンが俺へ何か言う


「…………」


 聞くけど分からない


 最後に、


「アト」


「アト」


 それだけは通じる


「今はそれでええ」


 ここからローデンとエナをどうするか


「運ぶ?」


 エナ一人では無理だ


「人間の場所まで?」


 危険はある


 でも途中までなら


 俺たちと担架を指し、エナと森を示す


「行く?」


 エナは首を振った


「違う?」


 待つ身振り


 エナはここを指し、自分が走って戻る仕草をする


「人呼ぶ?」


 たぶん


「待つ?」


 エナが頷く


「分かった」


 俺たちもここにいる?


 エナが俺たちと森を指し、何か言う


「帰っていい?」


 分からない


 ローデンが担架と俺たちを指して頭を下げる


「もう大丈夫?」


 エナが人を呼ぶなら、


「俺たちは、人間が大勢来る前に離れたほうがいい」


 怖がらせるかもしれない


 最初の三人を思い出す


「エナ」


 俺、自分、ルッカ、森を順に指す


「帰る」


 手を振る


 エナは理解したのか頷いた


「ローデン」


 名前を呼ぶ


「またな」


 日本語


 ローデンが少し手を上げる


「アト」


「アト」


 それで十分だ


 俺とルッカは森へ離れる


 少し振り返ると、エナとローデンが見える


「…………」


 大丈夫、たぶん


「人来るまで近くにおる?」


 ルッカが俺を見る


「隠れて待つ」


 少し離れた場所で待つ


「エナ一人にしたくない」


 でも姿は出さない


 しばらくして複数の声が聞こえた


「来た」


 人間が二人、三人?


 正確には見えない


「もうええ」


 エナは一人ではない


「帰ろ」


     ◇


 途中まで戻って、


「…………」


 木材を置いたままだったことに気づく


「取りに戻る?」


 ルッカはもう行く気だ


「明日用やもんな」


 俺は籠を持つ


「平和な採取の日の予定やったんやけどな」


 人生は予定通りいかない


「異世界でも一緒や」


 木材を回収して拠点へ戻る


「ただいま」


 疲れた


 身体が重い


「まず腕」


 沢で布を外す


「…………」


 少し血が出ている


「開いてる」


 完全には治っていなかった


「調子乗ったな」


 反省はする


 でも、


「ローデン挟まってたし」


 放っておけたか?


「無理やな」


 俺はそういう性格だ


 前世から


「しゃあない」


 傷を洗う


「痛っ」


 朝より痛い


 でも狼に噛まれた直後ほどではない


「悪化させた」


 薬草を潰して塗る


「っ……!」


 しみる


「今日は強い!」


 新しい布を左腕へ巻く


「明日は絶対使わん」


 交換へは、


「行ける?」


 約束は明日だ


「ローデンは無理やろな」


 エナは来る?


「交換そのもの中止かも」


 当然だ


「怪我人優先」


 俺たちは交換材料の準備をできている


「来なかったら来なかったでええ」


 約束の場所へ行き、少し待つ


 誰も来なければ帰る


「それでええ」


 ルッカは食料を探そうとするが、


「今日はもう出たくない」


 籠の中には青い実と根がある


「これで」


 夕飯にする


 火は、


「ファ」


 小さい《火弾》で枯れ草へ着火する


「今日は魔法ほとんど使わんかったな」


 ローデンの救助では魔法が役に立たなかった


「…………」


 悔しい?


 少し


「魔法使いやのにな」


 でも《火弾》で何でも解決できるわけではない


「むしろ使ったら危なかった」


 倒木、火、怪我人


「使わん判断も大事や」


 今日はルッカの経路判断、担架、木と蔓、エナの処置


「俺一人じゃ無理やった」


 それでいい


「全部できる必要ない」


 ルッカが根を食べる


「メラ」


「まだ味付け前や」


 塩を少し


「サル」


「メラ」


「早い」


 俺も食べる


「メラ」


 疲れた後だからうまい


「ほんま塩偉い」


 食事を終え、火を眺める


「今日、人間語増えてへんな」


 六個のまま


「でも」


 アトの意味は、今日何度も使ってかなり分かった


 エナもローデンも礼として使った


「言葉って、数だけではないんやな」


 使って分かる


 アトは最初は推測だった


 今はかなり確信している


「ありがとう」


 それに近い


「…………」


 俺もアトと言った


 助けた側なのに


「変かな」


 いや、助けさせてもらったから、ではない


「無事でいてくれて」


 それにエナのところまで案内できた


「アト」


 何に対してでも感謝を伝えられる


「使える言葉やな」


 短くて大事な言葉


「でも」


 今日一番言いたかったのは、


「大丈夫」


 これを覚えたい


 次は、


「待って」


「痛い」


「助ける」


 優先順位が変わる


「敵じゃない」


 もちろん必要だ


 でも、


「怪我した人に敵じゃないだけ言ってもしゃあない」


 会話や生活が増えるほど、欲しい言葉も増えていく


「十個で足りるわけないな」


 最初から分かっていた


 十語はただの最初


「百?」


 千?


「普通に話すなら何個いるんやろ」


 前世では考えたこともない


「気長にやろ」


 スローライフ


 言葉もスロー


「いや命に関わる言葉は早めに」


 そこは急ぐ


 火の向こうにいるルッカを見る


「今日ありがとな」


 今度はゴブリン語でちゃんと伝える


 道、森、ローデン、担架


「お前おらんかったら運べへんかった」


 ルッカは少し首を傾げ、


「アト」


「…………」


「何でお前が礼言うねん」


 笑う


 ルッカも笑う


「まあええか」


 俺も、


「アト」


 二人で、


「アト」


「…………」


 便利だ


 人間語なのに、もう俺たちの生活へ混ざり始めている


「面白いな」


 いつかゴブリン語と人間語が混ざるかもしれない


「ルッカ語になるな」


 絶対食べ物関係ばかりになる


「メラ、サル」


 ルッカ


「メラ!」


「ほら」


 夜、傷をもう一度確認する


「血止まってる」


 よし


「明日は無理しない」


 交換場所には行く


 でも荷物は、


「ルッカに持ってもらう?」


 木材も籠もある


 俺は左腕を休め、


「右手だけ」


 できる範囲でやる


「約束は守りたい」


 相手が来なくても俺は行く


「待つ」


 その言葉も覚えたい


 火を小さくし、岩陰の寝床へ横になる


「痛っ」


 左腕の位置を変える


「今日はこっち」


 右向き


 ルッカが近い


「狭い」


 押す


「お前もうちょい向こう」


「グギャ」


「そこ壁」


 いつものやり取り


「…………」


 安心する


 今日、ローデンが木に挟まれた


 血と、痛そうな顔を思い出す


「大丈夫かな」


 エナが処置し、人も来た


「たぶん」


 俺にできるのはそこまで


「治癒魔法」


 欲しい


 でも今は使えない


「いつか覚えられる?」


 光の適性はある


 でも適性があるだけで、使えるとは限らない


「焦らん」


 今使えるのは《火弾》《魔力感知》《魔力操作》


「できることを使う」


 できないことは誰かに頼る


「今日みたいに」


 森ではルッカ


 処置はエナ


 救援は人間


「一人で全部せんでええ」


 それを前世でも、もっと早く分かっていたら


「…………」


 いや


 今さらやな


 目を閉じる


 異世界で迎える八度目の夜


 今日は戦わなかった


 獲物も倒さなかった


 新しい魔法も覚えていない


 LEVELも2のまま


 それでも、昨日より少し、この森で生きる方法を知った気がした


 魔法でできないことがある


 俺にできないことがある


 ルッカにできることがある


 エナにできることがある


 人間に頼ったほうがいいこともある


 それでいい


 全部一人でできる必要なんてない


「…………」


 俺が欲しかったスローライフも、もしかしたら一人で何でもできる生活ではなく、できないことを誰かと補いながら、飯を食って、笑って、困った時には助け合える


 そんな生活なのかもしれない


「居場所って」


 小さく呟く


「家だけちゃうんやろな」


 岩陰、屋根、寝床


 それも大事だ


 でも隣にはルッカがいる


 森の向こうにはエナ、ミラ、ローデンがいる


「…………」


 少しずつ増えている


 俺が気にする相手


 俺を気にしてくれるかもしれない相手


「悪くないな」


 左腕が少し痛い


「明日は絶対無理せん」


 そう決める


 そして最後に、今日一番使った人間語を小さく口にした


「アト」


 誰に向けたのか、自分でもよく分からない


 ルッカか


 エナか


 ローデンか


 この森か


 それとも、二度目の人生そのものか


 隣から、


「……アト」


 寝ぼけた声


「起きてたんかい」


 返事はない


「…………」


 笑う


 明日は森の境界で約束した交換の日


 ローデンが来られるのか


 エナが来るのか


 誰も来ないのか


 分からない


 それでも俺は行く


 約束したから


 今度は今日より少しだけ人間の言葉を覚えて、


「大丈夫」


 その言葉をちゃんと誰かへ伝えられるようになりたい


 そんなことを考えながら、俺は異世界で八度目の眠りへ落ちていった

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