次は、もっと奥へ
第72回 次は、もっと奥へ
翌朝
裂け目の向こうは、昨日までと変わらず暗かった
見張りを交代した人間が火を落とし、別の者が荷物をまとめている
俺も起き上がり、身体を伸ばした
双頭ワイバーンとの戦いから一晩
怪我はない
疲労も昨日よりかなり軽くなっている
魔力も戻ってきている感覚がある
だから
行こうと思えば、今日も大迷宮へ入れる
浅層の先
昨日より奥
双頭ワイバーンが来た方向
強い魔力反応があった場所
その全部が気になる
「入らないぞ」
ダリオが言った
「まだ何も言ってない」
「見てた」
「裂け目を?」
「ああ」
「見るくらいいいだろ」
「見るだけならな」
そこへルッカも来る
「行きたい顔」
「お前もか」
二人して同じことを言う
でも
今日は反論しない
俺も分かっている
双頭ワイバーンを倒した
だから次
ではない
あれだけの魔物が浅層まで出てきた
人間側に負傷者も出た
地形も全部調べられていない
さらに奥には何がいるか分からない
ここで必要なのは
勝った勢いで進むことじゃない
分かったことを持って帰ることだ
「撤収でいいよ」
俺が言うと
ダリオが少しだけ眉を上げた
「本当に?」
「何で疑うんだよ」
「昨日までのお前なら、あと少しって言ってた」
「昨日も言ってないだろ」
「顔は言ってた」
もう顔については諦めた方がいいらしい
朝のうちに
臨時調査地点の記録を整理する
持って帰るもの
ここへ残すもの
人間側の探索者たちが確認していく
双頭ワイバーンの素材についても
全部を持ち帰ることはできない
巨大な身体そのものを運ぶなんて無理だ
回収できる範囲で
鱗
爪
一部の組織
確認用の素材
そういうものだけを持ち帰る
俺の空間収納には
これまで扱ってきた程度のものを入れる
ただし
大きな翼
巨大な骨
頭部
そんなものまで入れられるかは試していない
「この鱗は?」
俺が一枚持つ
大きい
でも一枚なら持てる
人間側の探索者が頷く
「記録用に持っていく」
「入れとく?」
「問題ないなら」
空間収納へ入れる
爪も一本
小さくはないが
大型資材ほどではない
入る
「便利」
ルッカが言う
「こういうときはな」
それでも
全部解決するほどではない
持てるものを選ぶ
残すものを記録する
必要なら後で回収隊を出す
そういう仕事は結局残る
ローデンは裂け目周辺の地面を見ている
「何か変わった?」
俺が聞く
「昨日より崩れてない」
「じゃあ大丈夫?」
「今は」
今は
その言い方が大事なんだと思う
地下は動く
雨
地盤
戦闘
振動
何が影響するか分からない
一回安全だったからずっと安全
にはならない
「印、残す」
ローデンが人間側と相談して
近づかない方がいい場所
足場の弱い場所
縄を固定した場所
そういうものを簡単に分かる形へまとめる
俺は見ているだけ
《土成形》で何か作った方が早い気もする
でも言わない
もう学んだ
地下や裂け目では
土を動かせる
と
動かしていい
は別だ
エナは昨日の負傷者をもう一度確認する
火傷
転倒
切り傷
どれも帰還できない状態ではない
《治癒》を使った人間も動けている
「今日は大丈夫?」
俺が聞く
「歩ける」
「無理してない?」
「してない」
エナが答える
本人にも確認する
「大丈夫だ」
「痛かったら言って」
「分かった」
人間相手にこんなことを言うのも
もう前ほど変な感じがしない
相手も
ゴブリンに治してもらった
という顔ではなく
昨日一緒に戦った魔法使い
くらいの反応になっている
全員ではない
まだ少し距離を取る人間もいる
でも
それでいい
俺も一回会った人間全員を信用できるわけじゃない
昼前
撤収準備が終わった
裂け目から離れる
何度か振り返る
黒い入口
地面の奥
あの先に大迷宮が続いている
今回は浅層まで
ほんの少し入っただけ
地図にできた範囲も小さい
分かったことより
分からないことの方が多い
でも
最初に来たときは
本当に大迷宮につながっているかすら分からなかった
今は違う
入口がある
浅層がある
魔物がいる
奥から浅い側へ動いている個体がいる
双頭ワイバーンみたいな強い魔物まで来ている
それが分かった
「十分か」
俺が呟く
ルッカが横を見る
「何が?」
「今回」
ルッカは少し考える
「ああ」
短い
でもそれでいい
森を戻る
行きより少し歩きやすい
一度通った道だから
というだけじゃない
ルッカが痕跡を覚えている
人間側も危険箇所を記録している
俺も魔力探査で周囲を見る
来るときは
この先に何があるんだろう
という気持ちの方が強かった
帰りは
持ち帰る情報のことを考える
鉄爪ジャッカル
鎧角オーガ
混成魔物
街道への流出
大迷宮浅層
入口方向へ動く魔物
双頭ワイバーン
全部
深い側から外へ
浅い側へ
似た方向が続いている
偶然
では片付けにくくなってきた
それでも
原因は分からない
そこは変わらない
何かから逃げている
と決めることもできない
奥に巨大な敵がいる
と決めることもできない
迷宮そのものが原因
とも言えない
「報告するとき、原因は不明って言わないとな」
俺が言う
ミラが頷く
「はい」
「俺、絶対何かあると思ってるけど」
「それはセイジの考えです」
「分ける」
「そうしてください」
前なら
こうかもしれない
と思ったら
そのまま正解みたいに考えていた気がする
今は
見たもの
感じたもの
分からないもの
それを分ける方が大事だと分かってきた
森を抜け
街道へ出る
荷物を整え
ガルディアへ戻る
大きな城壁が見えたとき
不思議な感じがした
前に初めて見たときは
大きい
すごい
全部見たい
そればかりだった
今は
帰ってきた
に近い
本当の家ではない
でも
大迷宮から戻ってきた場所
報告する場所
人間側と情報をつなぐ場所
そういう意味では
もうただの知らない街ではなくなっていた
門で記録を確認される
行きより話が早い
俺たちの調査隊だと分かっている衛兵もいる
「戻ったか」
一人が言った
「ああ」
俺が答える
「怪我は?」
「少し、人間側に、でも大丈夫」
「何かあったのか」
「でかいのいた」
横からミラが入る
「詳細はギルドへ報告します」
「俺、説明短すぎた?」
「短いというより、大事なところを全部省きました」
「双頭ワイバーンって言えばよかった?」
「ここで全部話さなくていいです」
難しい
俺たちはそのまま冒険者ギルドへ向かった
入った瞬間
また視線が集まる
でも
前とは少し違う気がした
俺が慣れたのかもしれない
それだけかもしれない
ただ
何人かは俺ではなく
人間側が持っている大きな鱗や爪を見ている
「何だあれ」
「ワイバーン?」
そんな声
俺も少しだけ胸を張りたくなる
でもやめる
倒したのは俺一人じゃない
受付を通り
報告用の部屋へ入る
今回は人が多かった
前に会ったギルド関係者
魔物資料を扱う人間
探索記録を管理している人間
他にも知らない人がいる
机の上へ
地図
記録
素材
順番に出される
最初に
入口
ガルディア側で報告されていた裂け目が
古い探索記録と一致すること
地下へ続く空間があり
ミレア大迷宮浅層へ接続していると判断されたこと
次
内部
天然洞窟
石質通路
人工的に加工された可能性のある箇所
亀裂
崩落危険
まだ全体は不明
次
魔物
小型
中型
複数
浅層に多数存在
一部が入口方向へ動いていたこと
ここで俺にも質問が来る
「《魔力探査》で確認したのか」
「はい」
「種別は?」
「分からない」
「数は?」
「その時に感じた範囲だけ、全部は分からない」
「方向は?」
「奥から入口側へ動く反応があった」
一つずつ答える
昔なら
魔力探査で分かる
と言いたくなったかもしれない
今は
分からないことも一緒に言う
「壁越しは?」
聞かれる
「反応が取れることはある、でも地形は分からない、壁が何枚あるとか、道がどう曲がってるとかは見えない」
記録する人間が頷く
次
双頭ワイバーン
素材が机へ置かれる
鱗
爪
記録
俺も改めて見る
やっぱり硬い
あれを火槍で正面から抜こうとしても厳しかったはずだ
「頭部が二つ」
「はい」
「双方が別方向へ攻撃」
「はい」
「炎系ブレス」
「はい」
「飛行」
「はい」
「通常個体との差異は?」
俺は黙る
そこは俺より人間側が詳しい
同行した探索者が答える
普通のワイバーンと比べた特徴
二つの頭
高い魔力
浅層に存在していたこと
鱗
身体能力
それでも
何でそうなったかは不明
「異常種という分類は?」
ミラが確認する
「今回の報告上の暫定呼称です」
そこもはっきりさせる
異常種という名前が付いたから
世界にそういう正式な種族が確定したわけじゃない
区別するため
それだけ
最後に
さらに奥側の反応について
俺が最初に見つけた大きな魔力反応
それが浅い側へ近づいた
結果として
双頭ワイバーンと遭遇
その二つが同じ反応だったか
そこは
「分からない」
俺は答えた
「同じ可能性はあるけど、俺は反応から種類まで分からない」
これも大事
昨日感じた大きな反応
今日倒した双頭ワイバーン
つなげたくなる
でも
同じ個体だと確認したわけじゃない
「他に強い反応は?」
「調査中に奥側で感じたことはある、でも全部は確認してない」
報告は長く続いた
途中
俺は少し眠くなった
戦う方が分かりやすい
でも
これも探索の一部なんだと思う
行って
見る
戻る
伝える
そこで初めて
他の人間も使える情報になる
「セイジ」
ダリオが小さく言う
「寝るな」
「寝てない」
「目閉じてた」
「考えてた」
半分は本当
報告が終わったあと
少し休憩になった
俺は椅子へ深く座る
「長い」
ミラが水を渡してくれる
「必要です」
「分かってる」
「前よりちゃんと答えられてましたよ」
「人間語?」
「それもですが、分かることと分からないことを分けていました」
「そこ褒められるんだ」
「大事です」
たぶんそうなんだろう
少しして
別の話になった
報酬
俺はその言葉で少し目が覚める
「もらえる?」
ダリオが呆れた顔をする
「依頼なんだから当たり前だ」
「特例でも?」
「特例だから払わない方がおかしい」
それもそうか
今回
探索
情報
魔物討伐
回収した素材
それぞれが評価される
全部を俺一人が受け取るわけじゃない
調査隊
同行者
ギルド側
分け方がある
細かい計算は俺にはまだ難しい
ミラとダリオが確認する
俺にも説明してもらう
「つまり」
俺は途中でまとめる
「俺にも正式に仕事した分がある?」
「あります」
「特例探索者として?」
「はい」
何となく
初めてフェルナで特例探索者になったときより
実感が出た
名前だけじゃない
依頼を受ける
仕事をする
戻る
報告する
報酬を受ける
そこまで一つにつながった
「冒険者っぽい」
俺が言う
ミラがすぐ
「特例探索者です」
と返す
「分かってるって」
もうこれは毎回言われる気がする
ガルディア側の人間からも
俺への扱いについて説明がある
今回の浅層調査
双頭ワイバーン討伐
人間側との共同戦闘
情報提供
それによって
ガルディアギルドの中では
前より信用できる実績になったらしい
最初は
人間と話せるゴブリン
フェルナから記録を持ってきた特殊な存在
その程度
今は
迷宮浅層で実際に調査と戦闘へ参加した特例探索者
として記録される
「じゃあ町の人も安心?」
俺が聞く
担当者が首を振る
「それは別だ」
即答
「ですよね」
ガルディアのギルドが俺を認めた
だから
市民全員が俺を信用する
ではない
王国全体でもない
人間社会全部でもない
外を歩けばまだ避けられる
武器へ手をかける人間もいる
たぶんこれからもいる
でも
ギルドの中で
実績として記録が残る
それだけでも大きい
「一回ずつだな」
俺が言う
ダリオが頷く
「そういうもんだ」
報酬の一部として
俺にとって一番気になるものも出てきた
「魔法資料?」
思わず身を乗り出す
ガルディアで見た資料
全部持って帰れるわけではない
当然
でも
今回の探索への参加や情報提供もあって
初歩から中級くらいまでの研究資料
それと
閲覧可能な古い記録の一部
写しを受け取れることになった
「本当に?」
「全部読めるか?」
ダリオ
「そこはミラが」
ミラがため息をつく
「最初から人を当てにしないでください」
「俺も勉強する」
「ならいいです」
紙を確認する
簡単な図
属性ごとの魔力操作
形
流れ
密度
魔力経路
俺でも図なら少し分かる
文字はまだ難しい
そして
一枚
見覚えのある言葉
「これ」
俺が指す
ミラが見る
古い魔法理論
前に聞いた
「マギアコード?」
「同じ語が入っていますね」
内容は短い
というより
俺には読めない
説明してもらう
複数の属性や術式
魔力経路
それらを一つの構造として扱う古い理論
前に聞いた以上のことは
ほとんど分からない
完全な方法が書かれているわけでもない
断片
考え方
過去の研究者が残した記述
その程度
「これだけ?」
俺が聞く
「かなり古い資料ですから」
「続きない?」
「あるかもしれませんが、今すぐ全部渡せるものではありません」
「そっか」
残念
でも十分
俺はまだ
火と風を一つの魔法にしたこともない
水と土を融合させたこともない
《並列制御》で同時に使えるだけ
別々
それでも
こういう考え方が昔からある
知れただけで面白い
「いつかもっと読めるようになりたいな」
ミラがこちらを見る
「人間文字を?」
「ああ、自分で資料読めたら楽だろ」
「教えますよ」
「ありがとう」
前は
話せれば十分
と思っていた
その前は
そもそも人間と話せるようになるなんて考えていなかった
今は
専門資料を読みたい
そこまで来た
世界が広がると
欲しいものも増えるらしい
ガルディアでの報告と手続きが終わったあと
俺たちはすぐ次の調査には出なかった
休む
情報を整理する
持ち帰るものを決める
それから
フェルナ方面へ戻る
ガルディアを出る朝
俺は城壁を振り返った
初めて見たときほど
圧倒されない
でも
やっぱり大きい
「また来る?」
ルッカが聞く
「来たい」
「魔法?」
「それも」
大迷宮
ギルド
資料
町
店
全部まだ見足りない
「次はもう少し普通に町歩きたいな」
ミラが言う
「普通に、が難しいですけど」
「俺、前より慣れたよ」
「セイジではなく周りがです」
「ああ」
そっちか
確かに
俺が慣れても
初めて見る人間は驚く
それは変わらない
街道を戻る
今回は大きな戦闘は起きなかった
だから
前より周りを見る余裕がある
行きには
ガルディア
という目的地ばかり見ていた
帰りは
そこから戻る道
として見える
同じ場所なのに少し違う
途中
森側へ《魔力探査》
反応
いくつか
遠い
近くに大きな反応はない
ルッカも確認する
そのまま進む
「LEVEL、どうなってるかな」
何となく言う
ダリオが呆れる
「戦ってないんだから気にするな」
「別に上げたいって意味じゃない」
「じゃあ何だ」
「最近ずっと戦うたび上がってたから」
前に確認したときはLEVEL18
双頭ワイバーン戦のあと確認したまま
今日は戦っていない
「ちょっとSTATUS見る」
「好きにしろ」
確認する
NAME セイジ
RACE ハイホブゴブリンメイジ
LEVEL 18
HP C+
MP B+
筋力 C-
耐久 C+
敏捷 B-
器用 B
精神 B-
魔力 B+
SKILL
《魔力探査》
《精密魔力制御》
《並列制御》
《魔力圧縮》
TITLE
なし
変化なし
《魔力制御》だった場所には
《精密魔力制御》
もう見慣れ始めている
魔法も増えた
《火弾》
《治癒》
《水球》
《風圧》
《土締め》
《土成形》
そこから
《火槍》
《水槍》
《土壁》
《風刃》
《暗幕》
かなり増えた
でも
まだ試したいことはある
《精密魔力制御》で
火槍をもっと細かく調整したら
水槍は
風刃は
土壁は
暗幕は
考え始めると止まらない
「顔」
ルッカ
「はいはい、魔法の顔」
「分かってきた」
「何が?」
「自分で」
俺が自分で言う前に
周りが言うようになっただけだと思う
フェルナ方面まで戻る
今回は町の中で長く滞在しない
ガルディアでの報告内容
浅層調査
双頭ワイバーン
必要な情報だけフェルナ側にも渡される
フェルナのギルドへ顔を出すと
前に俺と一緒に初依頼へ行った大柄な男がいた
俺を見る
「生きてたか」
「生きてる」
「聞いたぞ」
「何を?」
「大迷宮でワイバーン」
「頭二つあった」
「そこまで聞いた」
「俺が倒した」
言ってから
少し違うと思った
「最後は俺だけど、みんなで倒した」
男が少し笑う
「分かってる」
前なら
本当にゴブリンが?
みたいな目をされたかもしれない
今は
戦ったことのある相手から
普通に話を聞かれる
その変化は小さい
でも俺には分かる
フェルナでの用事も終わり
森へ戻る
木が増える
人が減る
音が減る
ルッカの耳が少し楽そうに見える
「やっぱり森の方がいい?」
俺が聞く
「ああ」
「ガルディア嫌い?」
「嫌いじゃない、うるさい」
「分かる」
俺も
面白いけど疲れる
魔法道具
店
資料
冒険者
全部気になる
でも
森へ戻ると身体の力が抜ける
しばらく歩く
見慣れた木
知っている道
そして
第二水場が見えた
「戻った」
何となく口から出る
数日ぶり
もっと長く離れていた気もする
水場
道具小屋
棚
試験栽培
全部ある
当たり前
俺がいなくてもある
そこに
少し変化もあった
道具小屋の横
緩んでいた部分が直されている
「これ誰?」
俺が聞く
ローデンが近づく
触る
見る
「直してる」
「分かる」
「悪くない」
「誰がやったか分かる?」
「分からない」
簡単な修繕
専門的な大改修じゃない
でも
俺たちがいない間にも
壊れたまま放置されていなかった
棚を見る
救護用品
布
容器
大きく乱れていない
エナが確認する
「使った跡ある」
「減ってる?」
「少し」
「困るほど?」
「まだ大丈夫」
戻されたものもある
使われた
戻された
足りないものは残量が分かる
俺たちがいない間も
普通にここが使われていた
試験栽培へ行く
「あ」
少し分かる
前より伸びている
全部じゃない
順調な株
葉が増えたもの
少し大きくなったもの
一方で
小さいままの株
弱いもの
ほとんど変わっていない区画
失敗したままの場所
全部混ざっている
「育ってるな」
俺が言う
エナがしゃがんで見る
「こっちは」
「遅い?」
「ああ」
「原因分かる?」
「まだ」
土
水
日当たり
種
いろいろ考えられる
でも決められない
「収穫は?」
俺が少し期待して聞く
エナが俺を見る
「まだ」
「はい」
そう簡単に畑にはならない
試して
失敗して
少し育って
また見る
今はそれでいい
第二水場の端に
小さな木の実が置かれている
その横に別の物
簡単な交換に使われた跡だ
「これも続いてた?」
ルッカが見る
「ああ」
少し離れたところに
ゴブリンが一体いる
見覚えがあるような気もする
でも
同じ個体だと断定はしない
そいつは俺たちに気付き
少しだけ近づいた
俺が手を上げる
向こうも止まる
木の実の置かれた場所を見る
それから
自分が持っている小さなものを一つ置く
代わりに別の物を持っていく
「交換するやつ」
ルッカが言う
「前から積極的だった個体かも?」
「ああ、かも」
かも
それでいい
名前もない
役割もない
誰かが管理しているわけでもない
少し後
別のゴブリンが来る
そいつは水を飲む
でも
森の深い側を何度も見る
少し音がするとすぐ顔を上げる
警戒が強い
俺たちが戻ってきても
安心して長居するわけではない
必要なことだけして離れる
さらに
人間側の利用者が来たとき
遠くで様子を見ていた別の一体は
近づかなかった
森側へ少し下がり
人間が離れてから水場へ来る
「違うな」
俺が言う
ルッカが頷く
三体とも
同じ頻度で来るわけじゃない
同じ行動もしない
一体は交換に比較的近づく
一体は森側を気にする時間が長い
一体は人間が多いと距離を置く
本当に同じ三体か
過去のどれと同じか
そこまでは分からない
でも少なくとも
今ここを使っているゴブリンたちにも
行動の違いがある
「名前付ける?」
俺が何となく言う
ルッカは首を振る
「まだ」
「俺もそう思う」
名前を付けたら
急に仲間になるわけじゃない
住民でもない
部下でもない
ここへ来る
水を使う
時々物を置く
それだけ
今はその距離でいい
ダリオが安全経路の情報を見る
俺たちがいない間に付けられた印がある
大きな危険
ではない
使いにくい場所
避けた方がいい方向
そういう小さな情報
「誰か見たんだな」
俺が言う
「そうだろうな」
全部
俺たちが戻ってきたから再開したわけじゃない
水場も
試験栽培も
共有物も
安全情報も
簡単な交換も
続いていた
そのことが
妙に嬉しかった
前は
俺がここを作った
俺が直した
俺が水を出した
俺がいないと
そういう感覚がどこかにあった
今は違う
俺がいなくても
使う人がいる
戻す人がいる
直す人がいる
水をやる人がいる
情報を残す人がいる
もちろん
全部が完璧なわけじゃない
専門的なことは
ローデンが見た方がいい
救護はエナ
安全経路はダリオやルッカ
人間側との話はミラ
それぞれ必要
でも
止まらない
「俺いなくても普通だな」
俺が言う
ローデンが答える
「いた方がいい」
「ありがとう」
「魔法使うとき」
「そこだけ?」
ローデンは笑わない
本気かもしれない
エナが横から言う
「治癒も」
「増えた」
ダリオ
「戦闘」
ミラ
「人間側との話でも、セイジ本人が必要なことがあります」
ルッカは最後に
「家」
と言った
「家?」
「帰る」
短い言葉
でも
それで分かった
俺がいなくても第二水場は止まらない
でも
だから俺が必要ない
ではない
俺には俺の役割がある
それとは別に
岩陰拠点には
俺が帰る場所がある
「……そうだな」
第二水場で
ガルディアから持ち帰った物を整理する
魔法資料は濡らしたくない
簡単に確認したあと
岩陰へ持ち帰る分を分ける
大迷宮の記録も一部ある
全部をここへ置く必要はない
第二水場で共有する情報
ガルディア側の危険情報
安全経路
そういうものは別
自分の魔法研究資料
写し
ミラに読んでもらうもの
それは岩陰
家で見る
少し前なら
第二水場へ何でも集めたくなっていたかもしれない
今は違う
共有するものと
自分のもの
分ける
夕方
一通り確認が終わる
人間側の利用者も帰る
他ゴブリンも少しずつ離れる
水場が静かになる
「戻る?」
ルッカが聞く
「岩陰?」
「ああ」
「戻ろう」
歩く
ほんの少し前まで
ガルディアにいた
その前は
ミレア大迷宮
双頭ワイバーン
暗幕
風刃
大きな城壁
冒険者ギルド
魔法資料
そんなものばかり見ていた
今は
森の道
ルッカ
夕方の光
知っている匂い
見慣れた木
落ち着く
岩陰が見える
入口
前より大きくなった俺でも入りやすいように直してある
中へ入る
棚
寝床
調理する場所
器
自分の物
ルッカの物
何も特別じゃない
でも
それがいい
「帰ってきた」
俺は言った
ルッカが先に寝床へ座る
「うん」
俺も座る
荷物を下ろす
空間収納から
必要なものを出す
紙
記録
小型の道具
ガルディアでもらった魔法資料
一枚ずつ確認する
「多いな」
「読む?」
ルッカ
「今日は無理」
「珍しい」
「さすがに疲れた」
ガルディアを出て
フェルナを通り
第二水場を見て
ここまで戻った
身体というより
頭が疲れている
でも
一枚だけ
マギアコードの古い記述が入った写しを見る
文字はほとんど読めない
図
線
複数の印
俺が使っている魔法とは違う
《並列制御》で
火と水を同時に出せる
土を維持しながら火を撃てる
暗幕を保ちながら別の魔法を作れる
でも
それぞれ別
一つにはなっていない
古い理論では
複数のものを
一つの構造として組む
らしい
「まだ全然分からないな」
ルッカが紙を見る
「俺も」
「お前は文字読めないだろ」
「セイジも」
「俺は少し読める」
「少し」
「否定できない」
紙を戻す
これからだ
人間文字も
魔法も
大迷宮も
知らないことばかり
STATUSを見る
今すぐ必要なわけじゃない
でも
ここまでの確認
NAME セイジ
RACE ハイホブゴブリンメイジ
LEVEL 18
HP C+
MP B+
筋力 C-
耐久 C+
敏捷 B-
器用 B
精神 B-
魔力 B+
SKILL
《魔力探査》
《精密魔力制御》
《並列制御》
《魔力圧縮》
TITLE
なし
変わっていない
LEVEL18
進化した直後はLEVEL1だった
あのとき
身体が大きくなった
魔力も増えた
でも
新しい身体をどう使えばいいのかすら分からなかった
そこから
森の外縁を見た
魔物が外へ出てきていると知った
魔力探査を覚えた
火槍を作った
フェルナへ入った
特例探索者になった
水槍を作った
人間と一緒に依頼をした
ガルディアへ行った
並列制御を覚えた
土壁
風刃
暗幕
全部の属性で実際に使える魔法ができた
大迷宮へ入った
双頭ワイバーンと戦った
《精密魔力制御》になった
振り返ると
かなり遠くまで来た
でも
一番変わったのは
LEVELでも魔法でもない気がする
俺は岩陰の中を見る
ここを離れることが
前ほど怖くなくなった
昔は
家を出る
第二水場を離れる
森の外へ行く
そういうことが
せっかく作った居場所から離れることに感じていた
戻ってきたら
何か変わっているかもしれない
なくなっているかもしれない
自分がいない間に
全部止まるかもしれない
そんな不安がどこかにあった
でも今回
ガルディアまで行った
大迷宮にも入った
数日
第二水場から離れた
それでも
戻ったら
水は使われていた
道具は戻されていた
試験栽培は少し育っていた
救護用品は管理されていた
安全情報は更新されていた
他のゴブリンも来ていた
小さな交換も続いていた
俺がいなくても
暮らしは止まらなかった
そして
岩陰へ戻れば
ルッカがいる
家がある
「俺が外行っても、帰ってこられるんだな」
口に出すと
ルッカが首を傾げた
「当たり前」
「そう?」
「ああ」
「俺、前は当たり前じゃなかった」
この世界に来た最初
家なんてなかった
帰る場所もなかった
岩陰を見つけた
食べ物を探した
魔物から逃げた
少しずつ
ここが家になった
だから
失うのが怖かったのかもしれない
でも
居場所って
ずっとそこから動かないための場所じゃない
出て
戻る
その両方ができるから
帰る場所になる
「次も行けるな」
俺が言う
「どこ」
「ガルディア」
「うん」
「大迷宮」
ルッカが少し考える
「奥?」
「今すぐじゃない」
「珍しい」
「みんな俺のこと何だと思ってるんだ」
でも
行きたい
それは変わらない
大迷宮の奥
強い魔物
森の異変
何が起きているのか
知りたい
新しい魔法も作りたい
マギアコードももっと知りたい
人間文字も読みたい
ガルディアの魔道具ももっと見たい
特例探索者として受けられる仕事もある
外へ行けば
知らないものが増える
前なら
知らないものは怖かった
今は
怖いけど
面白い
「ルッカ」
「何」
「次は、もうちょい奥まで行ってみたいな」
ルッカは少しだけ笑った
「顔」
「今は言っていいだろ」
俺も笑う
岩陰の外はもう暗い
森の夜
ガルディアみたいな灯りはない
大迷宮みたいな完全な暗闇でもない
いつもの夜
明日になれば
第二水場へ行く
試験栽培を見る
道具を確認する
魔法も少し試す
たぶんそんな普通の日になる
その先には
また外へ行く日がある
森の奥
街
大迷宮
まだ知らない場所
どこまで行くかは分からない
でも
帰る場所は分かっている
それなら
前より少し遠くまで行けそうだった




