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戦いの次の日

第13回 戦いの次の日


 目が覚める前から、左腕が痛かった


 ずきずき、とまではいかない


 けれど、眠っている間もずっとそこにあったらしい鈍い痛みが、意識が浮かび上がるのに合わせて存在感を増してくる


 身体を動かそうとして、やめた


「……いた」


 声が漏れた


 前に狼に噛まれたところだ


 薄暗い岩陰の天井が見える


 見慣れてきた、大きな岩の裏側


 隙間を埋めるように重ねた枝


 地面に敷いた枯れ草


 少し離れたところには、昨夜消しきらずに残しておいた焚き火の跡


 森の匂いも、朝の冷えた空気も、いつもと同じだった


 なのに、身体だけがいつもと違う


 重い


 ものすごく重い


 全身に湿った布でも巻きつけられているみたいだった


「……寝た気せえへんな」


 昨日のことを思い返す


 狼みたいな魔物の群れ


 森の中を走る音


 人間たちの叫び


 ルッカの槍、ダリオの剣、ローデンの指示、エナの姿


 そして、自分が何度も放った《火弾》


 最後のほうは、本当に空っぽになる寸前だった


 身体の中から何かを無理やり絞り出しているような感覚


 あれが魔力切れなのだとしたら、二度と味わいたくない


 いや、二度とというのは無理か


 今後も魔法を使うなら、どこかではまた同じことになる


「限界知らんまま撃ちまくるんは危ないな……」


 右手を顔の前に上げる


 握る


 開く


 指は動く


 次に左手を少し持ち上げる


「っ……」


 痛みが走り、すぐに下ろした


 噛まれた場所は昨日より熱を持っている気がした


 傷口には布が巻かれている


 昨夜、拠点へ戻ってから沢で洗い、傷用の草を塗って巻き直したものだ


 昨日の戦いが終わったあと、エナやミラも俺の左腕を気にしていた


 全部は分からなかったけど、心配されていることくらいは分かった


 まだ人間の言葉は難しい


 名前と、何度も聞いた短い言葉


 身振りがあれば意味を推測できる言葉


 そのくらいだ


 普通に会話するには遠すぎる


 それでも、最初に人間の声を聞いた頃よりは、ずっと近くなった


 エナ、ダリオ、ローデン、ミラ


 口の中で、覚えた名前を転がす


 敵だったはずの人間に名前がある


 名前を知っている


 向こうも俺を見て、何かを言う


 昨日は同じ敵に向かって戦った


 奇妙な話だった


 少し前までなら、人間の姿を見つけた時点で、見つからないように逃げていたのに


「……変わるもんやな」


 そう呟いた時だった


 岩陰の外から、がさがさと音がした


 反射的に身体が強張る


 右手が動き、魔力を集めようとして――


「セイジ」


 聞き慣れた声に、力を抜いた


 ルッカだった


 両手に何か抱えている


 片方は木の葉を重ねたもの


 もう片方には、昨日使った木の器


「おはよ」


「オハヨ」


 最近、俺が繰り返し使っているせいで、ルッカもいくつか俺の言葉を真似するようになってきた


 意味がどこまで分かっているのかは怪しい


 たぶん挨拶だとは理解している


 ルッカは俺を見るなり、眉を寄せた


「腕」


「痛い」


「寝る」


「起きたとこや」


「寝る」


「いや、起きたって」


「寝る」


 三回言われた


 どうやら今日は議論する気がないらしい


「分かった分かった、横になっとくわ」


 俺が枯れ草に身体を戻すと、ルッカは満足そうに頷いた


 それから持っていた木の器を差し出してくる


 水だ


「取ってきてくれたん?」


「水」


「ありがと」


 受け取ろうとして、左手が動かないことに気づく


 右手だけで器を持つ


 いつもなら何でもない動作なのに、片腕が使えないだけで妙にやりにくい


 少し傾いた


「あ」


 水がこぼれそうになる


 横からルッカの手が伸びて、器を支えた


「……ありがと」


 ルッカがにやっと笑う


「弱い」


「誰が弱いや」


「セイジ、弱い」


「昨日めっちゃ戦ったやろ」


「腕、弱い」


「腕はな」


 反論できない


 ルッカは楽しそうだった


 こっちは痛いのに


 ただ、こうやって笑われるくらいでいいのかもしれない


 昨日の夜は、二人ともほとんど喋らなかった


 帰ってくるだけで精一杯だった


 俺は魔力を使いすぎてふらふら


 ルッカも大きな傷こそなかったものの、泥と血でひどい格好だった


 火を確認して、傷を確認して、最低限のものだけ口に入れて、そのまま倒れるように眠った


 朝になって、ようやく日常に戻ってきた気がする


 ルッカが持ってきた葉の包みを開く


 中には、昨日までに焼いて残してあった肉が入っていた


 冷たい


 少し硬い


 けれど食べられる


「肉」


 ルッカが言う


「見たら分かるわ」


「肉」


「はいはい」


「肉」


「なんやねん」


 ルッカは自分の分を指差した


 俺の包みより明らかに多い


「……自慢か」


「肉」


「元気やな、お前」


 俺が笑うと、ルッカも笑った


 少しずつ食べる


 昨日は腹が減っているのかどうかすら分からなかった


 今は、食べればちゃんと腹に入っていく感じがする


 身体が栄養を欲しがっているのかもしれない


 食べながら、自分の状態を確認する


 頭の中で意識する


 STATUS


 見慣れた表示が浮かぶ


 NAME セイジ


 RACE ゴブリンメイジ


 LEVEL 6


 HP F+


 MP E+


 筋力 F


 耐久 F+


 敏捷 E-


 器用 E


 精神 E+


 魔力 E+


 SKILL


 《魔力感知》


 《魔力操作》


 TITLE


 なし


 数字ではない


 相変わらず、分かりやすいような分かりにくいような表示だ


 HPもF+のまま


 昨日傷を負っても変わっていない


 つまり、これは今の体力そのものではなく、身体が本来持っている基礎的な性能ということになる


 MPも同じだ


 昨夜あれだけ使ったのにE+のまま


 今どれだけ回復しているかは、結局自分の感覚で判断するしかない


 目を閉じる


 身体の内側へ意識を向ける


 魔力


 最初の頃より、ずいぶん分かりやすくなった


 魔力感知と魔力操作を何度も使ってきたからだろう


 胸の奥というか、腹の奥というか


 身体全体にぼんやり満ちているものを感じる


 昨日の夜よりは戻っている


 けれど満タンではない


 普段を壺いっぱいの水だとするなら、今は半分より少し多いくらいだろうか


 もちろん、実際に半分なのかは分からない


 感覚の話だ


「今日は魔法使わんほうがええな」


 呟いた直後、ルッカが焚き火跡を指差した


 火は消えていた


「火」


「……使わんほうがええって言うた瞬間やぞ」


「火」


「分かったわ」


 結局使うことになった


 とはいえ、戦闘用に全力で撃つ必要はない


 乾いた枝を集める


 正確には、ルッカが集める


 俺は座って見ている


「なんか俺、偉い人みたいやな」


「?」


「働かずに人が持ってきたもんだけ使う偉い人」


「?」


「ええねん、分からんで」


 枝を組み、枯れ葉を入れる


 右手を向けて意識を集中する


《火弾》


 いつもの感覚


 魔力が動き、掌の前に小さな火が生まれる


 昨日の戦闘で使ったものより、ずっと小さい


 枝の根元を狙って放つ


 ぱちっ、と乾いた音がして、枯れ葉に火が移った


「よし」


 ルッカが火を覗き込みながら嬉しそうに頷く


「火」


「火やな」


「セイジ、火」


「俺の名前みたいに言うな」


 どうもルッカの中では、俺と火がほぼ一組になっている気がする


 実際、今使える魔法が《火弾》だけなのだから間違ってはいない


 でも、一応俺はゴブリンメイジだ


 メイジ


 魔法使い


 火しか使えない魔法使い


「……しょぼいな」


 自分で言って少し悲しくなる


 いや、《火弾》にはかなり助けられている


 狼も倒した


 食事にも使える


 夜の明かりにもなる


 昨日は敵を誘導するためにも使えた


 優秀だ


 文句を言ったら罰が当たる


 それでも、魔法使いと名乗るなら、もうちょっと種類が欲しい


 炎だけで何でも解決できるわけではない


 たとえば、


 左腕を見る


 傷


 こういう時だ


 これまで傷は水で汚れを落とし、薬草を使い、布を巻いてきた


 昨日の戦場でも、ミラたちは傷ついた人間を処置していた


 少なくとも、俺が見た範囲では魔法ではなかった


 この世界に治療の魔法があるのかは分からない


 魔法がある世界なら、あってもおかしくはない


 回復魔法


 ゲームなら定番だ


 ホイミ、ヒール、ケアル


 呼び方はいろいろあるが、傷を治す魔法というやつだ


「……できんかな」


 右手を見る


 火を出すことはできる


 だったら、傷を治す魔法もできる可能性はある


 俺には火だけではなく、他の属性にも適性がある


 それは最初に確認した


 火、水、風、土、光、闇


 六つ


 適性があることと、使えることは別だ


 今のところ使えるのは火だけ


 でも、適性が表示されている以上、何か方法があるはずだ


「光……」


 回復魔法といえば光


 これは完全に俺の前世のゲーム知識だ


 この世界でも同じとは限らない


 むしろ違っていて当然だろう


 けれど、何も分からないなら試すしかない


 左腕を膝の上に置く


 右手を傷の上にかざす


 ルッカが気づいた


「セイジ?」


「ちょっと実験」


「?」


 当然通じない


 俺は自分の右手を指し、左腕を指す


「魔法」


 その言葉には反応した


 ルッカが少し離れる


 昨日までの経験で、俺が魔法を使う時には近づかないほうがいいと学んだらしい


「いや、今回は燃やさんで」


「火?」


「火ちゃう」


「火」


「ちゃう」


「火?」


「ちゃうって」


 会話が進まない


 俺は諦めて集中する


 まずは魔力を感じる


 身体の中を巡っているもの


 いつもなら右手へ集めて、《火弾》の形にする


 今回は違う


 火にしない


 ただ魔力だけを右手へ集める


《魔力操作》


 少しずつ


 ゆっくり


 戦闘中のように勢いよく集めない


 掌がわずかに温かくなる


 ここまではできる


 問題は次だ


 火ではなく、光


 治す力


「……治れ」


 何も起きない


「治れ」


 やっぱり何も起きない


「ヒール」


 何も起きない


「回復」


 何も起きない


「治癒」


 何も起きない


「ホイ――」


 やめた


 さすがにそれは違う気がする


 ルッカが首を傾げている


「何?」


「こっちが聞きたいわ」


 魔力は右手に集まっている


 でも、それだけだ


 光らない


 暖かくもならない


 傷も治らない


 念のため布を少しめくって確認する


 当然、噛み跡はそのままだ


「まあ、そんな簡単ちゃうわな」


 火弾だって、最初から完全に自在だったわけではない


 いや、最初に使えたという意味ではかなり簡単だったか


 でも、今思えばあれは魔法名が分かっていた


《火弾》


 名前と使い方のきっかけがあった


 今回の回復魔法は、存在するかどうかすら分からない


 名前も分からない


 属性も本当に光なのか不明


 これで成功したら、そのほうがおかしい


「そもそも、治すってなんや」


 考えてみる


 火弾なら分かりやすい


 火を作る


 飛ばす


 燃やす


 結果が目で見える


 じゃあ回復は何をする


 傷口を閉じる?


 血を増やす?


 肉を作る?


 痛みを消す?


 病気まで治す?


 全部同じ魔法なのか


「……難しすぎん?」


 急に難易度が上がった


 俺は薬の知識なんてない


 前世でも、怪我をしたら消毒して絆創膏を貼るくらいだった


 肉体がどうやって治っているのか、詳しく説明しろと言われても無理だ


 細胞がどうとか、血小板がどうとか、その程度


 異世界に転生するなら医学書の一冊でも読んでおけばよかった


 いや、普通は転生する予定なんか立てない


「セイジ」


 ルッカが何かを差し出していた


 葉だ


 見覚えがある


 これまで俺が傷へ使ってきたものとは違う


 ルッカが森で時々集めていた葉の一種だ


「これ?」


 ルッカは自分の腕を指し、葉を指す


 それから傷を押さえるような仕草をした


「傷に使うん?」


 頷く


「薬草?」


「?」


 そこまでは通じない


 ルッカは葉を一枚取ると、指で潰してみせた


 独特の青臭い匂いがする


 俺の左腕の布を見て、また葉を示す


 なるほど


 森で暮らすルッカは、俺よりずっとこういうことを知っている


 魔法を使えるのは俺


 でも、森で生きることについてはルッカのほうが先生だ


「今まで使ってたんとは違うな」


 ルッカが俺の言葉より、別の部分に反応する


「エナ」


「覚えたん?」


「エナ」


「そう、エナ」


「エナ、人間」


「人間やな」


「セイジ、人間?」


「俺はゴブリンや」


「ゴブリン」


「そうそう」


 ルッカが笑う


 なんで笑うんだ


 一瞬、俺が人間だと言ったように聞こえたのかもしれない


 前世では人間だった


 今はゴブリン


 その辺を説明しようとしたら、今の言葉ではたぶん一日かかっても無理だ


 それどころか、説明できたとして信じてもらえるか怪しい


 俺は葉を受け取り、匂いを嗅ぐ


「これ、ほんまに大丈夫なん?」


「大丈夫」


「その言葉覚えたんか」


「ダイジョブ」


 微妙に発音が違う


 でも意味は分かっているらしい


「どこで覚えたんやろなあ」


 たぶん俺だ


 何かあるたびに言っている気がする


 大丈夫


 大丈夫や


 大丈夫ちゃう


 そう考えると、三つのうち二つは同じ意味ではない


 人間語を覚えるのも大変だが、ルッカが俺の言葉を覚えるのも大変そうだ


 俺は葉をすぐに傷へ使わず、横に置いた


 今巻いている布を何度も外すのも避けたい


 傷がどうなっているのかも分からない


 今日は水で洗うくらいにしたほうがいい気がする


 ルッカも無理に使わせようとはしなかった


 火が安定すると、木の器に水を入れて近くへ置く


 直接火にかけられる器ではない


 石を熱して水を温める方法を使う


 これも、最初の頃は何度も失敗した


 熱しすぎた石を入れて水をこぼしたり、器を傾けたり、石についた汚れで水が濁ったり


 今ではだいぶ慣れた


 今日は片手しか使えないから、ルッカにやってもらう


「その石」


「これ?」


「それ」


「これ」


「そう」


 ルッカが熱した石を枝で挟む


 俺より上手い


「……俺いらんやん」


「?」


「なんでもない」


 水が少し温まるまで待つ


 その間、俺は岩陰の周りを眺めた


 ここに来た頃とはずいぶん変わった


 最初は、本当にただの岩陰だった


 雨風を少し防げるだけ


 地面は硬く、荷物も食べ物もない


 火も安定しない


 夜になるたび、何か来るんじゃないかと怯えていた


 今は違う


 乾燥させた肉がある


 水を入れる器がある


 枝をまとめた場所がある


 石器と簡単な寝床がある


 ルッカの槍も立てかけてある


 俺のもの


 ルッカのもの


 二人で使うもの


 少しずつ増えた


 家と呼ぶには粗末すぎる


 壁もない


 扉もない


 雨が強ければ吹き込むし、虫も来る


 それでも、


 帰ってくる場所になった


 昨日、戦いが終わったあと、俺は迷わずここへ戻ってきた


 ルッカもそうだった


「家、か」


 前世の家とは全然違う


 風呂もない


 ベッドもない


 冷蔵庫もない


 電気もない


 Wi-Fiなんて当然ない


 それでも、ここに戻った時、少し安心した


 生きて帰ってきたと思った


 隣にはルッカがいた


「……悪ないな」


「何?」


「ここ」


 地面を指す


 岩を指す


 寝床を指す


「家」


 この言葉は何度か教えている


 ルッカが辺りを見る


「家」


「そう、家」


 ルッカは少し考えてから、自分を指した


「ルッカ」


 次に俺を指す


「セイジ」


 最後に、岩陰全体を指した


「家」


 胸の奥が、少しだけ変な感じになった


 痛いわけじゃない


 苦しいわけでもない


「……そうやな」


 俺は笑った


「俺らの家や」


 言葉の全部は伝わっていないだろう


 でも、ルッカは満足そうに頷いた


 昨日、人間たちと一緒に戦った


 世界が少し広がった


 けれど、広がったからこそ分かる


 戻る場所があるというのは大事だ


 外に出るなら、帰る場所がいる


 人間の村へ近づくことがあるかもしれない


 もっと森の奥へ行く日も来るかもしれない


 知らない魔法を覚えるかもしれない


 知らない奴に会うかもしれない


 そのたび、ここに戻ってくればいい


 ただ、岩陰を見る


「もうちょい何とかしたいな」


 ルッカが首を傾げる


「雨、入る」


 外から中へ手を動かしてみせる


「雨」


 これは知っている


 ルッカも岩の隙間を見る


「雨」


「壁ほしいな」


「?」


「壁」


 分からない


 俺は枝を立てる仕草をし、隙間を塞ぐように手を並べる


 ルッカがじっと見る


 それから岩陰の端へ行って枝を一本立てた


「そうそう、それ」


 もう一本


 二本並べる


「壁」


「カベ」


「そう、壁」


 ルッカが何度か口にする


「カベ、カベ」


「ええやん」


 少しずつ言葉も増えている


 家の中に、新しい言葉が増えていく


 それが妙に面白かった


 温めた水ができた


 傷を洗う


 布を外す時が一番痛かった


 乾いた血がくっついていたせいだ


「うわ、最悪」


「痛い?」


「痛い」


 ルッカの表情が少し真面目になる


 傷口を覗き込む


 牙の跡


 深いところもある


 幸い、血は止まっている


 腫れてはいるが、昨日よりひどくなった感じはしない


 感染とか破傷風とか、そういう言葉が頭に浮かぶ


 この世界に破傷風があるのかは知らない


 でも傷が汚れたままでいいはずがない


 少し温かい水で、できるだけ丁寧に洗う


 片手なのでやりにくい


 結局ルッカに手伝ってもらう


「痛っ」


「痛い?」


「痛い」


「大丈夫」


「大丈夫ちゃうわ」


「ダイジョブ」


「それ言いたいだけやろ」


 ルッカが笑う


 絶対そうだ


 洗い終えると、昨日から使っている布をもう一度使うか迷った


 新しい布なんてない


 汚れた部分をずらし、比較的きれいなところで巻き直す


 これも片手では難しい


 ルッカがやってみる


「そこ、もうちょい緩く」


「?」


「痛い痛い痛い!」


「痛い?」


「締めすぎや!」


「ダイジョブ」


「大丈夫ちゃう!」


 結局、何度かやり直した


 最後にはそれなりの形になった


「上手いやん」


 ルッカが胸を張る


「俺が教えたみたいになってるけど、ほぼ勘やろ」


「?」


「まあええわ」


 傷の処置が終わると、急に疲れが出た


 ほんの少し作業しただけなのに、身体が休みたがっている


「今日はほんまに休みやな」


 普段なら水を汲みに行く


 食べ物を探す


 罠を見る


 周辺を確認する


 薪を集める


 やることはいくらでもある


 でも今日は無理だ


 左腕だけではない


 足も重い


 身体の芯に疲労が残っている


 魔力も完全ではない


 戦える状態ではない


 俺は岩に背中を預けた


 ルッカはそんな俺を見てから、槍を持った


「どこ行くん?」


「水」


「一人で?」


 ルッカが頷く


「いや、俺も――」


 立とうとした瞬間、左腕が痛み、続いて足に力が入らなかった


 座り直す


 ルッカが呆れた顔をした


「寝る」


「……はい」


 今日四回目だ


 立場が完全に逆転している


 いつもは俺が、危ないから待てとか、ちゃんと考えてから動けとか言っているのに


 ルッカは水の器を持ち、槍を肩に担ぐ


「気ぃつけや」


「?」


「危ない」


 これは通じる


「大丈夫」


 そう言って、ルッカは森の中へ消えた


 俺は一人になった


 森の音が広がる


 鳥の声、葉が揺れる音、虫の音


 遠くで枝が折れる音


 魔力感知を広げようとして、途中でやめた


 今日はなるべく魔力を使わない


 その代わり、耳を澄ませる


 一人になると、昨日の場面が何度も浮かぶ


 狼が迫ってくる


 誰かが叫ぶ


 火弾を撃つ


 また撃つ


 ルッカが飛び込む


 人間の剣が光る


 血の匂い、土の匂い、燃えた毛の匂い


 最後の一匹が倒れたあと、急に森が静かになった


 戦っている間は怖がる暇もなかった


 今になって思う


 よく生きてたな、俺


 前世なら絶対に経験しなかった


 そもそも狼と戦う時点で意味が分からない


 しかも剣も銃もなく、魔法で戦っている


「人生分からんなあ」


 転生している時点で今さらだ


 それより気になることがある


 昨日の狼たち


 数が多かった


 あれだけの群れが、なぜあの場所に来たのか


 ルッカも途中から様子がおかしかった


 普段の狩りで見る獣とは違う反応をしていた


 人間側も警戒していた


 ただ腹が減って集まっただけなのか


 何かから逃げてきたのか


 あるいは、森のどこかで何かが起きているのか


 考えても答えは出ない


 今の俺は、この森について知らなさすぎる


 ルッカが知っていることも多いが、全部を言葉で聞けるわけではない


 人間側なら、もっと広い情報を持っているかもしれない


 村、町、冒険者、森の外


 俺が知らないものは、たぶん山ほどある


 以前なら、それを知りたいと思っても動けなかった


 人間に見つかれば殺されるかもしれない


 その恐怖のほうが大きかった


 今も怖くないわけではない


 昨日一緒に戦ったからといって、世界中の人間が俺を受け入れてくれるわけではない


 ダリオだって、まだ完全に俺を信用している感じではない


 当然だ


 俺が逆の立場でも警戒する


 森にいるゴブリンが急に魔法を使い、人間の言葉を覚え始め、一緒に戦おうとしてくる


 怪しすぎる


 俺なら距離を取る


「でもなあ……」


 エナは違う


 最初からというわけではない


 怖がっていた


 警戒していた


 それでも、俺の傷を見て近づいてきた


 昨日も、負傷者たちのことを気にして動いていた


 敵か味方か


 人間か魔物か


 そういうことより先に、怪我をした相手を見ていた


 左腕を見る


「治す、か」


 もう一度だけ試してみたくなった


 でも魔力は節約する


 ほんの少し、練習程度


 右手を左腕の上に置く


 目を閉じる


 さっきは、治れと考えただけだった


 今回は違う


 これまで自分の傷を処置した時を思い出す


 汚れを落とす


 傷口を見る


 薬草を使う


 布を当てる


 あれは、傷を消したわけではない


 身体が自分で治るのを助けている


 もし回復魔法も同じなら、魔法で無理やり傷をなくすのではなく、身体が治ろうとする力を助けるものなのかもしれない


 完全な想像だ


 正しいかどうかは分からない


 でも、さっきよりは考え方が具体的になった


 魔力を右手へ少しだけ集める


 左腕に触れない程度まで近づける


 火にしない


 熱にもしない


 身体の中へ戻すような――


 いや、戻すというのも違う


 包む


 傷の周りを魔力で包む


 そう意識する


「……」


 何も起きない


 少し待つ


 やっぱり何も起きない


「そう簡単にはいかんか」


 ただ、さっきとは少し違った


 火弾を作る時、魔力が一気に形を持つ感覚がある


 今は形にならない


 散る


 集めても、目的がないまま崩れていく


 つまり、魔力を集めるだけでは魔法にはならない


 何かが足りない


 魔法名?


 イメージ?


 属性?


 構造?


「分からん」


 でも、面白い


 失敗したのに、少し楽しくなってきた


 最初は、生きるためだった


 火が必要だった


 敵を倒す力が必要だった


 だから《火弾》を使った


 今は違う


 傷を治したい


 自分だけじゃない


 ルッカが怪我をした時にも使えるかもしれない


 昨日みたいに人間が傷ついた時にも


 もし使えるなら、できることが一つ増える


 戦うだけじゃない魔法


「それはええな」


 火弾も好きだ


 派手だし、分かりやすいし、強い


 でも、全部燃やすだけの魔法使いになるのは嫌だ


 家を作る


 水を確保する


 食べ物を保存する


 怪我を治す


 そういうことに魔法を使えたら、この生活はもっと楽になる


 もっと広がる


「ゴブリンメイジやもんな」


 魔法使い


 だったら、試してみよう


 今日は無理でも、明日、明後日、その次


 何回失敗しても、できるまで考える


 俺には時間がある


 少なくとも、生きている限りは


 しばらくして、森の中から音がした


 警戒する


 すぐに聞き覚えのある足取りだと分かる


 ルッカが戻ってきた


 水だけではない


 木の実の入った葉包みと、何本かの枝も抱えている


「多ない?」


 ルッカは得意そうな顔をする


「食べる」


「全部?」


「食べる」


「怪我人の分残してや」


 ルッカが俺を見る


 木の実を見る


 もう一度俺を見る


 一粒だけ渡してきた


「少なっ!」


 ルッカが笑った


「お前、ほんま食いもん絡むと容赦ないな」


 結局もう少しもらった


 昼近くになる頃には、日差しが岩陰の手前まで伸びてきた


 暖かい


 俺は外へ出ず、境目に座った


 ルッカは槍の先を確認している


 戦いで少し傷んだらしい


 木の柄も削れている


 石刃を外し、紐を締め直す


 俺にはできない作業だ


 やろうと思えばできるかもしれない


 でも、ルッカのほうがずっと速い


「それ、直せるん?」


「直す」


「上手いな」


 ルッカは当然という顔をした


 前なら、俺は自分が何でもできるようにならないといけないと思っていた


 一人で生きるつもりだったからだ


 火を起こす


 食料を探す


 水を見つける


 寝床を作る


 戦う


 逃げる


 全部自分で


 でも、今は違う


 森のことはルッカのほうが詳しい


 追跡も、植物も、獣の痕跡も、槍も


 俺が全部覚える必要はない


 もちろん知識はあったほうがいい


 でも、任せられるものは任せればいい


 代わりに、俺は俺にできることを増やせばいい


 魔法、考えること、前世の知識、人間側とのやり取り


 今はまだ片言だけど、たぶん俺のほうが人間の言葉を覚えるのは早い


 それぞれ得意なものが違う


 そのほうが強い


 昨日だってそうだった


 俺一人では狼の群れに勝てなかった


 ルッカ一人でも無理だった


 人間側だけでも危なかったかもしれない


 でも、それぞれができることをしたから生き残れた


「仲間、か」


 ルッカが顔を上げる


「ナカマ?」


 俺は少し驚いた


 その言葉を教えた覚えはない


 もしかすると人間たちが言っていたのを聞いたのかもしれない


 あるいは、俺がどこかで口にしたのか


「仲間」


 自分とルッカを交互に指す


「セイジ、ルッカ」


「仲間」


「そう」


 ルッカが考える


 そして笑った


「仲間」


「うん」


 今度は、昨日戦った方向を指した


「エナ」


 少し間を置いて、


「人間」


 さらに考える


「仲間?」


 答えるまで、少し時間がかかった


 仲間なのか


 昨日だけの共闘だったのか


 エナは、ダリオは、ローデンは、俺をどう思っている


 分からない


 でも、


「……仲間になれたら、ええな」


 全部は通じない


 俺は胸を指し、森の向こうを指し、それから頷いた


「仲間」


 ルッカも頷く


「仲間」


 不思議だった


 人間とゴブリン


 普通なら敵


 たぶん、この世界ではそれが当たり前


 それでも昨日は同じ場所に立った


 たった一日で全部が変わるとは思わない


 むしろ、変わらないことのほうが多いだろう


 けれど、最初の一歩くらいにはなったのかもしれない


 午後は、ほとんど何もしなかった


 何もしないというのは意外と難しい


 横になっていると、気になるものが次々見つかる


 薪が少ない


 肉の保存場所を変えたい


 岩陰の隙間を塞ぎたい


 雨が降った時の排水も考えたい


 寝床ももう少し柔らかくしたい


 水を毎回運ぶのも大変だ


 器も足りない


 欲を言えば風呂が欲しい


 前世からずっと風呂は好きだった


 この身体になってから、川や水場で身体を拭く程度


 たまには湯に浸かりたい


「風呂……」


 ルッカが反応する


「フロ?」


「そう、風呂」


 両手で大きな器の形を作る


 そこに入る仕草をし、水を頭からかぶるふりをする


 ルッカが変な顔をした


「水?」


「お湯」


「?」


「温かい水」


 火を指す


 水を指す


 両方を合わせる仕草


「火、水」


「そう」


「セイジ、火、水?」


「いや、水はまだ無理」


 何となく痛いところを突かれた


 火は出せる


 水は出せない


 適性はある


 でも魔法としては使えない


「そのうちな」


 ルッカは意味が分からないまま頷いた


 それから突然、俺に水の器を差し出す


「水」


「飲めって?」


「水」


「風呂の話や」


「水」


「はいはい」


 飲む


 冷たい


 うまい


「……まあ、まず飲み水やな」


 風呂は遠い


 家を広げるのも、魔法を増やすのも、人間と話せるようになるのも、全部すぐには無理だ


 一個ずつだ


 今までだってそうだった


 目が覚めた初日は、今日食べるものすらなかった


 火弾一つしかなかった


 それが今は、寝床があって、肉があって、器があって、隣にルッカがいる


 人間の名前まで知っている


 十一日


 まだ十一日しか経っていない


 そう考えると、むしろ変わりすぎている


 夕方近くになり、左腕の痛みが少し落ち着いた


 完全に治ったわけではない


 むしろ身体を動かしていないから、痛みを感じにくいだけかもしれない


 俺はもう一度、布の上から傷に右手をかざした


 ルッカが気づく


「火?」


「ちゃう」


「魔法?」


「そう、魔法」


 今度は理解したらしい


 ルッカがじっと見る


 魔力をほんの少し集める


 さっき考えたことをもう一度試す


 治す、では曖昧すぎる


 なら、


 身体が元に戻ろうとするのを助ける


 傷が閉じる


 腫れが引く


 痛みがなくなる


 血が巡る


 そんなイメージを一つずつ作る


 魔力を乗せる


「……」


 右手の掌が、ほんの少し温かくなった気がした


 俺は目を開ける


「え?」


 ルッカも覗き込む


 光ってはいない


 傷も変わらない


 熱もない


 ただ、自分の掌だけが少し温かい


 火弾の熱とは違う――ような気がする


「今の……なんや?」


 もう一度試す


 今度は何も起きない


「気のせい?」


 三回目


 やっぱり何も起きない


「……分からんな」


 魔力を使ったせいで、体温が上がっただけかもしれない


 怪我をしているから感覚がおかしいだけかもしれない


 成功には程遠い


 魔法名も浮かばない


 新しい何かを覚えた感じもない


 ステータスを確認する


 変化なし


 SKILLも同じ


 魔法が増えた感覚もない


 失敗だ


 でも、完全に無駄ではない


 何を考えて魔力を動かすか


 そこに違いがある気がする


 火弾の時は、火の形が最初から頭にある


 回復魔法にも、何か核になるものが必要なのかもしれない


 そして、その答えを知っていそうな人物が一人いる


「エナ」


 人間側で負傷者たちのことを気にして動いていた少女


 魔法が使えるかどうかは知らない


 でも、傷や薬草について何か知っているかもしれない


 俺が分からない部分を、エナなら知っている可能性がある


 問題は言葉だ


 俺はまだ、


 傷


 治す


 魔法


 どうやる


 そんな会話を人間語でできない


「……先に言葉か」


 魔法を覚えたければ、人間語も覚えないといけない


 思ってもみなかった繋がりだった


 魔法の練習だけしていればいいわけじゃない


 誰かに教わるには話さないといけない


 話すためには相手の言葉が必要


 言葉が増えれば、人が増える


 人が増えれば、知れることが増える


 知れることが増えれば、できることも増える


「全部繋がってんな」


 ルッカが首を傾げる


「難しい顔」


「それも覚えたん?」


「難しい、顔」


「誰に教わったんや」


 ルッカが俺を指した


 やっぱり俺だった


「自覚ないわ」


 日が傾く


 森の奥が少しずつ暗くなっていく


 今日は遠くへ行かなかった


 獲物も狩っていない


 新しい場所も見つけていない


 レベルも上がっていない


 魔法も覚えていない


 何も進んでいないように見える


 でも、そんな一日も必要なのだと思う


 戦った次の日まで戦う必要はない


 傷ついたなら休めばいい


 疲れたなら寝ればいい


 腹が減ったら食べる


 喉が渇いたら水を飲む


 ルッカがいれば馬鹿な話をする


 家の不便なところを見つけたら、次に直せばいい


 できない魔法があれば、考えてまた試せばいい


 そんな生活でいい


 前世では、休んでいても仕事のことを考えていた


 明日の予定、締切、連絡、失敗したこと、まだ終わっていないこと


 休みの日なのに、頭だけはずっと働いていた


 今は違う


 明日の仕事なんてない


 あるのは、生きることだけ


 それは大変だけど、少し自由だ


「気ままな生活って、こういうことなんかな」


 理想にはまだ遠い


 風呂もない


 畑もない


 ちゃんとした家もない


 でも、少なくとも誰かに急かされることはない


 隣を見る


 ルッカが肉を焼いている


 いや、焼いているというより、火の近くへ置いてじっと見ている


「近い近い、焦げるぞ」


 ルッカが慌てて肉を離す


「危ない」


「それ俺が言う言葉やからな」


「ダイジョブ」


「便利に使うな」


 笑いながら夕食を食べる


 昨日のような緊張はない


 森は静かだ


 少なくとも、今は


 食べ終わったあと、ルッカが立ち上がった


 森の向こうを見る


 表情が少し変わる


 俺も身体を起こす


「どうした?」


 ルッカは耳を澄ませる


 しばらくして首を振った


「何も」


「びびらすなや」


 ルッカは地面を指した


 昨日の方向


 人間たちがいた場所


 それから俺を見る


「人間」


「人間?」


「明日」


「明日?」


 ルッカは昨日、人間側と交わしたやり取りを身振りで再現し始めた


 指を一本立てて太陽を示す


 一度沈んで、また上がる動き


 それから、中間地点の方向を指した


「……明日、来る?」


 ルッカが頷く


「人間、来る」


 そういえば昨日、戦いが終わったあと、次の交換予定がまだ生きていることを確認した


 あの時点では二日後


 今日一日が過ぎた


「……つまり明日か」


「近くまで来るんか」


 ルッカが頷く


 胸が少しざわついた


 怖さ


 警戒


 それから、ほんの少しの期待


 昨日は戦いの最中だった


 まともに話せる状況ではなかった


 次に会えば、もう少し落ち着いて向き合えるかもしれない


 傷を見てもらえるかもしれない


 人間語を一つでも増やせるかもしれない


 回復について何か分かるかもしれない


 ダリオがまだ俺を警戒しているなら、それも少しずつ変えられるかもしれない


 ローデンとも話せるかもしれない


 何を言っているのか、ほとんど分からなくても


 それでも会うことには意味がある


 俺は左腕を見る


「とりあえず、明日までにもうちょい元気にならんとな」


 ルッカが肉の残りを持ち上げた


「食べる」


「また食うん?」


「セイジ、食べる」


「俺かい」


 差し出された肉を受け取る


 少し焦げている


 硬い


 それでも食べる


 ルッカなりに、元気になれということなのかもしれない


 あるいは、単に自分が腹いっぱいだから押しつけただけかもしれない


 後者の可能性が高い


「まあええか」


 肉を噛む


 火を見る


 岩陰を見る


 ルッカを見る


 俺たちの家


 そして、その外側にある森


 さらに向こうには人間たちがいる


 昨日までより、世界が少し近くなった


 ここから出ていくつもりはない


 この場所を捨てたいわけでもない


 むしろ逆だ


 ここをもっと住みやすくしたい


 帰りたくなる場所にしたい


 だからこそ、外を知りたい


 知らないことを覚えたい


 使えない魔法を使えるようになりたい


 人間とも話してみたい


「森の家から、その外へ、か」


 口にしてから、自分で少し笑う


 大げさだ


 明日は、せいぜい近くまで人間が来るだけ


 俺はまだ左腕をまともに動かせない


 回復魔法も失敗した


 水も出せない


 風も操れない


 土も動かせない


 人間語もろくに話せない


 何もかも途中だ


 でも、途中だからいい


 やることがある


 覚えることがある


 明日が少し楽しみだ


 夜が深くなる前に、焚き火へ枝を足す


 今日はルッカがやった


 俺はそれを見ながら横になる


「明日な」


「明日」


「人間」


「人間」


「エナ」


「エナ」


「ダリオ」


「ダリオ」


「ローデン」


「ローデン」


「ミラ」


「ミラ」


 ルッカは全部覚えていた


「すごいやん」


「すごい」


「それも分かるんか」


「ルッカ、すごい」


「自分で言うな」


 笑い声が岩陰に響いた


 森の夜は暗い


 危険も消えていない


 昨日の狼たちが、なぜあれほど集まったのかも分からない


 俺の傷も治っていない


 知らないことだらけだ


 それでも、昨日の夜より今夜のほうが少し安心できる


 戦いが終わったからだけではない


 俺たちは帰ってきた


 帰る場所があった


 そして明日は、その場所の近くへ知っている人間たちが来る


 目を閉じる


 左腕はまだ痛む


 魔力も完全には戻っていない


 だから今日は、それでいい


 治らないなら休む


 できないなら考える


 分からないなら聞く


 言葉が足りないなら覚える


 一人で無理なら、誰かの力を借りる


 そうやって少しずつ、この森でできることを増やしていけばいい


 焚き火の音が小さく弾ける


 すぐ近くで、ルッカが枯れ草へ横になる音がした


「セイジ」


「ん?」


「家」


 薄暗い中で、ルッカが岩陰を指していた


「家」


 俺は少し笑う


「そうやな」


 ここが家だ


 まだ岩陰でしかない


 それでも、俺たちが戻ってくる場所だ


「おやすみ、ルッカ」


「オヤスミ」


 目を閉じる


 明日は、人間が来る


 そしてたぶん、俺の小さな世界はまた少しだけ広がる

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