ゴブリン、町へ行く
第65回 ゴブリン、町へ行く
フェルナへ行く話が決まってから三日
俺は第二水場で、自分でも分かるくらい落ち着きがなかった
「忘れ物」
エナに言われ、空間収納の中身を頭の中で順番に確認する
水
布
縄
小型の容器
救護用品
少しの食料
魔法研究の紙は置いてきた
今日は魔法を試しに行くわけじゃない
「大丈夫」
「本当?」
「たぶん」
「たぶんは大丈夫じゃない」
正しい
もう一度確認する
大型の荷物まで持てるかは試していないが、町へ行って戻るためのこの程度の小物なら十分だ
「今度こそ大丈夫」
エナが頷く
少し離れたところでは、ミラがダリオと話していた
今日フェルナへ向かうのは、俺、ルッカ、ダリオ、ミラ、エナ
ローデンは第二水場に残る
森の異変が続いている以上、全員でここを空ける必要もないという判断だった
試験栽培もある
道具小屋もある
鎧角オーガが出た安全経路の様子も、まだ完全に安心できるわけではない
誰か残った方がいい
「セイジ」
ミラに呼ばれる
「何?」
「もう一度だけ確認します」
「入れるかどうか?」
「それもですが、町で勝手に動かないことです」
「分かってる」
「人間に近づかれても、急に魔法を使わない」
「使わない」
「武器へ手をかける人がいても、自分から攻撃しない」
「攻撃されたら?」
「そこはダリオが判断します」
横にいたダリオが俺を見る
「勝手に反撃するなとは言わん、だが威嚇だけで撃つな」
「分かった」
「火も出すな」
「町の中で出さないよ」
「研究を始めるな」
「それもやらない」
ルッカが小さく言う
「顔はやりそう」
「今日は町の顔だから」
「それ、前に言ったやつ」
自分で言って少し後悔した
町の顔って何だ
でも今日は確かに、魔法より町の方が気になっている
俺がこの世界でちゃんとした町の中へ入るのは初めてだ
遠くから人間の道や建物を見たことはある
フェルナ方面から来た人間とも何度も接している
それでも
町の中を歩く
店を見る
たくさんの人間の中へ入る
それは全く別の話だった
前世では当たり前だったことが、今ではちょっとした冒険になっている
「行くぞ」
ダリオの声で、俺たちは第二水場を出た
森を抜ける道は、何度も使ったところと重なる
ルッカが先を確認する
俺も《魔力探査》を使う
近くに大きな反応はない
以前なら、森の外へ近づくほど落ち着かなくなった
人間に見つかったらどうする
ゴブリンだから襲われるんじゃないか
そんなことばかり考えていた
今も不安が消えたわけじゃない
ただ
俺を知っている人間がいる
ダリオがいる
ミラがいる
エナもいる
それだけで前とは全然違う
森が少しずつ薄くなり、空が広くなる
木々の間から道が見えた
人間が使う道
荷車の跡がある
その先を何人かの人間が歩いている
俺たちを見つけた一人が立ち止まった
距離があるのに分かるくらい、身体が固まる
「やっぱり驚くよな」
「当然です」
ミラが答える
「セイジは慣れましたけど、普通は森からハイホブゴブリンが歩いてきたら驚きます」
「ハイホブゴブリンメイジ」
「そこ訂正します?」
「一応」
「町ではむやみに言わなくていいですよ」
それもそうか
人間からすれば細かい種類より、まずゴブリン系の魔物が歩いている方が問題だ
道を進むにつれて人が増える
荷車
商人らしい人
武器を持った二人組
大きな袋を背負った人
俺を見る反応はばらばらだった
遠くへ避ける人
立ち止まって見る人
俺よりルッカを気にする人
ダリオやミラが一緒だと分かって少し警戒を緩める人
中には剣の柄へ手をかけた者もいた
反射的に俺も身体へ力が入る
ダリオが小さく言う
「そのまま歩け」
「分かってる」
相手も抜かない
俺も何もしない
すれ違う
それだけだった
「緊張するな」
「まだ町にも着いてませんよ」
「これより増える?」
「増えます」
「帰ろうかな」
ルッカが俺を見る
「帰る?」
「冗談」
半分くらいは本気だったけど
しばらく進むと
木々の向こうに壁が見えた
「……おお」
声が漏れた
前世の大都市と比べれば、当然小さい
それでも、この世界へ来てからずっと森を中心に生きてきた俺には十分大きかった
石を積んだ壁
人が通れる門
荷車が行き交う道
向こうには建物の屋根がいくつも見える
煙も上がっている
生活している人間がたくさんいる場所
フェルナ
「本当に町だな」
「町ですよ」
「いや、分かってるけど」
ルッカも黙って見ている
耳が細かく動いていた
人が多い
匂いも多い
音も多い
森とは全然違う
ルッカの方が俺より疲れるかもしれない
「大丈夫?」
俺が聞く
「ああ」
「うるさい?」
「かなり」
「匂いは?」
「多い」
「無理なら言えよ」
「セイジも」
「俺?」
「人、見すぎ」
指摘されて視線を戻す
確かに見ていた
人間を見るのが珍しいわけじゃない
でも普通に生活している人間が、これだけたくさんいる光景は久しぶりだ
門へ近づく
当然そこで止められた
「止まれ!」
門衛の声が飛ぶ
周囲の人間も一斉にこちらを見る
想像していた以上に視線が刺さる
俺とルッカが原因なのは間違いない
ダリオが前へ出た
「話は通してある」
門衛の一人がダリオを見る
「あんたか」
「ああ」
別の門衛は俺から目を離さない
槍を構えてはいないが、いつでも動ける位置だ
「こいつが?」
「ああ、森で活動しているセイジだ」
俺の名前が出る
門衛が俺を見る
俺は少し迷ってから、人間語で言った
「俺、セイジ」
言える
これくらいなら問題ない
「敵、じゃない」
ちょっと言い方が幼い気もするが、意味は通じる
門衛の表情が少しだけ変わった
「言葉が分かるのか」
「少し」
今度は自然に出た
ミラが横から説明する
「意思疎通は可能です、簡単な会話なら本人ができます」
「本当に襲わないんだな?」
質問は俺に向いている
ここは自分で答えた方がいい
「襲わない、町、見たい、それとギルドで森の話をする」
門衛がダリオを見る
「森の話?」
「最近の魔物移動だ、こいつは鉄爪ジャッカルの群れと鎧角オーガを森の浅い側で確認している」
門衛の表情から少しだけ疑いが消えた
代わりに別の緊張が出る
「鎧角オーガ?」
「討伐済みだ」
「誰が?」
ダリオが俺を見る
門衛も俺を見る
俺は自分を指した
「俺」
「……お前が?」
「魔法で」
嘘ではない
これ以上説明すると長い
ミラが続ける
「以前の救助についても記録があるはずです、フェルナ方面の交易関係者から証言できる者もいます」
門衛の一人が奥へ行く
事前にどこまで話が通っているのかは俺には分からない
しばらく待つ
その間にも門を通る人間が俺たちを見る
子供がこっちを見て、親らしい人にすぐ引っ張られていく
少し傷つく
いや、仕方ない
俺だって前世なら、町の門に大きなゴブリンが立っていたら二度見くらいしたと思う
戻ってきた門衛が何か紙を確認した
ミラと細かいやり取りをする
途中から俺には分からない単語が増えた
保証
滞在中の行動
責任
問題発生時
入町範囲
何となくは分かる
でも細かい条件までは怪しい
俺は無理に口を挟まない
ミラがこちらを向いた
「今日はギルドまでの移動を中心に、必要な場所だけにしてください」
「自由に歩き回るのは駄目?」
「今日はやめた方がいいです」
「分かった」
「それから、問題が起きた場合はダリオか私を通してください」
「うん」
「武器扱いになる魔法を町中で使わない」
「それは分かる」
どうやら入れるらしい
門衛がまだ納得しきれていない顔で道を開ける
「何かあればすぐ止まれ」
「分かった」
俺たちは門を抜けた
一歩
町の中へ入る
「……うわ」
また声が出た
道がある
当たり前なんだけど
土が踏み固められた広い道
両側に建物
店らしい場所
木箱
樽
布
荷車
人
とにかく人が多い
匂いもすごい
焼いた肉
パンみたいなもの
獣
煙
革
金属
森の湿った土や葉とは全く違う
「ルッカ、大丈夫?」
「匂い多い」
「やっぱり」
「でも面白い」
それならよかった
俺も面白い
むしろ全部見たい
右に店
左にも店
遠くから金属を叩く音
誰かが大声で商品を売っている
前世の商店街とは違う
でも、人が集まって生活している場所特有の騒がしさはどこか懐かしかった
そんな俺の感動とは関係なく、人々の反応は厳しい
俺が歩くと道の端へ寄る人がいる
子供を抱き上げる人もいる
立ち止まって睨む冒険者らしい男もいる
「あれ、ゴブリンか?」
「でかすぎないか」
「人間と歩いてるぞ」
声が聞こえる
聞こえないふりをする
全部に反応していたら進めない
一方で
露骨に興味を示す人もいた
長い杖を持った若い男が、俺の手をじっと見ている
「魔法使いか?」
急に話しかけられた
俺が答えるより先にダリオが間へ入る
「今日はギルドへ用がある」
「いや、攻撃する気はない、魔力が妙だったから」
妙って何だ
俺もそいつを見る
魔法使いらしい
俺の《魔力探査》にも反応はある
でも種族や職業までは分からない
「行くぞ」
ダリオに言われ、俺たちは先へ進む
「今の人、俺の魔力分かるの?」
「魔法使いなら感じる者もいます」
ミラが答える
「全員?」
「そこまでは分かりません、方法も人によって違います」
「へえ」
聞きたい
でも今日はやめておこう
寄り道を始めると本当にギルドへ着かない気がする
建物が並ぶ道を進み、やがて一つの大きな建物の前で止まった
入口の上に印がある
剣と何かを組み合わせたような形
「ここ?」
「フェルナの冒険者ギルドです」
思っていたより普通の建物だ
もっと巨大な酒場みたいなものを想像していた
中から人が出てくる
革鎧
剣
槍
弓
見るからに冒険者だ
そして俺を見る
「……は?」
分かる
その反応になるよな
男が一歩下がる
別の一人は武器へ手を伸ばした
ダリオが前へ出る
「話は通っている」
「いや、通ってるって何がだよ」
「こいつは敵じゃない」
「ゴブリンだろ」
俺は少し迷ってから口を開く
「セイジ」
「何?」
「俺の名前、セイジ」
冒険者が固まった
「喋ったぞ」
「喋るよ」
今度は普通に返した
横でミラが小さく笑った
「入りますよ」
俺たちは建物へ入る
中に入った瞬間
外よりさらに静かになった
さっきまで話していた人たちの声が止まる
視線が全部集まる
「帰りたい」
思わず小声で言う
ルッカが答える
「まだ入っただけ」
「知ってる」
これに慣れる日は来るのだろうか
受付らしい場所へ向かう
ダリオが先に話す
相手は中年くらいの男だった
俺を見ても驚いた顔はしたが、門衛ほど警戒を前へ出さない
仕事で対応している顔だ
「話は聞いている、森のゴブリン魔法使い」
「セイジ」
俺が言う
「分かっている、名前も聞いている」
それなら最初から使ってほしい
でも今は黙っておく
「こちらはルッカ」
ミラが紹介する
ルッカが少し頭を下げる
受付の男は全員を確認してから、奥の部屋へ案内した
さすがに入口で全部話すわけではないらしい
部屋には机と椅子がある
俺用の椅子を見て少し不安になる
座れるか?
慎重に座る
ぎし、と鳴った
「……大丈夫?」
俺が聞くと、受付の男が一瞬だけ困った顔をした
「たぶん」
「壊れたらごめん」
「先に謝るな」
ダリオに言われる
話が始まった
最初は確認からだった
俺の名前
どこで暮らしているか
人間と敵対する意思がないこと
言葉を理解できること
これまでに何をしたか
全部を俺一人で話すわけではない
簡単なところだけ自分で答える
「名前は?」
「セイジ」
「種族は?」
少し迷う
これは答えられる
自分のSTATUSで確認している
「ハイホブゴブリンメイジ」
受付の男の手が止まった
「……ハイホブゴブリン、ではなく?」
「メイジ」
「自分で分かるのか」
「STATUSで見る」
相手が少し身を乗り出す
「こちらで確認できるか?」
意味を考える
「STATUSを?」
「そうだ」
俺はミラを見る
ミラが受付へ何か確認する
少し難しい言葉が続く
結局
俺自身のSTATUSを相手が直接見るような話にはならなかった
俺が自分で確認している種族名を申告する
ダリオやミラたちが、俺が魔法を使うことや以前からの行動を証言する
それで記録上は扱うらしい
「だから、正式確認ではありません」
ミラが俺にも分かる言葉で整理する
「セイジがハイホブゴブリンメイジだと自分で言った、その記録です」
「嘘ついたら?」
「あなたの信用がなくなります」
「それは嫌だな」
なら嘘をつく理由もない
次はこれまでの実績
ここはダリオの方が詳しかった
負傷者の救助
人間との協力
魔物討伐
鉄爪ジャッカル
鎧角オーガ
第二水場での接触
俺自身が全部説明するより、よほど話が早い
ただ
「鎧角オーガは、俺が倒した」
そこだけは言いたくなった
受付の男が俺を見る
「どんな魔法で?」
「火」
「火弾か?」
「違う、新しいやつ」
名前を言うか迷う必要はない
「《火槍》」
「火槍?」
「細い、速い、硬いところを貫く」
俺なりに説明する
高度な理論は言えない
そもそも俺も知らない
受付の男は何かを書き留めた
「独自魔法か」
「分からない」
本当に分からない
この世界のどこかに同じ魔法があるかもしれない
俺が初めて作ったからといって、世界で最初とは限らない
「俺は、自分で作った」
「なるほど」
それなら正しい
しばらく記録と確認が続いたあと
受付の男が本題へ入った
「通常の冒険者登録は難しい」
まあ、そうだろうな
予想はしていた
「やっぱりゴブリンだから?」
「それだけではない」
説明が始まる
身分
保証
責任
規則
登録地域
組織内での扱い
途中から俺には怪しい
ミラが横で簡単に言い直す
「普通の冒険者は、人間社会の中で身元を確認し、規則に従うことを前提に登録します」
「俺はそれが難しい?」
「はい、森で生活していますし、種族についても通常の登録例ではありません」
「じゃあ今日は情報を話して終わり?」
「それもできます」
受付の男がそこで言葉を挟んだ
「ただし、別の扱いを考えている」
「別?」
「特例探索者」
聞いたことのない言葉だった
「冒険者じゃない?」
「完全に同じではない」
そこからが難しかった
俺は途中で諦めてミラを見る
「簡単に」
「はい」
ミラは少し考える
「フェルナの冒険者ギルドが、セイジを特別に認めます」
「何を?」
「ギルドの一部の仕事に参加することを」
それなら分かる
「依頼できる?」
「指定されたものなら」
「魔物倒したら報告できる?」
「できます」
「素材売れる?」
「できます」
「情報見られる?」
「一定のものは」
「じゃあ冒険者と同じじゃない?」
「違います」
即答だった
「他の町へ行って、俺は冒険者ですって言える?」
「言えません」
「ああ」
それは大きい
「フェルナのここだけ?」
「少なくとも、今ここで認められるのはフェルナ支部が責任を持てる範囲です」
「王国全部で使える札じゃない?」
「そうです」
なるほど
かなり分かってきた
「普通の冒険者より狭い」
「はい」
「でも何もないよりできることが増える」
「そうです」
それなら俺には十分だった
今すぐ人間の冒険者と全く同じ扱いにしてほしいとは思わない
むしろ、そんなことをしたら周りが納得しないだろう
今日ここへ来るまでに何人が武器へ手をかけたと思っている
「俺、それでいい」
受付の男が俺を見る
「内容を理解したか?」
「全部は難しい」
正直に言う
「でも、普通の冒険者と同じじゃない、フェルナのギルドが特別に認める、できる仕事と見られる情報がある、他の場所で同じとは限らない」
受付の男が少し驚いたあと、頷いた
「そこまで理解していればいい」
細かな条件はミラがもう一度確認する
勝手にどんな依頼でも受けられるわけではない
問題があれば扱いを見直される
フェルナ支部側で記録される
俺自身だけでなく、ダリオたちからの証言も前提になっている
簡単に言えば
試してみよう
ということなのだと思う
人間側も俺を完全には信用していない
俺も人間社会のことを全部知っているわけではない
その間に置く仕組みが、特例探索者だ
「これで決まり?」
「手続きがある」
「まだあるの?」
「あります」
ミラが笑う
そこからさらに時間がかかった
名前を書くところで少し苦労した
人間文字は読めるものも増えてきたが、書く方はまだ簡単ではない
ミラに見本を書いてもらう
それを真似する
「これでいい?」
「読めます」
「綺麗じゃない?」
「今は読めれば十分です」
前世では普通に字を書いていたのに
転生してから文字で苦労するとは思わなかった
ルッカは横から俺の字を見ている
「変」
「お前、書いてみろよ」
「書かない」
「ずるい」
手続きを終えたあと
正式という言葉を使っていいのか少し迷うが
俺はフェルナ冒険者ギルドで、特例探索者として扱われることになった
「……冒険者?」
俺が言う
ミラがすぐ訂正する
「特例探索者」
「分かってる」
でも少しくらい喜んでもいいと思う
この世界に来て
ゴブリンになって
岩陰を家にして
魔法を覚えて
人間を怖がったり
助けたり
助けられたりして
今
人間の町の冒険者ギルドで、限定的とはいえ仕事を受けられるところまで来た
妙な感じだ
「嬉しい?」
ルッカが聞く
「かなり」
「顔で分かる」
「今日は分かっていい」
手続きだけで終わりではなかった
そもそも俺たちが来た一番の理由は、森の情報だ
別の机へ移り
ギルドが集めている情報を見せてもらう
地図らしいものが広げられる
俺には細かな文字までは読めない
でも森の位置
道
フェルナ
いくつかの印は分かる
「ここが俺たちのいる辺り?」
俺が聞く
ミラが大まかな位置を指す
「正確にはもう少し森側ですが、この辺りです」
そこから奥へいくつもの印がある
受付とは別のギルド職員が説明する
最近
森の深い側から外方向へ動く魔物の報告が増えている
最初は一種類ずつだった
縄張り争い
餌の変化
繁殖
そういう普通の理由でも説明できる
でも最近は
本来一緒に動く理由のない魔物まで、似た方向へ移動している報告があるという
俺はダリオを見る
ダリオもこっちを見る
「同じだな」
「俺たちが見たのと」
鉄爪ジャッカル
鎧角オーガ
別種の足跡
全部が同じ原因とはまだ言えない
でもフェルナ側でも同じ方向の変化を感じている
それは大きい
「何から逃げてる?」
俺が聞く
職員は首を振った
「逃げていると決まったわけではない」
「ダリオと同じこと言う」
「当然だ」
ダリオが答える
「移動している事実と、逃げている理由は別だ」
分かってる
分かってるんだけど
どうしてもそう見えてしまう
奥に何かある
そこから離れている
なら何かを避けているんじゃないか
でも、それはまだ俺の想像だ
「それと、もう一つ」
ギルド職員が地図のさらに奥を指した
「この辺りで報告がある」
印が付いている
俺には何を意味する印か分からない
「何?」
「裂け目だ」
「地面の?」
「大きいものらしい」
「いつできた?」
職員が少し困った顔をする
「そこが分からない」
以前は確認されていなかった
ただし
本当に最近できたのか
昔からあって、今まで使われていなかったり知られていなかっただけなのか
そこまでは確定していない
「穴?」
「地下へ続く可能性はある」
俺は地図を見る
森の奥
大きな裂け目
地下
魔物の移動
つなげたくなる
でも今はつなげない
因果関係はまだ分からない
「調べないの?」
「調査の話は出ている」
「フェルナから?」
「ここだけではない」
新しい地名が出た
「ガルディア」
聞き返す
「何?」
「城塞都市ガルディア」
ミラが俺の方を向く
俺が知らないと分かったらしい
「フェルナよりずっと大きな都市です」
「王都?」
「違います」
「じゃあ何の町?」
「この地域の大きな拠点、と考えた方が近いです」
交易
討伐
冒険者
魔物対策
ミレア大森林方面の情報
そういうものがフェルナより多く集まる地方の中核らしい
「城壁すごい?」
「フェルナよりずっと」
「人も多い?」
「多いです」
「ギルドも大きい?」
「おそらく、セイジが想像しているよりは」
行きたい
すぐ思った
でも口に出す前にルッカが言う
「顔」
「まだ何も言ってない」
「行きたい顔」
「それは合ってる」
ミラが苦笑する
「今すぐ行く話ではありません」
「分かってる」
ガルディア側でも、森深部の異変や裂け目について情報を集めている
つまり、この森の変化は第二水場周辺だけの小さな話ではない可能性が出てきた
俺たちが気付いたものを
人間側も見ている
さらに大きな都市でも調べようとしている
「特例探索者なら、こういう情報も見られる?」
俺が聞く
「何でもではない」
ギルド職員が答える
「許可された範囲だ」
「じゃあ今後、森のこと調べたら持ってきていい?」
「ああ、むしろ必要だ」
それはいい
人間側の情報をもらうだけじゃない
俺たちの森の情報も渡せる
ルッカの痕跡
俺の魔力探査
ダリオの判断
そういうものが役に立つ
少しだけ
自分たちの世界と人間の世界がつながった気がした
話が一段落したところで
別の職員が紙を持ってきた
受付の男と話す
俺には細かい内容が分からない
ミラの表情が少し変わった
「何?」
「ちょうど森外縁の報告が入ったようです」
「魔物?」
「はい」
俺たちも黙って聞く
街道から少し森へ入った場所
複数の魔物が集まっている
旅人や採取へ入る者に危険が出る可能性がある
しかも一種類ではないらしい
「また混ざってる?」
「可能性があります」
ギルド職員がこちらを見る
そして少し考えてから言った
「特例探索者として、最初の仕事を一つ提案したい」
「俺に?」
「ああ」
胸が少し高鳴る
認められたばかりなのに早い
「森外縁に現れた魔物群の調査と排除だ」
調査
排除
俺にも分かる言葉だ
「一人?」
「違う」
人間側の討伐隊と一緒
ダリオたちも参加できる
危険が大きすぎれば撤退
何でも倒せという話ではない
ミラが細かな条件を確認している
俺はその横で少しだけ笑った
「何だ」
ダリオが聞く
「いや」
「言え」
「町に入った日に、もう冒険者っぽいことするんだなって」
「特例探索者だ」
ミラが即座に訂正する
「分かってるって」
でも
依頼
という言葉はやっぱり少し嬉しい
前世で想像していた異世界みたいだ
ただし
現実はもっと面倒で
登録には条件があり
人間から警戒され
言葉も完全ではなく
最初の依頼も人間の討伐隊と一緒に動くことになる
それでも
それが俺の今いる世界だ
話を終え、ギルドを出る
外はもう朝とは光が違っていた
俺たちは帰る前に必要最低限のものだけ確認し、町を出ることになった
自由に観光するような余裕はない
それでも帰り道
俺は何度も町の中を見た
店
人
荷車
建物
冒険者
子供
犬らしい動物
全部が珍しい
途中
朝より俺を見て騒ぐ人は少なかった
俺が慣れただけかもしれない
門を出ると
妙に空気が軽く感じた
「疲れた」
思わず言う
「戦ってないのに?」
ルッカが聞く
「戦うより疲れたかも」
「人多いから?」
「視線が多い」
「俺も疲れた」
「だよな」
ミラが後ろで笑う
「初日にしては十分だったと思います」
「次はもうちょい普通に歩ける?」
「どうでしょう」
「そこは大丈夫って言ってほしい」
「時間はかかると思います」
でも
時間がかかる
ということは
もう来られない、ではない
そこが大きい
森へ戻る道で、俺は何度も今日のことを思い返した
フェルナ
冒険者ギルド
特例探索者
森から外へ動く魔物
大きな裂け目
城塞都市ガルディア
そして
最初の依頼
数日前まで
俺は第二水場で水球を小さくしようとして顔に水を浴びていた
今日は人間の町に入り
冒険者ギルドで名前を書き
仕事まで提示された
変化が早い
でも不思議と
帰る道はいつも通りだった
森へ入り
見慣れた木々の間を進み
第二水場を通る
ローデンがこちらに気付き
「どうだった」
と聞く
「疲れた」
「町が?」
「ああ」
「魔物は?」
「今日は戦ってない」
「珍しい」
「みんな同じこと言うな」
第二水場の様子も変わっていない
道具は戻され
水は使われ
試験栽培もそのまま続いている
俺が町へ行っている間も
ここではここで時間が進んでいた
それを確認してから
俺とルッカは岩陰へ戻った
入口を抜ける
棚
寝床
見慣れた空間
「帰ってきた」
誰に言うでもなく口から出た
ルッカが先に寝床へ座る
「ああ」
俺も座る
フェルナは面白かった
また行きたい
ギルドももっと見たい
ガルディアも気になる
森の裂け目も気になる
でも
今ここへ戻ってきて
少し力が抜けた
外へ行くのが嫌じゃない
むしろ楽しみになってきた
それでも
帰る場所がある方がいい
俺は横になり、今日聞いた依頼を思い出す
森外縁
複数種の魔物
人間の討伐隊
次は
俺だけじゃなく、人間の冒険者たちと一緒に戦うことになる
《火槍》が使える
《魔力圧縮》もある
《魔力探査》もある
でも
町の中で今日感じたのと同じで
自分が強ければそれでいいわけじゃない
人間と一緒に戦うなら
人間の位置も見ないといけない
勝手に火を撒くわけにもいかない
考えることが増える
「また魔法の顔」
ルッカが言う
「今日は依頼の顔」
「同じ」
「もう何でも同じじゃないか」
ルッカが少し笑う
俺も笑った
特例だろうと何だろうといい
俺は俺だ
森に帰る場所を持ったまま
今度は、人間の依頼で外へ出る
それも悪くない




