森の薬草採り
第5回 森の薬草採り
朝
目を覚ました俺は、まず自分の胸の上を確認した
「……よし」
何もない
腕もない
足もない
ルッカも乗っていない
「今日は勝った」
何に勝ったのかは分からない
身体を起こす
昨日より厚くした葉と草の寝床が、かさりと音を立てた
背中も痛くない
「ええやん」
前世の布団と比べれば話にならない
それでも最初の夜とは大違いだ
身体を伸ばそうとして
「っ……」
左腕に痛みが走る
「忘れてた」
狼に噛まれた傷
これだけは朝になっても消えてくれない
布を見る
大量の血が滲んでいる様子はない
「悪化してへんかったらええけど」
俺には判断できない
岩陰の横を見る
「……ルッカ?」
いない
昨日は隣で寝ていた
外へ出る
簡易屋根
低い壁
焚き火跡
「ルッカ?」
返事なし
「どこ行ったんや」
一瞬
胸の奥がざわついた
帰った?
自分の住んでいた場所へ?
「…………」
それは当然かもしれない
ルッカにはルッカの生活がある
俺と一緒に暮らすと約束したわけでもない
たまたま会って
一緒に獲物を捕って
飯を食って
二晩ここで寝ただけ
「そら、帰ることもあるか」
分かっている
分かっているけど
「せめて言うてくれたらええのに」
ゴブリン語でどう言えばいいのか分からないが
少し寂しい
昨日まで二人だった場所が、急に広く感じる
「……沢行こ」
まず水
傷も洗いたい
岩陰から離れようとしたところで
がさがさ
「ん?」
森の中から音
右手を上げかける
「グギャ」
「ルッカ!」
茂みから出てきた
両腕いっぱいに草を抱えている
「おったんかい!」
「グギャ?」
「いや、何でもない」
安心した
自分でも驚くくらい
「どこ行ってたん?」
ルッカは抱えている草を見せる
「草?」
「グギャ」
その中から一本取る
見覚えがある
「あ」
細長い葉
昨日も一昨日も、俺の左腕へ塗ったもの
「傷のやつ?」
ルッカが俺の左腕を指す
「やっぱそうなんや」
朝から採りに行ってくれていたらしい
「……俺のため?」
「グギャ?」
自分を指す
左腕を指す
草を指す
「俺、これ?」
ルッカは頷いた
「…………」
少し言葉が出なかった
「ありがと」
ルッカはもう草を地面へ置いている
たぶん、俺が何を感じたのかまでは分かっていない
それでいい
「ほんま、ありがとな」
沢へ行く
水を飲む
顔を洗う
左腕の布を外す
「さて」
傷を見る
「……昨日よりマシ?」
分からない
赤みはある
痛みもある
ただ、最初に噛まれたときのような激痛ではない
腕も動く
指も動く
「熱は……」
自分の額を触る
ゴブリンの平熱を知らない
「意味ないな」
傷を水で洗う
「っ」
やはり痛い
ルッカは近くの石へ草を置き、別の石で潰し始めた
「今日もそれやるん?」
「グギャ」
「やっぱり?」
逃げたい
でも治したい
「……お願いします」
腕を差し出す
潰した草
傷へ
「いっ!」
しみる
「毎回これ痛いねん!」
ルッカは無視
「ちょっと待って、心の準備!」
さらに塗られる
「痛い痛い!」
押さえられる
「治療される側の人権!」
人ではない
「ゴブリン権!」
そんなものがあるのかも知らない
処置終了
布を巻く
「……ふぅ」
ルッカは満足そう
「お前、絶対楽しんでへんよな?」
「グギャ?」
「ならええ」
たぶん
岩陰へ戻る
朝飯は昨日見つけた橙色の実
ルッカが取ってきた分が少しある
「肉食いたいな」
「グギャ!」
「反応早っ」
肉という意味だけは完璧に通じているらしい
「今日は無理して狩らんぞ」
左腕を見せる
「これ治るまで、大物はなし」
ルッカは少し不満そう
「昨日、根っこも食ったやろ」
「グギャ」
「肉?」
「グギャ」
「はいはい」
食いしん坊というより肉食いしん坊だ
橙色の実を食べる
酸っぱい
でも空腹なら十分ありがたい
「食べられるもん、もっと知りたいな」
昨日
実
根
二つ増えた
でも安定した生活には足りない
季節が変わったらどうなるかも分からない
実がなくなる可能性もある
「ルッカ」
俺は橙色の実を見せる
「食べる」
次に森を指す
「他」
別のものを探す仕草
「食べる、他」
ルッカが首を傾げる
「うーん」
伝えるのが難しい
橙色の実
昨日の根を思い出して地面を指す
肉の真似
口へ運ぶ
「食べ物」
森全体を指す
「探す」
ルッカの目が少し動く
「グギャ?」
――採る?
「そう、それ!」
たぶん
「採る!」
ルッカが立ち上がった
「行く?」
頷く
「よし」
今日の仕事決定
食料探し
それと
俺はルッカが朝に持ち帰った草を見る
「これも」
傷へ使った草
「もっとある?」
ルッカが森を指す
「採りたい」
食べ物だけじゃない
傷へ使える草
今の俺には重要だ
「薬草採りやな」
正式に薬草なのかは分からない
でも少なくともルッカは傷へ使っている
「今日は採取の日」
薄く割れた石を持つ
水を飲む
岩陰を見る
「行ってきます」
誰も残っていない
「……これ言う意味ある?」
でも何となく言いたかった
ルッカと森へ入る
今日は沢沿いだけではない
ルッカが先頭
俺が後ろ
「ゆっくりな」
左腕がある
走りたくない
ルッカも俺の状態を分かっているのか、昨日より速度が遅い
森を歩く
朝の光
鳥の声
葉の擦れる音
遠くの水音
何度か立ち止まり
俺は周囲へ意識を広げる
《魔力感知》
自分の内側
そこにある魔力
さらに外
薄い何か
「やっぱある気すんねんな」
昨日までと同じ
確証はない
ただ
何も感じないわけではない
森全体に薄く広がるもの
場所によって
「……濃さ違う?」
気のせいかもしれない
右側
少し強い気がする
俺は立ち止まる
「ルッカ」
「グギャ?」
右を指す
「あっち」
ルッカが見る
しばらくして歩いていく
「何かある?」
ついていく
少し進むと
「あ」
倒木
その周囲に小さな白い花が咲いていた
「花?」
ルッカは興味を示さない
「ちゃうか」
俺が感じたものと関係があるのかも分からない
「偶然やな」
決めつけない
覚えておくだけ
さらに進む
ルッカが途中で何度も止まる
植物を見る
匂いを嗅ぐ
葉を裏返す
たまに採る
「それ食べる?」
「グギャ」
首を振る
「薬?」
左腕を指す
ルッカはまた首を振る
「じゃあ何?」
答えは伝わらない
細い葉を束ねて腰へ挟んだ
「紐とか?」
分からない
森の植物は食べ物と薬だけではない
材料にもなる
「覚えること多いな」
前世なら
店へ行けばよかった
薬は薬局
食べ物はスーパー
道具はホームセンター
必要ならネット通販
「Amazonないもんな」
「グギャ?」
「便利な魔法の店」
そんな説明で合っているのか
「何でも届くねん」
ルッカが首を傾げる
「せやんな」
俺も自分で言っていて、この世界では魔法より不思議に聞こえる気がした
しばらくして
ルッカが止まった
「ん?」
地面
低い草
その中に、朝使ったものと同じような細長い葉
「あった」
しゃがむ
「これやんな?」
取ろうとする
「グギャ!」
止められた
「え?」
ルッカが俺の手を掴む
隣を指す
「…………」
似た草がある
俺にはほぼ同じに見える
「何が違うん?」
ルッカは片方を指す
次に俺の腕
「こっちが傷?」
頷く
もう片方
ルッカが顔をしかめる
口元を押さえる
「……毒?」
意味が通じたかは分からない
でも、良くないものなのは間違いなさそうだ
「危なっ」
手を引く
並べて見る
葉の幅
色
根元
「……分からん」
よく見る
「あ」
葉の縁
傷へ使うほうは滑らか
もう片方は細かくぎざぎざしている
「これ?」
縁を指す
ルッカが頷く
「なるほど」
さらに匂い
傷用の草は青臭い
もう片方は少し刺激のある匂い
「似てるからって適当に採ったらあかんな」
重要
かなり重要
「一人で薬草マスター気取らんようにしよ」
ルッカが正しいほうだけ採る
俺も真似する
一本ずつ確認
葉の縁
匂い
根元
「これ」
ルッカへ見せる
頷く
「よし」
もう一本
「これは?」
首を振られる
「危な!」
間違えた
見比べる
「あ、ぎざぎざ」
少しずつ
覚える
三本目
「これは?」
頷く
「よし」
四本目
頷く
「きた」
五本目
ルッカが少し考え
首を振る
「何で?」
葉の裏を見せられる
小さな黒い点
「虫?」
使わないほうがいいらしい
「難易度高いな、薬草採り」
それでも
少し楽しい
昨日は家
今日は採取
戦闘ではない
暮らすための知識が増えている
「こういうのでええねん」
俺は草を数本まとめた
問題
「持つもんない」
容器
またこれ
採っても持ち帰れない
手で持てる量には限界がある
「袋欲しいな」
ルッカは腰に草を挟んでいる
「それしかないか」
俺も腰の布へ挟む
「……見た目が完全に森のゴブリンやな」
いや
実際そうなのだが
「前世の俺が見たら泣くで」
少し笑う
移動再開
途中でルッカが別の実を見つける
濃い青色
「これ食える?」
ルッカが食べる
「確認方法が身体張りすぎやねん」
知っているから食べているのだろう
俺も一つ
「……苦い」
少し渋い
「橙色のほうがええな」
でも食べられるらしい
いくつかだけ採る
さらに
大きな葉の根元に、小さな丸い塊
「これも?」
ルッカが掘る
土の中から白っぽい根
「食べる?」
頷く
「増えた」
食料候補
少しずつ
ほんの少しずつ
生活が安定へ近づいている気がする
「籠欲しいな」
採るものが増えるほど、持ち運びが問題になる
枝
葉
実
根
薬草
「編めへんかな」
細い蔓
枝
前世で籠を編んだことはない
「帰ったら試す?」
ルッカへ言う
もちろん細かい意味は伝わらない
でも蔓を指し
丸い形を手で作り
中へ物を入れる仕草
ルッカが首を傾げる
「まあ、帰ってからやな」
そのとき
ルッカが急に止まった
「ん?」
姿勢が低くなる
槍を握る
俺も止まる
「何?」
ルッカが耳を動かす
俺も耳を澄ます
森
風
葉
鳥
「…………」
何か
聞こえた
がさ
遠い
もう一度
ばき
「動物?」
ルッカは答えない
俺は右手を空ける
薬草は腰
薄い石は反対側へ
魔力
まだ集めない
まず確認
昨日までに学んだ
何か見つけたからといって、すぐ魔法を構える必要はない
ルッカがゆっくり進む
俺もついていく
木の陰
茂み
さらに先
「…………?」
音が変わった
獣の声ではない
「……声?」
高い
短い
何か叫んでいる
意味は分からない
でも
俺はこの種類の音を知っている
「人間……?」
身体が固まった
初日
三人
武器
矢
逃走
あの記憶が一気に戻る
「ルッカ、待って」
腕を掴む
ルッカが俺を見る
「人間」
自分の姿
前方
逃げる仕草
「行かん」
ルッカも警戒している
俺は後ろを指す
「戻ろ」
関わらない
今度こそ
初日の失敗を繰り返さない
人間から見れば、俺たちはゴブリン
しかも二匹
ルッカは槍を持っている
俺は魔法を使う
「絶対あかん」
見つかる前に離れる
そう決めて
後ろへ一歩
そのとき
「――ッ!」
また声
「…………」
言葉は分からない
でも
叫び方
恐怖
それくらいは分かる
続いて
どん
重い音
枝が折れる
何か大きなものが動いている
「…………」
嫌な予感しかしない
「帰ろ」
自分へ言う
「俺ら関係ない」
ルッカを見る
「帰るで」
ルッカは俺を見ている
前方から
また声
今度は短い
悲鳴に近い
「…………」
足が動かない
「やめろって」
誰に言っているのか
自分にだ
「関わったらあかん」
初日に殺されかけた
正確には、少なくとも俺には攻撃されたようにしか見えなかった
向こうにも理由はあった
それは分かっている
でも怖いものは怖い
「俺、ゴブリンやぞ」
助けに行って
人間から攻撃されたらどうする
ルッカまで危険になる
「…………」
また
音
どん
ばき
何かが木へぶつかった
そのあと
人間の声
弱い
「……くそ」
俺は目を閉じた
前世でもそうだった
見なかったことにすればいい場面
関わらなければ面倒にならないこと
自分に責任なんてないこと
それでも
困っていると分かったら
気になる
「ほんま、この性格……」
異世界まで持ってこなくていい
もっと自分優先でいい
今は生き残ることが最優先
そう決めた
「…………」
目を開ける
「見るだけ」
ルッカを見る
「見るだけやからな」
自分に言っている
ルッカは首を傾げる
「危なかったら逃げる」
後退する仕草
「すぐ逃げる」
ルッカは少し考えてから頷いた
「よし」
音の方向へ
ゆっくり
木を盾にする
茂みから覗く
「…………」
人間
一人
女の子
いや
年齢は分からない
俺よりは大きい
人間だから当然だ
明るい色の髪
森を歩くためなのか、動きやすそうな服
地面には籠
中身が散らばっている
草
小さな道具
そして
「何や、あれ」
その少し先
大きな獣
猪
に見える
ただし
「でかすぎるやろ」
前世で知っている猪より明らかに大きい
俺が小さいせいもある
それを差し引いても大きい
黒褐色の毛
太い首
口元から伸びる牙
片方が異様に長い
地面を前足で掻いている
女の子は木を背にしている
逃げ道がない
「最悪や」
猪みたいな獣が突進
「――ッ!」
人間の女の子が横へ飛ぶ
牙が木へ
どん
木が揺れる
「うそやろ」
あれ食らったら終わる
女の子は立ち上がろうとして
崩れた
「足……」
片足を押さえている
怪我している
走れない
「…………」
俺はルッカを見る
ルッカも獣を見ている
「勝てる?」
聞いても意味は伝わらない
そもそも俺にも分からない
狼一匹で死にかけた
今はLEVEL2
でも左腕負傷中
相手は狼より重そう
「正面からは無理」
倒す必要はない
助けるなら
逃がす
「追い払うだけ」
俺は地面を見る
女の子
獣
森
逃げられる方向
「ルッカ」
俺は自分を指す
次に獣
火を出す仕草
そのあと横を指す
「こっち」
ルッカを指す
槍
反対側
「そっち」
挟む
追い払う
伝わるか
ルッカは俺の手を見る
獣を見る
少し考える
そして
右側へ動いた
「分かったん?」
たぶん
「無理すんなよ」
俺も左側へ
木の陰を使う
距離を取る
獣が再び女の子へ向く
「間に合え」
魔力を集める
右手
昨日試した小さな火ではない
戦闘用
でも
当てる必要はない
火弾
狙うのは
獣の顔の前
「いけ!」
火の塊が飛ぶ
ぼっ
地面へ着弾
火と土が弾ける
「ブォッ!」
獣が驚いて後退
「こっちや!」
俺は声を出す
当然ゴブリンの声
「ギャッ!」
獣がこちらを見る
「そう」
女の子から意識を外す
「俺見ろ」
怖い
めちゃくちゃ怖い
でも距離はある
木もある
獣が前足で地面を掻く
「来る?」
魔力
次
火弾
今度は獣の横
ぼっ
炎
「ブォォッ!」
反対へ避ける
そこに
「グギャッ!」
ルッカ
木の陰から飛び出し、槍で地面を叩く
獣が方向を変える
「ええぞ!」
俺
ルッカ
左右
火
音
獣は混乱している
女の子から離れた
「そのまま行け」
獣が俺を見る
「いや、こっちは来んな」
一歩
前へ
「来んなって」
前足
地面
「…………」
嫌な予感
「ルッカ!」
獣が走った
「うわっ!」
俺へ
「速っ!」
逃げる
木
横へ
左腕を庇う
獣が通過
すぐ方向転換
「嘘やろ!」
火弾
間に合わない
俺は木の裏へ
どん
獣が木へぶつかる
「っ!」
衝撃
身体が震える
「怖っ!」
木を挟んで回る
獣も追う
「こっち来んな!」
右手へ魔力
近い
火弾
顔へ当てれば大怪我させる
でも
「しゃあない!」
撃とうとした瞬間
「グギャッ!」
ルッカの槍が獣の横腹を浅く突いた
「ブォォッ!」
獣がルッカへ向く
「ルッカ!」
今度は俺
「こっち!」
火弾
獣の足元
ぼっ
獣が跳ねる
ルッカが離れる
「よし!」
倒すんじゃない
逃がす
火
音
痛み
危険だと思わせる
「もう一発……」
魔力を集める
少し重い
「使いすぎたらあかん」
でも今は
獣が再び俺たちを見る
俺は火弾を手の上へ出す
撃たない
見せる
「来んな」
火が揺れる
ルッカも槍を構える
二人
獣
数秒
「…………」
長い
獣が鼻を鳴らす
一歩
下がった
「そう」
もう一歩
「行け」
突然
身体を反転
森の奥へ走った
「…………」
音が遠ざかる
「…………行った?」
まだ構える
ルッカも動かない
しばらく待つ
戻ってこない
「……はぁぁぁ」
火を消す
その場へ座りそうになる
「怖かった……」
狼とは違う
あんな塊に突っ込まれたらどうなっていたか
「ルッカ、大丈夫?」
ルッカを見る
「グギャ」
怪我はなさそう
「よかった」
俺も
左腕
少し痛む
走ったせい
でも噛み傷が開いた感じはない
「ほんま、無茶したらあかんな」
そして
思い出す
「人」
振り返る
女の子
まだいる
木の根元
俺たちを見ている
「…………」
「…………」
目が合った
まずい
その顔に浮かんでいるもの
恐怖
完全に
俺たちを怖がっている
「そらそうや」
ゴブリン二匹
一匹は槍
一匹は魔法
獣を追い払った直後
初日の再現になりかねない
「近づかんとこ」
俺はルッカの前へ腕を出す
「待つ」
その場
女の子との距離を保つ
女の子が何か言う
「――……?」
「…………」
分からない
人間語
初日と同じ
ただ
今は落ち着いて聞ける
「もう一回」
俺が言ってもゴブリン語になる
女の子はさらに何か言う
「――……だい、……?」
「…………だい?」
音
意味は分からない
でも一部分だけ耳に残った
「……今、何か聞こえた?」
日本語ではない
当然
ただ
初日は全部が一つの音の塊だった
今は
少しだけ
切れ目があるように感じた
「気のせいか」
女の子は足を押さえる
立とうとする
「危ない」
反射的に一歩出る
「――ッ!」
女の子が身体を強張らせる
「あ」
止まる
「ごめん」
両手を見せる
「行かへん」
伝わらない
座る
その場にしゃがむ
「これなら?」
攻撃しない
近づかない
女の子は俺を見る
ルッカを見る
また俺
しばらくして
地面の籠を見る
「あれ?」
籠
獣に襲われたときに落としたもの
俺たちと女の子の間
少し俺たち寄り
中身は散らばっている
「薬草?」
見覚えがある
俺の傷へ使っている草と似たもの
他にも何種類か
「この子も採りに来てたん?」
道具
小さな刃物
布
籠
「……欲しい」
籠
めちゃくちゃ欲しい
今日ずっと欲しいと言っていた
水は無理でも
草
実
根
全部運べる
「…………」
手を伸ばせば
取れる
人間は怪我している
俺たちを止められない
「いやいや」
頭を振る
「何考えてんねん」
人のものだ
「返す」
ルッカを見る
籠を指す
女の子を指す
「これ、あの人」
ルッカは籠を見る
中に残っている草を見る
「食べ物ちゃうぞ」
たぶん
俺はゆっくり籠へ近づく
女の子が緊張する
「大丈夫」
伝わらない
「取らへん」
籠を拾う
「軽っ」
編んである
細い枝か蔓
作り方を見たい
「後で」
今は返す
散らばったものも拾う
草
小さな道具
布
刃物
「刃物……」
石じゃない
光る
「金属や」
初めて近くで見る
欲しい
「……あかんあかん」
誘惑が多い
全部籠へ
女の子を見る
「そこ置くで」
近づけば怖がらせる
俺と女の子の中間より、少し女の子側
地面へ置く
それから下がる
一歩
二歩
三歩
「これでええ?」
女の子は籠を見る
俺を見る
「…………」
何か言う
「――……とう」
「…………?」
耳に残る
「とう?」
何だ
意味は分からない
でも
さっきとは違う音
状況
籠を返した
女の子が何か言った
「…………」
もしかして
「ありがとう……とか?」
いや
この世界の言葉が日本語と同じはずはない
音そのものではない
意味を勝手に想像しただけ
「状況から分かるだけやな」
それでも
大事かもしれない
言葉
音
状況
何度も重ねれば
「覚えられる?」
可能性
初めて見えた
女の子が籠へ手を伸ばす
引き寄せる
中身を確認
小さな刃物もある
「よかった」
俺は立つ
「ルッカ」
帰ろう
後ろを指す
「帰る」
ルッカが頷く
女の子を見る
まだ怖がっている
でも
最初に目が合ったときとは少し違う
少なくとも
今すぐ武器を振り回すような様子はない
「ほな」
手を上げる
通じるか分からない
「俺ら行くから」
背を向けるのは怖い
少しずつ距離を取る
ルッカも一緒
女の子は動かない
俺たちを見る
十歩
二十歩
木々の間
見えなくなる直前
後ろから声
「――……!」
振り返る
女の子がこちらを見ている
「…………」
何を言った
分からない
でも
俺は軽く手を上げた
「またな」
ゴブリンの声
伝わらない
それでも
初日のように
ただ逃げるだけではなかった
森を戻る
しばらく無言
俺は自分の胸を押さえる
「……心臓まだ速いわ」
人間
怖かった
獣も怖かった
「関わらんって決めてたのにな」
また助けた
いや
俺とルッカで獣を追い払っただけ
「でも」
女の子は生きていた
「よかった」
それでいい
ルッカを見る
「ごめんな」
「グギャ?」
「巻き込んだ」
自分
人間のいた方向
ルッカ
頭を下げる
伝わったか分からない
ルッカは少し俺を見る
そして
「グギャ」
俺の腰を指した
「ん?」
薬草
「あ」
採った草が半分くらい落ちている
「うそやろ!」
戦っている間に落とした
「今日の成果!」
ルッカが笑う
「笑うな!」
残った薬草
数本
青い実も少し
根は
「ない!」
落とした
「最悪や」
ルッカはまだ笑っている
「命助かったんやからええけど!」
帰り道
ルッカが食べられるものを少し追加で採ってくれた
「優しいやん」
俺も手伝う
今度は落とさないよう腰へしっかり挟む
「やっぱ籠やな」
さっきの籠
便利そうだった
軽い
たくさん入る
両手も空く
「作りたい」
編み方は見ていない
でも形は見た
「丸く編むんやろ」
細い枝か蔓
できるかもしれない
「帰ったら挑戦や」
岩陰が見える
「ただいま」
朝
誰もいない場所へ言った言葉
今は
隣にルッカがいる
「一緒に帰ってきてるから、ただいま言う相手おらんな」
でも
帰ってきた
そう思える
屋根
壁
寝床
昨日作ったまま
「壊れてへん!」
地味に嬉しい
ルッカが壁へ寄りかかろうとする
「待て!」
止める
「それは壊れる!」
ルッカが不満そう
「昨日壊したやろ!」
平和
さっきまで巨大な獣と向き合っていたのが嘘みたいだ
採ったものを屋根の下へ並べる
傷用の草
青い実
白っぽい根
途中で拾った別の葉
「結構あるやん」
半分落とした割には悪くない
「まず」
籠
作ってみたい
細い蔓を集める
ルッカも手伝う
「さっき人間が持ってたやつ」
丸
籠の形
「こういうの」
ルッカが考える
蔓を見る
一本取る
曲げる
「お?」
輪
「分かるん?」
もう一本
絡ませる
「おお」
ルッカも似たものを見たことがあるのか
それとも俺の動きから理解したのか
「二人でやったらいける?」
輪を作る
底
「まず下やろ」
蔓を交差
さらに一本
ぐちゃぐちゃ
「…………」
持ち上げる
崩れる
「難しっ!」
ルッカが笑う
「お前もできてへんからな!」
再挑戦
今度は蔓を最初に結ぶ
「昨日覚えた結び方」
固定
交差
少しずつ
「お」
底らしきもの
「できてる?」
持ち上げる
崩れない
「きた!」
横
立ち上げる
別の蔓をぐるぐる
「これ籠ちゃう?」
見た目はひどい
隙間だらけ
丸くもない
「……鳥の巣?」
ルッカが覗く
「笑うなよ」
青い実を一つ入れる
ころ
隙間から落ちた
「…………」
ルッカが笑う
「分かってた!」
隙間を小さくする
もう一本
さらに一本
「これなら」
実
入れる
落ちない
「よし!」
二つ
三つ
大丈夫
「籠や!」
持ち手はない
形も歪んでいる
底も不安
でも
「物入る!」
俺は本気で嬉しかった
魔法を覚えたときとは違う
自分で作った
生活の道具
「明日これ持って採りに行けるやん」
ルッカが手を出す
「壊すなよ」
渡す
ルッカが持ち上げる
振る
「振るな!」
実が飛ぶ
「ほら!」
拾う
「籠は振り回すもんちゃう!」
ルッカは楽しそう
「子供か」
年齢知らないけど
夕方
火をつける
昨日覚えた方法
少ない魔力
小さな火
飛ばさない
枯れ草へ
ぼっ
「よし」
昨日より自然にできた
「これ便利やな」
戦闘用の火弾ほど魔力を使っていない感覚がある
正確な量は分からない
でも身体への負担は軽い
「練習したらもっと上手くなるかもな」
今日の戦闘では普通の火弾を何発か使った
魔力は減っている
「今日はもう魔法なし」
緊急時以外
飯
焼いた根
青い実
少し物足りない
「肉……」
「グギャ!」
「分かったって!」
明日
傷の具合がよければ、小さい獲物を狙ってもいいかもしれない
食べながら
今日の人間を思い出す
「女の子」
何者だったのか
服
籠
草
刃物
「薬草採り?」
俺たちと同じようなことをしていた
森へ来る人間
初日の三人とは違った
武器らしい武器も持っていなかった
「近くに住んでんのかな」
人間の生活圏
初日にも三人いた
今日も一人
「近いんやろな」
俺たちの岩陰がどれくらい近いのかは分からない
危険かもしれない
「…………」
ルッカを見る
ここ
気に入っている
でも人間に見つかったら
「引っ越しも考えなあかん?」
嫌だ
せっかく屋根まで作った
「まだ決めんでええか」
今日の女の子が誰かを連れてくる可能性もある
俺たちを助けてくれたゴブリンだと言うか
危険なゴブリンがいると言うか
そもそも何も言わないか
分からない
「人間からしたら怖いやろしな」
俺だって
前世で森の中にゴブリンが二匹いたら逃げる
「しかも魔法撃つし」
余計に怖い
ただ
今日
初めて
人間と会って
誰も傷つけずに別れた
「…………」
それは
小さいけれど
俺にとっては大きい
「話せたらな」
今日聞いた音
最初の言葉
籠を返したときの言葉
最後の声
「覚えといたほうがええな」
意味はまだ分からない
でも音と状況
結びつける
「子供が言葉覚えるみたいに?」
そう考えれば
できる気がする
俺には前世の記憶がある
言語を学ぶという概念も知っている
「一個ずつや」
今日
薬草を一つ覚えた
食べ物を増やした
籠らしきものを作った
人間の言葉らしき音を少し意識して聞いた
「十分やろ」
巨大な猪みたいな獣との戦闘は余計だったが
「いや、あれはほんまいらんかった」
左腕を見る
悪化していないことを願う
食後
沢で水を飲む
傷を洗う
今日採った草を使う
「自分でやってみる」
ルッカが草を取ろうとする
「今日は俺」
石の上
潰す
「これくらい?」
ルッカが見る
もう少し潰す
「こう?」
頷く
「よし」
傷へ
「…………」
自分で塗る
「いっ!」
痛い
「自分でやっても痛いやん!」
当たり前
ルッカが笑う
「何笑ってんねん!」
でも
処置できた
布を巻く
片手では難しい
最後だけルッカに手伝ってもらう
「ありがと」
また一つ
できることが増えた
夜
焚き火
屋根
低い壁
歪んだ籠
その中に少しだけ残した実
「…………」
眺める
「生活感出てきたな」
ルッカは寝床へ行こうとする
「待て」
止める
「今日は外側使おうや」
昨日作った追加寝床
「二人で岩陰狭いやろ」
俺は外側へ横になる
「ほら」
屋根がある
壁もある
寝床も葉と草
「いけるいける」
ルッカは岩陰へ
「お前そっちなん?」
当然のように横になる
「俺だけ外?」
ルッカが目を閉じる
「…………」
少し寂しい
「いや、昨日自分で別々に寝る言うたやん」
自分で突っ込む
外側へ横になる
空は見えない
葉の屋根
風が少し入る
岩陰より寒い
「…………」
数分
「寒いな」
返事なし
「ルッカ?」
寝ている
「…………」
俺は起きる
岩陰へ
「ちょっと詰めて」
ルッカを押す
「グギャ……」
「今日だけ」
昨日も言った気がする
横になる
肩が当たる
「やっぱこっちやな」
狭い
でも暖かい
外より安心する
目を閉じる
今日の人間の顔が浮かぶ
最初は
恐怖
最後も怖がっていた
でも
少しだけ違った
そう思いたいだけかもしれない
「……名前も知らんな」
当然
話せない
向こうも俺の名前を知らない
「いつか」
もし
また会うことがあったら
一つでも
言葉が分かればいい
敵じゃない
それだけでも伝えられたら
「ええな」
隣から寝息
森の音
遠くで何かが鳴く
今日は怖いこともあった
それでも帰ってきた
二人とも
無事に
明日は
何をしよう
籠をもっとまともにする
食べ物を探す
傷を治す
石の刃物を作る
やりたいことが増えている
「忙しいスローライフやな」
小さく笑う
でも
嫌ではない
生きるためだけだった毎日に
少しずつ
暮らすための予定が増えていた
俺は左腕を庇いながら身体を丸める
異世界で迎える四度目の夜
今日
俺は初めて
人間を見ても逃げるだけではなかった
言葉は通じなかった
名前も知らない
怖がられた
それでも
助けて
拾ったものを返して
距離を取って別れた
それだけ
たったそれだけのことが
いつか人間とちゃんと話せるかもしれないという、小さな希望になっていた




