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村の外で、こんにちは

第10回 村の外で、こんにちは


 朝、目が覚めた瞬間だった


「痛っ」


 左腕が昨日より痛い


「…………やっぱ使いすぎたな」


 ローデンを運んだ担架で、治りかけていた傷が少し開いたらしい


 夜には血は止まっていたけど、今日は絶対使わない


「何度目か分からんけど、今度こそ」


 できるだけ右手だけを使って、左腕は休ませる


 隣ではルッカが寝ている


「…………起こす?」


 今日は約束の日だ


 二日前、エナとローデンが森の中間地点で交換をして、太陽が二回動いたあとにまた会う――俺たちはそう理解した


「今日で合ってるよな」


 間違っていたら誰も来ない


「まあ、行けば分かる」


 ただ、ローデンは昨日脚を怪我した


「来られへんやろな」


 木に挟まれて血も出ていた


 エナが処置して、そのあと他の人間が来たらしいところまでは確認した


「大丈夫かな」


 大丈夫、という人間語はまだ知らない


 昨日、一番覚えたいと思った言葉だ


「今日エナ来たら聞こう」


 問題は、どう聞くか


「身振りやな」


 もうこれしかない


 俺はローデンの脚を指す真似をして、痛そうな顔をしてから笑ってみる


「大丈夫?」


「…………伝わる?」


「まあ何とかなるやろ」


 最近、これが増えた


 言葉がなくても何となく通じることがある


 もちろん、交換する数や昨日みたいな怪我のことまで何となくで済ませるのは危ない


「そこはちゃんと覚えたい」


 まず沢へ行き、布を外して傷を確認する


「…………」


 昨日の朝より少し赤い


 状態は悪いけど、出血はない


「よし」


 沢で洗うと痛みが走る


「っ……今日休めば戻るかな」


 薬草を潰して塗る


「っ!」


 やっぱりしみる


「これだけは元気やな」


 効いている証拠なのか、ただ刺激が強いだけなのかは分からない


「ミラが知ってた草やし」


 少なくとも、完全な間違いではなさそうだ


 布を巻き直し、左腕をなるべく身体の近くへ寄せる


「今日は荷物持たん」


 拠点へ戻ってルッカを起こす


「ルッカ」


「グギャ……」


「朝」


 ルッカが目を開ける


「今日」


 俺は太陽を指し、森、エナ、ローデンを順に示す


「トラ」


 ルッカは数秒考えたあと、


「トラ」


「そう、交換の日」


 籠を指す


「持って」


 次に、自分の左腕を押さえて痛そうな顔をする


「今日は頼む」


 ルッカは俺の左腕を見る


 昨日、担架を運んだあとに血が出ているところを見ている


「グギャ」


 頷いた


「助かる」


 朝飯は白っぽい根と青い実、それに塩だ


「サル」


 ルッカが塩を見る


「少し」


「サル」


「少し」


「サル」


「分かってる?」


 塩はほんの少量だけ使う


 焼いた根を食べると、ルッカがすぐに言った


「メラ」


「せやな」


 俺も食べる


「メラ」


 今日、人間側から誰が来るのかは分からない


 エナはたぶん来る


 ローデンは難しい


 ミラは来るかもしれない


「知らん人来たら……」


 怖い


 でも、エナがいれば


「何とかなる?」


 最初の日、人間三人は俺を危険な魔物だと判断して攻撃した


 いや、今考えれば向こうから見れば自然だったのかもしれない


 村の近くの森にゴブリンがいて、火の跡があり、止まれと言っても止まらず、さらに魔力まで集める


「改めて最悪やな」


 今なら分かる


「今日は武器を下げる、魔法を使わない、突然近づかない」


 ルッカにも伝える


 人間を指し、槍を指し、下へ向ける


「人間、槍、下」


「分かった?」


 ルッカは槍を下げた


「よし」


 交換用に用意したのは薬草、橙色の実、木材、蔓だ


 自分たちの分は残してある


「全部渡さん」


 今日、何と交換できるかも分からない


「ローデンおらんかったら木材いらんかもしれんし」


 無理に交換はしない


 相手が来なければ待って帰る


「待つ、か」


 その言葉も今日覚えたい


「行こ」


     ◇


 森を昨日よりゆっくり歩く


 右手には柄付き石刃を持っていたけど、


「いや」


 今日はこれも籠に入れる


 人間と会うのだから、手は空けておいたほうがいい


「こっちのほうがええ」


 ルッカは槍を持っているが、穂先は下げている


 交換場所へ近づく


「…………」


 まだ声は聞こえない


「早かった?」


 太陽の位置を見ても、正確な時間は分からない


「時計欲しいな」


 交換できるわけないか


「この世界に時計あるんかな」


 考えても分からない


 少し開けた場所へ着く


 二日前、エナとローデンが物を並べた場所だ


「ここ」


 ルッカが籠を置き、木材を横へ置く


「待つ」


 俺も地面に座る


「左腕休憩」


 その横で、ルッカがさっそく橙色の実を取ろうとした


「それ交換用」


 止める


「グギャ」


「朝食ったやろ」


「メラ」


「知ってる」


 待つ


 森には風が吹き、葉が揺れ、鳥の声がする


「…………」


 来ない


 少し時間が経つ


「今日じゃなかった?」


 不安になって指を二本立て、太陽を示す


「昨日が一回、今日が二回」


 たぶん


「合ってるはず」


 さらに待つ


 ルッカは寝転んだ


「自由やな」


 俺も木へ背を預ける


「…………人間と約束して待ち合わせ」


 ゴブリンになって九日目


「展開早いんか遅いんか分からんな」


 言葉は六個、家は岩陰、武器は石、LEVEL2


「遅いか」


 でも、俺にはこれくらいでいい


 最強、魔王、勇者


「いらん」


 飯、家、仲間


「あと塩」


 これは必要


 そのとき、茂みが鳴った


「ん?」


 ルッカが起き、槍を持つ


「待って」


 声が聞こえる


 人間だ


「来た」


 一人、二人


「…………三人?」


 俺も立つ


「多い」


 緊張する


「ルッカ、槍、下、絶対」


 ルッカが穂先を地面へ向ける


 最初に見えたのはエナだった


「エナ」


 少し安心する


 次に、


「…………ミラ」


 前に会った成人女性だ


 杖のようなものを持っている


 そして三人目


「…………」


 男


 知らない


 いや


「…………?」


 どこかで見た?


 大きな身体に武装


「…………まさか」


 胸の奥で嫌な音がする


 最初の日、森で三人の人間の前に立っていた男


「…………あの人?」


 確信はない


 でも、体格、装備、立ち方が似ている


 身体が勝手に一歩後ろへ下がった


「セイジ」


 エナが俺の名前を呼ぶ


「…………エナ」


 俺は止まる


 男は俺を見て、ルッカを見て、籠と木材を見る


 武器へ手はかけない


「…………」


 俺も魔力を集めず、両手を見せる


「セイジ」


 自分を指す


「ルッカ」


 ルッカを指す


「エナ」


 エナ


「ミラ」


 ミラ


 最後に男を見る


「…………」


 男は少し間を置いて胸を指した


「ダリオ」


「ダリオ」


 発音は難しくない


「ダリオ」


 男が頷く


「…………」


 ダリオ


 覚える


 そして俺の記憶にいる、最初の日の男


「同じ?」


 聞けない


 ダリオがエナへ何か話し、エナが答える


 その間に、ミラが俺の左腕を見た


「傷」


 気づいたらしい


 ミラが少し近づくと、俺は反射的に一歩下がった


「…………」


 ミラが止まる


「あ」


 違う


 まだ怖いのだ


 人間が急に近づくと、身体が逃げる


「ごめん」


 通じない


 俺は左腕と自分を指す


「大丈夫」


 そう言いたい


 ミラが傷を見て何か言う


「分からん」


 昨日、俺の腕から血が出たのをエナは見ている


 エナが何か説明すると、ミラの顔が少し厳しくなった


「怒られてる?」


 俺は笑う


「大丈夫」


 だから、その言葉を知りたい


 腕を指し、痛そうな顔をしたあと、笑って胸へ手を置く


「大丈夫」


 日本語で言ってみる


 エナが首を傾げた


「これを知りたい」


 難しい


 俺はルッカを軽く押す


「グギャ?」


「ごめん」


 ルッカは転ばない


 手を差し出してみたものの、そもそも立ったままだ


「…………例が悪い」


 今度は自分の腕を指し、痛そうな顔をしてから笑い、親指を立てる


「大丈夫」


 エナが考えた


 そして、


「――ラウ」


「ラウ?」


 エナが俺の腕を指す


「ラウ」


 ミラも何か補足するが、そこまでは分からない


 俺も腕を指して笑う


「ラウ」


 エナが頷く


「七個目」


 大丈夫、たぶん


「ラウ」


 覚える


 ダリオはそのやり取りを黙って見ていた


「…………」


 怖い顔


 いや、真面目なだけ?


「分からん」


 そういえばローデンがいない


「ローデン」


 周囲を見回す


「ローデン?」


 エナの表情が変わる


 俺は脚を指し、痛そうな顔をする


「ローデン、ラウ?」


 大丈夫?


 これで疑問にできるのか


 語尾も知らない


「ローデン、ラウ?」


 エナの目が少し見開かれる


「通じた?」


 エナは頷いた


「ラウ」


「…………!」


 大丈夫


「ローデン、ラウ」


 エナがもう一度頷く


「よかった……」


 息が抜ける


「ラウ」


 胸へ手を置く


「よかった」


 詳しい状態は分からない


 歩けるのか、骨はどうなったのか


 でも、エナの反応を見る限り


「命に関わる感じではない?」


 そこまで断定はしない


「とりあえず安心」


 エナが何か話し、ダリオが聞く


 やがてダリオが俺たちを見て、少し頭を下げた


「…………?」


 俺は固まる


「アト」


 ダリオが言った


「…………アト?」


 もう一度、


「アト」


「…………」


 礼


 ローデンを助けたこと


「知ってる?」


 エナが頷く


「…………」


 人間側にも伝わった


 俺たちがローデンを助けたこと


「アト」


 俺も返す


 何に対しての礼か分からないけど


「アト」


 ルッカも、


「アト」


 ミラが少し笑い、エナも笑う


 ダリオの口元も少し動いた


「笑った?」


 怖さが少し減る


 それでも、


「油断はせん」


 敵ではない、たぶん今は


 でも、人間と魔物は基本的に敵対しているらしい


「距離は大事」


 ダリオもそれを守っている


 近づきすぎず、武器も抜かない


「向こうも慎重なんや」


 俺だけじゃない


 それは少し安心できた


     ◇


「トラ」


 交換だ


 俺は籠を指し、エナを見る


「トラ」


 エナが頷く


「今日はできる?」


 ローデンは怪我で来られなかったが、ダリオ、ミラ、エナが来た


 人間側も荷物を持っている


 エナが布と袋を地面へ置く


「お」


 塩


「サル!」


 ルッカが一歩出る


「待て」


 首を掴む


「左腕使ってもうた! 痛っ!」


 ルッカが止まる


「サル」


「分かった」


 ミラが笑い、ダリオも少し驚いた顔をする


「こいつ塩好きなんです」


 もちろん日本語は通じない


 俺はルッカを指し、塩を示す


「サル」


 食べる真似


「メラ」


 エナが爆笑した


「そこまで笑う?」


 ルッカまで、


「メラ!」


「まだ食ってない」


 空気が少し柔らかくなる


 俺は薬草、橙色の実、木材、蔓を並べる


「トラ」


 ダリオがしゃがみ、薬草を見る


 ミラが一本へ手を出したので、俺は頷く


 ミラは葉と匂いを確認した


「やっぱこれ知ってるんや」


 エナが布を指し、薬草を三本示す


「前と同じ?」


 俺も三本と布一枚を指す


 エナが頷いた


「トラ」


 薬草と布を交換する


「アト」


「アト」


 次は橙色の実


 ミラも興味を示し、エナは肉へ絞る身振りをする


「覚えてるな」


 ダリオが実を見る


 エナが何か話し、ダリオが俺を指して、実を二つ、次に塩を示した


「サル?」


 頷く


「二個で塩?」


 量までは分からない


 人間側が小さな包みを出す


「これ?」


 ダリオが頷く


「トラ」


 実二つと塩を交換する


 ルッカがすぐ塩を見る


「サル」


「これは家帰ってから」


「グギャ」


「駄目」


 エナが俺たちを見て笑う


「食いしん坊が完全にバレてる」


 次は木材


 ローデンはいないが、


「これ」


 ダリオが持ち上げて重さを確認する


 ミラも何か言った


「使う?」


 ダリオが木材を横へ置き、人間側から木の器を出した


「…………!」


「ヴァ!」


 俺は器で水を飲む身振りをする


「ヴァ」


 エナが頷く


「欲しい」


 木材と器を指す


「トラ?」


 ダリオが頷く


「よし」


 二個目の木の器だ


「これで俺とルッカ一個ずつ……いや、共同やな」


 でも、拠点へ置いておける水の量は倍になる


「大きい」


 木材を渡し、器を受け取る


「アト」


「アト」


 次に蔓を見せるが、人間側の反応は薄い


「これはいらん?」


 ダリオが少し首を横へ振る


「分かった」


 籠へ戻す


「何でも売れるわけじゃない」


 昨日と同じだ


 青い実も蔓も、少なくとも今の相手には価値が低い


「覚えとこ」


 交換はここまでにする


「今日はこれくらい」


 籠を閉じると、エナも頷いた


 無理に全部渡さない


 自分たちの生活分も大事だ


     ◇


 交換は終わった


 でも、人間たちは帰らない


「…………?」


 ダリオが地面へ座る


「え?」


 エナも座る


 ミラも座る


「何?」


 俺はルッカを見る


 ルッカも座った


「お前は順応早いな」


 俺も少し距離を取って座る


「交流会?」


 森の中で、人間三人とゴブリン二人が座っている


 完全な輪ではなく、互いに距離はある


「村の外か」


 人間の生活圏はたぶん近い


 でも、ここは村そのものではない


「ここなら俺たちも人間も、どっちも逃げられる」


「ちょうどええんかも」


 エナが袋からパンを出した


「パン!」


 ルッカがすぐ、


「メラ!」


「早い」


 エナはパンをちぎり、自分で食べ、ミラとダリオにも渡す


 次に俺たちを見る


「くれる?」


 エナが俺へパンを差し出した


「…………」


 交換?


「トラ?」


 エナは首を横へ振る


「違う?」


 パンと俺を指す


「アト?」


 エナが頷いた


「くれるんや」


 受け取る


「アト」


 ルッカも手を出した


「お前もアト言え」


「アト」


 エナはルッカにも渡す


「メラ!」


「食ってから言え」


 俺も一口


「…………」


 硬い


 でも穀物と塩の味がする


「メラ」


 エナが頷く


「メラ」


 七語


 いや、ラウが増えたから今で七だ


「アト、メラ、サル、ヴァ、ファ、トラ、ラウ」


 あと三


 俺は指を七本出してから、十本にする


「数字」


 これ、今日覚えられる?


 実を一個置き、指一本を出す


「一」


 日本語で言う


 エナが、


「――ナ」


「ナ?」


 実一個


「ナ」


 エナが頷く


「一?」


 今度は実を二個、指も二本


「――ド」


「ド」


 二、たぶん


「ナ」


 一


「ド」


 二


 ルッカも実を一個指す


「ナ」


 二個


「ド」


「お前ほんま早いな」


 エナが三個並べる


「――テル」


「テル」


 三


「ナ、ド、テル」


 俺が一、二、三と指を出すと、エナも同じように示す


「数字や」


 これは確実に便利だ


「十個達成?」


 人間語七個に数字三つ


「十」


 目標達成


「…………思ったより早かった」


 でも普通に会話するには、


「全然無理」


 十語なんてスタートだ


「次」


 欲が出る


 俺はパンを指す


「パン」


 日本語


 エナが答える


「――パナ」


「パナ?」


 パン


「パナ」


 エナが頷く


「十一」


 もう目標を超えた


「面白い」


 目の前に物があると覚えやすい


 次は布を指す


「――ティラ」


「ティラ」


 布


「十二」


 木の器


「――コル」


「コル」


 器?


 木の器そのもの?


「分からん」


 もう一度器を指す


「コル」


 エナが頷く


「十三」


 塩はサル、水はヴァ、火はファ、交換はトラ、礼はアト、美味しいはメラ、大丈夫はラウ


 数字はナ、ド、テル


 パンはパナ、布はティラ、器はコル


「増えた」


 嬉しい


 でも、


「発音合ってる?」


 たぶん完全ではない


 ゴブリンの口、舌、喉は人間とは違う


 エナが何度か発音を直してくれる


「パ……ナ」


「パナ」


 頷いた


「よし」


 ルッカも、


「パナ」


 完璧そうだ


「何でやねん」


 エナが笑う


「俺より上手いやん」


 ルッカはパンを指す


「パナ、メラ」


「食い物だけ文章っぽくするな」


 パナ、メラ


 パン、美味しい


「二語やけど」


 意味は通じる


 エナもルッカへ、


「パナ、メラ」


 笑う


「会話してる」


 なんとなく負けた気分になる


「俺も」


 パンを指す


「パナ、メラ」


 エナが頷いた


「…………」


 これ、会話?


 ほんの少し


「すご」


 単語を二つ並べただけで、文法もない


 でも意味は伝わった


「初めてちゃう?」


 名前以外は、アトみたいな単語一つだけだった


 今は、


「パナ、メラ」


 パン、美味しい


「会話や」


 小さい


 めちゃくちゃ小さい


 でも、


「会話やな」


 胸が熱くなる


 その直後、エナが何か長く話した


「…………ごめん、分からない」


「やっぱ無理」


 すぐ現実へ戻された


 エナも気づいたのか笑う


「まだまだ」


 でも、それでいい


     ◇


 ダリオはずっと俺たちを観察している


 少し怖い


「何?」


 俺はダリオを指す


「ダリオ」


 自分


「セイジ」


 ダリオは頷き、自分の胸を指したあと、森の向こうを指しながら何か言う


「…………」


 分からない


 エナが地面へ何かを描き始める


「絵?」


 丸と、家みたいな形が複数


「家?」


 さらに棒人間が何人か


「村?」


 俺は前世の日本語で言う


「村」


 エナが答えた


「――ハルナ」


「…………ハルナ?」


 エナが家の絵を指す


「ハルナ」


「名前?」


 場所、村


「ハルナ」


 俺も絵を指す


 エナが頷く


「ハルナ」


 人間の場所


「村の名前?」


 正確にはまだ、村という一般名詞なのか固有名なのか区別できない


 でもエナは、自分、ミラ、ダリオ、そして絵を指して、


「ハルナ」


「みんなそこ?」


 たぶん


「ハルナ」


 覚える


 初めて知った、人間側の場所の名前らしき音


「十四?」


 いや、もう単語数はどうでもよくなってきた


「大事なのは意味」


 ハルナ


 場所、人間、エナたち


「近くにある」


 ダリオが森と俺たちを指し、次にハルナを指して首を横へ振る


「…………」


「来るな?」


 少し緊張する


 エナが慌てて何か話すが、ダリオは手で落ち着かせる


「何?」


 ダリオはハルナを指し、俺たちを止める仕草


 次にここを指し、俺たちと人間を順に示す


「…………」


「村には来ないで、ここで会う?」


 俺もハルナの絵を指して首を横へ振り、ここ、自分、エナを示す


「トラ?」


 ダリオが頷く


「分かった」


 たぶん、人間の村ハルナには今は来ない


 交流や交換はここでする


「それでええ」


 俺も同じだ


 人間の村へ行くのは怖いし、拠点を知られすぎるのも怖い


「中間、ここ」


「ちょうどええ」


 俺は自分とここを指して頷く


「ラウ」


 大丈夫


 使い方合ってる?


 ダリオは少し考えてから頷いた


「ラウ」


「通じた」


 今は村へ入らない


「約束」


 その言葉はまだ知らない


 でも意思は通じた


 次にダリオは俺とルッカを指し、自分の剣、ルッカの槍を下へ向ける


「武器?」


 自分と俺、両方を示して手を開く


「戦わない?」


 これを知りたい


「敵じゃない?」


 俺もダリオと自分を指し、戦う真似をしてから首を横へ振り、手を開く


「…………」


 ダリオは俺を見る


 そしてゆっくり、剣を鞘ごと地面へ置いた


「…………!」


 武器を手放した


 ミラも杖を横へ置く


 エナはもともと大きな武器を持っていない


 俺の柄付き石刃は籠の中


 残るのはルッカの槍


「ルッカ」


 地面を指す


「置いて」


 ルッカは迷う


「大丈夫、置くだけ」


 ゴブリン語で伝える


 ルッカも槍を地面へ置いた


「…………」


 全員の手から武器がなくなる


「これ」


 俺はダリオ、自分を指し、戦う真似をして首を横へ振る


「敵じゃない」


 ダリオが短く言った


「――ネア」


「ネア?」


 ダリオが俺、自分、戦う真似、首を横へ振る


「ネア」


 エナも同じように、


「ネア」


「敵じゃない?」


 正確な意味は分からない


 争わない、危険なし、敵意なし、その辺りかもしれない


「ネア」


 俺は自分とダリオを指す


「ネア」


 ダリオが頷く


「…………」


 欲しかった


 ずっと、最初から


「これ」


 一番欲しかった言葉かもしれない


「ネア」


 胸へ手を置き、ダリオ、エナ、ミラを指す


「ネア」


 ルッカも、


「ネア」


 ダリオも返す


「ネア」


「…………」


 たった一語


 それでも少し泣きそうになった


「遅いわ」


 最初の日にこれを知っていたら、あんなことにはならなかった?


「いや」


 魔物、ゴブリン


 それだけで信用されなかったかもしれない


 でも、少なくとも


「伝えようとはできた」


 今はできる


「ネア」


 敵じゃない


 少なくとも俺は、そういう意味として覚える


「絶対忘れへん」


     ◇


 少しして、ダリオが自分と森、俺とルッカを指しながら何か言う


「…………」


 分からない


 エナがまた地面に絵を描く


 森、俺たち、それから家?


「家」


 俺たちの拠点?


 ダリオが俺と森を示す


「場所聞いてる?」


 緊張する


「…………教える?」


 迷う


 拠点、岩陰、生活、食料、塩、道具


「全部見せる必要ない」


 俺は自分と森を指し、次にここを指す


「ここ」


 会うのはここだけ


 拠点の方向は示さない


 ダリオはしばらく俺を見た


「…………怒る?」


 やがて頷く


「いい?」


「ラウ?」


「ラウ」


「よかった」


 無理に聞かない


「助かる」


 これは大きい


 人間側も俺たちの生活場所へ踏み込まない


 俺たちもハルナへ入らない


 中間のここで会う


「距離、ちゃんとある」


「いい関係かもしれん」


 まだ友達ではない


 信用も完全ではない


 でも、


「境界を守る」


 それなら続けられる


 ダリオが何かエナへ言う


 エナは俺と太陽を指し、次に指を三本立てる


「次?」


 今度は何日後?


「テル」


 俺も三本指


「テル?」


 エナが頷く


「三?」


 太陽が三回動く仕草


「三日後?」


 たぶん


 俺も指を三本立てる


「テル」


 太陽、ここ


「トラ?」


 ダリオが頷く


「三日後、交換」


 また約束できた


「よし」


 俺は、


「ラウ」


 と言ってみる


 使い方、ちょっと変?


 エナが笑った


「違う?」


 まあ伝わった


     ◇


 帰る前、ミラが俺の左腕を指した


「…………」


 まだ気にしてる


「ラウ」


 俺が言うと、ミラは首を横へ振った


「ラウじゃない?」


「…………」


 俺が笑うと、ミラは怖い顔をする


「怒られた」


 エナが笑う


「いやほんま、治します」


 日本語だから通じない


 俺は左腕を休ませ、寝る身振りをする


 ミラが頷いた


「これでええ?」


 するとミラが荷物から小さな布を取り出した


 中には乾燥した葉


「薬?」


 少し警戒する


 ミラは自分の腕へ塗る真似をし、俺の傷用草を指したあと、乾燥葉を示す


「同じ用途?」


 すぐには受け取らず、まず見て匂いを嗅ぐ


「知らん」


 今までなら絶対使わない


 でもミラは以前、俺の薬草を知っていた


「…………信用する?」


 完全ではない


 でも、


「少し」


 乾燥葉を少量だけ指す


「これだけ?」


 ミラが頷き、水、潰す、塗る、と身振りで示す


「分かった」


 受け取る


「アト」


「アト」


「これは拠点帰ってから」


 すぐには使わない


「ルッカにも見せる」


 知っているかもしれない


 分からなければ慎重にする


「勝手に大量使用なし」


 決める


 エナが立ち上がる


「帰る?」


 俺たちも立つ


 ダリオは剣を拾うが、抜かない


 ルッカも槍を拾う


「ネア」


 俺がダリオへ


「ネア」


 エナ、


「セイジ」


「エナ」


「ミラ」


「ミラ」


「ダリオ」


「ダリオ」


「ルッカ」


「グギャ」


 最後に俺が、


「アト」


 人間三人もそれぞれ、


「アト」


 ルッカだけ、


「パナ、メラ」


「最後それ?」


 エナが笑う


「お前は平常運転やな」


 手を振る


「またな」


 まだ人間語では知らない


「三日後」


 指三本


「テル」


 エナも、


「テル」


 ここ


「トラ」


「トラ」


 通じる


「よし」


 人間たちが森の向こうへ消える


 俺とルッカだけが残った


「…………」


 静かだ


「終わった」


 一気に緊張が抜ける


「疲れた」


 戦ってない


 魔法も使ってない


 でも、


「めちゃくちゃ疲れた」


 頭を使った


 言葉、表情、身振り


 相手が何を言っているのか、自分が何を伝えるのか


「会話って大変やな」


 前世では当たり前だった


「こんにちは」


 言うだけなら簡単だった


 今はその一言すら知らない


「…………」


 そういえば、こんにちはを覚えてない


「次やな」


 笑う


「挨拶らしいことまだできてへん」


 誰に言ってるんだ


「まあええ」


 今日はもっと大事な言葉を覚えた


「ネア」


 敵じゃない、と俺は認識している


「ラウ」


 大丈夫


「ナ、ド、テル」


 一、二、三


「パナ」


 パン


「ティラ」


 布


「コル」


 器


「ハルナ」


 人間の場所の名前らしき音


「増えすぎ」


 全部覚えられる?


 帰り道で復習する


「アト」


 礼


「メラ」


 美味しい


「サル」


 塩


「ヴァ」


 水


「ファ」


 火


「トラ」


 交換


「ラウ」


 大丈夫


「ナ、ド、テル」


 一、二、三


「パナ」


 パン


「ティラ」


 布


「コル」


 器


「ネア」


 敵じゃない


「ハルナ」


 場所


「…………」


 俺はルッカを見る


「覚えた?」


「パナ、メラ」


「そこだけやないか」


 いや、


「サル」


「食い物ばっかり!」


 笑った


     ◇


「ただいま」


 拠点へ戻る


 今日は物が増えた


 布、塩、木製容器、乾燥葉


「まず水」


 木製容器が二つ


「二つ!」


 指を二本立てる


「ド」


 ルッカも、


「ド」


「そう!」


 器が二つ


「コル、ド」


 順番が分からない


「ド、コル?」


 どっちだろう


「まあ今は単語でええ」


 水は、


「ヴァ」


 沢へ行き、器を二つ使って汲む


 俺は右手で一個


「二個持てへん」


 左は使わない


「ルッカ」


 もう一個を持ってもらう


「ヴァ」


「ヴァ」


 拠点へ水が二杯分運ばれた


「便利」


 今度はすぐ飲まず、屋根の下の安定した場所へ置く


「保存や」


「倒すなよ」


 ルッカが器を見る


「飲むな」


「ヴァ」


「分かってる」


 次に乾燥葉を見せる


「これ」


 ルッカが匂いを嗅ぎ、葉を見る


「知ってる?」


 少し首を傾げる


「分からん?」


 俺の傷用草と乾燥葉を並べる


 ルッカが何か言う


「似てる?」


 完全には分からない


「使わんとこ」


 今日は今までの草で処置済みだ


「ミラからもらった」


 でも正確な使い方は理解できていない


「次聞けるまで保留」


 安全が大事


 夕方になったが、今日は追加の採取へ行かない


「腕休める」


 低い壁を見る


「明日」


 屋根


「明日」


 籠を背負い式にするのは、


「傷治ってから」


「今日は何もしない」


 珍しく、本当に休む日だ


 ルッカが俺を見る


「グギャ?」


「休む、寝る、食う」


「パナ」


 ルッカ


「メラ!」


「パンもうない」


 露骨に落ち込む


「根ある」


 夕飯は根、青い実、塩


「サル」


 火は、


「ファ」


 小さい《火弾》で着火する


「今日初魔法」


 人間と会っている間は一度も使わなかった


「それでよかった」


 ダリオは武器を置き、俺は魔法を使わず、ルッカは槍を置いた


「ネア」


 敵じゃない


「言葉だけやなく、行動も必要なんやろな」


 たぶん、あれが一番伝わった


「敵じゃないって言いながら火弾出してたら説得力ないしな」


 最初の日


「やってもうたな」


 あの時は知らなかった


「しゃあない、今は知ってる」


「次はできる」


 夕飯を食べながら、ルッカと人間語を復習する


「メラ」


「メラ」


「サル」


「サル」


「ヴァ」


「ヴァ」


「ファ」


「ファ」


「トラ」


「トラ」


「ラウ」


「ラウ」


 一


「ナ」


「ナ」


 二


「ド」


「ド」


 三


「テル」


「テル」


 パン


「パナ」


「パナ、メラ」


「分かった」


 布


「ティラ」


「ティラ」


 器


「コル」


「コル」


 敵じゃない


「ネア」


「ネア」


「…………」


 ルッカ、覚えてる


「お前、食べ物以外もちゃんと覚えてるやん」


「グギャ」


 少し得意そうだ


「負けてられへんな」


 俺は笑う


「人間語勉強会や」


 先生はエナ、生徒はゴブリン二匹


「変な学校」


 でも楽しい


 最初、人間語はただの音だった


 意味が何も分からず、怖かった


 今は少しずつ世界に輪郭ができている


 水はヴァ


 火はファ


 塩はサル


「名前がある」


 当然だけど、名前が分かるだけで世界が近くなる


「ハルナ」


 人間の場所


 エナたちが暮らしているらしい村、たぶん


「まだ行かん」


 ダリオの意思にも俺は納得している


「ここで会う」


 境界で交換し、話す


「それで十分」


 今はそれ以上欲張らない


     ◇


 夜、左腕を確認する


「今日は悪化してない」


 血もない


「ちゃんと休んだ」


 沢で洗い、薬草を塗って布を巻く


 乾燥葉は使わない


「次ミラに聞く」


 どう聞くか


 乾燥葉、傷、量、水、潰す


「身振りで何とか」


 三日後


「テル」


 また交換で会う


「ローデン、次来るかな」


「ラウ」


 大丈夫だとエナは言っていた


「無理して来んでええけど」


 脚を休ませてほしい


「俺が言える立場ちゃうな」


 自分の左腕を見る


「人のこと言えへん」


 寝床ではルッカが先に横になっている


「今日は……」


 狭い


「…………いつも通りやな」


 俺も右向きに横になり、左腕を上へ置く


「よし」


 ルッカの背中が近い


「暑い」


 でも押さない


 左腕を使わず我慢する


 目を閉じる


 今日会った人間は三人


 エナ、ミラ、ダリオ


「ダリオ」


 名前を覚えた


 最初の日に会った男と同じ人かもしれない


 確信はない


「もし同じなら、不思議やな」


 最初は俺を追った人間


 今日は俺に頭を下げた


「アト」


 ローデンを助けたから、たぶん


「…………」


 世界は単純じゃない


 人間だから敵、ゴブリンだから敵


「それだけちゃう」


 状況、行動、知っていること、知らないこと


 それで関係は変わる


「俺も」


 最初は、人間なら助けてくれると思った


 違った


 次は怖いと思った


 でも、エナ、ミラ、ローデン、ダリオ


「全員同じちゃう」


 当たり前だ


 前世なら知っていたはずなのに


「異世界来たら忘れるもんやな」


 人間、魔物という大きな分類はあっても、中身は一人ずつ違う


「ルッカも」


 最初はただのゴブリンだった


 今は隣で寝ている、食いしん坊で、森の先生で、仲間だ


「名前知るって大事やな」


 エナ、ミラ、ローデン、ダリオ


 名前を呼べる


 それだけで、魔物や人間ではなく、誰かになる


「…………」


 今日、ダリオが武器を置いた


 俺たちも武器を置いた


「ネア」


 敵じゃない


 正確にはそういう意味ではないかもしれない


 争わない、危険じゃない、何か少し違うかもしれない


「でも、今の俺にはそれでいい」


 ダリオへネアと伝え、ダリオもネアと返した


「通じた」


 あれは忘れない


 初めて人間と、お互いに戦わない意思を、言葉と行動の両方で確かめた


「…………」


 異世界で迎える九度目の夜


 俺はまだ人間語を話せない


 覚えた単語を並べ、身振りを足し、表情を見て、意味を推測しているだけだ


 それでも今日、


「ローデン、ラウ?」


 ローデンは大丈夫?


 そう聞けた


「パナ、メラ」


 パンは美味しい


 そう伝えられた


「テル、トラ」


 三日後、交換


 たぶん、そんな約束もできた


 そして、


「ネア」


 敵じゃない


 ずっと伝えたかったことを、ようやく人間へ伝えられた


 ほんの少し


 本当にほんの少しだけ、言葉が俺と人間の間に橋を作り始めている


「こんにちは」


 まだその言葉は知らない


 でも、たぶん今日やったこと全部が、俺にとって初めてのちゃんとした挨拶だった


「…………」


 隣から、


「パナ……メラ……」


「また寝言か」


 笑う


「そこはネアちゃうんか」


 返事はない


「まあ、ルッカらしい」


 目を閉じる


 三日後、また森の境界で会う


 今度はローデンも来るだろうか


 人間語はもう少し増えるだろうか


 交換できるものも増えるだろうか


「焦らん」


 一日ずつ、一語ずつ、一人ずつ知っていけばいい


 俺はまだゴブリンメイジ、LEVEL2


 使える魔法は《火弾》だけ


 住んでいるのは、岩陰に屋根と壁を足しただけの場所


 左腕にはまだ傷がある


 それでも、水を運ぶ器が二つ、塩があって、布があって、石刃がある


 隣にはルッカがいる


 森の向こうには、名前を知っている人間がいる


「十分進んでるやん」


 そう思う


 最初の日、沢に映った緑の顔を見て、一人で、


「せめて人間がよかった」


 そう思った


 今も人間になりたい気持ちは消えていない


 でも、ゴブリンのままでもできることは少しずつ増えている


 飯を食える


 家を作れる


 仲間ができる


 人を助けられる


 交換できる


 言葉を覚えられる


 そして、人間へ敵じゃないと伝えられる


「…………悪くない」


 小さく呟く


「ほんまに」


 外の森は静かだ


 風が吹き、屋根と低い壁が少し揺れる


「明日直そ」


 左腕を見る


「いや、休ませる」


「明後日」


 焦らない


 今度こそスローライフ


「おやすみ」


 誰に言ったのか


 ルッカか、自分か、この家か


 分からない


 それでも異世界で九度目の夜


 俺は昨日までより少しだけ人間の世界に近づいた気がしながら、ゆっくり眠りへ落ちていった

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