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言葉を覚えるということ

第6回 言葉を覚えるということ


 朝


「…………」


 目を開ける


 目の前に緑色の顔


「…………」


「…………」


 ルッカも目を開けている


 近い


「おはよう」


「グギャ」


「今日は乗ってへんな」


 胸を見る


 腕も足もない


「よし」


 何日目かにして、ようやく普通に朝を迎えられた気がする


 身体を起こす


 葉と草が、かさりと鳴った


「っ……」


 左腕


 痛い


 でも


「……昨日よりマシ?」


 少なくとも目が覚めた瞬間に痛みで顔をしかめるほどではなかった


 布を見る


 大量の血は滲んでいない


「ちょっと期待してええんかな」


 まだ分からない


 自分で勝手に治ったと思い込むのは危ない


「今日も洗お」


 岩陰を出る


 簡易屋根


 低い壁


 歪んだ籠


 昨日と同じ場所


 朝の光が葉の隙間から差し込んでいる


「壊れてへん」


 屋根を見る


「壁も」


 軽く触る


 ぐら


「…………」


 触るのやめよう


 ルッカが後ろから出てくる


「今日は寄りかかんなよ」


「グギャ?」


「壁」


 指す


「触らん」


 ルッカが壁へ手を伸ばす


「だから触るな!」


 朝から平和だった


 沢へ行く


 水を飲む


 顔を洗う


 左腕の布を外す


「…………」


 傷


 赤み


 噛まれた跡


「昨日より……」


 少しだけ


 ほんの少しだけ


 腫れが引いているように見える


「気のせい?」


 ルッカを見る


 傷を見せる


「どう?」


 ルッカは覗き込む


 指で周囲を軽く押した


「痛っ」


「グギャ」


「何?」


 もう一度押す


「そこ痛い」


 別の場所


「そこはマシ」


 ルッカが頷く


「良くなってる?」


 上向きに手を動かす


 良い


 そんな意味になるか分からない


 ルッカはまた頷いた


「ほんま?」


 嬉しい


「草効いてるんかな」


 自然治癒かもしれない


 草のおかげかもしれない


 両方かもしれない


 まだ断定はできない


「でも悪くなってへんのは助かる」


 傷を洗う


 昨日採った草


 葉の縁を見る


 滑らか


 匂い


 青臭い


「これ」


 ルッカへ見せる


 頷く


「よし」


 石の上で潰す


 昨日より手際がいい


「こんくらい?」


 ルッカが頷く


 傷へ塗る


「っ……!」


 やっぱりしみる


「これだけは慣れへんな」


 布を巻く


 片手


 口


 右手


「…………」


 結ぶ


「できた?」


 ルッカが見る


 結び目を引っ張る


「痛い痛い!」


 締め直された


「厳しい先生やな!」


 でも


 今日は最後までほぼ自分でできた


「よし」


 小さい


 本当に小さい


 それでも生活能力が上がっている気がする


 岩陰へ戻る


 朝飯


 残していた青い実


「…………」


 一つ食べる


「苦い」


 やっぱり苦い


 ルッカは普通に食べている


「お前、味覚どうなってんの?」


「グギャ?」


「何でも食えるんちゃう?」


 ルッカが実をもう一つ取る


「それ俺の分」


 取られた


「おい」


 食べられた


「…………」


 俺は籠を見る


 残り二つ


「これ食料管理考えなあかんな」


 共同生活


 新しい問題


「ルッカ」


「グギャ?」


 実を一つ持つ


 自分を指す


「俺」


 実


「俺」


 もう一つ


 ルッカを指す


「ルッカ」


 渡す


「これルッカ」


 自分の分


「これ俺」


 ルッカが俺の実を見る


「見るな」


 視線が動かない


「自分の食え」


 ルッカは自分の実を食べる


 そして


 俺を見る


「…………」


「しゃあないな」


 半分にする


「半分だけ」


 渡す


 食べる


「絶対教育失敗してる気する」


 でも


 まあいい


 食べ物はまた探せばいい


「今日はどうするかな」


 やること


 多い


 石の刃物


 籠の改良


 食料


 水を運ぶ容器


 傷


 家


 魔法


 そして


「人間語」


 昨日の女の子


 何度か聞いた声


 意味は分からなかった


 でも初日の三人より


 少しだけ


 音として聞けた気がした


「覚えたいな」


 最初から思っていた


 人間と話したい


 昨日


 その気持ちが少し強くなった


 助けた女の子


 何を言っていたのか


 知りたかった


「でも先生がおらん」


 ルッカを見る


「お前、人間の言葉分かる?」


「グギャ?」


 人間


 昨日の女の子を指した方向


 口を動かす


 聞く


「言葉」


 ルッカが首を振る


「やっぱ分からん?」


 もう一度


 人間の真似


 喋る


 ルッカ


 耳


 分かる?


 首を振る


「一緒か」


 少し安心した


 俺だけ特別に分からないわけではないらしい


「どう覚えよ」


 教科書なし


 辞書なし


 先生なし


 そもそも文字すら知らない


「詰んでへん?」


 いや


 人間の子供は最初から辞書を持っているわけではない


 音


 状況


 物


 何度も聞いて覚える


「昨日考えたやつやな」


 問題は


「人間に会わな覚えられへん」


 そして人間に会うのは危険


「難易度高いわ」


 ルッカが立ち上がる


「ん?」


 槍を持つ


 籠を見る


「採取?」


「グギャ」


「行く?」


 頷く


「まあ、飯もないしな」


 今日は遠くへ行かない


 昨日、人間と大型獣に遭遇した方向は避けたい


「反対行こ」


 指す


 ルッカも異論はないらしい


 籠


 昨日作ったもの


 持ち上げる


「今日こそ活躍してもらうで」


 蔓で作った歪な籠


 持ち手はない


 抱えるしかない


「……持ち手つけたらええやん」


 今気づいた


「帰ってからやな」


 薄い石も持つ


「出発」


 森へ


 昨日とは反対方向


 沢からあまり離れない範囲


 ルッカが先


 俺が後ろ


 籠を抱える


「これ両手塞がるな」


 危ない


「持ち手、絶対いる」


 さらに


「背負えたらもっとええな」


 籠


 紐


 背中


「リュックや」


 作れるかもしれない


 生活改善案がどんどん増える


「異世界来てからDIYばっかり考えてるな」


 悪くない


 むしろ楽しい


 歩く


 ルッカが止まる


「何?」


 地面


 小さな跡


 足跡


「動物?」


 ルッカがしゃがむ


 触る


 匂い


 周囲を見る


 槍は構えない


「危なくない?」


「グギャ」


 たぶん


 俺にはまだ足跡だけで判断できない


「覚えたいな」


 形を見る


 三本?


 いや


 四本


 小さい


「昨日の灰色のやつとか?」


 分からない


 追わずに進む


 少しして


 橙色の実


「あった」


 昨日まで食べていたものと同じ木


「これなら分かる」


 葉


 実


 匂い


 ルッカへ確認


 頷く


「採ろ」


 籠へ


 一つ


 二つ


 三つ


「おお」


 落ちない


「籠すごいやん」


 自分で作ったものが役に立っている


「昨日の俺ら天才ちゃう?」


 ルッカが実を食べようとする


「待て」


 止める


「全部食うな」


 一つ渡す


「これだけ」


 ルッカが食べる


「残り持って帰る」


 籠を指す


 岩陰の方向


 伝わったのか


 今度は取らない


「えらい」


「グギャ?」


「何でもない」


 さらに歩く


 白っぽい根


 青い実


 食べられるものを少しずつ


 籠へ


「便利やなあ」


 昨日なら手や腰の布へ挟んでいた


 今日はまとめて運べる


「でも重くなってきた」


 片腕中心だから余計に


 ルッカが籠を持とうとする


「ええよ」


 持っていかれる


「…………」


 軽々


「やっぱ俺より力あるな」


 悔しい


 でも助かる


「頼むわ」


 俺は手が空いた


 その分


《魔力感知》


 歩きながら


 意識を広げる


 身体の魔力


 外


 森


 薄い感覚


「…………」


 昨日より


 少し分かりやすい気がする


 右


 左


 前


 後ろ


「自分の魔力が邪魔なんかな」


 身体の内側は濃い


 外は薄い


 自分へ意識を向けすぎると、外が分からなくなる


「外だけ見る感じ?」


 目を閉じる


「危ないで」


 すぐ開ける


 歩きながらはやめよう


 立ち止まる


「ルッカ、ちょっと待って」


 ルッカが振り返る


 俺は木の横へ


 目を閉じる


 魔力感知


 自分


 そこから


 意識を離す


「…………」


 森


 何か


 薄い


 広い


 そして


 少し先


「……ある?」


 小さい


 何か


 右前


 目を開ける


 見る


 何もない


「気のせい?」


 ルッカへ合図


 右前


 ゆっくり


 近づく


 茂み


 がさ


「いた」


 小さな灰色の生き物


 この前ルッカと捕ったものに似ている


 前足が長い


「ほんまにおった」


 偶然?


 音を聞いていた?


 自分では意識していなかった


「魔力感知で?」


 分からない


 灰色の生き物がこちらを見る


「ギッ」


 逃げた


 ルッカが追おうとする


「待って」


 止める


「今日はええ」


 食料はある


 左腕も治療中


 無理に狩る必要はない


「それより」


 今


 感じた


 かもしれない


「もう一回試したい」


 別の場所


 立ち止まる


 目を閉じる


《魔力感知》


 外


「…………」


 分からない


「さっきだけ?」


 何も感じない


 いや


 薄いものはある


 でも生き物らしい一点はない


「難しいな」


 何度か試す


 一回


 二回


 三回


「…………」


 成果なし


「偶然か」


 それでも


 一度あった


 覚えておく


「期待しすぎんとこ」


 森での能力は


 勘違いが命取りになる


 分からないものは分からない


 それでいい


 採取を続ける


 昼前くらい


 ルッカが大きな木の根元で止まった


「何?」


 穴


 小さい


 木の根の間


 ルッカがしゃがむ


「何かおる?」


 槍を置く


 手を突っ込もうとする


「待て待て!」


 止める


「何入ってるか分からんやろ!」


 ルッカは俺を見る


「噛まれたらどうすんねん」


 俺の左腕を見せる


「こうなるぞ」


 ルッカは穴を見る


 俺を見る


 また穴


「…………」


 枝を拾った


「そう、それ」


 枝を入れる


 がさ


 何か動く


「おるやん!」


 ルッカがさらに枝


 中から


 ぴょん


「うわ!」


 小さな茶色の生き物


 トカゲ?


 いや


 前足


 後ろ足


 長い尻尾


 木へ登る


「速っ」


 ルッカが追う


「今日はええって!」


 ルッカが止まる


 生き物は木の上へ消えた


「何でも食おうとすんな」


「グギャ」


「肉?」


「グギャ」


「知ってた」


 昼


 沢の少し開けた場所


 橙色の実


 白い根


「これで昼飯」


 ルッカの顔


「不満そうやな」


「グギャ」


「肉は晩飯に考えよ」


 意味は伝わらない


 根を食べる


「これ焼いたほうがうまいな」


 生でも食べられるのか


 ルッカは食べている


 俺も少し


「硬っ」


 噛める


 でも美味くない


「帰って焼こ」


 実


 水


 それで済ませる


「ダイエット飯みたいやな」


 前世の俺なら絶対に足りない


 今の身体は小さい


 必要量も違うのだろう


 それでも


「肉食いたい」


「グギャ!」


「お前まで乗るな」


 笑う


 食後


 少し休む


 沢の音


 鳥


 風


「平和やな」


 昨日とは大違い


「毎日これでええんやけど」


 そう思った直後


 ルッカの耳が動いた


「…………」


「何?」


 俺も黙る


 音


 遠く


「…………」


 聞こえない


 ルッカは沢の下流方向を見る


「何かおる?」


 槍は持つ


 でも構えない


「危ない?」


 危険の仕草


 ルッカは首を振る


「じゃあ何?」


 立つ


 ゆっくり進む


「ちょっと待って」


 ついていく


 沢沿い


 少し


 水音に混じって


「…………?」


 別の音


 かさ


 枝


 そして


「――……」


 声


「…………」


 止まった


 人間


「また?」


 昨日とは反対方向を選んだはずなのに


「人間多ない?」


 この森


 思った以上に人間の生活圏へ近いのかもしれない


「ルッカ」


 俺は低い声


「隠れる」


 木陰


 茂み


 二人で身を低くする


 声が近づく


 一人?


 いや


 二人


「――……」


「――……?」


 会話


 意味は分からない


「…………」


 でも


 昨日と同じように


 音を聞く


 全部を理解しようとしない


 区切り


 繰り返し


「――エナ、……」


「…………」


 今


「エナ?」


 聞こえた


 もう一度


「――エナ」


「…………」


 同じ音


 人影


 二人


 一人は


「あ」


 昨日の女の子


 明るい色の髪


 歩き方


 片足


 昨日よりは歩けている


 でも少し庇っている


「無事やったんや」


 胸が軽くなる


 もう一人


 大人の女性


 たぶん


 女の子より背が高い


 荷物


 手には棒


 いや


 杖?


「誰やろ」


 二人は沢の近くで止まる


 昨日の女の子が何かを指す


 森


 方向


「昨日の場所?」


 話している


 大人の女性が地面を見る


 何か確認


「…………」


 俺は隠れたまま


 聞く


「――エナ」


 また


「エナ」


 女の子を見る


 大人が呼んだ


「名前?」


 可能性は高い


 人を指す状況


 繰り返し


「エナ」


 覚える


 確定はしない


 でも


 かなり有力


 昨日の女の子が返事


「――」


 大人が何か言う


「――エナ、――」


 やっぱり


「名前っぽいな」


 初めて


 人間の言葉で


 意味を推測できる音


「エナ」


 口の中で小さく


 ゴブリンの喉では


「ギャ……」


「…………」


 全然違う


「発音できへん?」


 声を抑える


 もう一度


 人間の音を思い出す


「エ……」


 喉


 舌


 口


 前世なら簡単だった


 今は身体が違う


「……エ」


 小さい


 出た


「…………!」


 自分で驚く


 もう一度


「エ……ナ」


 かなり濁る


 でも


 ゴブリン語のいつもの声とは少し違う


「言える?」


 ルッカが俺を見る


「静かに」


 指を口


 通じたのか黙る


 人間二人はまだ話している


 俺は聞く


「――エナ」


 同じ


「エナ」


 心の中


 音


 対象


 昨日の女の子


「名前や」


 ほぼそう思う


 そのとき


 女の子


 エナらしき人物が


 こちらを見た


「…………」


 俺は息を止める


 見つかった?


 目が合った


「…………」


 合った


 完全に


「まずい」


 逃げる?


 でも


 女の子は叫ばない


 大人の女性へ何か言う


「――」


 大人もこちらを見る


「終わった」


 俺はゆっくり立つ


 両手を見せる


 ルッカへ


「槍下げて」


 槍を指す


 下


「下げる」


 ルッカは警戒している


 でも穂先を少し下げる


「ありがとう」


 俺たちは茂みから出る


 距離


 十分


 近づかない


 昨日と同じ


 女の子の顔


 驚き


 少し怖い


 でも逃げない


 大人の女性は


 明らかに警戒


 棒


 杖を構える


「やっぱそうなるよな」


 俺は動かない


 右手にも魔力を集めない


 何もしない


 女の子が大人へ何か言う


 早い


「――……――」


 分からない


 俺たちを見る


 また話す


「説明してくれてる?」


 昨日のこと


 そうなら嬉しい


 でも分からない


 大人の女性が俺を見る


 ルッカ


 また俺


 左腕


「傷?」


 布を巻いた腕を見ている


 そして


 籠


 ルッカが持っている歪な籠


「…………」


 女の子も見る


 少し目を大きくした


「昨日の籠、真似したんバレた?」


 恥ずかしい


 盗んでない


 形だけ参考にした


「著作権とかないよな」


 今考えることではない


 女の子が


 一歩


 前へ


「――!」


 大人が止める


 女の子が何か言う


「――……」


 俺は聞く


 音


 状況


 女の子


 自分を指した


「…………」


 もう一度


「エナ」


 今度は


 はっきり聞こえた


「…………!」


 自分を指して


 エナ


「名前や!」


 確定


 少なくとも俺の中では


 女の子


 エナ


 俺は自分を指す


「セイジ」


 ゴブリンの発声


「ギャ、セ……ジ」


 いつものように歪む


「…………」


 エナが俺を見る


 俺はもう一度


 胸


「セイジ」


「セ……?」


「セイジ」


 通じる?


 エナが口を動かす


「――セイジ?」


「…………!」


「そう!」


 思わず一歩出そうとして


 止まる


「そう、セイジ!」


 自分を指す


 何度も


「セイジ」


 エナが


「セイジ」


 呼んだ


「…………」


 胸の奥


 何かが


 強く


 熱くなる


 人間の口から


 俺の名前


 転生してから


 初めて


「……俺の名前、通じた」


 ルッカを見る


「聞いた?」


「グギャ?」


「俺、今、人間に名前呼ばれたで」


 伝わっていない


 でもいい


「セイジ」


 エナがもう一度


「うん」


 俺は頷く


「セイジ」


 自分


 次


 エナを指す


「エナ」


 人間の発音を真似する


 少し濁る


「エ……ナ」


 エナの目が大きくなる


「エナ?」


 頷いた


「合ってる!」


 笑った


 自然に


 エナも


 少しだけ


 笑った


「…………」


 すごい


 名前だけ


 たった二つ


 でも


 通じた


「これが最初か」


 人間語


 最初の一歩


 俺はルッカを指す


「ルッカ」


「グギャ」


 ルッカが自分を指す


「ルッカ」


 エナを見る


「ルッカ」


 エナが


「ルッカ?」


「グギャ!」


 ルッカが反応


「通じたやん!」


 ルッカも少し驚いている


 俺


 セイジ


 ルッカ


 ルッカ


 女の子


 エナ


「三人分かった」


 大人の女性を見る


「…………」


 聞いていいのか


 自分を指す


「セイジ」


 ルッカ


「ルッカ」


 エナ


「エナ」


 最後に大人を指す


「…………?」


 首を傾げる


 大人の女性は警戒したまま


 エナが何か言う


 大人を見る


 少し間


 女性が口を開いた


「――ミラ」


「ミラ?」


 女性


「ミラ」


「…………」


 覚える


「ミラ」


 俺が言う


 発音は怪しい


 でも女性


 ミラは


 小さく頷いた


「四人」


 嬉しい


 名前


 それだけ


 でも世界が急に広がった気がする


 初日は


 人間の声が全部


 意味のない音だった


 今日は


 エナ


 ミラ


 名前が分かる


「…………」


 エナが何かを取り出す


 布?


 包み


 ミラが止めようとする


 エナは首を振る


 包みを開く


「何?」


 中


 茶色


「…………食べ物?」


 パン


 に見える


「パンや!」


 前世のものとは違う


 硬そう


 丸い


 でも


 どう見ても焼いた穀物系


「パンあるんや!」


 感動


 エナがそれを一つ


 地面へ置く


 自分から離れた場所


 俺たち側


「…………」


「くれる?」


 自分


 パン


 エナ


 エナが何か言う


 意味は分からない


 でも


 状況


 差し出した


「もらってええんかな」


 ルッカを見る


 ルッカはパンしか見ていない


「待て!」


 腕を掴む


「お前は絶対待て!」


「グギャ!」


「まだ!」


 エナが少し笑った


「笑われてるで」


 俺はゆっくり前へ


 警戒させない


 パン


 拾う


 匂い


「うわ」


 焼いた匂い


 森の肉と根と実ばかりだった


「文明の匂いや……」


 泣きそう


 エナを見る


「ありがとう」


 当然日本語にはならない


 ゴブリンの声


 でも


 頭を下げる


 胸へ手


 パン


 エナ


「ありがとう」


 伝われ


 エナは俺を見て


 何か言った


「――……」


 昨日聞いた音


「…………!」


 籠を返したとき


 同じ?


 似ている


「今の」


 意味


 分からない


 でも状況


 昨日


 俺が籠を返した


 今日


 エナがパンを渡した


 今


 俺が礼を示した


「礼の言葉?」


 可能性


「もう一回聞きたい」


 でも要求方法が分からない


「…………」


 エナを見る


 パン


 胸


 頭を下げる


「ありがとう」


 エナが


「――……」


 同じ音


「これや」


 覚える


 音を頭へ刻む


「…………」


 発音


 難しい


 口の形を見る


 舌


 唇


「……ア?」


 違う


 エナが首を傾げる


「もう一回」


 耳を指す


 エナ


 口


「…………」


 伝わった?


 エナがゆっくり


 同じ言葉を言う


「――……」


 今度は区切りが少し分かる


「…………」


 真似


「……ア……」


 ゴブリンの喉


 難しい


 何度か


 エナが言う


 俺が真似


「……ア、ト」


 近い?


 エナが目を大きくする


 頷く


「通じた?」


 もう一度


「ア……ト」


 エナが笑う


「よし!」


 意味は


 おそらく礼


 正確な文法も


 発音も


 分からない


 でも


 一つ


 名前以外の音が


 状況と結びついた


「アト」


 俺はパンを持ち


 エナを見る


「アト」


 エナが頷いた


「覚えた」


 たぶん


 最初の言葉


 その瞬間


「グギャ!」


 ルッカが限界だった


「あっ!」


 パンへ飛びつく


「待て!」


 俺の手から半分奪う


「お前!」


 もう食べている


「グギャ!」


「うまい?」


「グギャ!」


「そらよかったな!」


 残り半分


 俺も食べる


「…………」


 硬い


 少し酸味


 塩気


「塩!」


 ある


 薄い


 でも塩味


「塩あるやん!」


 感動


 パン


 塩


 穀物


「人間の町行きたい……」


 危険


 無理


 でも


「いつか絶対」


 ちゃんと話せるようになって


 普通に買い物


 飯


 パン


 塩


「夢増えた」


 エナとミラは俺たちを見る


 ミラの警戒はまだ強い


 当然


 でも


 杖は少し下がっている


「ちょっとだけマシ?」


 そう思いたい


 エナが俺の左腕を指す


「傷?」


 布


 頷く


「これ」


 噛む真似


 大きな獣


 痛い


 説明


 エナが何か言う


 分からない


 ミラも腕を見る


「…………」


 ミラが手を出す


 俺は反射的に後ろへ


「ごめん」


 怖い


 人間


 まだ


 完全には信用できない


 ミラも止まる


 エナが何か話す


 俺は考える


「見せるだけ?」


 ミラ


 傷


 手


「…………」


 治療?


 分からない


 でも


 昨日エナが草を採っていた


 今日ミラと一緒


 薬草に詳しい?


「ルッカ」


 見る


 ルッカは警戒


「俺、大丈夫」


 自分を指す


 ミラ


 傷


「見る」


 たぶん伝わらない


 それでも


 ゆっくり


 一歩


 前へ


 ミラは動かない


 距離


 まだある


「ここまで」


 俺は止まる


 左腕


 布を少しずらす


 傷を見せる


 ミラの顔が変わった


「悪い?」


 嫌な予感


 ミラがエナへ何か言う


 エナが籠から草を出す


「それ」


 見覚え


 俺たちが使っている草


「同じ?」


 エナが持つ


 俺の腰


 採ってきたもの


 俺も一本出す


 見せる


 ミラが目を細める


 手招き


「近づけって?」


 怖い


 でも


「……行く」


 一歩


 もう一歩


 ルッカもついてくる


「ルッカはそこで」


 止める


 俺だけ


 ミラの少し前


 草を地面へ置く


 下がる


 ミラが拾う


 見る


 匂い


 葉


「…………」


 頷く


「合ってる?」


 少し安心


 でもミラは別の草を出す


 似ている


「また似たやつ?」


 葉の裏


 茎


 何か説明


「分からん……」


 俺はしゃがむ


 ミラも距離を取ったまましゃがむ


 草を二本並べる


 俺たちの草


 別の草


 指


 傷


 俺たちの草


 頷く


 別の草


 何か別の動作


「…………」


 分からない


 でも


 少なくとも


 俺たちが使っていた草は


 人間側でも傷へ使うものらしい


「やっぱ薬草なんや」


 初めて少し確信が増えた


 ルッカを見る


「先生合ってたで」


「グギャ?」


「褒めてる」


 ミラが傷をもう一度見る


 何か言う


 短い


 エナも俺を見る


「…………」


 俺は腕を動かす


「大丈夫」


 痛い


 でも動く


 笑う


 ミラは少し考えてから


 籠から布を出した


「布?」


 きれい


 俺が巻いているものより


 ずっと


「…………」


 差し出す


「くれる?」


 ミラ


 布


 俺


 ミラが頷く


「…………」


 嬉しい


 でも


 少し怖い


 人間から物をもらう


 初日には考えられなかった


 俺は受け取る


「アト」


 覚えたばかりの音


「アト」


 ミラの目が少し大きくなる


 エナが笑った


「合ってる?」


 ミラが小さく頷く


「よし」


 人間語


 一個


 使えた


 ちゃんと


 相手に


 意味が通じた


「…………」


 胸が熱い


「すごいな」


 名前


 礼


 まだそれだけ


 でも


 昨日までゼロだった


 今日はゼロじゃない


「アト」


 もう一度


 布を胸へ


 頭を下げる


 ミラも少しだけ


 表情を緩めたように見えた


「…………」


 ルッカが俺の横へ来る


 布を見る


 パンがもうないことを確認


「お前はそこなん?」


「グギャ」


「肉もパンもないで」


 エナが笑う


 ミラも


 ほんの少し


 口元が動いた


「笑った?」


 人間


 ゴブリン


 森


 言葉はほとんど通じない


 それでも


 同じことで笑えた


「…………」


 こういうのでいい


 いきなり仲良くならなくていい


 怖がられてもいい


 俺も怖い


 一個ずつ


「名前からでええんや」


 セイジ


 ルッカ


 エナ


 ミラ


 礼の言葉


 それだけ


 今日はそれで十分


 少しして


 ミラが空を見る


 エナへ何か言う


 帰るらしい


「もう行く?」


 エナが俺たちを見る


「――……」


 分からない


 でも手を上げる


「またな」


 俺も手


「エナ」


 名前


「エナ」


 エナが自分を指して頷く


「セイジ」


 俺を指す


「そう」


 嬉しい


「ルッカ」


 ルッカ


「グギャ」


「ミラ」


 大人の女性


 小さく頷く


「覚えた」


 エナとミラが歩き出す


 俺たちは追わない


 その場


 見送る


 途中


 エナが振り返る


 手を上げた


「…………」


 俺も


「またな」


 森の向こうへ消える


 完全に見えなくなってから


「…………はぁ」


 力が抜けた


「緊張した」


 獣と戦うのとは違う


 人間と向き合う


 それだけで疲れる


 でも


「名前聞けた」


 エナ


 ミラ


「俺の名前も言えた」


 セイジ


「言葉も一個」


 アト


 意味


 おそらく礼


「…………」


 俺は笑った


「めっちゃ進んだやん」


 ルッカは籠を見る


「何?」


 中の実


「食うなよ」


 ルッカの手


「待て!」


 追いかける


「それ晩飯!」


「グギャ!」


「逃げんな!」


 森の中


 ゴブリン二匹


 籠を持って走る


「傷あるんやから走らすな!」


 しばらくして


 何とか実を守った


「お前、食料管理係には絶対せえへんからな」


 ルッカは不満そう


「適材適所や」


 拠点へ戻る


「ただいま」


 屋根


 壁


 焚き火跡


 変わらない


「帰ってきた」


 籠を置く


 今日の収穫


 橙色の実


 青い実


 白っぽい根


 傷用の草


 そして


 人間からもらった布


「…………」


 布を手に取る


 柔らかい


 清潔


「文明や」


 大げさではない


 今の俺には


 本当にそう感じる


「これ傷に使お」


 今巻いている汚れた布よりいい


 沢へ


 傷を洗う


 薬草


 潰す


 塗る


「っ……」


 しみる


「はいはい、知ってた」


 新しい布


 巻く


「おお」


 巻きやすい


 長さもある


「全然ちゃう」


 ルッカが結び目を手伝う


「ありがと」


 それから


「アト」


 人間語


 ルッカが首を傾げる


「これ、人間のありがとう」


 意味は伝わらない


 俺はルッカを指す


 布


 手伝ってくれた


「アト」


 頭を下げる


 次に


「ありがとう」


 ゴブリン語で意味を伝える


 ルッカの目が少し動く


「アト」


 俺


 ありがとう


「同じ」


 ルッカが


「ア……ト?」


「おお!」


 言った


「そう!」


「アト」


「うまいやん!」


 俺より発音いい気がする


「何でやねん」


 ルッカが得意そう


「いや、俺が教えたからな」


「アト」


「使い方ちゃうぞ」


 たぶん遊んでいる


「まあええわ」


 笑う


 夕方


 籠の改良


「持ち手」


 蔓


 左右


 結ぶ


「これで」


 持ち上げる


「おお!」


 片手で持てる


「完成度上がった!」


 少し重いものを入れる


 根


 実


「いける」


 振らない


「ルッカ、振るなよ」


 先に言う


 ルッカが手を引っ込める


「学習したな」


 次


「背負えるようにしたい」


 蔓を二本


 背中


「でも擦れそう」


 布があれば


 いや


 もらった布は傷用


「別の柔らかい素材探そ」


 今日は持ち手だけ


 十分


 夕飯


 根を焼く


 小さな火


 少ない魔力


 枯れ草へ移す


「よし」


 もうかなり安定している


 根


 焼く


 実


「パン……」


 昼にもらった半分


 もうない


「美味かったな」


「グギャ!」


「お前ほとんど食ったやろ」


 塩


 薄い塩味


「塩欲しい」


 人間の生活圏にはある


 穀物も


 金属の刃物も


 布も


 籠も


「文明ってすごいな」


 前世では当たり前だった


 今は


 一つ一つが宝物に見える


「でも」


 自分たちで作るのも楽しい


 屋根


 壁


 籠


 火


 食料


「両方やな」


 人間から全部もらうのではなく


 自分たちでできることを増やす


 足りないものは


 いつか交換できたら


「交換」


 物


 人間


 ゴブリン


「できるんかな」


 まだ遠い


 名前を伝えただけ


 礼を一つ覚えただけ


「焦らんとこ」


 今日の一歩を大事にする


 夜


 火の前


 俺は地面へ指で書く


「エナ」


 文字は分からない


 だから


 丸


「これエナ」


 人の顔のつもり


「…………」


 ひどい


「絵心ないな」


 隣


 もう一つ丸


「ミラ」


 髪を長く


「これミラ」


 さらに


 自分


「セイジ」


 ルッカ


「ルッカ」


 四つの丸


「何してんねやろ」


 でも


 覚えておきたい


 音


 顔


 状況


「エナ」


「ミラ」


「アト」


 声に出す


 ルッカも


「アト」


「それだけ覚えたん?」


「アト」


「便利な返事みたいに使うな」


 笑う


 火が揺れる


 森は暗い


 今日


 戦わなかった


 人間と


 ちゃんと


 向き合った


 怖かった


 向こうも怖かったはず


 でも


 名前を交換した


 パンをもらった


 布をもらった


 言葉を一つ覚えた


「…………」


 昨日


 いつか話せたらと思った


 今日


 ほんの少し


 話せた


「早かったな」


 もちろん


 会話と呼べるほどではない


 でも


「ゼロと一は全然ちゃう」


 俺は左腕を見る


 新しい布


 エナとミラ


 人間からもらったもの


「大事に使お」


 寝る


 今日は最初から岩陰


「外で寝るんちゃうん?」


 自分で言う


「寒いから無理」


 ルッカはもう横になっている


「詰めて」


 押す


 少し動く


「今日は素直やん」


 俺も横


 肩が当たる


 狭い


 でも


 慣れてきた


「家広げた意味ないな」


 外側は荷物置き場になっている


「まあええか」


 目を閉じる


 明日


 何をする


 食料


 刃物


 水


 家


 魔法


 言葉


「やりたいこと多すぎるな」


 でも


 生き残るだけではない


 やりたいことがある


 覚えたいことがある


 会ってみたい人がいる


「…………」


 エナ


 ミラ


 また会えるかは分からない


 会わないほうが安全かもしれない


 それでも


「次会ったら」


 もう一つ


 言葉を覚えたい


「一個ずつ」


 今日覚えた言葉を


 最後にもう一度


「アト」


 小さく呟く


 隣から


「アト」


「…………」


 目を開ける


「起きてるやん」


「グギャ」


「寝ろ」


 ルッカが笑った気配


 俺も笑う


 異世界で迎える五度目の夜


 人間の言葉は


 まだほとんど分からない


 それでも


 セイジ


 ルッカ


 エナ


 ミラ


 そして


 たった一つの短い言葉


 昨日まで音でしかなかった人間の声に


 初めて意味が生まれた日だった

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