魔法をほどく
第73回 魔法をほどく
大迷宮から戻って、何日かが過ぎた
朝、目を覚ますと、岩陰拠点の入口から薄い光が差し込んでいた
遠くまで出て、知らない場所で眠って、またここへ戻ってきたあとだからなのか、見慣れた天井も、壁際の棚も、いつもより落ち着いて見える
隣ではルッカがもう起きていた
俺が身体を起こすと、こちらを見て、それから床に広げていた物へ視線を戻す
「それ、今日も見るの?」
「そのつもり」
俺の前には、持ち帰った紙の束がある
正確には、俺だけではほとんど読めない
人間の文字で書かれた資料、それも普通の文章ではなく、魔法について書かれたものだからだ
ミラに説明してもらいながら、必要なところを書き写したり、俺が分かるように印を付けたりしてある
その中に何度も出てくる言葉がある
マギアコード
古い、高度な魔法理論
今の俺に分かっているのは、そこまでだ
名前を知っただけで、急に何かができるようになったわけじゃない
資料を手に入れた翌日に全部理解できました、なんてことになれば楽なのだろうけど、当然そんな都合のいい話はなかった
むしろ読めば読むほど、分からないことが増えている
「昨日もずっと見てた」
「見てたな」
「分かった?」
「分からないことが増えた」
ルッカが少し首を傾ける
「それ、分かってないんじゃない?」
「俺もそう思う」
そう答えると、ルッカは笑った
否定できない
昨日の俺は、紙を見て、火を出して、紙を見て、水を出して、また紙を見ていた
傍から見れば、かなり怪しいことをしていたと思う
けれど、何も進んでいないわけでもない
今まで俺は、魔法を一つのまとまりとして使っていた
《火弾》なら火の玉を作って飛ばす
《火槍》なら火を槍の形にして撃ち出す
《水球》なら水を球にする
《土壁》なら地面から壁を作る
一つ一つの魔法には違いがある
そんなことは昔から分かっていた
でも、その違いをもっと細かく考えたことはなかった
《火槍》という魔法を使うとき、俺は《火槍》を作っている
それだけだった
火であること
槍の形をしていること
魔力を集めること
一定の密度までまとめること
形を保つこと
どこに出すか決めること
前へ撃ち出すこと
今まで全部まとめて《火槍》だった
資料に書かれている内容を、ミラに何度も説明してもらっているうちに、ようやく少しだけ見方が変わってきた
魔法を一つとして見るんじゃない
中にあるものを分けて見る
属性
魔力の通り道
形
密度
流れ
維持
発動する位置
放出する方法
全部を完全に理解したわけじゃないし、本当にそれだけで足りるのかも分からない
それでも、一つの魔法を一つの塊としてしか見ていなかった頃よりは、手を掛けられる場所が増えた気がする
俺は紙を畳んだ
「第二水場に行く?」
ルッカが聞く
「ああ、ミラにも見てもらいたい」
「じゃあ行こう」
朝の支度を済ませ、必要な物を空間収納へ入れる
資料の写し、小さな道具、布、少量の食料
これまで使ってきたのは、こういう小さな物が中心だ
どのくらいまで入るのかも、今のところ正確には分からない
分かっていないものを、分かったことにして使う気もない
必要な分だけ入れて、俺たちは岩陰拠点を出た
森の中は静かだった
けれど、何も動いていないわけじゃない
枝の揺れる音
葉の擦れる音
小さな生き物が走る気配
俺にはただの森の音に聞こえるものを、ルッカは一つずつ拾っている
途中で何度か足を止め、地面を見たり、木の幹の匂いを確かめたりしていた
俺も《魔力探査》を広げる
大迷宮へ入る前より、ずっと広く、細かく周囲を捉えられるようになった
それでも、俺に分かるのは主に魔力だ
何が通ったか
いつ通ったか
どちらから来たか
そういうことなら、ルッカの方がずっと頼りになる
「何かある?」
少し先でしゃがんでいるルッカへ声を掛けると、ルッカは地面を指した
「ここ、通ってる」
見ても、俺には浅く乱れた土くらいしか分からない
「何が?」
「小さいやつ、何匹か」
「危ない?」
「たぶん違う」
ルッカは少し考え、周囲を見回した
「前より動く場所が変わってる気がする」
「森の?」
「うん、でも、まだ分からない」
ルッカがそう言うなら、今はそれ以上決めつける必要はない
俺は《魔力探査》を少し広げてみたが、近くに目立った反応はなかった
「第二水場までの道は?」
「今は大丈夫」
「分かった」
俺たちはそのまま進んだ
第二水場へ着くと、最初に目に入ったのは水辺ではなく、試験栽培の場所だった
小さな区画の中で、育っているものと、ほとんど変わっていないものが混じっている
全部が順調というわけではない
それでも、俺たちが長く留守にしていたあとも、完全に放置されていた様子はなかった
水をやれる者が水をやり、気付いた者が様子を見ていたのだろう
少し先では、一体のゴブリンが使った容器を元の場所へ戻している
別の場所には、前にはなかった小さな物が置かれ、その代わりなのか、以前そこに置かれていた物がなくなっていた
誰かが交換したらしい
俺がいなくても、ここを使う者がいる
使った物を戻す者がいる
必要な物を置いていく者がいる
大迷宮へ行く前にも分かっていたことなのに、戻ってきてから見ると、少し違って見える
俺が全部を動かさなくても、この場所は止まらない
ただ、それで何でもできるわけでもない
設備の状態を見るならローデンが必要だし、救護用品や衛生ならエナがいる
森や道の変化ならルッカだ
危険をどう判断するかはダリオに聞く方がいい
人間側の情報や資料となれば、今の俺にはミラが欠かせない
できることを持ち寄っているから、ここが続いている
一人で全部やる必要がないというのは、昔の俺ならもっと早く気付きたかったことの一つかもしれない
「セイジ」
声を掛けられ、振り向く
ミラがこちらへ歩いてきていた
手には紙の束を持っている
「持ってきた?」
「持ってきた」
俺も収納から写しを取り出す
それを見たミラが、少し嫌そうな顔をした
「また増えてる」
「増やしたんじゃない、分けただけだ」
「紙が増えてるなら同じよ」
「違う、たぶん」
「たぶんなんだ」
横でルッカが笑っている
ミラは近くの平らな場所へ紙を置き、その横に座った
俺も向かいに座る
ルッカは少し離れた場所で、試験栽培の周辺や水場の縁を見て回り始めた
森から戻ったばかりの頃から、ああして細かな変化を確かめている
俺たちがいない間にも最低限の利用は続いていた
だからこそ、戻ってきたあとの確認は必要になる
俺は紙を一枚広げた
「昨日のところなんだけど」
「どこ?」
「これ」
印を付けていた一文を指す
ミラが文字を追う
「ここは……昨日も言ったけど、単純に訳せる言葉じゃないわよ」
「それでもいい」
「魔力の流れを分ける、というより……構成している経路を認識する、の方が近いかな」
「経路を認識する」
「そう、そのあとが、個別に調整可能な状態に置く、みたいな意味」
俺は自分の書いたメモを見る
属性
経路
形
密度
流れ
維持
発動
放出
「つまり、全部まとめて動かすんじゃなくて、分けて触れるようにする?」
「たぶんね」
「たぶん?」
「古い資料よ、しかも魔法理論の専門文書、普通の言葉に置き換えたら意味がずれるところもあるの」
「便利な言葉だな、たぶん」
「セイジにだけは言われたくない」
それはそうかもしれない
俺は資料から視線を外し、右手を前へ出した
何もない空間に魔力を集める
火属性へ寄せる
いつもなら、このまま《火弾》か《火槍》にする
今日は出さない
魔力だけを留める
《精密魔力制御》で流れを細くする
俺の中から外へ出ようとする魔力、その動きを意識する
どこまでが魔力で、どこからが魔法なのか
そんなことを考え始めた時点で、今までとは違う
「何してるの?」
ミラが聞いた
「まだ何も」
「火を出すんじゃないの?」
「それを出す前を見てる」
「見えるの?」
「見えるっていうか……分かる」
自分で言っていて、ひどく曖昧だ
魔力は目で見るものじゃない
俺の場合、感覚に近い
昔の《魔力感知》の頃からそうだった
今は《魔力探査》になり、外へ広げて捉える能力は大きく伸びた
でも、自分の中の魔力を扱う感覚は、それとは少し違う
俺は集めた魔力を散らした
次に、《火弾》を作る
掌の先に火が生まれた
いつもの大きさ
いつもの形
いつもの感覚
「これは普通の《火弾》」
「それは分かる」
ミラが答える
「じゃあ、どこからが《火弾》なんだろうな」
「何それ」
「火なら全部《火弾》じゃないだろ」
「まあ、そうね」
「火属性の魔力を出しただけでも違う、形を丸くしただけでも違うはずだ」
《火弾》を消す
今度は《火槍》を作った
火が細長く伸び、俺の前に形を取る
《火弾》より細く、長い
撃ち出す前の状態で維持する
これも、普段ならほとんど考えずにやっている
魔力を集め、《火槍》を使う
それだけだ
けれど今は、その中にあるものを一つずつ意識する
火属性
細長い形
《火弾》より高い密度
前へ向かう流れ
形を崩さないための制御
俺の前という発動位置
目標へ向けて放つ動き
「こうして見ると、多いな」
「何が?」
「一つの魔法の中にあるもの」
ミラが《火槍》を見ながら言う
「今までは考えてなかったの?」
「火の槍を作って飛ばす、くらい」
「それで使えてたのがすごいんじゃない?」
「使うだけなら、それでいいんだと思う」
たぶん、多くの魔法はそういうものなのだろう
完成した形を覚える
同じように魔力を流す
同じ結果を出す
俺もずっとそうしてきた
最初の頃は魔法そのものが使えるだけで精一杯だった
《火弾》一つでも、使えるかどうかが重要だった
そこから属性が増え、使える魔法も増えた
《火槍》や《水槍》のような、より強い攻撃魔法も覚えた
今は、それを壊そうとしている
いや、壊すという言い方は少し違う
ほどく
結び目を一つずつ見つけるように、完成した魔法の中身を分ける
俺は《火槍》を消した
「まず一つだけ変えてみる」
「何を?」
「形」
ミラが俺を見る
「威力を変えるんじゃなく?」
「ああ」
「そんなことできるの?」
「分からない」
「またそれ」
「だから試す」
俺は立ち上がった
第二水場のすぐ近くで火を撃つ気はない
少し離れた、前にも魔法の確認に使った安全な場所へ移る
周囲を確認してから、ルッカにも声を掛けた
ルッカはすぐに来たが、俺がこれからやることを説明すると首を傾げた
「短くするの?」
「そう」
「弱くする?」
「弱くしない」
「じゃあ何で短くするの?」
「それを確かめたいから」
ルッカは少し考えたあと、
「よく分からない」
と言った
俺も説明しながらそう思っていた
魔法を強くしたいなら分かる
大きくしたい、速くしたい、遠くまで飛ばしたい
普通ならそちらを考える
なのに今日は、《火槍》を短くしたい
しかも、威力はなるべく変えたくない
何のための魔法だ、と言われれば、今のところ研究のためとしか言えない
「まず普通のを撃つ」
少し離れた土の盛り上がりを目標にする
ローデンが作った壁でも設備でもない
周囲に誰もいないことを確かめる
《魔力探査》でも近くに大きな反応はない
俺はいつもの《火槍》を作った
狙いを定め、撃ち出す
火の槍が真っ直ぐ飛び、土へ突き刺さる
乾いた音と一緒に土が削れ、焦げた跡が残る
「これが普通」
ミラが跡を見る
ルッカは土の方へ近付き、少し離れたところから覗き込んだ
「次が短いやつ?」
「ああ」
今度は、最初から《火槍》だと思わないようにする
火属性
魔力を集める
密度
流れ
維持
発動位置
放出
その中から、形だけを見る
細長い
ここだ
いつもなら、決まった長さまで自然に伸ばしている
意識して伸ばしているつもりはなかった
《火槍》を使えば、そうなる
だから、その途中で止める
魔力の量まで減らさない
密度も落とさない
ただ、形を短くする
そう考えた瞬間、火が乱れた
「うわっ」
目の前で《火槍》になりかけた火が横へ膨らみ、俺はすぐに消した
ルッカが一歩近付く
「大丈夫?」
「大丈夫」
「今の失敗?」
「失敗」
ミラが紙へ何かを書いている
「何書いた?」
「形を変えようとして崩れた」
「消してくれ」
「記録なんだから消さない」
「最初の一回くらい見逃してもいいだろ」
「駄目」
記録係が厳しい
俺はもう一度やる
火属性
魔力
密度
形
今度はさっきより慎重にする
短くするのではなく、いつもの長さまで伸びる前に形を固定する
そうすると、さっきよりは槍らしくなった
ただし、太い
「短い」
ルッカが言う
「太いけどな」
「太い」
「言わなくていい」
魔力を同じように込めたせいで、長さを削った分が横へ回ったような感覚がある
これは形だけを変えたとは言いにくい
俺は撃たずに消した
ミラがまた書く
「二回目、短いけど太くなった」
「細かいな」
「あとで必要になるかもしれないでしょ」
確かにそうだ
俺一人でやっていたら、成功したか失敗したかだけで終わらせていたかもしれない
何を変えたか
何が起きたか
そこを残すのは大事だ
三回目
魔力量を保つ
密度も保つ
形の長さだけを変える
口で言えば簡単だ
実際にやると、今まで一緒に動いていたものが勝手についてくる
長さを変えると太さが変わる
太さを戻そうとすると密度がずれる
密度を直そうとすると魔力の流れが乱れる
一つを触ると、別の一つが動く
「ああ、これか」
「何?」
ミラが顔を上げる
「分けるって、そういうことかもしれない」
全部つながっている
だから、分けて考える必要がある
分けるというのは、完全に切り離すことじゃない
つながっているものの中から、一つだけを動かす
そのためには、動かしたくないものを保つ必要がある
俺は一度休んだ
水を飲み、頭の中を整理する
大迷宮で魔物と戦っている時とは違う疲れ方だ
魔力そのものは、まだ余裕がある
けれど細かい制御を繰り返していると、集中が削られていく
エナがいれば、こういう時は無理をするなと言うだろう
今日は戦う予定もない
急ぐ理由もない
「もっと長くする方は?」
ルッカが聞く
「あとでやる」
「短くするより簡単?」
「分からない」
「また分からない」
「今日はそればっかりだな」
「セイジが分からないって言ってばっかり」
言われてみればそうだ
でも、不思議と嫌ではない
転生したばかりの頃の分からないは、怖さの方が大きかった
何がいるか分からない
どこへ行けばいいか分からない
生きられるか分からない
今の分からないは違う
試せる
失敗しても、次を考えられる
帰る場所があって、話せる相手がいて、失敗を記録してくれる相手までいる
同じ分からないでも、ずいぶん違うものだ
休んだあと、もう一度《火槍》を作る
今度は順番を変えた
最初から完成形を出してから短くしようとしない
火属性の魔力を集める
撃ち出すための流れを作る
必要な密度へまとめる
形を作る段階で、長さをいつもの七割ほどにする
その代わり、余った魔力を太さへ逃がさない
密度も上げない
それなら余るはずだ
そこで気付く
「魔力も同じにしなくていいのか」
ミラが首を傾げる
「威力を変えないんじゃなかった?」
「魔力量を同じにするのと、威力を同じにするのは別かもしれない」
同じ量の魔力を、短い形へ無理に押し込めれば、どこかが変わる
密度が上がる
太くなる
熱が強くなるかもしれない
なら、形を短くした分だけ、魔力量そのものは少なくていい
問題は、それで威力まで落ちないようにできるかだ
《火槍》の威力が何で決まっているのか
魔力量だけじゃない
密度
速度
形
火そのものの強さ
たぶん、いくつもある
ここで全部をいじったら、何が成功したのか分からなくなる
「やること一つだったはずなのに」
俺が言うと、ミラが笑った
「一つ変えるために、他を変えないようにしないといけないのね」
「たぶん」
「それは、たぶんでいいと思う」
俺は四回目を作った
さっきまでより、かなりいい
いつもの《火槍》より短い
太さはほぼ同じ
火のまとまり方も大きく違わない
ただ、先端が少し不安定だった
撃ってみる
火が飛ぶ
狙いは外れていない
土へ当たり、表面を削った
最初に撃った普通の《火槍》より、明らかに浅い
「弱い」
ルッカがすぐ言った
「そうだな」
「短くなって、弱くなった」
「それじゃ意味がない」
ミラが跡を比べる
「魔力を減らしたから?」
「それだけじゃないと思う」
形を短くしたことで、飛んでいる間の安定性も変わった
俺にはそう感じた
いつもの《火槍》は、撃ち出したあとも槍の形を保ちながら進む
今のものは途中で少し崩れていた
形を変えた結果、維持まで変わっている
「形だけじゃないな」
俺は地面に指で線を引いた
長い線
短い線
その横へ丸を描く
「何?」
ルッカが覗き込む
「俺にもまだ分からない」
「また?」
「でも、少し分かってきた」
いつもの《火槍》は、長さも含めて一つの安定した形になっている
そこから長さだけを変えれば、維持に必要な魔力の流れも変える必要がある
でも、それは新しい魔法を一から作るという話じゃない
元の《火槍》がある
その中の一部分を調整する
資料に書かれていることの意味が、ほんの少しだけ身体の感覚とつながった気がした
昼前まで試したところで、一度第二水場へ戻った
エナも来ていて、共有している救護用品を確認していた
俺を見るなり、手元へ視線を落とす
「火傷してない?」
「してない」
「本当に?」
「今日はまだ一回も」
「まだ?」
言い方を間違えた
「する予定もない」
エナはしばらく俺を見たあと、
「疲れたら休んで」
と言った
「分かってる」
「セイジの分かってるは、たまに信用できない」
最近、俺への評価が厳しい気がする
でも反論できる材料が少ない
ローデンは水場の端で、木材と固定部分を見ていた
大きな修繕をしているわけではなく、俺たちがいない間に緩んだところや、使われ方が変わったところを確認している
ダリオは少し遅れて来た
ルッカから森の話を聞き、俺にも何か変わった反応を感じなかったか尋ねてくる
「ここまででは大きなものはない」
「そうか」
「ルッカは、動く場所が少し変わってる気がするって」
ダリオはルッカを見る
「気がする、くらい?」
「うん、まだ少ない」
「なら記憶しておこう、決めるのは増えてからでいい」
俺も同意する
一つの跡だけで森全体が変わったとは言えない
大迷宮で見たことと、森で起きていることが関係している可能性はある
でも、可能性と確定は違う
今は集める時だ
昼を食べたあと、研究を再開した
今度はミラが、資料の別の部分を読んでくれた
「ここ、昨日は飛ばしたところ」
「何て書いてある?」
「構造の一部を変更する場合、他の構成要素との……整合、かな」
「整合?」
「釣り合いとか、つながりとか、その辺り」
やっぱりそうらしい
一つだけを動かして終わりではない
動かした結果、ほかが崩れないようにする
俺はまた《火槍》を作った
今度は長さを変えることより、そのあとに形が崩れる理由を見る
発動した瞬間は保てる
撃ち出すと崩れる
なら、放出後の維持が元の形のままなのかもしれない
《並列制御》を使う
一つは形
一つは魔力の流れ
二つを同時に意識する
今まで《並列制御》は、複数の魔法や作業を同時に扱う時に使うことが多かった
今日は一つの魔法の中へ向ける
短い《火槍》を保ちながら、その内部を流れる魔力だけを見る
「……違うな」
消す
もう一度
「何が?」
ミラが聞く
「流れが長いままなんだ」
「長いまま?」
「説明しにくい」
形は短くした
でも俺の感覚では、その中を通る魔力は、いつもの《火槍》と同じように前へ伸びようとしている
器だけ短くして、中身だけ元の距離を進もうとしているようなものだ
だから先端が乱れる
なら、流れも短い形に合わせる
ただし速度は落とさない
密度も大きく変えない
俺は何度も失敗した
短くなっただけの弱い《火槍》
短くしたせいで太くなった《火槍》
途中で先端が割れる《火槍》
撃ち出した瞬間に散る《火槍》
一度など、ほとんど《火弾》みたいな形になった
「丸い」
ルッカが言った
「見れば分かる」
「《火槍》じゃない」
「それも分かる」
ミラの紙には失敗が増えていく
俺としては成功だけ残してほしいところだが、あとで見返せば、この失敗にも意味があるのだろう
何度目か分からなくなった頃、ようやく感覚が合った
いつもの《火槍》を頭に置く
そこから作り直すのではなく、構造を残したまま、形の長さだけを縮める
それに合わせて、内部の流れが形の端までで収まるよう調整する
魔力量は必要な分だけ
密度は元の範囲を維持
発動位置は同じ
放出速度も変えない
形を保つ制御も、短くした形に合わせる
俺の前に火が生まれる
短い
けれど太くない
揺れも少ない
先端も安定している
「今までと違う」
ミラが言った
俺にも分かる
これは、かなり近い
「撃つ」
二人に声を掛け、狙いを定める
普通の《火槍》を撃った跡とは別の場所
火の槍を放つ
短い炎が真っ直ぐ飛んだ
途中で崩れない
軌道も大きくずれない
土へ突き刺さる
一瞬遅れて、焦げた土が弾けた
俺はすぐに最初の跡と見比べた
完全に同じではない
そんな精密な測定方法を持っているわけでもない
それでも、さっきまでの弱いものとは明らかに違う
削れ方も、奥まで入った跡も、最初の《火槍》に近い
ルッカも二つを交互に見る
「同じくらい?」
「たぶんな」
「たぶん?」
「正確には分からない、でも大きく弱くはなってない」
ミラも土の跡を確かめる
「じゃあ成功?」
俺はすぐには答えなかった
手元へ視線を戻す
今の感覚を思い出す
一回できただけなら偶然かもしれない
もう一度、同じことをする
火属性
経路
密度
形
流れ
維持
発動
放出
今まで一つだった《火槍》を、一つずつ確かめながら組み上げる
短くする
それ以外は、できるだけ元の働きを残す
撃つ
二回目も、ほぼ同じ場所まで届き、同じように土を削った
「できた」
ルッカが言った
俺は火の消えた先を見た
「……できたな」
ほんの少し形を変えただけだ
新しい魔法を覚えたわけじゃない
《火槍》は《火槍》のままだ
威力が急に上がったわけでもない
戦える相手が増えたわけでもない
それでも、今までとは違う
初めて、完成していた魔法の一部分へ手を入れた
《火槍》を使ったのではなく、《火槍》の中を見て、そこにある一つを変えた
「長くもできる?」
ルッカが聞く
「試してみる」
短くするより少し時間が掛かった
長くした分、形を保つ制御が難しくなる
魔力の流れも、その分だけ先まで維持しなければならない
何度か途中で折れるように崩れたあと、いつもの《火槍》より少し長い形までなら安定させられた
ただ、長くするほど同じ感覚では保てない
今日はそこで止める
「もっとできそうだけど」
ミラが言う
「できそうだから止める」
「珍しい」
「エナに聞かれたら、そう答えておいてくれ」
「自分で言いなさいよ」
第二水場へ戻る頃には、日がかなり傾いていた
使った場所を確認し、火が残っていないことも確かめる
ルッカは帰る前にもう一度、森へ続く側の地面を見ていた
俺は水場の周辺を見回す
今日一日だけでも、何人かがここへ来て、物を使い、戻し、別の物を置いていった
大きく変わったわけじゃない
それでも、少しずつ続いている
俺も同じなのかもしれない
進化した時のように、身体が一気に変わったわけじゃない
新しい魔法を覚えたわけでもない
LEVELの変化を確認したわけでもない
それでも、昨日までできなかったことが一つできた
帰る前、ミラが今日の記録をまとめていた
「これ、どう書く?」
「何を?」
「成功したところ」
「《火槍》の形状変更」
「それだけ?」
「それだけ」
「もっとすごそうに書かないの?」
「必要ないだろ」
失敗した紙の量を見ると、それだけのためにかなり時間を使った気もする
でも、今はそれでいい
俺は魔法を一から作れるわけじゃない
白紙のところへ好きな効果を書き込めるようなこともできない
今日やったのは、すでにある《火槍》をほどいて、その中の一部分へ触れただけだ
それでも、触れられた
そこが大きい
ミラと別れ、ルッカと森を歩く
帰り道でも、ルッカは何度か痕跡を確認した
俺も《魔力探査》を広げたが、近くに大きな反応はなかった
「明日もやる?」
「たぶん」
「また火?」
「次は別のも見たい」
「水?」
「水も、風も、土も」
「全部?」
「一気にはやらない」
ルッカが俺を見る
「本当に?」
「……一気にはやらないようにする」
「それなら分かった」
信用が少し足りない
岩陰拠点へ戻る頃には、空は暗くなり始めていた
入口をくぐり、いつもの場所へ荷物を置く
外へ出ている間は気付かないのに、帰ってくると肩の力が抜ける
ここは俺とルッカの家だ
第二水場とは違う
誰かが使うための場所じゃない
俺たちが帰ってくる場所だ
大迷宮へ行っても、フェルナへ行っても、遠くへ進んでも、最後にはここへ戻る
そのことが当たり前になりつつある
食事のあと、俺は今日の紙をもう一度広げた
火属性
魔力経路
形
密度
流れ
維持
発動位置
放出
並んでいる言葉を見る
少し前までなら、難しい言葉を並べているだけに見えただろう
今も全部が分かったわけじゃない
でも、《火槍》を使った時の感覚と、一つずつつながり始めている
魔法は、一つの完成したものだと思っていた
《火槍》は《火槍》
《水槍》は《水槍》
《風刃》は《風刃》
覚えたものを、上手く使う
強くする
速くする
それが成長だと思っていた
違う道もあるらしい
完成しているものを、ほどく
何でできているのかを見る
一つだけ変える
崩れたら、なぜ崩れたか考える
もう一度組み直す
今日できたのは、本当に小さなことだ
《火槍》を少し短くしても、大きく威力を落とさず撃てた
それだけ
けれど、その小さな違いを作るために、《火槍》の中を今までよりずっと細かく見た
俺は紙の端に、自分で読める印を一つ加えた
ルッカが寝床から覗き込む
「何書いたの?」
「忘れないように」
「何を?」
少し考える
難しい言葉にする必要はない
今日分かったことは、もっと単純だ
「魔法は、一つじゃなかった」
ルッカが首を傾げる
「《火槍》は一つじゃないの?」
「《火槍》は一つだよ」
「じゃあ一つ?」
「……説明が難しいな」
「やっぱり分かってない?」
「昨日よりは分かってる」
ルッカは笑って、寝床へ戻った
俺も紙を畳む
灯りを落とし、横になる
目を閉じても、しばらく《火槍》の感覚が残っていた
火
形
流れ
密度
今まで全部一緒だったものが、少しずつ別々に感じられる
それでも、最後には一つの魔法になる
ほどいて、見て、またつなぐ
まだ入口だ
何ができるようになるのかも分からない
マギアコードという古い理論が、どこまで俺の魔法につながるのかも分からない
それでいい
分からないなら、一つずつ試せばいい
俺には試す時間がある
失敗しても戻る場所がある
明日になれば、また続きを考えられる
そう思いながら、俺は目を閉じた




