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それ、しまえるん?

第42回 それ、しまえるん?


翌朝、俺が目を覚まして最初に見たのは、寝床の横へ置いていた小さな木片だった


昨日、空間収納の練習に使ったものだ


結局一度も消えず、一度もどこかへ入らず、最初から最後までそこにあり続けた木片である


「……今日こそ、しまったるからな」


木片へ宣言する


「朝から何してるの?」


すでに起きていたルッカが、少し離れたところからこちらを見ていた


「昨日の続き」


「またやる?」


「やる」


「ごはん先」


「はい」


空間魔法より朝食が先らしい


もっとも、腹が減ったまま魔法の研究をしても集中できそうにないので、ルッカの言うことは正しい


俺は木片を棚へ置き、朝食の準備を始めた


《水球》で必要な量だけ水を出し、火は小さく抑える


温水を作るときの火力調整にも慣れ、最初の頃のように熱くしすぎることはほとんどなくなった


少し前までなら、それだけで何度も魔法へ意識を向けていたはずなのに、今ではルッカと話しながらでもできる


「こういうのも、最初は全然できへんかったんよな」


「お湯?」


「そう、火弱くするのも」


「いっぱい熱くした」


「覚えてるなぁ」


ルッカが頷く


「空間もいっぱい失敗する?」


「たぶん」


「じゃあ今日も失敗?」


「成功するかもしれんやろ」


「たぶん失敗」


「朝から厳しいな」


そう言いながらも、俺は笑っていた


失敗する可能性が高いことは自分でも分かっている


昨日一度見ただけの魔法だ


しかも《火弾》や《水球》のように、目に見えるものを作ればいいわけではない


何もないところに、物をしまう場所を作る


言葉にすると簡単だが、その「場所」が何なのか分からない


朝食を終えると、俺は昨日の木片を取り出した


手のひらへ載せ、正面に置く


「まず昨日やったやつから」


ルッカは少し離れた場所へ座る


危なくない距離を取って見守るという形が、すっかり定着している


俺は目の前へ片手を出した


最初に考えたのは袋だった


目に見えない袋を作り、その中へ物を入れる


「袋、袋……」


魔力を一点へ集める


そこから薄く広げる


口があって、その奥に中身を入れる場所がある


そんな形を想像する


しかし、何も起きない


目の前の空気が変わることもなく、木片も手の上に残ったままだ


「袋ちゃうんかな」


「袋ない」


「見えへん袋や」


「ない」


「そうやけど」


次は穴を考える


空間に小さな穴を作る


穴の向こうに別の場所があって、そこへ物を入れる


「こう……開ける感じ?」


魔力を前方へ集中させる


押すのではなく、裂くでもなく、奥へ通す道を作るように意識する


瞬間、魔力が一点へ集まりすぎた


「おっと」


すぐに止める


何も起きなかったが、妙な圧迫感だけが残った


「今の嫌やな」


「やめる?」


「このやり方はやめる」


何かを無理に壊すような感覚だった


収納したいのであって、目の前の空間へ無理やり穴を開けたいわけではない


昨日見た男も、そんな力ずくの使い方はしていなかった


もっと自然だった


手の中の物が、するりとどこかへ移る


そんな感じだった


「物を消す……は違うな」


俺は木片を見る


消えてほしいのではない


見えなくなれば成功、ではない


ちゃんと保管して、あとから取り出せなければ収納とは言えない


「消したらあかん、しまうんや」


言葉にして、自分の目的を整理する


空間魔法を覚えること自体が目的ではない


薬草を潰さず持ち帰りたい


紙を濡らしたくない


縄や小道具を邪魔にならないよう持ちたい


必要なら救護用品も入れておきたい


だから欲しい


「物をなくすんちゃう、置いとく場所を作る」


少し考え、木片をいったん地面へ置いた


今度は物ではなく、魔力だけへ集中する


《魔力制御》


大量の魔力はいらない


むしろ昨日見た男も、派手な魔力を使っているようには見えなかった


短い一瞬だけ、魔力の流れが変わった


俺が《魔力感知》で拾えたのはそれだけだ


「少なく、長く」


小さな魔力の塊を作る


《火弾》へ変えない


水にも、風にも、土にも変えない


ただ魔力のまま維持する


一度目はすぐ形が崩れた


二度目は少し長く続いた


三度目はさらに安定する


それでも何も起きない


「地味やなぁ」


「火ない」


「水もない」


「何してるか分からない」


「俺も半分分かってへん」


ルッカが少し困った顔をする


見ている側からすれば、俺が何もない空間へ手を出して固まっているだけである


「でも今は、魔力そのままにする練習」


「しまう練習じゃない?」


「しまう前の練習やな」


何か違う属性へ変えず、一定量の魔力を同じ場所へ保つ


これは《魔力制御》の練習としても無駄ではない


しばらく続けると、額に少し汗を感じ始めた


消費する魔力量そのものは少ない


けれど細かい操作を長く続ける方が、思っていたより集中力を使う


「一回休憩」


「ごはん?」


「まだ早い」


「お湯?」


「それはあり」


朝から空間ばかり考えていたせいで、身体を拭く温水をまだ作っていなかった


器へ《水球》で水を入れ、弱い《火弾》を熱源として使う


これは考えなくてもできる


「こっちは楽やなぁ」


「前、失敗した」


「最初はな」


ルッカが温水へ布を浸す


俺も自分の布を取り、顔と首を拭いた


温かさに身体の力が抜ける


空間魔法のように何も分からないものを相手にしていると、すでにできることが妙にありがたく感じた


「《水球》も最初はこんな感じやったかな」


「水、出てた」


「そうやな、あれは割と分かりやすかったな」


火も水も、現象が見える


失敗しても、何が足りなかったかを考えやすい


空間は結果が出るまで何も見えない


そこが難しい


温水を使い終え、布を洗う


《風圧》で乾かしながら、俺は別のことを考え始めた


「袋を作るんやなくて、袋がある場所につなぐとか?」


「袋あるの?」


「ない」


「じゃあ無理」


「正論やな」


笑いながら布を干す


考え込んでいても進まないので、午前の研究はいったん終えることにした


二人は第二水場へ向かう


今日持っていく荷物は、少し多かった


洗った布


岩陰拠点で使わなくなった小さな容器


補充用の縄


それから自分たちの食料


進化後の俺なら持つこと自体は難しくない


けれど片手が塞がる


肩から下げれば揺れる


森の中で枝を避けるときには少し邪魔になる


「……これやねんな」


「重い?」


「重くはない、邪魔」


まさに昨日考えていたことだった


もし空間収納が使えれば、この程度の小物を全部しまって歩ける


重さまでなくなるのかは分からない


昨日の話では、使える量や重さに個人差があるらしいということしか聞けなかった


それでも、少なくとも手に持たずに済むなら便利だ


「これ全部しまえたらなぁ」


「まだ無理」


「分かってる」


第二水場へ着くと、最初に試験区画を見る


昨日と大きな変化はない


土も完全には乾いていない


「今日も水いらん?」


ルッカが土を触る


「まだ大丈夫」


「ほなそのまま」


何もしない


次に道具小屋へ行き、持ってきた物をそれぞれの位置へ収める


小さな容器は空容器の場所


縄は縄


布は清潔なものだけを別の場所へ


「こうやって決まってると楽やな」


最初は物が増えて困っていた


今では置く場所が決まり、使ったら戻すという流れもだいぶ自然になっている


ただ、ここまで運ぶ手間は残る


「やっぱ収納欲しいわ」


道具小屋の中を見ながら呟く


持ち歩きたい物は意外と多い


全部を収納したいわけではない


大きな工具も木材も必要ない


清潔な布を一枚


少量の縄


小さな容器


薬草


紙


その程度で十分だ


「欲張らん方がええ気してきた」


「何が?」


「空間」


ルッカが振り返る


「最初からでっかい場所作ろうとせんで、小さいのでええんちゃうかな」


「木片だけ?」


「そう、それくらい」


昨日見た空間魔法利用者も、小さな物を中心に扱っていた


人によって使える大きさや量が違うと言っていた


なら最初から何でも入る大きな収納を考える必要はない


むしろ小さな場所を安定して作る方が、自分には合っているかもしれない


「手のひらくらい」


俺は両手で小さな箱の形を作る


「この中に入る分だけ」


「小さい」


「最初はそれでええねん」


そう考えると、少し目標が見えた


何もない巨大な空間を作る


そんな曖昧なことではない


木片一つが入る程度


それだけの「場所」を作る


「午後もう一回やろ」


「また?」


「また」


ルッカは予想していたように頷いた


昼前、ミラが第二水場へ来た


一人だった


「昨日の人たち、無事戻った?」


俺が聞くと、ミラは頷いた


「途中まではダリオも一緒だったし、問題なかったって」


「よかった」


「それより」


ミラが少し笑う


「昨日の魔法、やっぱり試した?」


「試した」


「できた?」


「できてへん」


「早いよ」


「分かってるけどなぁ」


俺は昨日から試したことを簡単に説明する


見えない袋を想像したこと


穴を開けるようなやり方は感覚が悪く、やめたこと


物を消すのではなく、安全に置いておく場所を作りたいこと


今は少量の魔力を安定して維持する練習をしていること


「昨日の人、何かコツ言ってへんかった?」


「感覚って言ってたでしょ」


「その感覚を言葉にしてほしいねん」


「無茶言わないの」


「せやんなぁ」


自分でも無茶だと思う


前世でも、自転車の乗り方を言葉だけで完璧に説明するのは難しい


身体で覚えているものほど、説明できないことがある


「あと、誰でもできるんかとか言ってた?」


「そこまでは聞いてない」


「適性とかいるんかな」


「分からない」


「六属性と関係あるとか?」


「それも分からない」


「そっか」


分からないものは分からない


今の段階で勝手に答えを作る必要はない


少なくとも、自分はまだ成功していない


それが事実だ


「じゃあ、できるかどうかも含めて試すしかないな」


「無理はしないでね」


「最近みんなそれ言うな」


「セイジだから」


「どういう意味や」


ミラは答えず笑った


昼食を取りながら、昨日のフェルナ方面の人々について少し話す


外から来た者たちが俺を見て強く警戒したこと


最後には空間魔法を見せてくれた男が笑っていたこと


俺自身、昨日より落ち着いて考えられるようになっていた


「最初ちょっとへこんだけどな」


「怖がられたこと?」


「うん、でも考えたら当たり前やもんな」


ハルナの人間たちは、俺がゴブリンメイジだった頃から知っている


一緒に戦い、怪我を治し、森を歩き、第二水場を整えてきた


その積み重ねがある


フェルナ方面の人間には何もない


「こっちが相手を知らんのと同じやな」


「そうだね」


「昨日の人らが悪いやつかどうか、俺も最初分からんかったし」


相手から見れば同じだ


知らないホブゴブリン


ただそれだけ


だから、まず会話できたことだけでも十分だったのだろう


「次会ったら、もうちょい普通に話せたらええな」


「その前に質問攻めしないようにね」


「空間魔法使う人おったら自信ない」


「やっぱり」


食事のあと、ミラはハルナ側へ戻った


俺とルッカは道具小屋の整理を少し続ける


特に大きな変更はない


使った物を戻し、足りない物がないか確認する


その中で俺は、持ち歩けたら便利な物を一つずつ手に取ってみた


縄


「これは便利」


清潔な布


「これも」


小さな容器


「これもあり」


修理道具の中から小さなものを一つ


「これも」


ルッカが見ている


「全部入れる?」


「最終的にはな、でも最初は木片一個」


「小さい」


「小さく始めるって覚えたんや」


「水いっぱい出したから?」


「それは忘れて」


試験栽培の失敗までつながっているらしい


午後、二人は岩陰拠点へ戻った


空間魔法を試すなら、第二水場のように人が来る可能性のある場所より、自分たちの家の方が落ち着く


危ないことをするつもりはないが、何が起こるか分からない魔法であることに変わりはない


「今日は木片だけ」


俺は朝と同じ木片を前へ置く


目標は小さい


手のひらより小さなもの一つ


それを入れられるだけの場所


「袋じゃない」


魔力を集める


「穴でもない」


押し込まない


「消すんでもない」


物そのものへ作用させようとしない


「置く場所」


ここではない


でも、なくなったわけでもない


自分の魔力で作った小さな場所へ置いて、必要なときにつなげる


そこまで考え、俺は一度止まった


「つなげる……?」


昨日見たときの感覚を思い出す


男が物を収納した瞬間


魔力が大きく広がったわけではない


一瞬だけ、何かの位置がずれたように感じた


消したのではなく


移した


「場所を作るんやなくて、場所につなぐ?」


ルッカが首を傾げる


「どこに?」


「それが分からん」


「じゃあ無理」


「そこを今探してんねん」


俺は笑い、もう一度集中する


目の前へ少量の魔力を置く


安定させる


その奥へさらに力を押し込むのではなく、薄く伸ばす


何かを広げるのではなく、一点と一点を結ぶような感覚


うまくいかない


魔力が散る


やり直す


二度目も失敗


三度目


今度は少し長く維持できた


木片へ手を伸ばす


触れたまま、目の前の魔力へ近づける


何も起こらない


「ちゃうか」


四度目


五度目


しばらくすると、頭の奥が重くなってきた


魔力を大量に消費しているのではなく、集中し続けているせいだろう


「休む?」


「あと一回」


「前も言ってた」


「ほんまにあと一回」


ルッカが疑うような目を向ける


「ほんまやって」


俺は深く息を吐いた


力を抜く


これまで、何とかしようとして魔力を動かしすぎていたのかもしれない


昨日の空間魔法利用者は、もっと簡単にやっていた


手を出す


魔力が一瞬動く


物が消える


それだけ


「小さく……」


手のひらの前へ、ごく少量の魔力を留める


「動かしすぎんと……」


維持する


《魔力制御》で形が崩れないようにする


その魔力の中心へ意識を向ける


空間を壊さない


押し広げない


ただ、そこではない場所を探す


その瞬間


「……ん?」


何かがあった


本当に一瞬だった


目には何も見えない


音もない


木片もまだ手の上にある


けれど、魔力の先にほんの小さな違和感が生まれた


空気ではない


魔力の塊でもない


何もないはずのところに、奥行きのようなものを感じた


「あ」


意識した瞬間、消えた


魔力も散る


「……今の」


「できた?」


ルッカが身を乗り出す


俺は木片を見る


普通にある


「しまえてへん」


「じゃあ失敗」


「失敗やけど……」


俺はさっき魔力を置いていた場所へ手を伸ばす


何もない


もう同じ感覚は残っていない


「でも、なんかあった」


「何?」


「分からん」


自分でも説明できない


穴ではない


袋でもない


ただ一瞬だけ、普段の空間とは違う感覚を掴んだ


「もう一回」


反射的に魔力を集めようとする


ルッカが腕を掴んだ


「休むって言った」


「あと一回――」


「さっきあと一回だった」


「……覚えてた?」


「うん」


「はい、やめます」


ここで無理をして感覚が分からなくなるより、今日は止めた方がいい


俺もそれは理解していた


木片を棚へ戻し、寝床へ座る


「惜しかった気するんやけどなぁ」


「しまえてない」


「結果だけ見たらな」


それでも朝とは違う


朝は何をやっても、ただ魔力を動かしているだけだった


今は一瞬でも、何か別の感覚があった


勘違いかもしれない


単に集中しすぎて変な感覚になっただけかもしれない


けれど、明日は同じやり方から試せる


「見ただけでできるほど甘ないな」


俺は笑った


これまでの魔法も、一度で全部できたわけではない


水も風も土も、失敗しながら使い方を覚えた


《魔力制御》も、使えるようになった瞬間から完璧だったわけではない


なら空間魔法だけ特別に簡単なはずもない


「明日は何入れる?」


「まだ入れへんて」


「木片?」


「まず木片」


「ずっと木片」


「成功したら次いくわ」


ルッカが少し笑う


夕食の準備を始める


今度は失敗しない魔法ばかりだ


水を出し、火を弱く使う


必要なものを必要なだけ


ここ数日ずっと覚えてきたことだった


大きくやればいいわけではない


強くすればいいわけでもない


目的を小さく絞る


それは空間魔法にも同じことが言えるのかもしれない


巨大な収納はいらない


何でも入る力もいらない


まずは木片一つ


それだけだ


食事を終え、温水で身体を拭きながら、俺は棚の木片を見る


「それ、しまえるん?」


自分で問いかける


答えはまだ、できない


けれど昨日よりは少しだけ、できるかもしれないという気がしていた


岩陰拠点の中には、昨日までと同じ物しかない


空間収納もまだ使えない


新しい魔法を覚えた実感もない


LEVELも4のまま


それでも、目に見えない場所へ手を伸ばす方法を、ほんの一瞬だけ掴みかけた


俺はその感覚を忘れないよう、頭の中で何度も繰り返してから目を閉じた


成功には、まだ届いていなかった

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