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使ったら、戻す

第49回 使ったら、戻す


目を覚ましたとき、最初に聞こえたのは、岩陰の外を抜けていく風の音だった


昨日まで第二水場にいた人間たちの気配はもうなく、森はいつもの朝へ戻っている


けれど、俺には何となく、昨日までと同じ朝には思えなかった


寝床から体を起こし、入口の方を見る


少し離れた場所では、ルッカがすでに起きていた


岩陰の隅に置いてある器を確かめ、残っていた水を少し飲んでいる


「おはよう」


そう声をかけると、ルッカが振り返った


「おはよう」


短い返事のあと、ルッカは器を元の場所へ戻す


その何でもない動きを見て、俺は少しだけ笑った


使ったら戻す


ただ、それだけのことだ


前世で暮らしていた部屋でも、職場でも、それができていれば困らないことは多かった


そして大抵、困るときは誰かが戻していなかったときだった


もっとも、自分も人のことを言えたものではない


探している物が見つからず、十分近く探したあと、昨日の自分が別の場所へ置いていたことに気づく


そんなことも、一度や二度ではなかった


岩陰拠点では、それほど困ることはない


ここに住んでいるのは、基本的に俺とルッカだけだ


置き場所も二人が分かっていればいい


だが第二水場は違う


昨日、交易の一行を送り出すまでの騒ぎを思い返す


布を使った


縄を使った


水を運ぶ器も使った


治療の道具も動いた


荷車の確認に使った道具もあり、休憩場所から持ち出された物もあった


必要だったから使った


それ自体は何も悪くない


むしろ、使うために置いていた物だ


問題は、そのあとだった


「……見に行くか」


俺が呟くと、ルッカが首を傾げた


「第二水場?」


「うん」


昨日の片付けを全部終えたつもりではいる


だが、緊急時に使った物まで完璧に元へ戻せていたかと聞かれると、自信がなかった


二人で簡単な朝食を済ませ、岩陰拠点を出る


森の中は静かだった


交易の一行が通った道には、まだ新しい足跡や車輪の跡が残っている


ルッカはそれらを眺めながら歩き、時折、地面や木々の間へ視線を向けていた


俺も《魔力感知》を薄く広げている


森の中に特別大きな反応はない


最近は第二水場へ向かうだけでも、以前ほど強く緊張することはなくなった


それが油断になってはいけない


けれど、毎回命懸けで歩かなければならなかった頃と比べれば、大きな変化だ


しばらく歩き、第二水場が見えてくる


水辺の小屋


休憩できる場所


簡単に整えられた地面


物を置く場所


人が通るための道


ここまでに少しずつ増えてきたそれらを見て、俺は足を止めた


最初はただ、水があるだけの場所だった


自分とルッカが使い、人間たちも時々使うようになり、怪我人を休ませ、荷物を置き、話をする場所になった


昨日は、交易の一行までここで休んだ


第二水場はもう、単なる水場ではない


とはいえ、村でもなければ町でもない


誰かが常に住んでいるわけでもない


だからこそ、中途半端だった


「……やっぱり」


俺は小屋の近くへ歩いていく


縄が一本、普段とは違う場所に置かれていた


濡れてはいない


傷んでもいない


だが、いつもの場所ではない


少し離れたところには空の器があり、その隣には昨日使ったと思われる布がまとめて置かれている


布は汚れたものと、まだ使えるものが混ざっていた


「これ、昨日の?」


ルッカが聞く


「たぶん」


俺はしゃがみ込み、一枚ずつ確認する


血がついたもの


泥がついたもの


一度水で洗ったらしいもの


ほとんど汚れていないもの


全部まとめて置いてある


緊急時なら仕方がない


けれど、次に誰かが怪我をしたとき、ここから清潔な布を探すのは危ない


「分けた方がいいな」


「きれい、汚い?」


「うん、それ」


ルッカはすぐに二つの場所へ布を分け始めた


俺も手伝おうとしたところで、森の向こうから足音が聞こえてくる


《魔力感知》でも、知っている反応が近づいていた


やがて姿を見せたのはエナとダリオ、その後ろからローデンとミラだった


昨日まで交易の一行への対応で忙しかったというのに、四人とも朝からここへ来たらしい


「セイジ、もう来てたのね」


エナが声をかけ、すぐに布の山へ目を向けた


その表情が変わる


「それ、昨日の?」


「うん、きれいと、汚い、いっしょ」


まだ途切れ途切れではあるものの、俺は知っている人間語を組み合わせて答えた


エナは頷きながら近づき、しゃがみ込む


布を数枚確認したあと、少し困った顔になった


「これは分けないと駄目ね」


俺には全部は聞き取れなかったが、意味は分かる


「同じ」


そう言って自分を指し、それから布を指す


「思った」


エナが少し笑った


「なら話が早いわ」


その横で、ローデンが小屋の中を覗き込んでいる


やがて低い声が聞こえた


「俺の道具がないな」


ダリオが振り返る


「昨日使ってただろ」


「使った」


「なら、お前が持ってるんじゃないのか」


「戻した」


「本当に?」


「……たぶん」


ミラが吹き出した


ローデンが不満そうに眉を寄せる


「笑うなよ」


「だって、今の自信のなくなり方が」


俺も何となく会話の流れを察した


「ない?」


ローデンの方を見て尋ねると、ミラが簡単な言葉に直してくれた


「ローデン、道具、探してる」


「どれ?」


ローデンが手振りを交えながら形を示す


どうやら昨日、荷車の確認に使っていた道具らしい


俺も見覚えがあった


「あ」


思い出した


昨日、交易の一行が出発する直前、荷車の近くから別の道具と一緒に運ばれていた


その後、誰かが休憩場所の端へまとめていた気がする


俺がそちらへ向かうと、木箱の陰に目的の物があった


「これ?」


「それだ」


ローデンが受け取り、少しだけ黙る


ダリオが腕を組んだ


「戻ってないな」


「俺が置いたとは限らん」


「でも使ったのはお前だ」


「お前も持ってただろう」


「一回だけな」


「じゃあお前かもしれん」


二人が言い合い始める


険悪というほどではない


ただ、どちらも少しだけ自分のせいにはしたくないらしい


ルッカが俺の隣へ来て、小さな声で言った


「どっち?」


「分からない」


「セイジは?」


「俺も昨日、色々動かした」


「じゃあ、みんな?」


「……それが一番ありそう」


ミラがこちらを見た


「何の話?」


俺は少し考え、知っている単語を探す


「みんな、使う」


第二水場を指す


それから、ローデンの道具を指し、元の棚を指す


「使う、あと……戻す」


言葉が足りない


ミラが少し考えたあと、目を細める


「使った物は、使い終わったら元の場所に戻す?」


「それ」


俺がすぐ頷く


「それ、したい」


ローデンとダリオも言い合いを止めた


エナは布を持ったまま周囲を見回す


「確かに必要ね」


昨日のようなことが起きれば、誰も置き場所なんて気にしていられない


だが緊急時ほど、必要な物がどこにあるか分からなければ困る


しかも第二水場を使う人は増えている


俺とルッカだけではない


エナも来る


ダリオも来る


ローデンも来る


ミラも来る


ハルナ側の人間が立ち寄ることもある


フェルナ方面から来る人間が使う可能性も出てきた


使う人間が増えれば、置き方も決めなければならない


前世なら、棚に名前を書いたり、箱へ表示をつけたりするところだ


だが、ここでは文字が読める人ばかりとは限らない


そもそも俺自身、人間の文字をまともには読めない


「印」


俺が言う


地面に指で簡単な形を描く


丸


三角


二本線


「文字、じゃない」


ミラがすぐ意図を察した


「印で分けるの?」


「うん」


エナが布を見ながら言う


「治療に使う物は、分かりやすくしてほしいわ」


ミラが俺へ簡単に言い直す


「エナの物、分けたい」


「分かる」


それなら難しくない


小屋の中に全部押し込むのではなく、用途ごとに置き場所を決めればいい


ローデンが棚を確認し始めた


「増やすなら、少し作り直すか」


俺はその言葉を全部理解できなかったが、ローデンが棚の幅を測るような動きをしているので意味は察せた


「ローデン、作る?」


「そうだな、ただし何でも棚を増やしゃいいってもんでもない」


そこから先は分からない


ミラが笑いながら簡単にする


「場所、決めてから、ローデン作る」


「分かった」


今までなら、俺は自分で《土成形》を使って棚らしいものを増やしていたかもしれない


だが木材の扱いも、使いやすい構造を考えることも、ローデンの方がずっと上だ


俺ができるのは、必要な場所を一緒に考えたり、土台を整えたりすることだ


「まず、何があるか見るか」


ダリオが言い、全員で第二水場に置かれている物を確認することになった


縄


空の器


水を運ぶための器


布


乾燥させた薬草


簡単な救護用品


調理に使う物


ローデンの道具


予備の木材や縄


その他、用途が曖昧な小物


一つずつ並べていくと、思っていた以上に色々な物があった


逆に、昨日使って減っている物も分かる


エナは清潔な布の少なさを確認し、補充が必要だと言った


薬草も種類によって残りが違うらしい


そこは俺には判断できない


エナが必要な物を分けていく


ローデンは縄と工具、修繕用の材料を確認する


ダリオは緊急時にすぐ取れる方がいい物を選び、奥へしまい込みすぎないよう意見を出した


ルッカは、森へ持っていく物と、水場で使う物を分けた方がいいと言う


ミラはその話を人間語で繋ぎながら、時々俺にも分かる表現へ直してくれた


気づけば、俺が一人で何かを決める場面はほとんどなかった


それが少し不思議で、同時に心地いい


前なら、自分で考えて、自分で作って、自分で使えばよかった


今は違う


「これは?」


俺が小さな空容器を持ち上げる


ミラが首を傾げる


「昨日まで何が入ってた?」


エナが答える


どうやら治療に使うものが入っていたらしい


俺には名前が分からない


なら、エナの場所に置く


別の大きな器は共有で使う


縄は用途によって長いものと短いものを分ける


共有の器は一か所へまとめる


言葉にしてしまえば単純なことばかりだった


だが、誰も決めていなかった


必要になったから持ってきた


空いているから置いた


使ったから別の場所へ持っていった


それを繰り返した結果、少しずつ分かりにくくなっていたのだ


俺は水辺から少量の水を《水球》で浮かせた


大きくはしない


洗える布だけをまとめ、泥や汚れを落としていく


エナが洗ってよい物と、捨てた方がいい物を判断する


「これは使わない」


そう言って分けた布には、俺も手を出さない


治療に関してはエナの判断が一番だ


洗った布は絞り、少し離れた乾燥場所へ並べる


そこで《風圧》を弱く使う


勢いをつけすぎると布が飛んでいくので、本当に弱い風だけを通す


以前なら《風圧》といえば敵を押し返すための魔法だった


今では洗濯物を乾かしている


「……魔法って何だろうな」


思わず日本語で呟く


ルッカが横から見る


「なに?」


「なんでもない」


布が一枚、風に煽られて少し浮いた


慌てて出力を落とす


それを見ていたダリオが笑う


「戦うより難しそうだな」


意味は完全には分からなかったが、笑われた理由はだいたい分かった


「むずかしい」


俺が答えると、ダリオはさらに笑った


一方、ローデンは笑っている場合ではないらしい


棚の位置を決めるため、何度も出し入れを試している


大きな人間が使いやすい高さだけでは、ルッカには少し高い


俺も今はホブゴブリンメイジになって体格が変わったが、人間と完全に同じではない


「ここ」


ルッカが低い位置を指す


「私、取れる」


次に少し上を指す


「これは、ちょっと」


ローデンは頷いた


「じゃあ、よく使う物は下だな」


俺も同意する


「みんな、使う、下」


「そうそう」


ミラが頷く


「誰でも取れる場所」


「だれでも」


俺はその言葉を繰り返した


誰でも使える


その考え方は、岩陰拠点にはあまり必要なかった


あそこは自分とルッカの家だからだ


ルッカが使いやすく、自分が使いやすければいい


だが第二水場は違う


使う人間が一人ではない


体格も違う


得意なことも違う


持っている知識も違う


ローデンは棚を直し、俺は棚の下の地面を《土成形》で少し整えた


傾いている場所をならし、そのあと《土締め》で固める


水辺に近い場所なので、濡れたままにすると泥になりやすい


排水の流れを邪魔しないよう、ほんの少しだけ傾きを残す


大規模な工事ではない


それでも、物を置く場所としてはかなり使いやすくなった


「そこ、もう少しだけ高くできるか?」


ローデンが指を使って高さを示す


俺が《土成形》で調整する


「これ?」


「もう少し」


「これ?」


「それでいい」


こういう作業も慣れてきた


魔法だからといって、全部を一発で完成させる必要はない


使う人の意見を聞きながら少しずつ直せばいい


棚が整うと、ミラが印を考え始めた


治療関係


道具


共有の器


それぞれを文字ではなく、簡単な形で示す


エナの場所には葉のような形


共有の器には器を簡略化した印


道具には二本の線を交差させた形


共有の物には丸


完全に決まった記号ではない


今日ここにいる全員が分かれば、それで十分だった


「後から変えてもいいしね」


ミラが言う


俺には最初の部分しか分からない


「あと、変える?」


「そう、使いにくかったら変える」


「うん」


それなら気楽だ


一度決めたら絶対に守らなければならない規則にするつもりはない


使ってみて、分かりにくければ直せばいい


問題は、置き場所だけではなかった


布や縄などの共有の消耗品を見ると、昨日までにかなり減っている


交易の一行への救護や荷車の修理に使った分もある


俺は空間収納へ意識を向ける


中には、岩陰拠点から持ってきた小物や予備の縄、少量の布などが入っている


便利だからと、最近は何かあればとりあえず収納してしまうことが増えていた


だが、それでは第二水場の共有物まで俺が持ち歩くことになる


それは違う気がした


「これ」


俺は空間収納から小さな縄の束を取り出した


ローデンが見る


「持ってたのか」


「予備」


次に小さな容器を一つ出す


その次に、布をまとめるための紐


大きな物は入らない


生き物は試していない


中で時間がどう流れるかも、まだ分からない


だが、こういう細かな物ならかなり便利だ


「セイジが持ってた方が安全な物もあるけど」


ミラが少し考える


「全部持つと、セイジがいないと使えないね」


その言葉は、俺にもだいたい分かった


「俺、いない」


自分を指し、森の方を指す


「使えない」


「そういうこと」


確かにそうだ


自分が第二水場にいない時間の方が長い


第二水場の物は、第二水場に置いてあるから意味がある


空間収納は便利だ


便利だからこそ、何でもそこへ入れればいいわけではない


俺は取り出した縄を共有の場所へ置いた


一方で、予備の小物の一部は収納へ残す


全部を出す必要もない


普段使うもの


緊急時のもの


自分が持っておくもの


ここへ置いておくもの


少しずつ分けていく


「これも管理ってやつかな」


日本語で呟いてみる


前世で聞けば面倒そうな言葉だった


今やっていることは、それほど大げさではない


ただ、使う人が困らないようにするだけだ


昼近くまで作業したところで、一度休憩することになった


水辺へ座り、簡単な食事を取る


朝から物を並べ替えていただけなのに、意外と疲れていた


戦闘とは違う疲れ方だ


隣ではルッカが食べながら、整った棚を何度も見ている


「きれい」


「うん」


「前より、分かる」


「それが大事」


俺が人間語で言うと、ルッカが少し笑った


「人間の言葉、増えた」


「まだ、少し」


少し離れたところでミラがその会話を聞いていたらしい


「前より増えてるよ」


俺は首を振る


「ゆっくり」


「それでいいんじゃない?」


この言葉は全部理解できなかった


けれど表情で悪い意味ではないことは分かった


食事のあと、ダリオが一つ提案した


緊急時に必要な物は、普段使う物とは少し分けておいた方がいいという話だった


昨日のように負傷者が来たとき、誰かが食事用の器や工具を掻き分けながら布を探すのは遅い


エナも賛成する


清潔な布


水を入れる器


簡単な救護用品


最低限のものだけでも、すぐ取れる場所へまとめる


ただし、その中身を何でも増やしすぎると今度は分かりにくい


そこはエナが選ぶことになった


俺は口を出さない


治療に必要なものを自分が勝手に決めても意味がないからだ


ダリオはその近くに縄や灯りに使える物を置けないか考える


ローデンは湿気が入りにくい場所を選ぶ


ミラは誰が見ても分かる印を考える


ルッカは入口から取りに行くまでの動きを実際に歩いて確かめる


そして俺は、必要になった棚の土台や足元を整える


気づけば、全員がそれぞれ違うことをしているのに、同じ場所を作っていた


「……こういうのでいいんだな」


俺は小さく呟く


何でも自分でできる必要なんてない


むしろ、自分一人で全部やったら、きっと自分にしか使えない場所になる


第二水場は、それでは駄目なのだ


午後になる頃には、大まかな置き場所が決まった


使った物は、元の場所へ戻す


汚れた物は、きれいな物と混ぜない


使い切った物や少なくなった物に気づいたら、分かる人へ伝える


誰かだけが分かる場所へ隠さない


難しい決まりはそれくらいだった


「これなら覚えられる」


ダリオが言う


ローデンも頷く


「増えたらまた考えりゃいい」


俺はその言葉の中から分かる部分だけ拾う


「増える、また、考える」


「そうだ」


ローデンが頷いた


完璧に作らなくてもいい


今必要な分だけ作る


足りなくなれば足す


使いにくければ変える


岩陰拠点を作ってきたときも、実際はずっとそうだった


寝る場所が必要になった


棚が必要になった


雨対策が必要になった


排水が必要になった


体が大きくなれば、また直した


第二水場も、同じなのかもしれない


ただし、ここでは自分だけではなく、みんなでそれをする


片付けが一段落したあと、俺は水場の周囲を歩いた


昨日まで人が多くいた痕跡はまだ残っている


踏まれた地面


荷車の跡


一時的に物を置いていた場所


火を使った跡


少し乱れた休憩場所


これらも少しずつ元へ戻していく


ゴミになるようなものを拾い、使える物は分ける


必要のない穴は《土成形》で埋める


踏まれて排水を邪魔しそうになっている場所は、《土締め》で形を整える


それほど時間はかからなかった


だが終わって振り返ると、第二水場は朝より少しだけ落ち着いて見えた


新しい建物が増えたわけではない


立派な設備ができたわけでもない


それでも、何となく違う


「なんだろうな」


俺は腕を組む


昨日までも人が使っていた


今日も見た目は大きく変わっていない


なのに、今の方が誰かが使う場所らしく見える


ミラが横へ来る


「どうしたの?」


俺は人間語を探す


第二水場を指し、少し迷ってから言った


「ここ、みんな、使う」


「うん」


「だから……みんな、分かる」


棚を指す


道具を指す


エナの救護用品を指す


「場所、分かる」


「そうだね」


ミラが頷く


「セイジだけが分かる場所じゃなくなってきた」


その言葉は難しかった


俺が困った顔をすると、ミラは言い直す


「セイジの場所だけじゃない」


そこまで言われれば分かる


俺は第二水場を見る


最初から、自分だけのものだと思ったことはない


だが、自分が作ったものは多かった


道を直した


地面を整えた


水を使いやすくした


休める場所を作った


それでも今は、ローデンが棚を作り、エナが治療用品を分け、ダリオが安全のことを考え、ミラが印を作り、ルッカが森からの動線を確かめている


誰か一人の場所ではない


「うん」


俺は頷いた


「それ、いい」


ミラが笑う


「私もそう思う」


夕方が近づき、エナたちはハルナ側へ戻る準備を始めた


帰る前に、全員で一度だけ棚と置き場所を確認する


ダリオが縄を取る


元へ戻す


ローデンが道具を一つ動かす


元へ戻す


エナが布を確認する


元へ戻す


ミラがわざと共有の器を違う場所へ置こうとして、エナに止められた


「何してるの」


「ちゃんと見てるかなって」


「子供じゃないんだから」


「でも見てたでしょ」


俺には細かい会話までは分からなかったが、ミラがふざけていることだけは分かる


「ミラ」


名前を呼び、器の正しい場所を指す


「戻す」


一瞬の沈黙のあと、ダリオが笑った


ローデンも笑い、エナまで肩を震わせる


ミラだけが少し不満そうな顔をした


「セイジにまで言われた」


「戻す」


「分かったってば」


ミラが器を元の場所へ置く


ルッカが横で小さく笑っていた


これでいい


大げさな決まりなんて必要ない


使ったら戻す


汚したらきれいにする


足りなくなったら補う


困ったら分かる人に聞く


たぶん、暮らすというのは、こういう小さなことの積み重ねなのだ


エナたちを見送ったあと、俺とルッカはもう一度第二水場を見回した


日が傾き、水面が橙色に光っている


「帰る?」


ルッカが聞く


俺は少しだけ迷い、それから頷いた


「帰ろう」


第二水場は大事な場所だ


人が来る


物が増える


できることも増えていく


これからもっと変わるのだろう


けれど、ここで夜を過ごす必要はない


二人が帰る場所は、別にある


森を歩き、見慣れた岩陰へ戻る


入口をくぐったルッカが、使っていた小さな袋を棚へ置く


いつもの場所だった


俺も空間収納から、途中で使った小物を一つ取り出す


何となく別の場所へ置きかけてから、手を止めた


「……違うな」


元の場所へ置く


ルッカが見る


「戻した」


「うん」


「第二水場と同じ?」


俺は少し考える


「同じ」


それから岩陰の中を見回した


ここは二人の家


第二水場は、みんなが使う場所


同じではない


けれど、どちらも使った人が次に困らないようにするという意味では、たぶん同じだった


俺は寝床の近くへ腰を下ろす


今日作ったものは、ほとんどない


敵も倒していない


LEVELも上がっていない


強くなった実感もない


それなのに、第二水場は昨日より少しだけ前へ進んだ気がした


物の置き場所を決めただけ


使ったら戻すと決めただけ


そんな小さなことなのに、不思議と嬉しい


「明日も行く?」


ルッカが聞く


「行く」


「何する?」


「まだ分からない」


俺は笑った


第二水場には、やることが増えている


人が使えば、新しい困り事も出てくる


けれど、それはたぶん悪いことではない


何もなかった場所なら、困り事すら生まれない


誰かが使うから、足りなくなる


誰かが来るから、汚れる


誰かが助けを必要とするから、布が減る


誰かがまた使うから、元へ戻しておく


そうやって少しずつ、ただの場所が変わっていく


俺は入口の向こうに広がる夕暮れの森を見た


明日になれば、また何かが起きるかもしれない


それでも今日は、使った物がちゃんと元の場所にある


それだけで十分だった

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