深く行っても、帰れる
第84回 深く行っても、帰れる
朝、目を覚まして最初に確認したのは、奥へ続く大きな空洞ではなかった
肩だった
昨日、《八眼鎧蜘蛛》の前脚が掠めた場所
布の下に鈍い痛みは残っているけれど、腕を上げても問題はない
脚の傷も歩けないほどではない
エナに言われた通り、無理に動かさず一晩休んだおかげで、昨日よりずっと楽になっている
「起きた?」
隣からルッカの声
「ああ」
「肩」
「大丈夫」
「脚」
「大丈夫」
「頭」
「大丈夫」
「全部大丈夫?」
「たぶん」
「たぶん」
そこだけ繰り返された
寝床代わりに敷いていた布を片付ける
俺たちが休んだ場所は、大迷宮中層のかなり深い区域
少し先には、さらに下へ続いているように見える大きな経路と空洞がある
昨日、一瞬だけ大きく揺れたように感じた魔力も、あの方向だった
行こうと思えば、少しは先を見られるかもしれない
身体も動く
魔力もある程度戻っている
LEVEL28
火と風の複合魔法も使えるようになった
それでも、
今日は行かない
「全員起きたら確認する」
ダリオが言った
「基本は帰る」
「基本?」
ミラが聞く
「帰路が塞がれていたら別の判断が必要になる、それ以外は帰る」
「奥を見るために残るのは?」
「なし」
短い
迷いがない
俺も反対しない
昨日の戦闘で十分だった
俺たちは《八眼鎧蜘蛛》を倒した
さらに下へ続く大きな空間も確認した
魔物たちの移動方向についても、今までよりかなり多くの情報が集まった
ここから先へ入れば、また別の探索になる
今の遠征の続きとして一歩だけ覗くような場所じゃない
全員が起きる
エナが一人ずつ確認する
俺
肩と脚
ローデン
腕
ダリオ
細かい擦り傷
ミラ
膝
ルッカ
大きな傷なし
エナ自身も問題なし
「帰れる?」
ダリオが聞く
エナは少し考えてから頷く
「全員歩ける、ただし今日は戦闘を避けたい」
「俺も避けたい」
「セイジは魔法使える?」
「使える、でも昨日ほど続けて高負荷はやりたくない」
「それでいい」
ローデンが帰路側を見る
「来た道を全部そのまま戻る必要はない、崩落したところは使わない」
「前に確認した迂回路」
「ああ」
ルッカも頷く
「匂い残ってる」
ミラが記録をまとめる
俺は空間収納へ必要なものを戻す
食料
水
布
縄
小型道具
記録
来た時より少し減っている
でも、持ち帰るものは増えた
紙に書いた情報だけじゃない
中層の環境
魔物の動き
空いた縄張り
奥から浅い側へ向かう痕跡
人工的に見える構造
周囲の濃い魔力
《晶殻巨蜥》
《八眼鎧蜘蛛》
さらに下へ続く空洞
一瞬の大きな魔力変動
そして、
俺が作った火と風の魔法
来た時とはかなり違う
「行くぞ」
ダリオの声で、全員が立つ
最後に一度だけ、俺は奥の暗い空洞を見る
行かない
でも忘れない
次があるなら、準備して来る
それでいい
俺たちは来た方向へ戻り始めた
帰り道だからといって、探索が終わったわけではない
一度通った場所でも変わる
糸が残っている場所
石が落ちた場所
新しい足跡
昨日なかったものがあるかもしれない
ルッカは前を見ながら、何度も足元へ視線を落とす
ローデンは壁と天井
俺は《魔力探査》を近距離だけ
ダリオは全体の速度
エナは歩き方
ミラは記録
昨日と同じ六人
でも今日は前へ進むためじゃない
帰るために動いている
しばらく進んだところで、ルッカが止まる
「新しい跡」
全員が止まる
俺も見る
小さい
昨日の《八眼鎧蜘蛛》とは全然違う
「どっち」
ダリオ
「横」
「こっちへ来てる?」
「来てない」
「なら触らない」
進む
少し先で《魔力探査》に反応
一つ
距離あり
俺たちの進路から外れている
戦わない
さらに進む
これまでは、
魔物がいる
倒す
という場面も多かった
でも今は、
いる
避けられる
避ける
それでいい
帰還中に余計な怪我を増やす理由がない
昼前、昨日より少し浅い区域へ入る
周囲の魔力がわずかに軽く感じる
「減った?」
ミラが聞く
「今の場所は昨日の奥側より薄く感じる」
「やっぱり奥ほど濃い?」
「そう感じる場所は増えてた、でもずっと同じように濃くなるわけじゃない」
曲がれば変わる
高さでも変わる
壁でも変わる
一本道の数字みたいに、
奥へ一歩
魔力一段増加
なんて単純ではない
そこは最後まで変わらない
休憩
水を飲む
エナが俺の肩を見る
「血は出てない」
「痛みも減ってる」
「脚」
「問題ない」
「頭」
「大丈夫」
今日は高密度の複合魔法を使っていない
普通の生活魔法以外は、《魔力探査》くらいだ
頭の重さもない
ルッカが隣で食べながら聞く
「もう火と風使える?」
「使えると思う」
「今日使ってない」
「使わなくていいからな」
「忘れない?」
「二日で忘れたら困る」
「名前も忘れない?」
「まだ名前ない」
「あ」
そこは覚えていなかったらしい
俺たちの間では、
火と風のやつ
で通じている
ミラの記録ではもう少し真面目な書き方になっているはずだけど、正式な名前はない
火
風
細い
速い
貫く
考えればいくつか浮かぶ
でも、今決める必要はない
少し休んで再出発
中層のかなり深い区域から、
深い区域
既知の区域
少しずつ戻る
行きに見たものを、帰りにも確認する
直線的な壁
床の溝
水の染み出す場所
人工的に見える段差
自然な岩肌
混じっている
何か意味があるのかもしれない
ないのかもしれない
答えはまだ先だ
夕方が近付く頃には、前に使った安全地点まで戻れた
そこで一晩休む
無理にガルディアまで抜けない
帰ると決めたからこそ、急がない
次の日も同じだった
知っている経路
確認
移動
休憩
魔物がいれば避ける
避けられなければ戦うつもりだったけれど、結局大きな戦闘は起きなかった
俺たちは、
《八眼鎧蜘蛛》を倒した翌日にまた別の強敵と戦う
みたいなことにはならずに済んだ
それでいい
中層入口が近付くにつれて、周囲の魔力は分かりやすくなる
《魔力探査》で背景と魔物を区別しやすい
以前はここでも十分難しいと思っていたのに、奥を経験したあとだと感覚が違う
「浅い」
俺が呟く
「中層だよ」
ルッカが言う
「分かってる」
中層入口付近
最初に来た時は、
ここから先が知らない場所
だった
今は、
かなり奥から帰ってきた途中
になっている
同じ場所なのに、意味が違う
浅層へ出る
ここまで来ると、六人の足取りも少し軽くなった
まだ気は抜かない
でも、帰路がかなり見えた
知っている分岐
知っている岩
知っている匂い
知っている魔物の痕跡
そして、
大迷宮の外
光が見えた時、ルッカが少し速く歩いた
「走るなよ」
俺が言う
「走ってない」
少し速いだけらしい
俺たちは全員、大迷宮を出た
外の空気
空
風
明るさ
何度経験しても違う
俺は無意識に大きく息を吸った
「帰った」
ルッカが言う
まだ岩陰拠点ではない
第二水場でもない
ガルディアにも着いていない
それでも、
迷宮からは帰ってきた
「まずガルディア」
ダリオ
現実的な声で、すぐ次の行動へ戻される
俺たちはガルディアへ向かった
着いた時には、全員かなり疲れていた
まず休む
傷ももう一度確認
そして報告
今回の情報は多い
一度に全部話せる量じゃない
ミラが記録を整理し、ダリオと順番を決める
俺たちはガルディア側の関係者と向き合った
最初に、
どこまで行ったか
中層
入口ではない
かなり深い区域
ただし、さらに下へ続く大きな空洞の先には進んでいない
そこを明確にする
次
環境
中層へ入ってから高低差と分岐が増えた
自然洞窟と人工的に見える構造が混在
奥側では、直線的な壁
床の溝
一定した段差
そういった部分が増えた
ただし、
誰が作った
何のために作った
という話はしない
分からないからだ
次
魔物
浅い方向へ向かう痕跡が複数
小型だけではない
中層の大型魔物にもある
最近まで使われていたような縄張りが空いている場所
《晶殻巨蜥》
《八眼鎧蜘蛛》
特に《八眼鎧蜘蛛》については、ミラが記録を照合しながら説明する
「確認した個体は、さらに深い側から浅い方向へ移動してきた可能性があります」
「追跡中だった可能性は?」
聞かれる
ルッカが答える
「追ってる感じ、薄い」
ミラが補足する
「痕跡だけなので断定はできません、ただ、同じ区域に長期間留まっていた形跡も強くありませんでした」
断定しない
ずっとそれを続けてきた
次
周囲の魔力
浅層より濃く感じる地点がある
中層の深い側へ進むほど、そう感じる場所は増えた
ただし均一ではない
局所的な強弱がある
そして《八眼鎧蜘蛛》を倒したあと、
さらに深い側で一時的な大きな魔力変動を俺が感じた
一回だけ
再確認できなかった
原因不明
「それが魔物移動の原因か」
そう聞かれても、
「分からない」
としか答えない
濃い魔力
魔物の移動
同じ奥側で目立つ
それだけ
因果はまだない
最後に、
さらに深い側へ続く経路
大きな傾斜
広い空洞
その先にも経路らしいもの
俺たちは入っていない
「深層か」
誰かが言う
ダリオが答える
「可能性はあるが、俺たちは確認していない」
それで終わり
知らないものを知っていることにしない
報告を続ける中で、何度か俺へ向けられる視線が変わったことに気付いた
前から俺を知っている人間もいる
知らない者もいる
今でも、
ゴブリン
というだけで一瞬表情が硬くなる者はいる
距離を取る者もいる
それは消えていない
でも、
「こいつをここに入れて大丈夫なのか」
みたいな視線は、前より減っている
代わりに、
「中層のかなり奥まで行ったやつ」
として見る者が増えた
報告の途中でも、俺が話せば記録する
魔法の話をすれば聞く
魔物の動きを言えば確認される
特別扱いがなくなったわけではない
俺が普通の人間の冒険者と同じになったわけでもない
それでも、
例外だから仕方なく認める
だけの位置からは、少し進んだ気がする
報告の最後に、ガルディア側の一人が言った
「中層探索実績を持つ特例探索者として、今回の記録も追加する」
俺は一瞬だけ黙った
特例
まだ付く
でも、
探索者
でもある
以前なら、その前の言葉ばかり気になったかもしれない
今は、
それでいい
と思った
「分かりました」
答える
王国中で認められたわけじゃない
誰にでも受け入れられたわけじゃない
他のゴブリンまで同じように見られるわけでもない
俺一人の実績が、種族全部を変えるわけでもない
でも、
俺がやったことは記録に残る
それで十分だ
報告が終わる
すぐには出発しない
ガルディアで一度休む
傷も見る
俺の肩は順調
脚も問題なし
ローデンの腕も悪化していない
ミラの膝も歩行に問題なし
ダリオの擦り傷も同じ
大迷宮の中で死ぬような戦いをしたあとに、
みんなで座って食事をしている
それだけでかなり安心する
食後、ミラと魔法の記録も整理した
紙を並べる
一番最初
《火槍》の長さを変えた
次
密度
速度
形
《高密度魔力圧縮》
火と風
混ぜて壊した
一瞬だけ一つになった
《多重並列制御》
一つの構造
実戦成功
《八眼鎧蜘蛛》戦
こうして並べると、
かなり遠くまで来たように見える
「最初、短くしただけだったね」
ミラが言う
「ああ」
「それが今は複合魔法」
俺は最後の紙を見る
火
風
発動点
射出
密度
形
役割
「これ、俺が作ったんだよな」
口にしてから少し変な感じがした
魔法を作った
完全に嘘ではない
でも、
少し違う
「俺が組み直した魔法、か」
「違う?」
ミラが聞く
「その方が近い」
《火槍》がなければ作れなかった
《風圧》も
《風刃》も
《高密度魔力圧縮》も
《多重並列制御》も
《精密魔力制御》も
全部、今まで覚えて使ってきたもの
それをほどいて、
必要な部分を見て、
組み直した
だから新しい
でも、
何もないところから生み出したわけではない
「もっと自由に作れるようになりたい?」
ミラが聞く
俺は答える前に少し考えた
何もないところから
必要な効果を考えて
属性
経路
形
密度
流れ
維持
発動
全部を決める
そんなことができるのか
今の俺には分からない
「できるなら、やってみたい」
「資料読む?」
「帰ってから」
「珍しい」
「今日はもう読む気力ない」
本当に疲れている
マギアコード
まだ分からないことだらけだ
でも以前よりは見える
魔法を一つの完成品として見るだけではない
属性
経路
形
密度
流れ
維持
発動
放出
そういうものを分ける
必要なら変える
複数を一つの構造へ置く
そこまでは体験した
ただ、資料の理論全体を理解したわけではない
むしろ、
少し分かったからこそ、分からないところが増えた
翌日
俺たちはガルディアを出た
森へ戻る
大迷宮の石と冷たい空気から離れ、木々の匂いが強くなる
ルッカは明らかに歩きやすそうだった
「やっぱり森の方がいい?」
俺が聞く
「うん」
即答
「迷宮嫌い?」
「嫌いじゃない」
「じゃあ?」
「森の方が分かる」
匂い
音
足跡
風
生き物
ルッカにはこっちの方が読みやすい
俺にとっての魔力みたいなものかもしれない
「セイジは?」
「何が」
「迷宮と森」
「帰るなら森」
「行くなら?」
少し考える
「迷宮も行きたい」
ルッカが笑う
「欲張り」
「帰ってこれるならな」
それが条件だ
第二水場へ着く
久しぶり
そう思うくらいには、今回は長く離れていた
水の音
棚
道具
試験栽培
人の姿
ゴブリンの姿
俺たちがいなくても、ここは残っている
使われている
近付くと、一体のゴブリンが俺たちを見る
前にも見たような三体のうち一体
少し遅れて、もう一体も見える
残る一体は水場の反対側
「いる」
ルッカが言う
「ああ」
一体が近付く
俺の肩の布を見る
何か短く声を出す
心配しているのか
怪我を聞いているのか
完全には分からない
俺は肩を軽く動かす
「大丈夫」
通じたかは分からない
でも相手はそれ以上気にせず、水場の方へ戻った
棚を見る
使った物は大体戻っている
位置が少し違うものもある
なくなった小物
増えた小物
簡単な取り替えがあったらしい
ゴミのようなものは片付けられている
水辺も大きく荒れていない
試験栽培
いくつか育っている
いくつか弱っている
完全放置ではない
水をやった跡もある
「やってくれてた」
俺が言う
ルッカが葉を見る
「うん」
それだけで少し嬉しい
俺たちがいないと全部止まる場所ではなくなっている
だからといって、全部が勝手にうまくいくわけではない
エナはすぐ救護用品の置き場へ行く
「残ってる数見る」
布
薬草
容器
衛生状態
俺たちがいない間に使われたものがある
何に使ったのか全部は分からない
ただ、専門的な確認はエナが戻ってからやる
ダリオは経路情報
置かれている簡単な印や共有情報を見る
危険が増えた場所
使われた経路
誰かが置いた痕跡
ローデンは設備
排水
棚
道具置き場
固定
緩み
壊れ
「ここ少し直す」
すぐ一箇所見つけたらしい
ミラは人間側の情報
俺たちがガルディアにいる間に聞いたこと
持ち帰った記録
第二水場側で共有する必要がある部分
ルッカは森
水場周辺
経路
生き物の痕跡
それぞれが動き始める
誰かが、
お前はこれをしろ
と命令したわけじゃない
自然にそうなる
俺は少し立ったまま見ていた
「セイジは?」
ルッカが戻ってくる
「俺?」
「何見る?」
考える
「全体」
「ずるい」
「じゃあ試験栽培見る」
「それは私も見る」
「じゃあ水」
「水はある」
「……魔法研究?」
「今日は駄目」
エナの声が遠くから飛んできた
聞こえていたらしい
「何もしてないだろ」
「顔」
また顔
俺は諦める
今日は研究しない
代わりに、持ち帰った小物を戻す
使った布
縄
余った救護用品
道具
空間収納から一つずつ
これまで使ってきたのは小物が中心だ
容量がどこまであるかも分からない
それは今も変わらない
使える範囲で使っている
「これ、こっち」
ローデン
工具を渡す
「これエナ」
救護用品
「紙は?」
ミラ
「あとで」
そうやって荷物が減っていく
大迷宮へ持っていったものが、それぞれの場所へ戻る
帰るというのは、
自分たちが戻るだけじゃない
物も戻す
記録も戻す
情報も戻す
それで次に使える
少し前、
使ったら戻す
という話をしていた
今も同じだ
遠くまで行っても、
戻ってきたら戻す
夕方まで第二水場で過ごす
専門確認
簡単な修繕
情報整理
試験栽培
俺は途中で水やりを手伝った
《水球》
必要な量だけ
《土成形》
排水側を少し整える
二つ
昔なら、
二つ同時にできた
と喜んでいたかもしれない
今は自然にできる
《多重並列制御》まで使う必要もない
必要なことに必要な魔法
それだけ
「派手なの使わないね」
ルッカが言う
「水やりで複合魔法撃ったら怒られる」
「エナに?」
「全員に」
土まで吹き飛ばす自信がある
そんな魔法は生活にはいらない
強い魔法が使えるようになっても、
水やりは水やりだ
夕方
一度全員集まる
簡単に確認
救護用品
減っているものあり
補充必要
衛生状態
大きな問題なし
経路情報
新しい大きな危険情報なし
設備
小さな修繕箇所あり
ローデンが対応
人間側情報
ガルディアでの報告結果をミラが共有
森と経路
ルッカから、大きな急変は確認なし
俺たちがいない間も第二水場は使われていた
でも、
専門的なことまで全部誰かが代わりにやっていたわけではない
できることだけ続いた
戻った俺たちが必要なところを確認した
その形で十分だ
ダリオが言う
「今日はここで終わり」
遠征の終わりみたいな言い方だった
「次は?」
俺が聞く
「休め」
「まだ何も言ってない」
「顔」
全員同じことを言う
俺の顔はそんなに分かりやすいらしい
俺たち六人は第二水場で別れる
それぞれ帰る場所へ
俺とルッカは岩陰拠点へ向かう
森の夕方
迷宮と違って、風がある
葉が動く
虫の音
遠くの鳴き声
地面は土
木の根
知っている道
「帰る」
ルッカが言う
「帰ってる」
「家に」
「ああ」
岩陰拠点が見える
何も変わっていない
大きくなっていない
豪華になっていない
誰かが増築してくれたわけでもない
俺とルッカが使っている家
それだけ
でも、大迷宮の奥から戻ってきた今見ると、
妙に安心する
入口をくぐる
棚
寝床
道具
調理する場所
俺用に少し高くしたところ
ルッカ用の低いところ
全部ある
「ただいま」
言ってから、
誰に言ったんだろうと思う
ルッカが、
「ただいま」
と返した
それでいいらしい
荷物を置く
完全に空にはしない
必要なものだけ残す
服
布
記録
明日以降に整理するもの
今日は最低限
食事を作る
迷宮で食べる保存しやすいものとは違う
いつもの味
特別豪華じゃない
でも、うまい
食べ終わったあと、ルッカが寝床の近くで横になる
俺は棚から一枚の紙を取る
火と風
最終的な構造を書いたもの
正式な名前はまだない
紙を見る
中心
火
外側
風
発動点
一つ
射出
一つ
解除
一つ
でも内部では別々に調整できる
俺が組み直した魔法
「まだ見るの?」
ルッカ
「ちょっとだけ」
「今日は休む」
「見るだけ」
「紙見たら考える」
正しい
俺は紙を棚へ戻した
「STATUSは?」
ルッカが言う
「昨日見た」
「今日も見る?」
少し迷う
戦闘はしていない
LEVELが変わる理由も思い当たらない
でも今回の遠征が終わった区切りとして、見ておくのもいい
「見るか」
STATUS
NAME
セイジ
RACE
ハイホブゴブリンメイジ
LEVEL
28
HP B-
MP A-
筋力 C
耐久 B-
敏捷 B
器用 B+
精神 B+
魔力 A-
SKILL
《魔力探査》
《精密魔力制御》
《高密度魔力圧縮》
《多重並列制御》
TITLE
なし
変わっていない
昨日と同じ
LEVEL28
HP B-
MP A-
筋力 C
耐久 B-
敏捷 B
器用 B+
精神 B+
魔力 A-
SKILLも同じ
《魔力探査》
《精密魔力制御》
《高密度魔力圧縮》
《多重並列制御》
TITLEなし
「変わった?」
ルッカ
「昨日からは変わってない」
「前よりは?」
「かなり」
大迷宮へ今回最初に向かった頃を思い出す
もっと前
中層へ入る前
LEVEL18
そこから、
20
21
23
24
25
26
28
途中を全部確認したわけではない
でも今は28
能力だけじゃない
《魔力圧縮》は《高密度魔力圧縮》になった
《並列制御》は《多重並列制御》になった
《精密魔力制御》の名前は変わらない
でも扱い方は変わった
魔法も変わった
既存の魔法をそのまま使うだけじゃなくなった
形を変えた
密度を変えた
速度を変えた
構造を見た
火と風をつないだ
一つの魔法にした
「まだ上ある?」
ルッカが聞く
「あるだろ」
即答した
LEVELも
迷宮も
魔法も
分からないことばかりだ
さらに下へ続く空洞
あの先
大きな魔力変動
魔物たちが浅い側へ動いている理由
マギアコード
白紙から魔法を作れるのか
複合魔法も一種類だけ
名前すらない
「いっぱい?」
「いっぱい」
「行く?」
「そのうち」
「どこ」
「迷宮も」
「魔法は行くって言う?」
「行くようなもんだろ」
ルッカは少し考えて、
「分からない」
と言った
俺も笑う
分からないでいい
俺はSTATUSを閉じる
今日はもう何もしない
寝床へ入る
岩陰拠点の天井
見慣れている
大迷宮の天井とは全然違う
崩れるか確認しなくていい
糸がないか見なくていい
魔物反応を探さなくていい
ルッカも近くにいる
「セイジ」
「何」
「遠かった?」
「迷宮?」
「うん」
「かなり」
「深かった?」
「かなり」
「帰れた?」
俺は少し笑った
「ああ」
帰れた
浅層
中層入口
中層
さらに奥
かなり深い区域
その先に大きな空洞まで見た
そこまで行って、
今ここにいる
昔は、
森の外へ行っても帰ってこられる
それだけで大きかった
今は違う
帰れる場所がある
だから、その場所を基準にして奥へ行ける
岩陰拠点
第二水場
ガルディア
それぞれ意味は違う
岩陰拠点は俺とルッカの家
第二水場は、俺たちだけではない場所
ガルディアはまだ完全に俺の場所じゃない
それでも、行って戻れる場所になっている
だから大迷宮の中で、
ここは家じゃない
と分かる
休息地点を家にしなくていい
奥まで行っても、
帰る方向がある
それはかなり大きい
「次、もっと深く行く?」
ルッカが聞いた
「準備してからな」
「帰れるところまで?」
「ああ」
「じゃあ帰れる」
簡単に言う
でも、その言い方が気に入った
「そうだな」
もっと深い場所
もっと強い魔物
もっと分からない異変
もっと自由な魔法
全部気になる
でも、
先へ行くことだけが目的じゃない
戻ってくる
記録を持ち帰る
傷を治す
生活へ戻る
そしてまた行ける
その繰り返しでいい
俺は目を閉じる
大迷宮のさらに奥に何があるのか、まだ知らない
火と風の魔法に何という名前を付けるのかも決めていない
マギアコードの全体も分からない
俺がどこまで強くなるのかも分からない
分からないものは、まだたくさんある
それでも、
戻る場所だけは分かる
深く行っても、
帰れる
いや、
帰れるから、
もっと深く行ける
次に奥へ向かう時も、たぶん同じだ
俺はこの岩陰から出て、
また知らない場所へ行く
そして最後には、
ここへ戻ってくる
そのことだけは、今なら前よりずっと自然に信じられた




