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言葉と薬草

第15回 言葉と薬草


 朝、左腕を動かしてみる


「……お」


 昨日より動く


 恐る恐る肘を曲げると少し痛い


 伸ばしてみても同じだ


 でも、二日前みたいに動かした瞬間に顔をしかめるほどではなかった


「ええ感じやん」


 布の上から傷の辺りに触れる


 熱も少し引いている気がする


 昨日エナに処置してもらった薬草、新しい布、休養


 それから《治癒》


 どれが一番効いているのかは分からない


 たぶん全部だ


「魔法だけで治した、とか思わんほうがええな」


 昨日《治癒》を覚えた直後は嬉しすぎて、何でも治せるような気分になっていた


 実際には一回使ったくらいで傷は消えなかったし、魔力もかなり使った


 エナにも止められた


 回復魔法が使えるようになったから薬はいらない


 休まなくていい


 傷が汚れていても大丈夫


 そんなわけではないらしい


 当然と言えば当然だ


「便利やけど、万能ちゃう」


 そう考えると《火弾》と似ている


 火が使えるようになっても、森で生きるために必要なこと全部が解決したわけではない


 火は火だ


《治癒》は《治癒》


 使えることと、何でもできることは違う


「セイジ」


 声に振り向く


 ルッカが何かを持って立っていた


 葉だ


 また葉


 最近、俺の周りに葉が多い


「何それ」


「食べる」


「やっぱりそっちか」


 昨日、エナが薬草を見せた時もルッカは一緒に見ていた


 俺はてっきり少しくらい薬草に興味を持ったのかと思っていた


 今持っているのは、どうやら食べられる草らしい


「薬?」


 一応聞いてみる


 ルッカは首を振る


「食べる」


「薬は?」


「食べる?」


「食うな」


 危ない


 薬草ならまだしも、毒草だったらどうする


 いや、ルッカは俺より森に詳しい


 変なものを食べるのは、むしろ俺のほうかもしれない


 ルッカは葉を一枚口に入れ、しゃくしゃく噛む


「うまい?」


「苦い」


「苦いんかい」


 なのに食べるのか


 俺も一枚もらって恐る恐る噛む


「……苦っ」


 思った以上だった


 青臭くて、苦くて、少し渋い


「これ食う意味ある?」


「食べる」


 答えになっていない


 ルッカはもう二枚目を食べている


 食への執着が強い


 美味いかどうかは二の次なのかもしれない


「そのうち畑作ったら、もうちょい美味いもん育てたいな」


「畑?」


「まだ分からんか」


 畑もいつか教えないといけない


 土を耕して、種をまいて、育てる


 前世では植物を育てた経験なんてほとんどない


 小学生の頃の朝顔くらいだ


 なのに異世界では畑を作ろうとしている


 人生とは分からないものだ


 朝食を済ませた頃、森の向こうから声がした


「セイジー」


 人間の声


 聞き覚えがある


「エナ?」


 俺が立つより早く、ルッカが入口へ向かう


 警戒している感じはない


 俺も外へ出た


 木々の間からエナが現れる


 今日は一人だった


 背中と腰には小さな袋


 手には短い杖ではなく、細い木の棒のようなものを持っている


 武器というより、草をかき分けるための棒に見える


「おはよう」


 エナが言う


「おはよう」


 昨日までなら少し考えてから返していた


 今日はすぐ出た


 エナが笑う


「上手」


「上手?」


「言葉」


「ああ」


 褒められたらしい


「少し」


 いつもの便利な言葉で返す


 ルッカも横から、


「オハヨ」


 と言った


 エナが少し驚く


「ルッカも?」


「オハヨ」


 ルッカは得意そうだ


「こいつ、覚えるん早い」


「何?」


「……なんでもない」


 長い文章はまだ無理だ


 エナは俺の左腕を見る


「腕、どう?」


「昨日より、いい」


 言ってから自分でも少し驚いた


 二語じゃない


 短いけど文章になった


 エナも少し目を見開く


「昨日より、いい」


 俺はもう一度言う


 正しいか確認するように


「うん、いい」


 通じた


 嬉しい


 魔法が成功した時とは違う、小さな達成感がある


 言葉は地味だけど、これはこれで面白い


 エナが近づいて傷を見る


「見る?」


「お願い」


 昨日覚えた


 いや、前から少し使っていたけど、意味を理解して使える言葉が増えている


 布を外す


 エナが傷を確認する


「いい」


「いい?」


「昨日より、いい」


 同じ言葉だ


 分かる


 赤みも少し減った


 腫れも昨日よりまし


 ただし傷そのものはまだ残っている


「治癒、使う?」


 俺が聞く


 エナは少し考えた


「今は、いらない」


「いらない?」


「身体、治ってる」


 傷を指す


「薬、休む、食べる」


 指を一本ずつ立てる


「それで治る」


「治癒は?」


「必要なら使う」


 なるほど


 毎日朝晩、とりあえず《治癒》


 ではないらしい


「魔法、使えば早い?」


 聞いてみる


 なんとか伝わったようで、エナは頷いたり首を振ったりしながら考える


「早くなる、でも」


「でも?」


「魔力、なくなる」


「ああ」


「疲れる」


「うん」


「使いすぎ、よくない」


 昨日と同じ話だ


 俺は頷く


「必要な時」


「そう」


 また一つ分かった


 回復魔法を覚えたからといって、傷を見るたび片っ端から使えばいいわけではない


 自然に治るなら自然に治す


 薬で十分なら薬


 急ぐ必要がある時や傷が大きい時に魔法を使う


 少なくともエナはそう考えているらしい


「今日は何?」


 俺はエナの袋を指す


 昨日より荷物が多い


 エナは森を指した


「薬草」


「薬草?」


「取りに行く」


 身振りもつける


 ようやく分かった


「ああ、薬草」


 エナは頷く


 次に俺を見る


「一緒に行く?」


 その言葉は分かった


「行く」


 即答した


 ルッカを見る


「ルッカも」


 ルッカは、


「食べる?」


 と聞いた


「何をや」


 エナは少し考えてから、


「食べる草もある」


 と言った


 ルッカの目が変わった


「行く」


「お前、そこなんやな」


 三人で森へ出る


 左腕がまだ完治していないので、今日は遠くへ行かない


 エナもそれを分かっているらしく、歩く速度はゆっくりだ


 ルッカが先頭


 エナが真ん中


 俺が少し後ろ


 いつもなら俺とルッカだけの道に、人間が一人混ざっている


 変な感じ


 でも昨日ほど緊張しない


 エナも昨日までより自然だ


 最初に会った頃は、俺が動くたびに少し身構えていた


 今は違う


 普通に背中を見せて歩いている


 俺もエナが突然何かするとは思っていない


 信用


 たぶん、こういうものなんだろう


 言葉で「信用します」と決めるんじゃない


 何回も会って、話して、助けたり助けられたり


 その積み重ね


「仲間……」


 小さく言う


 エナが振り向く


「何?」


「なんでもない」


 それはまだ言えない


 森を少し歩いたところで、ルッカが止まった


 地面近くに生えている草を指す


「食べる」


「また食べ物か」


 丸くて少し厚い葉


 俺が手を伸ばそうとすると、


「待って」


 エナが止めた


「何?」


 エナは俺が取ろうとした草の隣を指す


 ほとんど同じ草がある


 俺には違いが分からない


「これ」


 俺が最初に触ろうとしたほう


「食べる」


 次に、その隣


「これ、毒」


「毒?」


 思わず手を引っ込める


「どこが違うん?」


 日本語で言ってから、通じないことに気づく


「違う、どこ?」


 エナが二枚の葉を並べる


 食べられるほうと毒のほう


「ここ」


 葉の縁を指す


 食べられるほうは丸い


 毒のほうには、ごく小さなギザギザがある


「ここも」


 次は茎


 色がわずかに違う


「匂い」


 エナが両方を少し擦る


 俺も嗅ぐ


「……分からん」


 本当に分からない


 どっちも草だ


 草の匂い


 エナが笑う


「慣れる」


「慣れる?」


「いっぱい見る」


「ああ」


 経験か


 ルッカは横で食べられるほうだけを迷いなく摘んでいる


「お前分かる?」


「食べる」


「毒は?」


 ルッカが毒草を指す


「食べない」


「それは分かってるわ」


 エナが笑う


 今日の先生は二人いるらしい


 エナは言葉と薬


 ルッカは森


 俺は生徒


「俺、魔法しかないな」


「魔法?」


 エナが聞く


「うん」


 俺は右手を上げる


「火、治癒」


 それから二人を指す


「ルッカ、森」


 エナを指す


「エナ、薬」


 自分を指す


「セイジ、魔法」


 エナは少し考えて、


「いい」


 と言った


「いい?」


「みんな、違う」


 自分、ルッカ、俺を順番に指す


「違う、できる」


 たぶん、それぞれできることが違う


 そういう意味


 俺は頷く


「それがいい」


 今度は日本語


 意味は伝わらない


 でもエナは笑った


 少し先へ進む


 次の薬草は細長い葉で、茎の根元が少し赤い


 エナが一本採る


「これ、薬」


「名前?」


 名前を言う


 聞く


「……何?」


 もう一度


 聞く


「もう一回」


 三回目


 無理


「長い」


 エナが笑う


「長くない」


「長い」


 俺には長い


 人間の耳とゴブリンの耳で聞こえ方が違うわけではないと思う


 単純に知らない音が多い


 俺は葉を指す


「薬、一」


「一?」


「一」


 指一本


「これ、薬一」


 勝手に名前をつける


 エナが困った顔


「名前あるよ」


「難しい」


「難しい?」


「難しい」


 エナは笑う


「じゃあ、薬一」


 通った


「ええんや」


 正式名称を覚えるまでの仮名だ


 次に見つけた別の薬草は、


「薬二」


 三つ目は、


「薬三」


 エナがだんだん笑いを堪えられなくなっている


「全部それ?」


「覚えるまで」


 たぶん伝わっていない


 でも仕方ない


 薬一は傷に使う


 薬二は熱がある時


 薬三は腹


 そんな感じで教えてもらう


 正確な効果を理解できているかは怪しい


 だから俺は一つずつ確認する


 傷を指す


「これ?」


 エナが薬一を上げる


「そう」


 頭を押さえる


「熱?」


 薬二


「そう」


 腹を押さえる


「痛い?」


 薬三


「そう」


「なるほど」


 ルッカは横で別の草を摘んでいる


「それ薬?」


「食べる」


 やっぱり食用だ


「こっちは?」


「食べる」


「それは?」


「食べる」


「薬覚える気ないやろ」


「薬?」


「もうええわ」


 エナが笑っている


 森の中を歩きながら、俺は新しい言葉を覚える


 葉、茎、根、花、匂い、苦い、甘い、毒、薬、傷、熱、腹、痛い、痒い、飲む、潰す、乾かす、煮る


 聞くだけでは覚えられない


 触る


 見る


 匂いを嗅ぐ


 使う


 そうすると少し頭に残る


 前世で英単語帳を眺めるより、ずっと覚えやすい


「言葉って、こうやって覚えるんやな」


 エナが振り返る


「何?」


「言葉」


 俺は草を指す


「見る」


 触る


「触る」


 鼻へ持っていく


「匂い」


 最後に頭を指す


「覚える」


 エナの顔が明るくなる


「そう」


 通じた


「いっぱい話す、覚える」


「いっぱい」


「毎日」


「毎日」


 これは分かる


「エナ、毎日来る?」


 軽い気持ちで聞いた


 エナが止まる


 俺も止まる


「毎日?」


「うん」


 少し考える


「無理」


「無理か」


 村にも仕事があるんだろう


 俺たちのためだけに毎日森へ来るわけにはいかない


「でも」


 エナが続ける


「来れる時、来る」


 来れる時


 意味はなんとなく分かる


「また来る?」


「うん」


「よかった」


 自然に出た


 エナが一瞬黙る


「よかった?」


「うん」


「私、来る、よかった?」


「そう」


 何を当たり前のことを聞いているんだと思った


 でも、エナは少し照れたような顔をした


 なんでだ


 俺は何か変なことを言ったのか


 人間語のニュアンスは難しい


「違う?」


「違わない」


 エナは笑う


「私も、よかった」


「何が?」


「セイジ、ルッカ、元気」


 左腕を指す


「元気、よかった」


「ああ」


 そういうことか


「友達」


 エナが突然言った


「友達?」


 知っている言葉だ


 人間語としては初めて聞いたかもしれない


 でも意味は分かる


 俺は自分を指す


「俺?」


 エナ


「エナ?」


 ルッカ


「ルッカ?」


 エナが頷く


「友達」


 ルッカが首を傾げる


「トモダチ?」


 俺はルッカを指す


 自分を指す


「仲間」


 次にエナを指す


「仲間」


 少し考える


「友達」


 ルッカは、


「食べる?」


 と言った


「食べへん」


 エナが吹き出す


「友達、食べない」


「そこから説明せなあかんの?」


 ルッカは不満そうだ


 俺は少し笑う


 でも、


 友達


 その言葉は妙に残った


 仲間とは少し違う


 一緒に戦うから仲間


 一緒に暮らすから仲間


 それだけじゃなくて、会えば話す


 また会いたいと思う


 そんな関係


「友達か」


 悪くない


 むしろ嬉しい


 前世では大人になってから新しい友達ができることなんて、ほとんどなかった


 仕事で知り合う


 取引先


 同僚


 知人


 そういう関係ばかり増えた


 まさか異世界へ来て、最初にできる人間の友達が、ゴブリンの俺に薬草を教えている女の子になるとは思わなかった


 人生は本当に分からない


 しばらく歩くと、小さな開けた場所へ出た


 日が入り、草が多い


 エナの目が変わる


「いっぱいある」


「薬草?」


「うん」


 ルッカも、


「食べる」


 と言う


「お前はもう好きにしろ」


 三人で採取を始める


 俺は片手しか十分使えないので遅い


 エナから教わった草だけ取る


 薬一、薬二、薬三


 途中、


「あ」


 見つけた


 薬一


 たぶん


 葉の形、茎、色


「これや」


 取ろうとする


 エナが、


「待って」


 また止めた


「え?」


 見る


 エナが隣の草を採る


「薬」


 俺が取ろうとしたものを指す


「毒」


「……また?」


 似すぎだ


「どこ?」


 聞く


 エナが葉を裏返す


 裏側に小さな白い筋


 毒草のほうにはある


 薬草にはない


「分かるか!」


 日本語で叫ぶ


 エナは笑う


「難しい」


「難しい!」


 ようやく完全に意見が一致した


「こんなん間違えるって」


「間違える?」


「間違える」


 俺は薬草と毒草を入れ替えて見せる


「これ、これ、間違える」


 エナが理解する


「危ない」


「危ない」


 それは本当に危ない


 回復魔法を覚えたばかりなのに、毒草を薬草だと思って使って倒れたら笑えない


「俺、一人、取らない」


 エナが頷く


「まだ、取らないほうがいい」


 全部は聞き取れない


 でも意味は分かった


 慣れるまでは勝手に採取しない


 そのほうがいい


 ルッカを見る


「ルッカ分かる?」


 ルッカは薬草を見て、


「食べない」


 毒草を見て、


「食べない」


「役に立たん!」


 二つとも食べ物ではないという認識しかない


 エナがしゃがみ込んで笑っている


「笑いすぎやろ」


「ごめん」


「ごめん」は知っている


 でもまだ笑っている


 俺もつられて笑った


 戦いはない


 危険な魔物も出ない


 ただ草を取って、言葉を覚えて、間違えて、笑う


 こういう一日もいい


 むしろ俺が欲しかった生活に近いのは、たぶんこっちだ


 転生して最初は生きることだけで精一杯だった


 食べ物、水、寝床、敵


 今は少しだけ余裕ができた


 余裕ができたから、知らない草の名前を覚えたり、友達なんて言葉を考えたりできる


 生き残るだけじゃない


 暮らす


 その違いが少し分かってきた気がする


 採取を続けていると、


「痛っ」


 エナの声


 見る


 指先に小さな傷


 草の硬い茎か何かで切ったらしい


 ほんの少し血が出ている


「傷」


 俺はすぐ近づく


 エナは、


「大丈夫」


 と言った


 本当に大した傷ではない


 布で押さえれば終わり


 でも俺は右手を見る


「治癒」


 エナも俺の意図に気づく


「練習?」


「練習」


 ちょうどいい


 左腕の噛み傷はまだ大きい


 効果が分かりにくい


 こういう小さな傷なら、《治癒》がどれくらい効くのか確認できる


「いい?」


 エナに聞く


 エナは少し考えて、


「少しだけ」


 と指で示した


「少し」


 俺も頷く


 地面に座る


 エナも座る


 切った指を俺の前に出す


 人に使うのは初めてだ


 急に緊張する


 自分なら失敗しても自分の責任


 でも他人は違う


「痛かったら言って」


 言える範囲で、


「痛い、言う」


 エナが頷く


 ルッカも近くに座って見ている


 俺は右手を傷へ近づける


 魔力を集める


 昨日覚えた感覚


 鋭くしない


 燃やさない


 柔らかく包む


 身体が治す


 その力を助ける


《治癒》


 淡い光が出る


 昨日より少し早い


「お」


 エナが声を出す


「動かない」


「うん」


 光を指先へ流す


 自分の傷と違う


 感覚が分かりにくい


 俺自身の痛みがないからだ


 だから魔力を入れすぎないようにする


 傷そのものを消そうとしない


 身体へ少しだけ力を貸す


 数秒


 エナが、


「温かい」


 と言う


「痛い?」


「痛くない」


 もう少し魔力を流す


 すると、小さな切り傷から出ていた血が止まった


 俺は魔法を止める


「どう?」


 エナが指を見る


 傷はある


 線みたいな赤い跡


 でも血は止まっている


「早い」


「治った?」


「全部じゃない」


「やっぱり」


 それでも効果は分かりやすい


 小さい傷なら、出血が止まるまでの時間を短くできる


 傷の回復を進められる


 完全に消すわけではない


「治癒、これくらい?」


 俺は聞く


 エナは考える


「今のセイジは、これくらい」


 今の


 そこは聞き取れた


「今」


 自分を指す


「これくらい」


 エナが頷く


 つまり、魔法そのものの限界ではなく、今の俺の《治癒》がこの程度


 上手くなれば変わる可能性がある


「練習したら?」


「たぶん」


 また出た


 たぶん


「たぶん多いな」


 意味は通じない


 エナは首を傾げる


 でも、確定できないことを分からないと言えるのは大事だ


 エナは魔法使いではない


 だから回復魔法の成長までは分からない


「ありがと」


 エナが言う


 今度は俺が返す番だ


「どういたしまして」


 言えた


 一発で


 エナが目を丸くする


「言えた!」


「言えた」


 ちょっと得意になる


 昨日は長すぎると思ったのに、一晩で言えるようになった


 ルッカが、


「ドウイタシマシテ」


 と完璧な発音で言う


「お前は昨日から言えてたな」


 悔しい


     ◇


 午後


 袋がだいぶ膨らんだ


 薬草、食べられる草、少しだけ木の実


 ルッカは食料ばかり集めている


 エナが薬草


 俺は半々


 ただし俺が自分で判断して採った薬草は、全部エナに確認してもらった


 三回当たり


 二回外れ


「半分近く毒やん」


 危なすぎる


 一人で薬草採取できる日は遠い


 帰る途中、エナが突然立ち止まる


「セイジ」


「何?」


 足元を指す


 小さな白い花


「薬?」


「違う」


「毒?」


「違う」


「食べる?」


「食べない」


「じゃあ何?」


 聞く


 エナが花を摘む


「花」


「それは分かる」


「きれい」


 新しい言葉


「きれい」


 エナは花を俺に渡す


「きれい」


「……うん」


 確かにきれいだ


 小さい


 特別派手でもない


 でも森の緑の中では白が目立つ


「薬でも食べ物でもない」


 俺が言う


 当然通じない


 エナは花を見て、


「見るだけ」


 と言った


 見るだけ


 役に立たない


 食べられない


 傷も治せない


 でも、きれいだから見る


「そういうのもあるんやな」


 俺は花を持ったまま歩く


 この世界へ来てから、何でも役に立つかどうかで見ていた


 木なら燃やせるか


 石なら道具になるか


 草なら食べられるか、薬になるか


 水なら飲めるか


 獣なら危険か、食えるか


 余裕がなかったからだ


 でも、


 花は花でいい


 きれいなら、それでいい


 拠点へ戻る頃には、左腕が少し重くなっていた


 歩きすぎたらしい


「疲れた」


 自分から言う


 エナがすぐ反応する


「休む」


「はいはい」


「はいはい?」


「これは覚えんでいい」


「ハイハイ」


 ルッカが先に覚えた


「お前ほんま余計なんばっかり覚えるな」


「ハイハイ」


 腹立つ


 岩陰へ戻る


 三人で採ってきたものを広げる


「……多いな」


 薬草、食用草、木の実


 それからエナが持ってきた新しい布


 昨日もらったものもある


 乾燥肉、枝、器、石器、寝床、ルッカの槍


 少し前まで何もなかったのに、今は物を置く場所が足りなくなってきた


 薬草は地面へ直接置きたくない


 乾かす必要もある


 食料と混ぜるのも嫌だ


 毒草を間違って持って帰っていないとは思うが、もし混ざったら最悪だ


「場所いるな」


 俺は岩陰の奥を見る


「場所?」


 エナが聞く


 俺は物をまとめる仕草をする


「薬、ここ」


 食料を別へ


「食べる、ここ」


 薪


「木、ここ」


 寝床


「寝る、ここ」


 両手を広げる


「狭い」


 エナが理解した


「狭い」


「そう」


 ついに家が狭くなった


 最初は広すぎるくらいだった


 俺一人、荷物なし


 今はルッカがいる


 物が増えた


 人間が来る


 薬草も増える


「広くしたい」


 言う


 エナが岩陰を見る


「家?」


「家」


「大きく?」


「そう」


 身振りをつける


「大きい家」


 ルッカも、


「家、大きい」


 と繰り返す


「そうや」


 壁を作るだけじゃ足りない


 物を置く場所


 薬草を乾かすところ


 食料、寝床、火


 雨が入らない場所


 少しずつ考える必要がある


「土魔法……」


 呟く


 エナが聞き取る


「土?」


「魔法」


 地面を指す


「土、魔法」


「使える?」


「まだ」


 昨日と同じ答え


「まだ」


 でも、その言葉が好きになってきた


 できない、ではない


 まだできない


《治癒》も二日前まではそうだった


 今は使える


 なら、土も、水も、風も、いつか


「でも今日はやらん」


 さすがに疲れた


 左腕も重い


《治癒》も一回使った


 薬草を覚えた


 言葉も山ほど増えた


 十分だ


 エナと一緒に薬草を分ける


 薬一、薬二、薬三


 エナは正式名で呼ぶ


 俺は仮名


「薬一」


「違う」


 正式名


「薬一」


 正式名


「薬一」


 エナが諦めた


「薬一」


「勝った」


 何に勝ったのか分からないけど勝った


 ルッカは食用草をまとめて、


「食べる一」


 と言った


「お前まで真似すんな」


 次の草


「食べる二」


「名前覚えろや」


 エナが笑いすぎて作業にならない


 しばらくして、薬草の一部は日当たりと風通しのいい場所へ並べる


 エナが、


「乾かす」


 と教える


「乾かす」


 これは分かりやすい


 干し肉で似たことをしている


「薬、乾かす」


「そう」


「肉、乾かす」


「そう」


「ルッカも乾かす」


 ルッカが嫌そうな顔をした


「乾かさない」


 エナが即答する


「冗談」


「冗談?」


 しまった


 また説明が難しい言葉を出した


「……あとで」


「あとで?」


 新しい言葉が増殖する


 終わりがない


 夕方が近づき、エナが帰る準備をする


 今日は昨日より長く一緒にいた


 森を歩いて、薬草を取って、言葉を教わって、《治癒》を使って、笑った


「帰る?」


「うん」


「また来る?」


「また来る」


 今度は自然に聞けた


 エナも自然に答えた


「次、薬草?」


「次?」


「薬草」


「薬草も」


 他にも何かあるらしい


「言葉?」


「言葉も」


「治癒?」


「治癒も」


 何でもだ


 俺は笑う


「いっぱい」


「いっぱい」


 エナも笑う


 ルッカが食用草の束を持ってくる


「エナ」


「何?」


 差し出す


「食べる」


 どうやら持って帰れということらしい


 エナが受け取る


「ありがとう」


 ルッカが胸を張る


「ドウイタシマシテ」


 完璧だ


「なんでお前のほうが上手いねん」


 エナがまた笑う


 俺はさっきの白い花を見る


 途中からずっと持っていた


 少し迷って、エナに渡す


「これ」


 エナが驚く


「私に?」


 そこまでは分からない


 でも自分を指しているから意味は分かる


「うん」


「なんで?」


 難しい


 薬草じゃない


 食べ物でもない


 交換でもない


 理由


「きれい」


 覚えたばかりの言葉を使う


 花を指す


「きれい」


 エナを指そうとして、やめた


 それはたぶん意味が変わる


 危ない気がする


「見るだけ」


 エナが教えてくれた言葉を返す


 エナは少し黙って、それから受け取った


「ありがとう」


「どういたしまして」


 今度も言えた


 よし


 ルッカが、


「ドウイタシマシテ」


 と言う


「お前には言ってへん」


「?」


 分かっていない顔


 エナは笑いながら森へ向かう


「またね」


「また」


 俺とルッカは姿が見えなくなるまで見送る


 以前なら、人間が森へ消えていくのを見つからなくなったと安心した


 今は違う


 少し寂しくなる


 でも、また来る


 それを知っている


「友達」


 横でルッカが言った


「覚えたん?」


「友達」


「誰?」


 ルッカが俺を指す


「セイジ」


 自分を指す


「ルッカ」


 エナが消えた方向


「エナ」


「そうやな」


 三人


 友達


 俺は頷く


「友達」


     ◇


 夜


 採ってきた草を整理する


 食べる草と薬草は絶対に混ぜない


 薬一、薬二、薬三


 本当の名前はまだ覚えていない


 でも用途は少し覚えた


 傷、熱、腹


 言葉も増えた


 葉、茎、根、花、毒、匂い、乾かす、触る、友達、きれい


 全部を完璧に使えるわけではない


 文章になるとまだ難しい


 エナが普通の速さで長く話せば、ほとんど分からない


 俺が話す時も、単語、短い文、身振り


 それで何とかしている


 流暢とはほど遠い


 でも最初は名前すら分からなかった


 声を聞いても何一つ理解できなかった


 それが今は、


 また来る


 友達


 ありがとう


 そんな言葉を交わせる


「進んでるな」


「進む?」


「これもまだええわ」


 ルッカは草を食べながら、


「ハイハイ」


 と言った


「それだけ覚えるな」


 笑う


 焚き火を見る


 その横には薬草、食料、道具、寝床


 物が増えた


 本当に狭い


 少し嬉しい狭さでもある


 何もなかった場所に必要なものが増えている


 人が増えている


 言葉が増えている


 魔法が増えている


 ここで暮らす理由も少しずつ増えている


「家、大きくせなな」


 明日すぐできるとは思わない


 左腕もまだ治っていない


 材料も必要


 方法も考えないといけない


 枝だけでは弱い


 雨、風、土、壁、屋根、収納


 薬草を乾かす場所


 考えることは多い


 でも嫌じゃない


 自分の家だから


 俺とルッカが暮らす場所


 エナたちが来る場所


 帰ってくる場所


 広げる意味がある


 寝る前、右手を開く


《火弾》


《治癒》


 今日は魔法を一つも増やしていない


《治癒》を一回使っただけ


 それでも十分進んだ


 魔法だけが成長じゃない


 言葉、知識、人との関係、暮らし


 そういうものも俺の世界を広げている


「おやすみ、ルッカ」


「オヤスミ」


 少し間があって、


「友達」


 とルッカが言った


「なんや急に」


「セイジ、友達」


 俺は少し笑う


「そうやな」


 仲間で、一緒に暮らして、家族みたいなところもあって、友達でもある


 今はそれでいい


「ルッカも友達」


「友達」


 満足したらしい


 ルッカは寝床へ転がる


 俺も横になる


 左腕は少し痛い


 でも良くなっている


 明日にはもっと動くかもしれない


 その次の日には、もっと


 焦らなくていい


 傷も、魔法も、言葉も、人との関係も


 少しずつ治して、覚えて、育てればいい


 焚き火の向こうでは、乾かしている薬草が揺れる


 岩陰の家は、いつの間にか二人で暮らすには少しだけ狭くなっていた

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