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変えるのは、ひとつだけ

第74回 変えるのは、ひとつだけ


翌朝、目が覚めた時には、昨日試した《火槍》の感覚がまだ頭に残っていた


短くした形


その中を通る魔力


形に合わせて変えた維持の仕方


一つだけ変えるつもりだったのに、一つを変えるためには周りを崩さないように調整しなければならなかった


言葉にすると面倒だ


でも、昨日までとは違う


《火槍》を使えば《火槍》が出る


それだけだったものの中に、触れられる場所があることが分かった


俺は寝床の横に置いていた紙を手に取る


昨日、自分で書いた印を見返す


属性


魔力経路


形


密度


流れ


維持


発動位置


放出


これが本当に魔法を構成するすべてなのかは分からない


たぶん違う


俺がまだ気付いていないものもあるだろう


それでも、今の俺が分けて考えられるものとしては十分だった


「また見てる」


ルッカの声がした


顔を上げると、入口の近くに座ったルッカが木の実を一つ口に入れていた


「昨日の続き」


「今日は何を短くするの?」


「短くするとは限らない」


「長くする?」


「それもまだ決めてない」


「じゃあ何するの?」


俺は紙を見る


昨日は《火槍》の形を変えた


正確には、形を変えながら、それに合わせて流れや維持を崩れないようにした


今日はもう少し丁寧にやりたい


何かを変えた時、別のものまで一緒に変わってしまうと、何が結果につながったのか分からない


だから、変えるのは一つだけ


他はできるだけそのままにする


「一個ずつ試す」


「一個?」


「そう、一個だけ変える」


ルッカは少し考えたあと、俺の紙を指した


「これ全部やる?」


「全部は無理だな」


「じゃあどれ?」


「まず、分かりやすいやつ」


俺は立ち上がり、朝の支度を始めた


第二水場へ向かう前に、食料と水、それから資料を空間収納へ入れる


昨日使った紙も持っていく


一晩寝たら、昨日の研究が急に整理されているなんてことはなかった


むしろ、考えれば考えるほど試したいことが増える


ただ、全部を一度に触ったら余計に分からなくなる


それだけは昨日で学んだ


岩陰拠点を出ると、森には薄い霧が残っていた


朝の光が木々の間を抜け、湿った地面の上に細く落ちている


ルッカは少し前を歩きながら、いつものように周囲を見ていた


俺も《魔力探査》を広げる


近くに大きな反応はない


小さな魔力反応はいくつかあるが、こちらへ近付いてくるものもなかった


昨日、ルッカが気にしていた痕跡の場所へ近付くと、歩く速度が少し落ちた


ルッカが地面を見る


俺も横から覗く


昨日と同じように見える


正直、俺にはほとんど違いが分からない


「増えた?」


「まだ分からない」


ルッカはしゃがみ、土と葉を見比べる


少し離れた木の根元まで移動し、そこも確認した


「新しいのはある」


「同じやつ?」


「たぶん」


「どっちへ行ってる?」


ルッカは森の奥を指した


第二水場から見れば、少し横へ逸れる方向だ


大迷宮へ向かう道とは違う


「昨日と同じ?」


「近い」


「何かから逃げてるとか?」


俺が聞くと、ルッカは首を振った


「分からない」


その答えで十分だった


痕跡が増えたからといって、何か大きな異変だと決めることはできない


食べ物を追っているだけかもしれない


水場を変えただけかもしれない


季節や天気の影響だってある


俺たちはその場所を覚えておくことにして、第二水場へ向かった


到着すると、今日はローデンが先にいた


共同で使っている棚の下にしゃがみ込み、固定している部分を触っている


「何か壊れた?」


声を掛けると、ローデンは振り向いた


「壊れてはいない」


「じゃあ?」


「少し緩んでいる」


指差された場所を見る


俺には、言われなければ分からない程度だ


「直す?」


「今なら簡単に済む」


ローデンは木材の位置を調整し、固定をやり直す


俺がいない間も使われ続けた場所だから、少しずつ負担が掛かっている


誰かが使う場所になったということは、使われた分だけ手入れも必要になる


当たり前のことだけど、以前の第二水場にはなかった種類の問題だ


「あとで土も見てくれ」


ローデンが言った


「どこ?」


「水が流れるところ、少し削れている」


「分かった」


俺の《土成形》で済む範囲なら手伝える


でも、どう直すか決めるのはローデンに見てもらった方がいい


水の流れを変えた結果、別のところが崩れたら意味がない


それも、今日やろうとしている魔法の研究と少し似ている気がした


一つ変えると、別のところへ影響が出る


魔法でも、設備でも、たぶん同じだ


ミラは少し遅れてやってきた


俺を見るなり、持っていた紙を掲げる


「昨日の分、まとめてきた」


「全部?」


「全部」


「失敗も?」


「失敗も」


やっぱり残してあるらしい


俺たちは昨日と同じ場所へ移動した


周囲を確認する


ルッカにも、危険な生き物の痕跡が近くにないか見てもらう


問題がないことを確かめてから、俺は地面に目印を付けた


昨日の跡が残っている場所とは少しずらす


比較できるよう、撃つ位置もなるべく同じにする


ミラが紙を開く


「今日は何するの?」


「一つだけ変える」


「昨日も形だけ変えるって言ってなかった?」


「言った」


「途中で魔力量とか流れとか、いっぱい変えてたけど」


痛いところを突かれた


「だから今日は、それをちゃんと分ける」


俺はまず普通の《火槍》を作った


いつもの感覚


いつもの大きさ


いつもの長さ


いつもの密度


目標へ撃つ


火の槍が土へ突き刺さる


昨日と大きく変わらない跡ができた


「基準」


ミラが書く


次に、昨日成功した短い《火槍》を作る


長さだけを短くする


それに合わせて内部の流れと維持は調整するが、これは短い形を成立させるための補正として扱う


撃つ


こちらも安定している


昨日の成功が偶然ではなかったことは確認できた


「短いの、今日もできた」


ルッカが言う


「ああ」


「じゃあ次は?」


「今度は形を戻す」


俺は普通の《火槍》を作る


形は変えない


長さも太さも同じ


今回は密度だけを少し変えてみる


昨日までなら、《魔力圧縮》で魔力を強く圧縮すれば、結果としていろいろなものが一緒に変わっていた


威力


熱


安定性


消費


その辺りをまとめて強くしていた感覚に近い


今日は違う


形を保つ


流れも変えない


撃ち出す速度もなるべく同じ


そのまま密度だけを上げる


「……難しいな」


「まだ何も出てないよ」


ルッカが言う


「出す前が難しいんだ」


魔力を集める


《魔力圧縮》を使う


いつもの《火槍》より少しだけ強く押し込む


その瞬間、火の形が縮んだ


「小さくなった」


「分かってる」


圧縮した分、全体が細くなってしまった


失敗


一度消す


ミラが書く


「密度を上げると形が縮んだ」


「それは失敗だからな」


「失敗も必要なんでしょ」


俺が昨日言われたことをそのまま返される


次は、形を維持する方へ意識を割く


《並列制御》で、形と密度を別々に見る


形をいつもの《火槍》に保つ


その中で魔力だけを少し密にする


今度は縮まない


ただ、火の揺れが強くなる


「なんか危ない」


ルッカが一歩下がった


俺もそう思う


すぐに消した


「維持が合ってない」


「密度が変わったから?」


ミラが聞く


「たぶん」


密度を上げた結果、同じ維持の仕方では抑えきれなくなった


ここでも、一つを変えるためには他を完全に同じにするだけでは駄目らしい


重要なのは、他の働きを同じに保つことだ


手段まで同じにする必要はない


形を維持するという働きを保つため、密度に合わせて維持の強さを調整する


それなら、変えている結果は密度だけと言える


少なくとも今の俺には、そう考えるのが一番分かりやすい


三度目


形は同じ


属性も同じ


流れも同じ


発動位置も同じ


放出方法も同じ


密度だけを少し上げる


それに合わせて、形を保つための制御だけ補正する


火の槍が安定した


「できた?」


「出す」


撃つ


土へ当たった瞬間、普通の《火槍》より少し強い衝撃が出た


土が深く削れる


俺は跡へ近付いた


「深い」


ルッカが言う


ミラも基準の跡と見比べる


「少しだけ?」


「そうだな」


明らかに違うが、大きな差ではない


それでいい


今日は最大威力を出すのが目的じゃない


密度だけを変えた時、何が起きるのかを見る


同じことをもう一度する


二回目も近い結果になった


「密度を上げると、威力が上がる」


ミラが書こうとする


「待って」


「違う?」


「たぶんそうだけど、それだけとは限らない」


撃ち込んだ跡だけでは、何が強くなったのか正確には分からない


貫く力かもしれない


熱かもしれない


形の崩れにくさかもしれない


それらが全部関係しているかもしれない


「密度を少し上げた《火槍》は、普通より深く土を削った、くらいにして」


ミラが俺を見る


「慎重ね」


「決めつけたら、あとで間違える」


「昨日まではもっと勢いでやってた気がする」


「昨日失敗したからだよ」


失敗から学んでいるなら悪くない


次に試したのは、密度を少し下げることだった


同じ形


同じ流れ


同じ放出


密度だけを下げる


こちらは簡単かと思ったが、逆だった


魔力が薄くなると形が揺らぎやすい


維持を強くしても、そもそも中身が足りない


二回失敗して、三回目にようやく撃てる程度まで安定した


結果は分かりやすかった


土の表面を削っただけで、奥まで入らない


「弱い」


ルッカが言う


「これは分かりやすいな」


「何に使うの?」


「今は使い道を考えてない」


「弱くしたのに?」


「弱くすること自体が役に立つ時もあるかもしれない」


強ければいいとは限らない


小さな獲物に大きな魔法を使う必要はない


狭い場所


仲間が近くにいる時


壊したくないものがある時


そう考えれば、威力を抑えられることにも意味はある


ただ、今日の目的はそこではない


自分で魔法の働きを変えられるか確かめることだ


「次は速度」


俺が言うと、ミラがすぐ紙に書いた


「放出?」


「たぶん」


《火槍》そのものを作るところまでは同じ


撃ち出す時だけ変える


いつもより少し遅くする


これは思ったより簡単だった


問題は、遅くしたことで飛んでいる間の維持時間が長くなったことだ


同じ距離まで飛ばすなら、遅い分だけ長く形を保つ必要がある


途中で崩れた


「一個変えたら、また別のが変わった」


ルッカが言う


「そうなんだよな」


魔法は全部つながっている


速度を落とせば飛行時間が変わる


飛行時間が変われば維持時間が変わる


維持時間が変われば消費も変わるかもしれない


一つだけ変えるというのは、思っていたより難しい


それでも、だからこそ意味がある


何を変えた結果、何が必要になったのか


そこを一つずつ拾える


次は維持時間を補正する


形や密度は同じ


速度だけ遅い


遅くなった分、長く維持する


今度は最後まで飛んだ


土への刺さり方は浅い


速度が落ちた分、勢いが弱くなったのだろう


これも記録する


逆に、少し速くする


速くしすぎない


《火槍》を作り、放出だけ強める


一回目は軌道が乱れた


二回目は先端が潰れた


三回目でようやく形を保ったまま飛んだ


土へ深く突き刺さる


密度を上げた時とは違う削れ方だった


穴の入口は大きくない


その代わり、奥まで入っている


「こっちは細い」


ミラが言う


「跡がな」


「密度を上げた方は周りも崩れてる」


確かに違う


同じように威力が上がったように見えても、変えたものが違えば結果も違う


「面白いな」


思わず口に出た


ルッカが俺を見る


「土に穴開けてるだけなのに?」


「今までは、強くすれば強くなるだけだったから」


「今も強くなってる」


「違うんだよ」


どう説明すればいいか考える


《火槍》を強くする


その一言の中に、いくつもの方法がある


密度を上げる


速度を上げる


魔力量を増やす


形を変える


もしかすると、火属性そのものの強さを変えることもできるかもしれない


今までは全部まとめて強くしていた


だから、何が効いているのか分からなかった


「同じ強いでも、中身が違う」


俺が言うと、ルッカは少し考えた


「速いのと、硬いの?」


「近い」


「じゃあ分かった」


俺より説明が上手いかもしれない


午前中の後半は、《水槍》でも同じことを試した


火だけでできるのか、それとも同じ考え方を別の属性にも使えるのか確かめるためだ


最初に普通の《水槍》を撃つ


水が細長くまとまり、前へ飛ぶ


火とは感覚が違う


《火槍》は密度を上げた時に激しくなろうとする


《水槍》は押し込めば押し込むほど、まとまりが硬くなるような感覚がある


もちろん本当に硬いわけではない


俺の感覚の話だ


同じように長さを少し短くする


一回目は先端が丸くなった


二回目は太くなった


三回目で形を維持できた


「火と同じ?」


ミラが聞く


「やり方は近い、感覚は違う」


「どこが?」


「火は外へ広がろうとする感じが強い、水は流れようとする」


「資料に書いてある?」


「これは俺の感覚」


ミラは少し考えてから、そのまま記録した


ここも分けた方がいい


資料に書かれていること


俺が実際に感じたこと


結果として確認できたこと


全部一緒にしたら、後で何が根拠だったか分からなくなる


《水槍》でも、形の部分改変はできた


密度を少し上げることもできる


放出速度を変えることもできた


ただ、《火槍》とまったく同じ調整では安定しない


属性が違えば、同じ構造のように見える部分でも扱い方が変わる


それが分かっただけでも十分だった


昼前になり、俺たちは第二水場へ戻った


俺は思った以上に疲れていた


魔力はまだ残っている


でも頭が重い


エナがこちらを見て、すぐ気付いた


「休んで」


まだ何も言っていない


「座ったばかりだけど」


「そうじゃなくて、研究を休むの」


「昼までは終わった」


「午後もやる顔してる」


どういう顔だ、それは


反論しようとしたが、ミラが横で頷いている


「午前だけでかなり使ってる」


「魔力は大丈夫」


「魔力だけじゃないでしょ」


エナは俺の目の前にしゃがみ込んだ


「頭痛は?」


「少し重いくらい」


「目は?」


「普通」


「吐き気は?」


「ない」


「手の震え」


言われて自分の手を見る


震えてはいない


「大丈夫」


「なら食べて、しばらく休んで」


「分かった」


今回は素直に従う


細かい制御を続ける研究は、戦闘とは違う消耗がある


俺自身、さっきから集中が落ちているのは分かっていた


集中が落ちた状態で火を扱うのは危ない


昼食を取りながら、ダリオに今日の研究について話した


ダリオは魔法の細かい理論には口を出さない


代わりに、使い道の方から質問してくる


「速くできるなら、撃つまでの時間も短くなるのか?」


「そこは別だと思う」


「別?」


「今日は撃ち出した後の速さだけ変えた、作るまでの時間はほとんど同じ」


「なるほど」


「でも、作るまでの時間も、分けて考えれば変えられるかもしれない」


言ってから、試したくなった


エナがこちらを見る


「今は休憩」


「まだ何もしてない」


「顔に出てる」


今日は顔で全部読まれている


ダリオが笑った


「使う側からすると、速さより撃つまでの時間の方が重要な時もある」


「戦闘だとそうだな」


「それと、狭い場所で威力を落とせるなら使いやすい」


やっぱりそういう見方になる


俺は魔法として何ができるかを考える


ダリオは、その魔法をどう戦いの中へ置くかを考える


「逆に、威力を上げても周りまで壊すなら使えない場所がある」


「密度を上げた方は、土の崩れ方が大きかった」


「なら、速くする方が向く場所もあるか」


「たぶん」


「確認できたら教えてくれ」


「分かった」


研究だけで終わらせない


実際に使うなら、誰と一緒に使うかも考えないといけない


俺が一人で戦うなら最大火力を出せば済む場面でも、仲間が近くにいれば話は変わる


大迷宮のような狭い場所なら、なおさらだ


しばらく休んだあと、ローデンに頼まれていた排水部分を見に行った


水が流れる細い溝の一部が少し削れている


「ここ?」


「ああ」


ローデンが地面を指す


「土を足せばいい?」


「そのまま足すとまた削れる」


「じゃあどうする?」


「流れを少し分ける」


ローデンは指で二本の線を引いた


「一か所に集まっているから削れる、こっちへ少し逃がす」


「なるほど」


俺は《土成形》を使う


土を動かし、ローデンの示した形へ整える


大きく変えない


水の流れを完全に別方向へ移すのではなく、集中していた一部を横へ逃がす


水を少し流して確認する


最初より穏やかになった


「これでいい?」


「今はな」


「今は?」


「雨が降った時は分からない」


ローデンは出来上がった溝を見ている


「水が増えた時に確認する」


やっぱり、すぐ確定はしない


条件が変われば結果も変わる


俺は今日ずっとやっていることを思い出した


「ローデン」


「何だ?」


「一か所だけ変えた時、他がどうなるかって見る?」


「見る」


即答だった


「全部変えたら、どれが原因か分からない」


俺は少し笑った


「同じだな」


「何が?」


「魔法」


ローデンは俺を見てから、地面を見る


「魔法も崩れるのか?」


「崩れる」


「なら同じだ」


それだけ言って、ローデンは別の固定部分を見に行った


難しい理論の話をしているつもりだったのに、やっていることは案外単純なのかもしれない


一度に全部を変えない


一つ変える


結果を見る


問題が出たら、その問題がどこから来たか確かめる


午後、研究を再開する時には、午前より少し頭が整理されていた


今度は《風刃》を使う


これは《火槍》《水槍》とは形が違う


細長い槍ではなく、薄い刃のような風を飛ばす


同じように分けてみる


属性


魔力経路


形


密度


流れ


維持


発動


放出


言葉としては同じ項目を使える


ただし中身は違う


《風刃》の形を少し短くする


これは比較的簡単だった


次に幅を広げる


ここで安定しなくなる


広げた分、端の部分が崩れる


維持を強くすると、中央まで強くなってしまう


「これ、火より難しい?」


ルッカが聞く


「違う難しさ」


薄い形を保つこと自体が難しい


広げれば、その難しさが増える


なら幅はそのままにして、厚みだけ変える


今度は刃としての切れ方が変わる


土に撃つと、薄い《風刃》は細い跡を残す


少し厚くしたものは削る範囲が広い


ただし、深さは減った


「これも違う」


ミラが跡を見ながら言う


「厚くしたら強くなるわけじゃないんだな」


「切るなら薄い方がいい?」


「今の結果だけなら、そう見える」


断定はしない


対象が土だからそうなっただけかもしれない


硬いもの


柔らかいもの


動く相手


条件が変われば結果も変わるだろう


今日はそこまで広げない


一つの条件で、一つの変化を見る


次は《土壁》


これは飛ばさない魔法だ


《火槍》や《水槍》とは違い、地面へ働き掛けて形を作る


壁を普通に出す


高さ


幅


厚さ


それぞれが形に含まれている


「これ、一個ずつ変えやすそう」


ルッカが言う


「俺もそう思った」


まず高さだけ下げる


幅と厚さは同じ


問題なくできる


次に高さは同じで、幅だけ狭くする


これもできる


厚さだけ薄くする


できる


ただし、軽く押しただけでも欠けやすくなった


「薄いと弱い」


ルッカが手で触る


「まあ、それは分かりやすいな」


「厚くしたら強い?」


試す


厚くする


同じ高さ、同じ幅


魔力量は増える


完成した壁をルッカが軽く叩く


当然それだけでは何も起きない


「強そう」


「そう見えるな」


でも本当に強度が上がったかを確認するなら、同じ条件で壊れるまで力を加える必要がある


今日はそこまでしない


代わりに、厚さを変えることで必要な魔力量が変わる感覚を記録する


《土壁》で面白かったのは、発動位置だった


いつもは自分の少し前へ出す


それを左右へずらす


これはすでに戦闘でも無意識にやっていたことだった


必要な場所へ壁を出す


今まで特別な改変とは考えていなかった


でも、今の見方なら、発動位置という要素を調整していたことになる


「前からやってたんだな」


「何を?」


「魔法の一部を変えること」


完全に決まった形しか使えないわけではなかった


《土成形》なんて、そもそも形を変えるための魔法だ


《水球》だって大きさを変えたことはある


《風圧》の強さを抑えたこともある


俺はずっと、少しずつ調整していた


ただ、それを魔法の構造として考えていなかった


感覚でやっていた


必要だからやった


それだけだった


今は違う


どこを変えたのか意識する


何を変えなかったのかも意識する


結果を見る


記録する


そこに意味がある


夕方近くまで試したあと、俺は一度全部を止めた


紙を広げる


火


水


風


土


同じ項目で分けても、属性によって反応が違う


同じ形の変更でも、必要な補正が違う


同じ威力上昇に見えても、密度を上げた場合と速度を上げた場合では結果が違う


「魔法って、思ったより面倒だな」


俺が言うと、ミラが呆れた顔をした


「今さら?」


「使うだけなら簡単だった」


「セイジだけじゃない、それ」


「そうか?」


「普通は使うだけでも簡単じゃない」


それは忘れていた


俺は転生してから、かなり早い段階で魔法を使えた


全属性への適性があって、魔力も扱えた


それが当たり前になりすぎていたのかもしれない


「資料の人は、こういうの全部考えてたのかな」


俺が聞くと、ミラは古い紙を見る


「分からない」


「マギアコードを書いた人」


「一人が書いたものかも分からない」


「そうなの?」


「名前が理論を指してるのか、方法を指してるのか、それとも別のものをまとめてそう呼んでるのか、資料だけじゃ判断できない」


それも未確定か


「じゃあ、マギアコードって何?」


ルッカが聞く


俺とミラは同時に黙った


ミラが先に答える


「古い魔法の考え方」


「セイジが今やってるやつ?」


「関係はあると思う」


「同じ?」


「そこまでは分からない」


ルッカは俺を見る


「分からないこと多いね」


「多いな」


でも、それでいい


分からないものを分かったことにするよりいい


俺は紙へ戻る


今日一日で、一つははっきりした


魔法を変える時、一度に複数の要素を動かすと、結果の理由が分からなくなる


変えるのは一つ


それによって崩れる部分があれば、元の働きを保つために補正する


それから結果を見る


すごく地味だ


強い魔法を一発覚える方が、ずっと分かりやすい


でも、この地味な積み重ねを続ければ、いつか今までとは違う魔法へ届くかもしれない


少なくとも、俺は昨日より魔法の中身を見られるようになっている


帰る前、ダリオが俺たちのところへ来た


「明日以降のことを話したい」


声の調子が少し変わっている


研究の話ではない


俺も紙を片付ける


エナとローデンも呼ばれ、少しして主要な六人が集まった


ダリオが地面へ簡単な線を引く


大迷宮までの道


入口


前に探索した範囲


俺たちが戻ってきた道


「浅いところまでの確認は終わっている」


誰も異論はない


前の探索で、入口付近を初めて見る段階は終わった


魔物とも戦った


道も確認した


危険な場所もいくつか把握している


「次に行くなら、その先だ」


ダリオが線を伸ばす


俺はその先を見る


大迷宮


まだ、ほんの一部しか見ていない


前の探索では帰ってきた


今度は、さらに奥へ行く


不思議と怖さより、確かめたい気持ちの方が強かった


ただし、一人ならそうは思わなかったかもしれない


ルッカがいる


エナがいる


ダリオがいる


ローデンがいる


ミラがいる


それぞれが違うものを見ている


俺にできることが増えても、それは変わらない


「行く日は?」


俺が聞く


「準備を確認してから決める」


ダリオが答える


「今回は前より奥へ行く、戻る時間も考える」


エナが言う


「救護用品は確認する、使った分も補充してあるけど、量はもう一度見る」


ローデンは、


「縄と灯りも見る」


と続ける


ミラは持ち帰った資料の整理と、人間側で得ている大迷宮情報を確認することになった


ルッカは森から大迷宮までの経路をもう一度見る


俺は魔法と空間収納


必要な物を入れ直し、何を持っていくか確認する


収納があるからといって、何でも持てると決まったわけじゃない


大型の資材まで入れられるかは試していない


生き物についても試していない


入る量の限界も正確には分かっていない


だから、必要な物を優先する


「研究の道具は?」


ミラが聞く


「最低限だけ」


「紙全部持っていくつもりだったでしょ」


「少し思った」


「置いていきなさい」


正しいと思う


大迷宮へ紙の束を持ち込んで、途中で火や水を撃ちながら研究する余裕はないだろう


ただ、今日分かったことは戦闘でも使える


《火槍》の速度を少し上げる


威力を抑える


形を変える


必要な場面で使い分けられるかもしれない


でも、それを実戦で初めて試すのは危険だ


安定して再現できる範囲だけにする


研究と戦闘は分ける


そこも大事だ


話が終わる頃には、空が赤くなっていた


第二水場の周辺では、使っていた者たちが片付けを始めている


容器を戻す


使った場所を簡単に整える


置いていく物を決まった場所へ置く


誰かが細かく指示しているわけではない


それでも、以前より自然に続いている


俺たちも研究で使った物を片付けた


ミラから今日の記録の写しを受け取る


「多いな」


「セイジがいっぱい失敗したから」


「成功も書いてあるだろ」


「ある」


「ならいい」


ルッカと一緒に岩陰拠点へ戻る


帰り道では、朝に見た痕跡のところをもう一度確認した


ルッカは少し時間を掛けて見たが、朝から大きく増えた様子はないらしい


「どう?」


「今日はこれくらい」


「まだ分からない?」


「うん」


「じゃあ、覚えておこう」


それで終える


何でもすぐ答えを出さなくていい


今日一日、そればかりやっていた気がする


岩陰拠点へ戻り、食事を済ませる


俺は収納の中身を一度出した


布


縄


小さな道具


容器


救護用に使える物


紙


食料


全部を床へ並べる


ルッカが横で見ている


「迷宮の準備?」


「ああ」


必要なものと、置いていくものを分ける


大迷宮へ行くなら、普段の森とは違う


長く歩く


暗い場所もある


怪我をする可能性も高い


戻れなくなるような無理はしない


奥へ行くほど、帰ることまで考えなければならない


「セイジ」


「ん?」


「今度はもっと奥?」


「ああ」


「どこまで?」


「分からない」


ルッカは少し黙った


「帰ってくる?」


その聞き方に、俺は手を止めた


前にも似た話をした気がする


遠くへ行く


危険な場所へ行く


そのたびに、帰る場所があることを思い出す


「帰ってくる」


俺は答えた


「行けるところまで行って、無理なら戻る」


「うん」


「みんなで戻る」


ルッカはそれで納得したように、収納へ戻す物を俺へ渡し始めた


研究の紙は一部だけ残す


今日の記録も全部は持っていかない


必要な部分だけ


ふと、昼にローデンと直した排水を思い出した


水が一か所へ集まりすぎれば、土を削る


だから少しだけ流れを分けた


魔法も同じだった


一つへ集めれば強くなることもある


でも、強くすればいいわけじゃない


形


密度


速さ


流れ


維持


必要なものを、必要なだけ変える


全部を一緒に動かすのではなく、一つずつ見る


それが今日、一番はっきりしたことだった


準備を終えたあと、俺は最後に《火槍》を一度だけ思い浮かべた


実際には出さない


頭の中だけで分ける


火属性


魔力経路


形


密度


流れ


維持


発動位置


放出


以前なら、こんな順番で考えることはなかった


ただ《火槍》を使う


それで終わりだった


今は、その中のどこへ触れるかを選べる


全部ではない


自由自在でもない


変えられる範囲も狭い


失敗も多い


それでも、選べる場所が増えた


一つだけ変える


結果を見る


戻す


別の一つを変える


また見る


地味でも、それを繰り返せばいい


俺は紙を畳み、棚へ置いた


明日からすぐ研究の続きをできるとは限らない


大迷宮へ向かうなら、研究だけしているわけにはいかない


でも、今日までに覚えた見方は消えない


魔法を使う時、その中身を考える癖がもう付き始めている


それを持ったまま、今度はもっと奥へ行く


暗い天井


長い通路


知らない魔物


前には見ていない場所


そこへ入って、またここへ帰ってくる


俺は寝床へ入り、横になった


ルッカも隣で丸くなる


入口の向こうから、夜の森の音が聞こえてくる


目を閉じる前、今日最後に考えたのは魔法のことではなかった


奥へ行くための準備は、強くなることだけじゃない


帰ってくるための準備でもある


俺はそのことを、前より自然に考えるようになっていた

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