浅層の、その先
第75回 浅層の、その先
翌朝、俺たちはガルディアにいた
前の晩に岩陰拠点で荷物を整理し、必要なものだけを空間収納へ入れ直してある
全部を持っていく必要はない
食料、水、布、縄、救護に使うもの、小さな道具、灯りに必要なもの
魔法研究の紙も、昨日までの記録を全部持ってきたわけではない
今の俺が確認したい部分だけを抜き出してある
荷物を増やせるからといって、何でも持っていけばいいわけじゃない
大迷宮へ入れば、必要になるのは物の多さより、必要な時に必要なものを出せることだ
それに、空間収納にどこまで入るのかは今も正確には分かっていない
限界を試すために遠征するわけでもない
「もう一回見る?」
ルッカが俺の横から収納の中を覗こうとする
「昨日見た」
「今朝も見た」
「じゃあ大丈夫だろ」
「セイジ、紙増やしてない?」
「増やしてない」
「本当に?」
「一枚だけ」
「増えてる」
一枚は誤差だと思う
そう言いかけたところで、少し離れた場所からミラがこちらを見た
何も言っていないのに、たぶん分かっている
俺は紙をそれ以上増やすのをやめた
今日は六人で動く
俺
ルッカ
エナ
ダリオ
ローデン
ミラ
前の探索と同じだ
ただし、向かう先は前の探索と同じではない
大迷宮の入口から浅いところまでなら、もう一度見ている
道もある程度分かる
危険な場所も、前に通った時より把握できている
今日の目的は、そこをもう一度ゆっくり見ることじゃない
その先へ行く
ダリオが全員の準備を順番に確認する
「救護用品は?」
「大丈夫」
エナが自分の荷物を軽く叩く
「前に使った分も補充済み、ただし無駄に使える量じゃないからね」
最後の言葉は、なぜか俺を見ながら言われた
「俺?」
「セイジ以外にも言ってる」
たぶん半分くらい俺向けだ
「縄と灯り」
ダリオが続ける
「確認した」
ローデンが答える
「前に使ったものも問題ない、予備もある」
「記録」
「持った」
ミラが紙と筆記用の道具を見せる
「人間側で確認できた情報も、必要なところはまとめてある」
「経路」
ダリオがルッカを見る
「ここから迷宮までなら問題ない」
ルッカはすぐ答えた
「昨日見たところも、今朝もう一回見た」
俺の紙一枚より、こっちの方がずっと真面目だ
「セイジ」
「魔法は問題なし、収納も整理した」
「探査は?」
「今も使える」
《魔力探査》を軽く広げる
ガルディアの周囲には、森の中とは違う魔力の反応が多い
人
魔法に関係する道具
全部を細かく見ようとすれば逆に分かりにくい
ここで必要なのは、異常な大きさの反応や、こちらへ近付く反応がないかを見る程度だ
「じゃあ行く」
ダリオが短く言った
誰も余計な返事はしなかった
前に大迷宮へ向かった時とは、少し違う
緊張がないわけじゃない
でも、何があるかまったく分からない場所へ初めて入るわけでもない
入口を知っている
浅いところも知っている
戻る道も一部は分かっている
その違いは大きかった
必要な確認を済ませ、俺たちは大迷宮へ向かった
ガルディアから大迷宮までの道でも、ルッカは何度か足を止めた
昨日から気にしている森の痕跡とは場所が違う
それでも、見つけたものを無視はしない
地面
木の根元
折れた枝
少し削れた土
俺には同じ森にしか見えない場所から、ルッカは何かを拾っている
「何かいる?」
「通った」
「大きい?」
「そんなに大きくない」
「こっちに来る?」
ルッカは少し周囲を見てから首を振った
「今は違う」
それだけ確認し、また進む
ダリオも急かさない
前へ進む速さだけなら、たぶん俺一人で走った方が速い
でも、それでは見落とすものが多すぎる
迷宮へ入る前から、それは変わらない
大迷宮の入口へ着く頃には、朝の明るさがかなり増していた
巨大な入口は前に見た時と変わらない
外から見ても、その奥は暗い
自然にできた洞窟のようにも見えるし、どこか人の手が入ったようにも見える
前の探索では、その曖昧さをずっと感じながら進んだ
今回は入口で立ち止まる時間は短い
灯りを準備し、隊列を整える
先を見るのはルッカとダリオ
俺は魔力反応を見る
ローデンは足場と壁
エナは全員の状態
ミラは記録と、必要な情報の確認
役割を決め直したわけじゃない
もう、自然にそうなる
俺たちは迷宮へ入った
浅層の最初の通路は見覚えがあった
壁の形
曲がる場所
足元の傾き
前に何度も確認した箇所は、必要以上に立ち止まらない
「右」
ルッカが言う
前にも使った分岐だ
ダリオが周囲を確認し、そのまま進む
しばらくして、《魔力探査》に複数の反応が触れた
「前、三つ」
俺が言う
「距離は?」
「まだ少しある、動いてる」
ダリオが速度を落とす
ルッカも先を見た
「前にいたのと同じだと思う」
やがて姿が見えた
前の浅層探索でも戦った種類の魔物だ
数は三体
以前なら、ここで一度隊列を整え、動き方をかなり慎重に確認したはずだ
今回は違った
「右を止める、中央から」
ダリオの声
俺はすぐ魔力を集める
《火槍》
いつもの形
研究用の変更は加えない
まず一発
火の槍が中央の魔物へ刺さる
倒れたところへ残り二体が動く
ルッカが一体の進路をずらす
ダリオがもう一体を前へ出させない
俺は二発目を撃つ
戦闘は長く続かなかった
前に同じような相手と戦った時より、明らかに余裕がある
相手が弱くなったわけじゃない
俺たちが変わった
それだけだ
「終わり」
ダリオが周囲を確認する
俺も《魔力探査》を広げる
近くに追加の反応はない
エナが全員を一度見る
「怪我なし?」
「ない」
俺が答える
他の四人も問題ない
そのまま進む
前に時間を掛けた場所を、今日は短く抜けていく
もちろん油断はしない
知っている道だから安全とは限らない
迷宮の中に魔物がいる以上、前の探索時と今日で同じ配置になる理由もない
だから《魔力探査》は止めない
ルッカも痕跡を拾い続ける
ただ、初めて見るものを一つずつ確認するような進み方ではなくなった
途中、壁際に新しい傷が増えている場所があった
ルッカが立ち止まる
「これ、前になかった」
壁の低い位置に擦れた跡がある
俺には古いか新しいか分からない
「新しい?」
「たぶん」
「何が通った?」
「分からない、でもここを何回か通ってる」
ダリオが先を見る
「今いる気配は?」
俺は《魔力探査》を広げる
「近くにはいない」
「なら進む、場所だけ覚える」
ミラが記録する
全部の痕跡を追い始めたら前へ進めない
今必要なのは、危険の可能性を残しながら進むことだ
浅層の奥へ向かうほど、前の探索で知っている場所が増えていく
一度休んだ場所
戦った場所
足場が悪かった場所
ローデンが壁を確認した場所
前の探索なら一つ進むたびに未知が増えていた
今日は逆だ
知っているものを抜けながら、その先に近付いている
途中でもう一度、複数の魔物と遭遇した
前に苦戦した相手を含む群れだった
数を見て、ダリオが俺を振り返る
「試すなら今か?」
何のことかすぐ分かった
昨日までの研究だ
「安定してる範囲だけなら」
「それでいい」
仲間の位置を見る
狭い
普通の《火槍》でも使える
でも、前より少し速度を上げた《火槍》なら、相手が動く前に届かせやすい
昨日までに何度も再現した範囲だけを使う
形は変えない
密度も大きく変えない
放出だけを少し速くする
それに合わせて、撃ち出した直後の形が崩れないよう維持を補正する
「行く」
《火槍》
炎が伸びる
撃つ
いつもの《火槍》より速い
前へ出ようとしていた一体が避ける前に命中した
倒れる
成功
でも喜んでいる暇はない
別の一体が横へ動く
ルッカが声を上げた
「左、来る」
俺は身体を向ける
近い
ここで広い攻撃を使えば、ルッカの動く範囲まで巻き込む
《風刃》
昨日試した短い形
横へ広げない
刃の長さだけを抑える
薄さと放出はいつもの範囲
風の刃が飛ぶ
狙った一体だけを切る
相手の動きが止まった
そこへダリオが詰める
もう一体はローデンが進路を塞いだ
俺が最後の《火槍》を撃つ
それで戦闘は終わった
「早かった」
ルッカが倒れた魔物を見る
「前より?」
「ああ」
「魔法も違った」
「少しだけな」
ダリオがこちらへ来る
「使えそうか?」
「今の範囲なら」
「普通のとどっちがいい?」
「場面による」
前なら、その答えは曖昧すぎたかもしれない
今は違う
速くした《火槍》は、動く相手へ届かせやすい
でも、速くした分だけ制御の負担は少し増える
短い《風刃》は狭い場所で狙う範囲を抑えやすい
でも、広い範囲を切るなら普通の形の方がいい
強い方を使うんじゃない
合う方を使う
昨日まで研究していたことが、初めて実戦の感覚とつながった
「今のは記録する」
ミラが言う
「失敗してないぞ」
「成功も書く」
「ならいい」
「セイジ、失敗だけ書かれると思ってる?」
「最近多かったからな」
エナが俺のところへ来る
「手」
「怪我してない」
「いいから」
手を見せる
震えはない
呼吸も問題ない
頭の重さもない
昨日みたいに同じ魔法を何度も細かく調整しているわけではないから、集中の消耗もずっと少ない
「大丈夫そう」
エナが言う
「だから言っただろ」
「自分で大丈夫って言うのと、確認して大丈夫なのは違う」
それは昨日の研究と同じような話に聞こえる
自分の感覚だけで決めない
結果を見る
確認する
最近、何をしても同じところへ戻ってくる気がする
俺たちは先へ進んだ
浅層の奥
前の探索で、ここから先を深く追わずに戻った場所へ近付く
通路の雰囲気が少しずつ変わり始めた
最初に気付いたのは足元だった
平らに近かった道に、高低差が増えている
下ったと思えば、少し先でまた上る
階段のように整っているわけではない
自然に削れたような傾斜の横に、妙に真っ直ぐな段差が混じっている
「ここ、前より気を付けろ」
ローデンが立ち止まった
壁の一部を触る
次に足元を見る
「何かある?」
俺が聞く
「崩れてはいない、でも荷重が掛かる場所が偏ってる」
俺には分からない
見た目はただの石だ
ローデンは少し先へ移動し、壁と床が接する部分を見る
「右に寄りすぎない方がいい」
ダリオがすぐ隊列を少し左へ寄せる
理由を全部理解できなくても、分かるやつの判断に従えばいい
俺に魔力が見えるように、ローデンには構造が見えている
さらに進む
分岐が増えた
二つに分かれる
少し進むと三つに分かれる
その一つがまた合流している
自然にできた穴なら、こんなものなのかもしれない
でも、ところどころ妙に直線的だ
壁の一部には、削ったように見える場所もある
その隣では、岩がそのまま割れたような自然な形になっている
「これ、作ったのか?」
俺が壁を見る
ミラも近付く
「そう見えるところはあるけど、全部が人工的とは言えない」
ローデンが別の場所を指す
「こっちは自然だと思う」
「隣なのに?」
「混じってる」
作られたような場所
自然にできたような場所
その境目が分かりにくい
大迷宮という名前は知っている
でも、どうやってできたのかまで俺は知らない
今見えているものだけで答えを作るのはやめる
「記録だけしよう」
ミラが言う
「そうだな」
先へ進むほど、石の色も少し変わっていく
浅い側より暗い
灯りの当たり方のせいだけではなさそうだ
表面の粗さも違う
ローデンが時々立ち止まり、安全を確認する
ルッカも忙しい
地面に残る跡
壁の擦れ
爪のような傷
落ちているもの
匂い
俺にはただ汚れているように見えるものまで、一つずつ確認している
「こっち、よく通ってる」
ある分岐でルッカが言った
「魔物?」
「うん」
「数は?」
「一匹じゃない」
「最近?」
「新しいのもある」
ダリオが三つの道を見る
「どれが安全そうだ?」
ルッカは左の道を指した
「こっちは少ない」
ローデンがその道の床を見る
「足場は問題ない」
俺も《魔力探査》を向ける
遠くに小さな反応
大きくはない
「先に反応はあるけど、近くは空いてる」
「左で行く」
ダリオが決める
三人の情報がそろって、進む道が決まる
俺だけなら、魔力反応が少ない道を選んでいたかもしれない
でも、それだけでは足場が崩れるかどうかも、そこを何が通るのかも分からない
強くなれば一人でできることは増える
でも、分からないものまで分かるようになるわけじゃない
そのことは、大迷宮へ来るたびにはっきりする
少し進んだところで、一度休憩を取った
エナが全員の様子を見る
「足は?」
ミラが自分の足を動かす
「まだ大丈夫」
ローデンも問題ない
ルッカは周囲の匂いを気にしている
俺は水を飲み、《魔力探査》を狭い範囲で維持する
「セイジは?」
エナが聞く
「問題ない」
「魔力は?」
「まだ余裕ある」
今日は浅層で何度か戦ったが、大きな魔法を連発したわけではない
部分改変も、昨日までに安定した範囲だけだ
魔力の消費より、長時間探査を続ける方が地味に疲れる
それでも、前の探索時より余裕がある
「先は長い?」
ルッカがダリオに聞く
「分からない」
ダリオは正直に答える
「ここから先は、前みたいに知ってる道じゃない」
俺たちは全員、進行方向を見る
ここまでが、これまでの探索の延長
ここから先は、新しい場所になる
休憩を終え、再び進む
しばらくすると、通路が大きく下った
その先で空間が広がっている
天井も少し高い
左右にいくつか道が延びている
空気が変わった、というほど分かりやすいものではない
でも、浅層の奥から続いてきた変化が、ここでは一段大きくなっていた
分岐
高低差
石の質
壁の作り
全部が一つ前の場所より複雑だ
「ここから先」
ミラが持っている情報と周囲を見比べる
「中層として扱われる範囲に入るはず」
俺は目の前を見る
中層
ようやくここまで来た
ただし、到達したからといって、すぐ奥へ走り込むわけにはいかない
ルッカが右側へ少し動いた
地面を見る
すぐに表情が変わる
「いる」
同時に、俺の《魔力探査》にも反応が入った
一つ
二つ
三つ
まだある
「複数、前と右」
俺が言う
ダリオが全員を止める
「距離」
「近付いてる」
ルッカが地面から顔を上げる
「こっち知ってる」
「何が?」
「魔物の道」
その瞬間、暗がりの奥から動くものが見えた
一体だけではない
中層入口付近を通っていた魔物が、こちらへ向きを変えたらしい
「来る」
ダリオが隊列を整える
「無理に前へ出るな、ここで受ける」
ローデンが足元を見る
「左側は使える、右奥は段差がある」
「ルッカ、左を見る」
「分かった」
「エナ、後ろ」
「うん」
「ミラ、下がりすぎるな、後ろの分岐まで行くな」
「分かった」
俺は魔力を集める
相手は複数
でも、全部が同じ方向から来るわけじゃない
正面に二体
右から別の反応
少し遅れてもう一つ
「右、あと二つ」
俺が言う
「先に正面」
ダリオの判断
《火槍》
最初の一体へ撃つ
命中
止まらない
もう一発
今度は昨日までの研究を使う
速度を少し上げる
速くするだけ
密度は変えない
形も変えない
射出直後の維持だけ補正
撃つ
二体目が横へ動く前に刺さった
正面が空く
その隙に右から一体が飛び出してくる
「セイジ、近い」
ルッカの声
《風刃》
短くする
広げない
ルッカとの距離を確認
撃つ
風の刃が一体だけを捉える
完全には倒れない
でも動きが鈍る
ダリオがそこへ入る
ローデンが別の一体の進路を塞ぐ
狭い場所で、全員が勝手に動いたらぶつかる
俺は魔法を強くするより、撃てる場所を探す
左
ルッカがいる
正面
ダリオ
右
ローデン
その向こうに魔物
広い《風刃》は使わない
《火槍》
短くする必要はない
ただし速度を上げすぎない
ローデンが一歩引いた瞬間に撃つ
命中
倒れる
残りの反応が動く
「奥、一つ来る」
俺が言う
「距離取れるか?」
「取れる」
ダリオがルッカを下げる
ローデンも位置を変える
奥から出てきた魔物は、それまでの個体より少し大きかった
見たことがない相手ではない
浅層でも似たものとは戦っている
ただ、動きが速い
俺が狙う前に左右へ振る
「足場、右は危ない」
ローデンが言う
追い込まれて右へ動けば、段差へ入る
ダリオがすぐ位置を変えた
「左へ寄せる」
ルッカが前へ出る
自分が狙われるぎりぎりの位置で動き、魔物の向きを変える
「今」
ダリオの声
俺は《火槍》を作る
速くする
一度目より少しだけ
昨日まで安定していた範囲
撃つ
魔物が動く
完全には外さない
肩口に当たる
動きが止まった
そこへ二発目
今度は普通の《火槍》
確実に当てる
倒れた
「まだ一つ」
《魔力探査》に反応が残っている
後ろ
いや、横
「左奥」
ルッカも同時に気付いた
「来ない」
反応は動いている
でもこちらへ向かっていない
遠ざかっている
ダリオは追わせなかった
「そのまま」
俺たちは動かない
しばらく探査を続ける
反応が離れていく
やがて範囲の外へ消えた
「終わり?」
ミラが小さな声で聞く
「近くにはいない」
俺が答える
ダリオもすぐには警戒を解かない
ルッカが周囲を見る
ローデンは床を確認する
それからようやく、
「休む」
とダリオが言った
戦闘そのものは長くなかった
重要な相手と一対一で戦ったわけでもない
誰か一人が全部倒したわけでもない
ルッカが動きを読んだ
ローデンが危ない足場を避けた
ダリオが位置を作った
俺が撃てる瞬間を作ってもらった
その結果、俺も複数を倒した
前より強くなった実感はある
でも、一番感じたのは別のことだった
魔法を強く撃つだけでは、今の戦い方には合わない
狭い場所
仲間の位置
相手の動き
それに合わせて、魔法の方を変える
昨日までやっていた地味な研究が、ちゃんと戦いにつながっている
「怪我」
エナが全員を見る
俺も身体を確認する
大きな痛みはない
ルッカも無事
ダリオ、ローデン、ミラも問題ない
軽く服が擦れた程度のものはあったが、治療が必要な負傷はなかった
「疲労は?」
エナが順番に聞く
俺は少し息が上がっている
でも動ける
「まだ行ける」
「今は行かない」
エナが言う
「休んでから」
「分かった」
中層へ入ったばかりだ
ここで無理をする理由はない
ダリオも同じ判断だった
近くに、背後と左右をある程度確認しやすい場所がある
完全に安全とは言えない
でも、短時間休むには使えそうだ
ローデンが壁と天井を見る
「ここなら今すぐ崩れるようなところはない」
ルッカは周囲の痕跡を確認する
「通ってるけど、真ん中より少ない」
「ここで休む」
ダリオが決める
俺たちは簡単な休息場所を作った
大きな設備を作るわけじゃない
荷物を置き、座れる場所を確保し、出入口になる方向を確認するだけだ
ミラが戦闘の記録を始める
俺は水を飲みながら、さっきの魔法を思い返した
速くした《火槍》
短くした《風刃》
どちらも、研究中のような失敗はなかった
実戦で使えた
一度だけではない
状況に合わせて何度か使った
これなら、少なくとも安定して再現できる範囲は戦闘でも使える
新しい魔法ではない
《火槍》は《火槍》
《風刃》は《風刃》
でも、使い方は変わった
「セイジ」
ダリオに呼ばれる
「何?」
「状態、見ておけ」
俺は少し考える
戦闘も何度かあった
浅層を抜け、中層へ足を踏み入れた
今なら確認しておいた方がいい
STATUSを開く
NAME
セイジ
RACE
ハイホブゴブリンメイジ
LEVEL
20
HP B-
MP B+
筋力 C
耐久 C+
敏捷 B-
器用 B
精神 B-
魔力 B+
SKILL
《魔力探査》
《精密魔力制御》
《魔力圧縮》
《並列制御》
TITLE
なし
「……上がってる」
ルッカがすぐ覗き込む
「いくつ?」
「20」
「二つ?」
「前に確認した時は18だった」
途中でどうなったかは分からない
いつ上がったのかも分からない
戦闘の途中で確認していないから、今分かるのはLEVEL20になっていることだけだ
能力も見る
変わっているのは二つ
HP
C+からB-
筋力
C-からC
他は前に確認した時と同じだ
「何か変わった?」
エナが聞く
「HPと筋力」
「身体の感じは?」
俺は手を握る
腕を動かす
立ち上がって軽く足へ力を入れる
急に身体が別物になったような感覚はない
「少し力が入りやすい気はする」
「気がするだけ?」
「今確認したばっかりだからな」
エナが頷く
「なら無理に確かめなくていい、戻ってからでも見られる」
その通りだ
LEVELが上がったからといって、ここで壁を殴って確認する必要はない
「HPも上がってるけど」
「怪我して確かめるのは禁止」
言う前に止められた
「そんな確認しない」
「一応」
「俺を何だと思ってるんだ」
ミラが横で笑っている
俺はSTATUSを閉じた
LEVEL20
数字としては増えた
身体の基礎的な部分も少し上がった
でも、さっきの戦闘で助かったのはLEVELの数字だけじゃない
誰がどこにいるか
どこへ撃つか
どの魔法をどの形で使うか
そこを考えられたことの方が大きい
昔の俺なら、強くなったなら強い魔法を撃とうとしていたかもしれない
今は、必要な形にする方を考えている
少し休んだあと、ルッカが休息場所の外側を確認しに行った
もちろん一人で遠くへは行かない
俺とダリオも見える範囲で付く
ルッカは、さっき魔物が出てきた方向とは少し違う場所でしゃがみ込んだ
「これ」
地面を指す
俺にはいくつも重なった汚れにしか見えない
「足跡?」
「うん」
「さっきの?」
ルッカは首を振る
「違うと思う」
近くの壁も見る
擦れた跡
少し欠けた石
それから匂いを確認する
「新しい」
ダリオが聞く
「どっちへ行ってる?」
ルッカは俺たちが来た方を見る
浅層側だ
「こっちから、あっち」
「奥から浅い方へ?」
「うん」
俺は《魔力探査》を広げる
今、そこを通っているものは感じない
痕跡だけが残っている
「数は?」
「一つじゃない」
昨日、森でも似た話をした
生き物の動く場所が少し変わっているかもしれない
でも、今見つけたものがそれと関係しているとは限らない
場所も違う
魔物が浅い方へ動く理由なんて、いくらでもあるかもしれない
俺には分からない
「逃げた?」
ミラが小さく聞く
ルッカは首を振る
「分からない」
「何か追ってた可能性は?」
「あるかもしれない」
「浅い方に餌があったとか?」
「それも分からない」
ダリオが痕跡を見る
「決めないでおこう」
俺も頷く
奥から浅い方へ向かった比較的新しい痕跡がある
今分かるのは、それだけだ
理由はまだない
「記録する」
ミラが紙を出す
「場所も」
「分かってる」
休息場所へ戻る
ローデンはその間も周囲の構造を見ていた
「こっち側、少し先から石が変わってる」
指された場所を見る
俺には色が違うくらいしか分からない
「危ない?」
「今は分からない、ただ浅い方と同じと思わない方がいい」
それも記録される
中層へ来た
でも、中層がどういう場所なのかはまだ何も分かっていない
入口付近へ足を入れただけだ
この先にどれくらい広がっているのか
どんな魔物がいるのか
道がどう続くのか
全部これからだ
ダリオが今日の進行をここで止めると決めた
「今日はここまで」
誰も反対しない
浅層を抜けるだけなら、まだ戻れる時間はある
でも、ここから未知の場所へ入り、そのまま同じ日に深く進む必要はない
今日は中層へ到達した
入口付近の環境を確認した
魔物とも戦った
休める場所も一つ確保した
それで十分だ
「ここで一度休んで、次に進む準備をする」
ダリオが言う
「帰るんじゃない?」
ルッカが聞く
「今日はここを使う」
「寝る?」
「交代で警戒する」
大迷宮の中だ
岩陰拠点のように全員で眠るわけにはいかない
エナが全員の疲労をもう一度確認する
ローデンは座る場所と荷物の位置を調整する
ミラは今日の記録をまとめる
ルッカは外へ出すぎない範囲で痕跡を確認する
俺は魔力探査の範囲と、警戒中にどこまで維持するかを考える
やることが自然に分かれていく
少し前なら、俺が全部確認しようとしていたかもしれない
今はしない
俺は魔法を見る
魔力を見る
それ以外は、見えるやつに任せる
簡単な食事を取りながら、今日通ってきた道をミラの記録と合わせる
浅層の既知経路は問題なく通れた
前より戦闘時間も短い
その先では高低差が増えた
分岐が増えた
石の様子が変わった
自然な洞窟に見える場所と、削られたように見える場所が混じり始めた
そして中層入口
比較的新しい魔物の痕跡
向きは奥から浅い側
「これだけ見ると、何かありそうに見えるね」
ミラが紙を見ながら言う
「見えるだけで、まだ分からない」
俺が答える
「分かってる」
「森でもルッカが変化を見つけてるけど、それと同じとも限らない」
「うん」
ミラはそのまま書く
推測と、見たものを分ける
昨日までの魔法研究でやっていたことと同じだ
何を確認したか
何を想像したか
そこを混ぜない
「セイジ」
ルッカが呼ぶ
「何?」
「こっち」
休息場所の入口近くへ行く
ルッカが耳を澄ませている
俺も《魔力探査》を広げる
遠くに反応が一つ
かなり離れている
移動しているが、こちらへ一直線ではない
「遠い」
俺が言う
「音も遠い」
「来そう?」
「分からない」
ダリオも来る
「警戒だけ続ける、追わない」
俺たちは戻った
中層に入った途端、何もかも特別になるわけじゃない
遠くで魔物が動く
痕跡が残る
通路が続く
ただ、知っているものが減る
それだけで危険は大きくなる
夜に近い時間になり、外の明るさはもう分からなくなった
迷宮の中では、灯りを落とせばすぐ暗くなる
時間を確認しながら交代で休む
俺の警戒の時間になる
壁際に座り、《魔力探査》を狭く広げる
広げすぎると集中が削られる
必要な範囲だけ
これも昨日までの研究と似ている
最大までやればいいわけじゃない
必要なだけ
必要な範囲
必要な強さ
魔法だけじゃない
探査も同じだ
少し離れたところでルッカが寝ている
エナも休んでいる
ダリオは次の交代まで座ったまま目を閉じている
ローデンとミラも静かだ
大迷宮の中で、六人が同じ場所にいる
岩陰拠点の夜とはまったく違う
ここは帰る場所じゃない
一時的に休む場所だ
だからこそ、岩陰拠点のことを思い出す
第二水場も
森も
いつもの道も
俺たちはそこから離れて、ここまで来た
戻れる場所があるから、先へ進める
もし帰るところがなければ、奥へ進むことそのものが目的になっていたかもしれない
今は違う
見て
調べて
必要なら戦って
それから戻る
帰るまでが探索だ
《魔力探査》に大きな変化はない
遠くを動く反応が一つ
さらに離れた場所にも小さな反応
どちらも近付いてこない
俺は警戒を続けながら、自分の手を見る
LEVEL20
HP B-
筋力C
数字は上がった
前より強くなっている
浅層の魔物を短時間で倒せたことでも、それは感じた
でも、中層へ入った今は、強くなったことより、まだ知らないことの方が目立つ
壁一つ見ても分からない
足跡一つでもルッカがいなければ読めない
足場一つでもローデンがいなければ危険に気付けない
疲労ならエナ
進み方ならダリオ
情報を残すならミラ
そして魔法なら俺
六人でここまで来た
俺一人がLEVEL20になったから、中層を分かったことにはならない
むしろ、ここからだ
奥から浅い方へ向かった痕跡
変わり始めた通路
増えた分岐
まだ見ていない中層の内部
全部、答えはない
今はそれでいい
一つずつ確かめればいい
魔法をほどいた時と同じだ
分からないものをまとめて答えにしない
見えるところから分ける
変えるなら一つずつ
進むなら戻れるところまで
俺は暗い通路の先を見た
この先に何があるのかは、まだ知らない
でも、浅層の先には来た
次はここから進む
そのために、今は休む
俺は《魔力探査》の範囲を維持しながら、次の交代まで静かな迷宮の音を聞き続けた




